2026年3月 4日 (水)

ちゅび、自分でカリカリを食べる(奇跡) / 次の本のカヴァーデザインができてくる

3月4日(水)

11時に病院でS山先生に摘便してもらう。かぼちゃを食べてもカチカチ。

ステロイドのおかげで今になってから自分でカリカリを食べたことを報告するとS先生は「すごいね!」と驚いてくれた。

ほんとによくがんばってえらいね、と。

体重も奇跡的に前回3.15kgを上回る3.25㎏だった。

ステロイド注射は2週間持つということで今日はしなかった。

3月3日(火)

朝起きた時に頭が朦朧としていて、もう一度寝たら遅い午後に起きてしまった。

輸液、薬、給餌。

デザイナーさんから表紙と見返しと帯の色指定するように言われ、ネットでタントとDICの色見本を見ながら指定するのにすごく時間がかかった。

3案作った。タケオまでタントの実際の色を見に行くべきだが、最近、朝眠くてまともに動けない。

3月2日(月)

今日もちゅびが少量だがカリカリを自分で食べた!手術以来、自力で食べたのは3回目。
Simg_20260302075611166

吐き気も ないみたい。

手術後、本当に、6週間も食べられなくて体重も半分になり、もう二度と自分で食べてくれることはないと思っていたので奇跡だ。

おそらくステロイドのおかげなのだろう。手術後からずっと打っていなかったのは、耐性がすぐについてしまうからなのだろうか。

薬と給餌。ちゅーるばかりだと便がカチカチになるのでかぼちゃを食べさせるとよい、とネットに実例を書いている人がいたので、かぼちゃのスライスを買ってレンチン、潰して牛乳で溶いてシリンジで与えてみた。

・・・

選挙が終わってからずっと憂鬱で毎日Xを見ている。

今の悪夢のような状況にやはり激しいストレスを感じて言葉を発している人がたくさんいるのを読むと、止まらなくなる。

新しい戦争が始まったのも恐怖。どこまで酷くなるのか。

夜3時過ぎまで眠れなくて、なのに朝7時すぎに起きてしまったり、自律神経がおかしい。

3月1日(日)

ちゅびが今日も少量だがカリカリを自分で食べた!
Simg_20260301110249161

今日は薬と輸液と給餌。
Simg20260301165824

・・

テスト校正紙に赤を入れる。

問題はいつも同じだが、実際の絵よりもずいぶん色が沈んでしまうこと。

写真撮影で鈍くなり、4色分解でさらに鈍くなり、紙に印刷した時にインクが沈んでさらに鈍くなる。

だからデータ画像のサイドをどのくらい上げておくか、その加減を最終的には印刷会社さんに出向いてオペレーターさんと一緒に調整する予定。

・・・

ギャラリー十二社ハイデに寄り、搬出を見届け、久しぶりに自転車で来たアケミさんと中野坂上まで暗渠を歩いて話しながら帰った。

今日は寒くて、綿のコートでは震えてしまった。

2月28日(土)

ちゅびが少量だがカリカリを自分で食べた!奇跡。昨日のステロイドの効果?

手術してから1度も自分で食べることができなくて、シリンジで給餌していたので、信じられない。

手術しても食欲が戻らなかった時は絶望で真っ暗になり、2週間くらいしか生きられないかと思ったが、

介護して気がつけばもう6週間。

薬、給餌。

2月27日(金)

ちゅびがうんこが詰まって苦しそう、何度もトイレの砂を掻くので、午前中に病院に連れて行って摘便してもらう。

手術以降、脚の付け根が麻痺していて(手術のせいではなくてリンパ腫のせい?)自分でうんこができないのだ。

毎日、総合栄養ちゅーる3本程度しか食べていないのに、S山先生がおなかを触ると固い便が詰まっていた。

「一日おきに500ml皮下輸液しているのに、大量におしっこが出て、水分が腸のほうには行っていないんですか?」と質問すると

「口からも水をとったほうがいい」と言われた。

手術後、ちゅびは一度も自分で食べることも水を飲むこともできなくなっているので、水をシリンジで飲ませるのも嫌がって頭を振るのでたいへんなのだ。

輸液してもらい、そのあとS山先生に「ステロイド打っていい?炎症を抑える効果があるから楽になる。食欲も出るかもしれない」と言われ、お願いした。

帰りにリンゲル液3パックとラインと針を購入して今日の治療費は13000円超。

確かオリーブオイルと牛乳が猫の便秘に効くという記憶があり、ネットで調べるとやはりそのようなことが書いてあったので、午後に少量やってみることにする。

3時頃に給餌の際にオリーブオイルを混ぜると嫌がった。特有の味が嫌みたい。

牛乳もオイルほどではないがやはり嫌がる。

・・・

次の本のカヴァーと帯と表紙のデザインがデザイナーのM口さんから上がってきた。

私が回らない頭で苦しんで描いたラフすぎるスケッチから、それを具現化した素晴らしいデザインが出来てきたので感心した。

本当に私の頭の中のイメージを汲んでくださっている。

帯と表紙がピンク系だったのだけ、紫系に変更していただくお願いをした。

カヴァーと帯のデザインができてくると、次の本の全体像が俄然はっきりしてくる。

まだこの先、一番たいへんな仕事、中身の写真と絵の印刷の校正が待っている。

 

 

|

2026年3月 1日 (日)

次の本のテスト校正を持って沢渡朔さんの事務所へ

2月26日(木)11.8℃

次に出す本の写真と絵のテスト校正(2種類の紙)が出来上がってきたので、それを沢渡朔さんに見せに行く。

今日は寒くて、四谷3丁目に早く着いてしまったので北風を避けてコンビニに入っていた。

富久町の、蔦と一体化したとても古くて魅力的な成女学園の建物が破壊されて無くなっていたのでショック。中に入ってみたかったのに。

1時に沢渡事務所へ。

Simg20260226133557
2024年に私を撮ってくださった写真の印刷を見る沢渡朔さん。

Simg20260226130131_20260301003201

マットコートとサンシオンの紙の印刷の仕上がり具合を比較する。

本として重厚感が出るのはサンシオン。私の絵の色が比較的沈まずに出るのはマットコート。

沢渡さんは本づくりに関してはあまり注文を出されない。

どんなかたちでもいいから本にして残しておきたい、とおっしゃっただけで、ここまで時間をかけて作るとは思っておられなかったと思う。

売れない本でも、とにかく作っておくことが大事。そうすればいつかどこかで誰かが手にとってくれるから、と。

まあ紙はどっちでもいいか・・という感じで、ローズヒップティーをいただき、いつもの雑談になる。

沢渡さんは相変わらず一日おきにジムに行かれていて、スポーツもよく見ているとのこと。

フィギュアスケートも見ていらした。若いスケーターの演技を「数年後にはうまくなるかもしれないけれど、もうあの演技はできない」と。

その瞬間にしか見られない無邪気さ、奔放さ、無意識で無造作でささやかな仕草、もう二度と見られない風景、

そういうものがお好きなんだと思う。

沢渡さんのすごいところは、本当に権威や勲章のようなものが好きではないところ。

昔からそこは徹底している。

そして私のような人間や、若い人に対してもまったく偉ぶらない。

本当に気取りがなくて、余計なものがない。

 

たくさんの写真展のポストカードが貼ってあるロッカー。黄色いピースパークのマグネットがかっこいい。

Img20260226134344

Simg20260226134610
亡くなったご友人の写真家さんが描かれたという絵。

まだ2月なのにベランダには満開のミモザが光っていた。

「南向きなのでとても日当たりがいいから」と。

妹さんが「切ってあげましょうか?」と言ってくださる。

でもこのかわいらしい鉢植えの花は、ここのベランダに咲いていたほうがいいと思った。

|

ちゅび、LGLリンパ腫/ 次の本の制作(文章)

2月25日(水)雨 13℃

寒くて陰鬱な雨。

薬(セレニア)、輸液、給餌(栄養ちゅーる3本と高カロリーちゅーる1本)。

2月24日(火)

うちのドアの下部分が錆びて膨張してしまったのでドアを変えることになり、その工事の日。

朝9時に業者さんが来るというのでその3時間前に起床。疲れた。

ちゅびは私の顔を見ると「にゃあ!」と鳴いて近寄るとゴロゴロ。

午前中からビールを飲んでちゅびを撫でていた。

眠くて床に横になると、久しぶりに(手術後、初めて)私の股のあいだでゴロゴロ言いながら寝た。

あまりにもガリガリに痩せてしまったので私が寝返りを打ったら踏みつぶしそうで、ずっと一緒に寝るのが怖かったのだけど。

ちゅびが入ってきたので私はじっと動かないようにしていたが、気がつくと眠ってしまった。

電気毛布が熱かったようで、しばらくするとちゅびは私の顔の右横に頭を出していた。

3時頃給餌。

ちゅびは今日、なぜか割と元気に動き回っていた。ひとりで椅子から降りて歩き回ったり、」また椅子に乗って寝たり。
Simg20260224133049_20260228225801

後ろ脚が麻痺しているのだが、横座りでなく、なんとかしゃがんでおしっこもしていた。

私は疲労のせいで長い耳鳴り(左耳)が3回あった。ずっと緊張性の頭痛。

顔の浮腫が酷くて頬や目の周りを軽く押しても痛い。

2月23日(月)天皇誕生日 22℃
Simg20260223135648

次の本の原稿の締め切りで朝も文章を推敲していた。なんとか頭が動かしたが、冴えていないと思う。

一応の決定稿を提出。帰りの電車の中でもう一度文章を読み直したら2文字、脱落していた。

薬、輸液、給餌。

5時頃ギャラリー十二社ハイデへ。

私が誘った大船のT・Jさんが来てくれていた。もうすぐ新しい仕事をするそうで、よかった。

2月22日(日)

ギャラリー十二社ハイデに1時過ぎに行く。

今日はアガサさんのご家族がみえていた。

そのあとちゅびのところへ。薬、給餌。

夜、次の本のあとがきの文章を修正する。頭と首と肩と背中が痛くて、朦朧として詩的なことばが出てこない。

2月21日(土)

ちゅびがうんこがしたくて何度もトイレに行って一晩中砂を掻いている、ということで、朝11時半に病院に連れて行くことになった。

10時50分に吐き気止めを何とか飲ませて、病院で給餌してもらおうとしたが、

病院でうんこを絞ってもらった(苦しがっていた)あと輸液してもらい、給餌の用意をする時に吐きあげる動作があったので、病院では給餌を諦めた。

病院で1時間以上待たされて、ずいぶん時間が押してしまった。

1時半くらいに帰宅して軽食をとり、事務所に行って私が給餌。

私が給餌したほうが病院で給餌するよりは嫌がっていない。

・・・

きょうはギャラリー十二社ハイデのアガサ森田・芍薬アカデミー二人展「絵と音の彫刻」の初日。

4時半頃にギャラリーへ。

おふたりの親しいお友達がいらしていました。
Simg20260221161854
(アガサ森田さん、芍薬アカデミーさん、エミリー村山さん)

おふたりは初めてのお客さんにもひとりひとりにたいへん丁寧に接しておられた。

・・・

その後、モチーフを用意し、6時からデッサン教室。

デッサン教室が終わる頃に3月にやる劇団の人たちが見学に来ると聞いていたが、7時半すぎても来てくれないので焦っていた。

デッサン指導中は気が張っているので感じないのだが、デッサン教室が終わった8時には、疲労困憊と空腹でめまいがした。

劇団の人たちが8時を過ぎてから来られたので驚いた。

測量をされていたが、その25分くらいのあいだ、めまいと頭痛と吐き気で倒れそうなほど苦しかった。

あとでメールで「デッサン教室の邪魔になると思って7時半から8時まで外で待っていた」と聞いて、本当に驚いた。

デッサン教室を邪魔したくないなら6時前の展示の時間に来てほしい。

1時から6時まで展示しているので、ギャラリー見学だけの人も展覧会に来るのは大歓迎だ。私が対応する必要もない。

8時はギャラリーを閉める時間で、そこで限界。それ以上の時間は心身ともに無理。

過労で体調悪いので、1分1秒でも早く帰宅して自分の本の制作の仕事をしたい。

2月20日(金)

薬、給餌。

ずっとあとがきの文章を考えている。

今日はアガサ森田・芍薬アカデミー二人展の搬入なので、ギャラリー十二社ハイデに寄ってみようとしたが遅くなった。

4時半ごろ、坂の下の道でちょうど帰宅途中の二人に会った。

それからひとりでギャラリーを見に行ったが、バランスよく展示してあった。

 

|

2026年2月27日 (金)

毛利やすみさんとのお別れ

2月16日(月)

13日に恩師・毛利武彦先生の娘さんからメールをいただき、その前の日に毛利先生の奥様、やすみさんが亡くなられたと知った。

葬儀は家族のみで行うとのことで、本日、自由に対面ができるという安置室に伺った。

大変な時に、私などにまですぐにご連絡をいただき、恐縮だ。

ご家族が常にいるわけではないと書かれていたのでお会いできないと思っていたが、安置室に伺うと息子さんと娘さんがいらした。

やすみさんは棺ではなくて台の上に眠ってらっしゃる感じで、顔もつやつやされていた。

絵の関係のかたが何人も代わる代わる来られていた。

泣いてしまったが、やすみさんがお宅で猫と一緒にいる写真が飾られていて慰められた。

毛利家に動物がいる写真を見るのは初めてだ。

(庭の木に鳩の巣があったのに、いつのまにか無くなってしまって悲しい、というお葉書を毛利先生からいただいたことはあった。)

猫は毛利先生が亡くなったあとで拾ったという。息子さんも娘さんも猫好きなようでほっとした。

Image

やすみさんは、亡くなるまでずっと息子さんがお世話されて、ご自宅で過ごされたという。

息子さんとちゃんと話すのはほとんど初めてで、

「毛利武彦先生は私にとって絵の師と呼べる唯一の先生です」と泣きながら言ったら、ちょっと驚いたような反応をされた。

「大学でも皆に敬愛されて畏れられていました。俗なものが嫌いで、言葉は少なくて、つまらないもにははっきり「見るべきところがない」と言われて、厳しい先生だったと思います。

私の個展の時に、お二人で来てくださってたんですけど、先生が入って来られると私は緊張で全身が震えてしまって・・・」

と言うと「僕は父から一度も叱られたことがないんですよ」と。

「え?」

「ほめられたこともない。父は絵のことに夢中で・・・」

家では学校でのことを話したことがない、と伺った。

息子さんの進む道にも「そんなに好きならやれば・・」という感じだったという。

もし絵に進んだのだったら厳しい言葉もかけられたのだろうか。

「厳しい先生だったんだって」と息子さんが妹さんに言われて、妹さんも「そうなんだ~」と・・・

実際に私がその絵も、ものの見方も、人格も尊敬していた直接の恩師は毛利武彦先生ひとりだけ。

(若林奮先生、大野一雄先生、種村季弘先生、中川幸夫先生、沢渡朔さん、谷川俊太郎さん、皆、私に光を与えてくださったが、画家ではない。毛利武彦先生は私の美大の恩師であり、特別な存在。)

毛利先生は厳しくても、こちらの成長を願わないような厳しさはひとつもなかったから。

毛利先生の言葉には詩的直観が溢れていて、その深みに共振するからこそ私は毛利武彦先生を心から信頼することができた。

2002年頃だったと思うのだが、銀座の画廊で個展をしたときに、毛利先生がご夫妻で来てくださって、その時も私は緊張でからだがガチガチになったが

画廊の壁面の絵を見渡した毛利先生が「世界が煽動している」と言ってくださった。そして

「だいじょうぶだ。絶対に美術館にはいるよ」と、ふと言われた。

私は驚いて言葉につまったが、

それから20年後にその絵が公立美術館に入った。毛利先生に心の中で報告した。

やすみさんはいつも電車の中で私の冷たい手を両手で温めてくれた。

いつも明るくて、誰にも気配りして優しくおおらかなかただったと思う。

いつだったかやはり電車の中でやすみさんに「毛利がね、おまえは皆から羨ましがられる立場なんだから、態度に気をつけなさいって言うのよ」と言われたことがある。

すごい!さすが毛利先生、と思った。そしてやすみさんの無邪気な正直さにも感心したものだ。

お宅に伺った時に、やすみさんが150号にサザエを2つ描いた小下図を作ったことがあった、と毛利先生が言われて

「やめてくれって・・・」と笑っていたのを思い出す。

やすみさんは「うふふふ・・・大きく描くのが好きなの」と楽しそうに笑っていた。

つい最近のことのように思い出す・・・私は毛利先生ご夫妻に素晴らしい時間をいただいていたと思う。

やすみさんとの最後のお別れを、このように小さな部屋で息子さんと娘さんとお話しできて過ごすのははありがたかった。

正直、もし葬儀をお知らせいただいて会食があったら、私には気づまりだったから。

その理由は、やはり20年少し前に銀座での私の個展に来て「こんなのは絵じゃない!絵の世界から出ていけ!」と真っ赤になって私を怒鳴りつけた人の顔を見たくないからだ。

その人は毛利先生ご夫妻の前では優秀な人だろうが、私のような者には脅しをかけるような人間。

しかも私の大学の先輩でもなく私が指導を仰ぐ立場でもなく、名前と絵は知っていたが話したこともなかった人で、私がどんな絵を描こうが、その人から恫喝される立場にない。

背に権力を持つ人間が持たない人間を潰そうとする、本当に卑劣だと思う。

私の個展でその人が帰ったあと、すぐに毛利先生のご親友だった詩人の阿部弘一先生が来られて、私がたった今怒鳴られた話をお伝えしたら

「一家をなしましたね」とほほ笑んで祝福してくれた。

私はその時に怒鳴られた一言一句を覚えている。

彼は私に「日本画の」絵の具の使い方が滅茶苦茶だ、と言った。だから「こんなものは絵じゃない」と。

「では、日本画の絵の具とはどういうものだと思われるんですか?」と私が尋ねた時、

彼は毛利先生が書かれていた絵の具についての覚書を、非常に雑に曲解して私にぶつけてきた。

彼はものを深く考えることができない。読解力もなければ論理的に話す能力もない。

あいにく、彼が滅茶苦茶だと言った私の絵の具の使い方は毛利先生にほめられたし、

毛利先生は私の絵に「フランスに見に行った人類最初の頃の洞窟壁画を思い出す」とも言ってくださった。

恫喝された時から3、4年経って、毛利先生が春季創画展でトークされる時に伺ったら、少し遠くから私を凄い目で睨みつけている人がいて、

私はその人の顔も覚えていなかったので、誰だっけ?なんで睨んでいるのだろう?と不思議で、少し経ってから、ああ、あの時の人だと気づいた。

そのくらい私はその人に興味がない。

彼は毛利先生のような詩的直観もないし、私は彼の絵を尊敬もしていない。

彼は私のような人間が毛利先生にかわいがられるのが許せなかったのだと思う。

なにを言われようとも、私にはほかの誰とも共有していない毛利先生との思い出、やすみさんとの思い出がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

|

2026年2月15日 (日)

ちゅび LGLリンパ腫

2月15日(日)

私が輸液。給餌。今日もゴロゴロ。

2月14日(土)

11時半から夜10時までずっとちゅびとふたりっきりで隔離部屋にいた。

私の顔を見ると「にゃあ!」とおしゃべりしてゴロゴロ。
Simg20260214121153
カーテンを開けて光の中で温まってゴロゴロ。私の腕をおててでおさえるちゅび。
Simg20260214132850_20260215213001   
Simg20260215162908_20260226001101

抗がん剤をやっていた時より明らかに気持ちよさそう。

でもすぐにリンパ腫の吐き気が襲ってくるのだろうか。

自力でトイレに入っておしっこして、自力で椅子の上にのぼれていた。

夕方6時。椅子の上に横座りではなく縦に伏せの姿勢にして、私が真後ろから抱え込むようにして押さえつつ、左手で頭を上に向けて吐き気止めを飲ませる。

その姿勢でなんとかちゅーる2本給餌。

2月13日(金)

プフがここ6日くらいくしゃみをしているので病院に連れて行った。

快作先生は「ちゅびじゃないの?」と。

プフは、2年前の同じ日、2月13日に同じくしゃみで受診していた。

その時は風邪ではなくアレルギーの注射をした。今日も同じ注射で様子を見ることになった。

プフは食欲もあり、最近はカリカリだけでは嫌でおやつちゅーるを欲しがってわがままに鳴くようになっている。

2月12日(木)

大きな耐熱ガラスボウルに入れた水を電子レンジで熱くして、そこに500mlのリンゲル液をつけて温める。

10年ぶりに私が輸液。

リンゲル液が常温でも冷えているので、ボウルのお湯をけっこう熱くしないとぬるくなってしまい、ボウルのお湯をもう一度レンチンしてやりなおし。

その間に吐き気止めの錠剤(メトクロプラミドを4分の1にハサミで切ったもの)を飲ませる。

輸液セットを組み立てるのも、(雑菌がついたら終わりなので)絶対に針に指を触れないように緊張。

ものすごい緊張でなかなか針を刺せない。

ちゅびがガリガリにやせているので皮膚が縦にしぼんでしまって、つまんでもふくらまないので、貫通してしまいそうで刺すのが怖い。

背中の丸みの一番高いところの皮膚に針を刺した時、そこをブルブルッと震わせて痛がったので、私は汗だくに。

昔は滴が落ちるのをじっと見つめてがんばっていたが、皮下なので滴でなくスーッと流して大丈夫だそうなので500ml一気に入れる。

そのあと栄養ちゅーる2本とこうカロリーちゅーる1本給餌。

終わってから首の両脇の筋肉とこめかみの筋肉ががちがちになったまま、頭痛が酷かった。

ちゅびはそのあとゴロゴロ気持ちよさそうに寝ていた。

2月11日(水)

午前中、快作先生は、「S山先生と相談したけど、ちゅびにはどうしたらいいかわからない」と。

L‐アスパラキナーゼに関しては、ネットでは猫に効いた例があげられているが、先生の経験ではほとんと効かなかったそうだ。

「私が吐き気止めを飲ませてきました」と申告して給餌してもらう。

いつも吐き気止め注射してすぐには吐き気はおさまらず30分くらいかかるので、吐き気止め注射の後すぐ給餌はかわいそうだから。

とりあえず抗がん剤はやめて、明日から自分で輸液すると申し出て6回分のセットを購入した。

快作先生の説明だと「肩甲骨の間ではなく、一番背骨の丸みの出っ張っているところに打つ。

三角形のテント型に皮膚を引っ張るのではなく、皮膚をつまんで、そこに(針穴を上に向けて)針の先端だけ刺し、

クランメを緩めて液を入れて皮膚が膨らんできたら、針の近くでなく管に近い位置を持ってすっと奥まで入れる」と。

「youtubeで見たのと違う」と言ったら「youtubeは間違っている」と。

管のほうを持って刺すのは、「そうしたほうが皮膚2枚を貫通しにくいから」と。それはけっこう難しそう。

10年前、ちゃびの時は「肩甲骨の間の皮膚を三角形のテント状に引っ張って、テントの下のほうに直角に刺す」と教わった気がする。

が、

「それだと前足ばかりに液が入って足がむくんでしまう。おなかに液を入れるためにはもっと下。肩甲骨の間のほうが痛みは感じないんだけどね」と言われ、

そう言えばちゃびの時は、もろに前足がむくんでいたと思う。

2月10日(火)

ミヤリ酸を溶かしたぬるま湯をシリンジに入れ、それで吐き気止めを飲ませてから30分で給餌。

給餌自体は嫌がるのでたいへんだが、その前と後はゴロゴロ。

次の本の副題と帯文とあとがきについて考えるように言われたが、頭が朦朧としてまったく思いつかない。

2月9日(月)晴れ

雪が固く残り、つーんと冷えた空気の中、ちゅびを病院に連れて行くのがかわいそう。

今日はS山先生という初めての女性の先生の診察。そのせいか午前中、すいていたので話しやすかった。いつもは超混雑で、落ち着いて質問したり確認したりしづらいので。

強い抗がん剤でぐったりしているちゅびを見るとすごくかわいそうだから、もう抗がん剤をやめるか、弱い抗がん剤(L‐アスパラキナーゼ)だけにしようかと思います、と相談する。

S山先生はそれでもいいんじゃないか、と。

「私が11月中に連れて来ていたら・・・」と後悔で涙してしまったらS山先生は

「病気の質が悪すぎる。11月に血液検査しても出なかったと思う」と。

それでも先生ならリンパが腫れていたのに気づいたと思う・・。それを思うと私の精神が崩壊してしまいそう。

輸液はしてもらったが、吐き気があるようなので給餌してもらえなかった。

吐き気止めを打ってもらって、帰宅してから給餌。

選挙の結果で鬱気味。ちゅびのことの悲しみと自責で胸がふさがれっぱなし。

Xを見ていたら、高額医療の限度額を上げるという政府の恐ろしく残酷な企ての関連で、齊藤樺嵯斗(さいとうかざと)さんという、悪性リンパ腫で医大の5年生で亡くなられてしまったかたの記事にたどりついた。

そのかたは激しく辛い闘病をされた。もちろん私も同じだが、高額医療の限度額制度に助けられてこそ治療ができた、とご家族のかたたちも高額医療制度の改悪に反対しておられる。

どうして、闘病の苦しみでもう限界ぎりぎりのところからお金をとろうとするのだろう。

本来使ってはいけないようなところに多額の税金がが使われているというのに。

どうにもやりきれない気持ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

|

2026年2月 7日 (土)

ちゅび、LGLリンパ腫 / 次の本の制作(カバー)

2月7日(土)雪

ちらつく雪の中、動物病院へ。キャリーの内側に何枚も使い捨てカイロを仕込み、バスタオルでちゅびをぐるぐる巻きにして。

今日は昨日とは違って、声が出ていた。

昨日はひどくぐったりしていたと伝えると、副作用を和らげる薬(アンサー。調べると白血球減少を抑える)を打ってくれた。先日も打ったという。

3.45kg。プフよりも軽くなってしまった。

おととい鼻水が出て昨日かたまりをぬるま湯でふやかしてとった、と言うと、鼻水を培養することになった。

今日はアンサー注射と鼻水培養と輸液と給餌で13000円超。

2月6日(金)16℃

今日は暖かい。でも今までで一番具合が悪そう。

私と眼は合うのだが、呼んでも頭が動かず、お返事の声が出ない。ぐったりしている。

それでもしっぽだけでお返事してくれる。

Simg20260206163315

水曜に打った抗がん剤の副作用だと思う。

あまりにおとなしく寝ているので、このまま死んでしまうのではないかと怖くなる。

吐き気止めを飲ませて、給餌。

口の周りのよごれをきれいに拭いたあと、鼻の穴の上に乾いて固まっていた鼻水をぬるま湯でふやかして少しずつ取り除いた。

今日も昨日に引き続き輸液がないのでシリンジで少し多めに水を飲ませた。

本当なら夜11時くらいにもう一度給餌したいのだが、自主的に食べられないのに無理に食べさせるのはかわいそうなのだろうか。

いろいろ迷って悩むことばかり。

ちゅびの前では泣いていないが、ひとりで雑踏を歩く時、緩んだ蛇口のように涙がこぼれる。

明日が雪予報なので動物病院の夕方の予約を変更しなければと思い、ネット予約を見たらかろうじて11時半が一つ空いていた。

・・・

午後のラジオで金子勝さんの話を聞いた。お金を使って人気があるように見せるやりかたがナチスの時と酷似していると。

もうひとりのコメンテイターの人(名前失念)も、前の参院選と違うのはSORA2があることだと。フェイク動画が簡単にできてしまう。恐ろしい時代。

究極の、最悪の、人間(強者)中心主義。

2月5日(木)12.8℃

昼のうちに期日前投票へ。

・・・ 

今日は口を少しペチャペチャさせて唾液を出すしぐさが見られる。

昨日の抗がん剤のせいで吐き気があるのかと思う。

お日様を浴びて。

Simg20260205145737

・・・・

次の本の副題、考えていたのがおかしいかもしれないのだが、修正する能力がない。

頭が回らなくて言葉が出てこない。

私はいつもぎりぎりになると、どこからかアイディアが落ちてくるのだが、今回は朦朧としている。

カヴァーのラフを描いたが、これでよいとは思えない。

写真集と画集が合体している本なのでどのように考えていいのかわからない。

今日は私も食欲がなくて、朝ミルクティを飲んだだけで、夕方までお茶さえ飲めなかった。

精神的な疲労だと思うが、頭、首、肩の痛みと肋間神経痛。

顔の浮腫が酷くて眼輪筋が痛い。

過緊張で血行が悪くなっているのだと思う。

2月4日(水)

採決して白血球を計ったら12000に上がっていた。

それで抗がん剤をすることになった。

採決の針が入る時、痛そうにするので辛い。麻痺しているのは足の付け根だけということ。

吐き気がある様子なので先生は給餌しなかった。

うんこをしぼってもらう。ほんの少量で固い。

検査、抗がん剤、輸液で16000円超。明日と明後日は通院させないで私が給餌することになった。

病院から自宅に戻って薬を飲ませて、タオルケットで抱いていた時に地鳴りのように私のからだに響く振動の感覚があった。

確かにゴロゴロ言っていた。つかの間の喜び。

そのタイミングで給餌。

2月3日(火)

脚の付け根が麻痺して、ぐにゃっと曲がったまま前足で移動していて、座っているときも脚が異様な方向に出ている。

脚が付け根から折れているように見えて胸が痛くてたまらないが、自分では痛くはないみたい。

トイレ(低くしてある)にも自分で入れるが、片脚だけ入れないのを入れてやる。

だらっと横すわりになったままおしっこする。

便意があるのか一生懸命砂を掻いていたが下半身が麻痺しているので出すことができない。

明日、先生に絞ってもらうしかない。

2月2日(月)

白血球の検査で4000に下がっていたので今日は抗がん剤は打てず。

輸液。給餌。

 

|

2026年2月 3日 (火)

ちゅび 悪性リンパ腫 / 次の本の制作

2月1日(日)

ちゅびへの思いに塞がれて回転が鈍くなっている頭で、次の本のタイトルを必死に考える。

今まで編集してできているもの、沢渡朔さんの写真を1ページ目から順番に見て、谷川俊太郎さんの詩を読んで、私の絵を順番に見て、

全体のイメージから直接浮かんでくる言葉をいくつか書き留める。

・・・

午前中に動物病院へ。

今日で最後の抗生物質注射2種類(手術の傷のため)。

明日、月曜に血液検査で白血球が正常であれば2回目の抗がん剤を打つと言われた。

午後。窓辺の陽射しをいっぱい浴びたちゅびは、しっかり私の眼を見つめて、大きな声で私を呼んで、私が喉をなでるとはっきりゴロゴロ言ってくれた。

がりがりにやせてしまった(あっという間に2kg以上減)けれど、お日様を浴びすぎて暑くなると脚を引き摺りながら部屋の中を移動することもできる。

Simg20260201150126
ゴロゴロ言って、私の顔を見つめてにゃあ、にゃあ、と呼んでくれて・・・つかの間でも幸せな時間。
Simg20260201153138_20260203112001
(自撮り)

そしてなんと、私がトイレに立つと「シャー!」と怒った。

ちゅびの「シャー!」を聞いたのは久しぶり(涙)。

甘えん坊全開中に私が席を立つと「シャー!」と怒る、すごくわがままないつものちゅびに戻っていた。

本来のちゅびは、おやつをもらえなくて普通のカリカリだけの時も「シャー!」と怒って、カリカリの上におやつをかけてあげるとガツガツ食べていたのだけれど・・・今は自主的に食べてくれない。

リンパ腫のせいで吐き気があって食欲が戻らない。

それでも抗がん剤が少し効いているのかもしれないと思う。

Simg20260201154226

1月30日(金)

ちゅびの首にチューブを通す手術をするか、に「しない」選択をしたことを伝える。

もう一度全身麻酔をして身体に負担をかけるのがかわいそうだと思った。

それと首に穴を開けてチューブをしているちゅびを見るのが怖かった。

チューブを入れてまで延命することは、人のエゴではないか、と・・・

もちろん、食べられないでだんだん衰弱して死に至るちゅびを見るのはものすごく辛いし、怖いのだけど・・・

1月29日(木)

今日は病院の休日だが、輸液と抗生物質の注射2本と強制給餌をしてもらうためにちゅびを連れて行く。

通常の治療費に加え、休日診療費2600円がプラスになる。いくらかかろうと気にせず、快作先生のリスペクトとしてお金を捧げる気持ちでないとやっていけない。

1月28日(水)

抗がん剤をやっても自主的に食べてはくれない。

「効いてないのかな」と言われて大ショック。

もう一度全身麻酔をして、首にチューブを入れる手術をするか、と聞かれて倒れそうになる。

チューブをすれば自分で給餌も投薬もできるので通院しなくてもよいから、と言われる。

確かに真冬の寒さの中を病院に通うのはちゅびにとってすごくストレスだろう。

けれどもう一度全身麻酔をして、首に穴を開けてチューブを通すなんて・・・残酷すぎる気がして決心がつかない。

そもそもなぜ抗生物質の注射と強制給餌を受けに2週間毎日通わなければならないかと言えば、

ちゅびが暴れて抗生物質の錠剤を飲ませられないからで、こんなに痩せて両足が麻痺していても、4本の脚で蹴って暴れる元気はあるのだ。

抗がん剤で食欲が戻ることはなかったが、副作用で吐いたりぐったりしたりということもなかった。

1月26日(月)

「抗がん剤をするかしないか決めて」と言われ、「副作用で苦しませたくないから、一番副作用の弱い抗がん剤(Lアスパラキナーゼ)を・・」と言ったら

「抗がん剤をやるなら「CHOP療法」の一択しかない」と言われた。

 3種類の抗がん剤(シクロフォスファミド・ドキソルビシン・ビンクリスチン)とステロイド(プレドニゾロン)の併用。

Lアスパラギナーゼ単独ではあまり効かないと。

すごく効くのか、強く副作用で苦しむのか、あるいは効かないのか、やってみないとわからない、と。

その場でどうしたらよいのか頭が回らなくて苦しくて涙が出たが、CHOPを一度やってみることにした。 

「ごめんね!ちゅび・・」と思わず口に出してしまったら

「泣いたらダメ!治療すると決めたら笑顔でいないと、自分のせいで大好きな人を苦しめてると思われる」と先生に怒られた。

輸液、抗がん剤、抗生物質2種、強制給餌。

今日は18000円超。

 

|

«早稲田大学 谷昌親先生最終講義