2016年8月24日 (水)

花輪和一 子どもの頃に親から受けたストレスと表現

8月22日 台風上陸

台風の激しい嵐が来た。朝、8時に電話のベルがなった。いったい誰だろう?と寝ぼけている私に、書道の先生から「台風が上陸するようなので本日の書道は中止」との連絡だった。

そのあとちゃびを抱いてふとんにくるまって寝た。ごおおお、ざあああという凄く強い雨の音。そのほかの世界の音が静まりきっていた。

雨の冷たさを生々しく感じながらちゃびといた。こんなに激しい雨の音を聞きながら、私はこの世界にちゃびと二匹(ふたり)きりのようだった。

あたたかいちゃびと抱きあって寝ていることをすごく幸せに感じた。激しい嵐の日に、私が必死で守るべきものが生きていること。ちゃびの命の息吹を強く感じながら寝ていた。

・・・

リオオリンピックが終わった。

私が興味があったのは、一番は体操。

私が昔からずっと一貫して興味があるのは、不安と緊張に打ち克つこと、追いつめられたところでの「集中」というもののありかた。

レミオロメンの歌にもあったけれど「目の前の一瞬にすべてを捧げて」ということ、それが実際にはどういうことなのか、いったいどういう境地なのか、どうしたらそうなれるのか(想像することは困難だけれど)、に興味がある。

私が不安と緊張がとても強いほうだからだ。予測する時間を極端に短くして、一瞬ごとに集中することができるのか、どうやればいいのか。

私の一生の大きなテーマのひとつは、不安と緊張と表現、ということなのだな・・・。

世間の評価も、追いつめられた状況も、直前の失敗も、すべて頭から追い出してしまえるほどに、瞬間の、自分のやるべきことに集中する境地。

それと演技のインターバルの、移動などのほんの数分には存分にリラックスする(そうしなければ持たない)。そういう私にはできないことにすごく興味がある。

祝!体操、悲願の団体金メダル。私はナショナリストではない。純粋にすごいもの、一瞬で終わってしまう美しいものへの想像を絶する努力、それと仲間の失敗から負わされる緊張に打ち克つことに魅了されて。

内村航平選手の個人総合金メダル。最終局面までライバルに追いつめられていることがわかっていても、自分の練習どおりの演技に集中できたことの凄みに魅せられた。

ほかにも水泳、卓球、バレーボール、陸上リレーと、非常に見どころが多く、夢中になれたオリンピックだった。

・・・・・

7月26日から5回ほど、断続的に花輪和一と電話で話していた。以下はその5回ほどの会話のほんの一部をかいつまんでまとめた記録。

「夜久弘さんが去年の1月に亡くなっていたこと、知ってた?」と尋ねる。花輪さんは亡くなってだいぶ経ってから聞いた、と言っていた。

私は、つい先日、たまたま、すごく遅ればせながら知って驚いた。マラソンをずっとやってらして、お元気だと思っていたからだ。

夜久さんは物静かで穏やかななかに情熱を秘めたかただった。お会いしたのは、すでに『COMICばく』が休刊していた頃で、夜久さんは、なんの利益もない相手である私にも丁寧に接してくださった。

(その直前に私は、わけ(自分の原稿を見てもらったのではない)あって、何人かのまんがの編集の人に会っていた。当時の有名どころの出版社の年若い編集の態度は、驚くほどに無知で傲慢で、まったく会話が成立しなかった。

夜久さんもそうだが、小学館の山本順也さんのように、すごい人ほど、こちらの気持ちを理解してくださって、それからずっと、信じられないほどよくしてくださった。すごい人ほど私をたすけてくれる、私から見て直観的に無知だと感じる人ほど私をばかにしてかかるという事実は、最初は衝撃だったけれど、そういうものなのだろう。

個人的にたいへんお世話になった、山本順也さんに関しては、あらためて書きたいと思う。)

私を花輪さんに会わせてくださったのは夜久さんだ。夜久さんのおかげがなければ、一生花輪さんと会うことはなかった。

(花輪さんと最初に会った時のことも、いつかちゃんと書こうと思っている。)

花輪さんは、その頃、夜久さんのことを「王貞治に似てるでしょ。」と言っていたのを覚えている。

最初に会った時に、花輪さんは25歳の頃のモノクロ写真を私にくれて、後日、その写真をを夜久さんに見せたら「すごい美男子ですね。」と感心していたことが印象に残っている。

25歳の頃の花輪さんは、長髪で役者のようにはっきりとした甘い顔立ちの美青年だった。誰に似ていたかというと、金城武のような感じだ。

夜久さんの事務所に伺った時、夜久さんの著書の『COMICばくとつげ義春』をくださった。つげ義春さんの奥様、藤原マキさんの本を見せてくださって、マキさんの絵がとても好きだと言ってらした。(私は面識はないが、藤原マキさんも亡くなっていることを最近になって知った。)

一度、夜久さんと花輪さんと3人で会ったことがある。そのあと、電車の中で花輪さんが私に「夜久さんの前で、あんまり、花輪さん、花輪さんって言わないほうがいいよ。夜久さん、さびしそうな顔してたから。」と言ったのを覚えている。

そのことを電話で言うと、「俺、人の気持ちわかるもん。」と花輪さん。「そうかな。でも女性の気持ちはわかんないよね。」と言うと、「まっっった~くわかんない!」と。

「勤めてた時、好きだった同僚の女性たち(姉妹)に雪玉を投げつけてたんだもんね。」と言うと、「あははは・・・そう。」

またその姉妹がいた会社のあと、25歳の頃に働いていた池袋の会社の社長の奥様が、『刑務所の中』の本が話題になり、TVでとりあげられていたのを見て、数十年ぶりに手紙をくれたことなどの話を聞いた。

「手紙になんて書いてあったの?」と聞くと、「あの頃は変な子だったよねって。」と。

それから、「最近はどう?お母さんに対する恨みは薄れてきた?」と聞くと、「ぜんっぜん、かわらず。」ということだ。

花輪さんに、私がこのような内面の苦しみの話を聞くのは興味本位からではない。私自身も父親に虐待されて育ったため(AC)、親から受けたストレスで萎縮してしまった心からどう立ち直るか、そこと、なにかを表現しようとすることや表現されたもの(また、表現されなかったもの)との関連に、常に関心があるからだ。

「ウィキペディアに両親に床下で育てられたとか書いてあったけど、そんなこと、どこかに書いてたっけ?」と言うと、「あはははは、まんがに描いたのかもね~、まあどうでもいいけど。」と笑っていた。

花輪さんから「サイコパスってどういうのを言うの?」と聞かれた。少し言葉に迷ったが「他者の痛みに対する同情心や共感能力がない人。他人や動物の心配とかまったくしなくて、逆に平気で残酷なことをするような無慈悲で冷たい人、かな。」と答えると、「うちの母親、サイコパスかもね。」と言う。

私が「なぐられたりはしてないんでしょ。」と聞くと、「なぐられはしないんだけど、神経が鈍いんだよね~。」と。

花輪さんは、かわいそうなことを見てもなんにも感じないような人、鈍感で濃やかさがない人が嫌いだ。悪気はなくても気持ちが回らない人、情の薄い人が嫌いだ。

田舎に帰った時、飼っていた犬の顔に、血を吸って大豆ほどの大きさになったダニがぼこぼこたかっているのを見て、どうしてこんなにかわいそうなことをして放っておくのか、と呆れたという。そういうところが母親は「粗くて鈍いんだよね~。なんでかわいそうってわかんないのかな~。」と言う。

「実のお母さんも義父も鈍くて、どうして花輪さんは動物に対する愛情が持てるようになったの?鈍い親に育てられた子供は感受性が影響されて、同じように鈍くなることもあるのじゃないの?」と聞くと、「そういうのはあると思うけど、なんでかそうはなんなかった。」と言う。

花輪さんが36歳の時にお母さんは亡くなった。

「15歳で家を出てから、ずっとお母さんを恨んでいた?」と聞くと、「恨むとか、わからなかった。自分がなんか苦しくても、なんで苦しいのかわからなかったから。」と言う。

「なんか、田舎は嫌~な感じなんだけどね。なんだかわかんないんだよね。それが普通だって思ってたから。」

花輪さんは自分がさびしいとか、愛情不足で充たされていないとか全然意識できず、「誰でもみんなこんなもんだろうと思っていた。ほかの人たちの家を知らないから。これが普通って思ってた。」と言う。

花輪さんの母親は花輪さんを抱き締めたり、撫でたりすることはなく「スキンシップはゼロ!」。心配したり、優しい言葉をかけたりすることもなかった。そして花輪さんのほうも、常に母親や義父に対する怯えと遠慮があって、なにひとつ甘えることができなかったそうだ。

「川で泳いで、耳に水がはいって、耳から膿が出るようになって、痛くても、医者に連れて行ってなんて言えなかったもん。」と言う。

「自分の苦しさを友だちには話せなかったの?」と聞くと、「話すような友達もいなかったし、話すという発想がなかった。」と。

「好きな絵を描くのも、義父が親戚の家に泊まりに行ってる日だけ。いたら怖くて描けないからさ~。チラシの裏に描いてた。」と言う。

「学校の先生に見せたらよかったんじゃない?」と言うと、「学校の先生に見せるなんて発想がないから。たいしてうまい絵でもないしさ。」

母親が死んで10年経ってから、やっと少しずつ自分自身の感情がわかってきたのだそうだ。

「すごいストレスを受け続けて、それが当たり前になっていると、自分の感情や状況判断が混乱するって言うよね。」

私がそう言うと、「そう、混乱してて、なにがなんだかわかんなかった。ばかだよね~。」と花輪さん。

また、私が「お母さんが生きているうちに、すごくさびしかった、傷つけられたって本人に言えてたらよかったんだよね。」と言うと、

「そうなんだよね。生きてるうちに恨みをはらしておけばよかったんだけどさ~。」と。

東京に出てきて、池袋からお茶の水のレモン画翠まで歩いて、聖橋の隣の橋(昌平橋?)の上から景色を眺めながら、「こんなに苦しくてさびしいのに、どうしてみんな生きてるんだろう、と思った。」と言う。

花輪さんは東京に出てきてから、自分の家とはまったく違ういろんな育ち方をした人がいることを初めて知ったそうだ。「親に仕送りしてもらって大学に行ってるなんて人がいてさ~、本当にびっくりした!世の中にはそんな人がいるのかっ!?て。」と言う。

「今、思えばね、母親は自分がいることが嫌だった、不安だったと思うんだよね。再婚したのに死んだ前夫の亡霊が近くにいるんだからさ。俺は母親に捨てられてたんだよね。」

「世の中には、何度も再婚して父親が違う兄弟どうしでも、仲良くてうまくいってる家族もあるんだけどね。」と私が言うと、

「それは親が成熟してたんだろうね。親がおかしいと子供は一生引きずるよね。」と花輪さん。

確かに親が歪んでいると子供は犠牲になり、どんなに歳をとっても子供の頃にすりこまれたこと、それでできた性格はなかなか変われないかもしれない。変わるためには意識的な努力がいる。

親からちやほやされていた子供は他人を怖がることなく、自分はほめられて当然と思っている。恥ずかしいという意識が低い。親から否定されて育った子供は自己評価が低くなる。私は父親からなぐる蹴るされていたので、どうしても対人緊張が強い。

「そういうのは歳とっても一生変われないよね。」と花輪さん。「でも福山さんは対人緊張があるように見えないけど。」と花輪さんは言う。

私は他人が怖いから無理する時がある。私とは逆に、まったく対人緊張がなくえんえん自分のことばかり話してくる人、そうした自分の態度についてわずかにも躊躇がない人がものすごく辛い、ストレスで倒れそうになる、と言ったら、

花輪さんが「そういう長くしゃべる人も異常なんだよねえ。聞くのは30分が限度、いや30分も絶対無理だよね。」と言った。

それから花輪さんの知人のことを聞かせてくれた。その知人は、自分のことばかり長く話す人に対して「お前、自分のことばかり、さっきからいったい何分しゃべってんのかわかってんのか?聞いてるほうはものすごく嫌で苦痛だってわかってんのか?いい加減にしろ!」と激怒して言い放ち、言われた人はその場を去って行ったという。その様子を花輪さんは目の前で見たそうだ。

「そう言えるのはすごいね。だけど私にはそういうのは怖くてできない。」と言ったら、「福山さんは人を見る目はあるのに、はっきり言えないよね。」と言われた。

(そう、私はものすごく嫌なことも、その瞬間には言えない傾向がある。たぶん私がACでHSPだから。そのせいでルサンチマンがたまる。その対応を考えなくては、と思っている。)

花輪さんがいつも言うのは、「鈍い人にはきつく言っても相手は感じない。だから思いっきりはっきり言っていい」ということだ。本当にそうだろうか。自分のふるまいが称賛されて、または許されて当然と思い込んでいる人は、否定されたら怒るのではないか。

「金持ち自慢、グルメ自慢とかする人ね、そういう人は家がよっぽどひどい問題抱えてるとかね、すごい劣等感とかあるんだろうね~、そういうのがないと自慢しないでしょう。そういう人たちもいつかひどい目にあいますよ。」と花輪さんは言う。

「そうかな~、鈍い人は気に病まないから楽しく長生きするんじゃない?他人や動物のこと心配しすぎたり、傷ついたり、優しすぎたりする人は疲れ果てて病気になるんじゃないの?そういうのが世の中の常でしょ。」と言うと、

「それでも、絶対、神経が鈍い人はひどい死に方しますよ!」と言う。花輪さんは因果応報を信じているそうだ。

私は業や輪廻というものをそこまで信じられないのだけど。ただの言葉ではなく、花輪さんの声で、花輪さんに言われると、なぐさめられる感じがする。

昔、私が「がんで死ぬかもしれない。怖い。」と言った時、花輪さんは「でも福山さんてすごく強運でしょう。だからだいじょうぶですよ。」と言ってくれた。花輪さんに「強運」と言われた時、悲観的で気に病みやすい私はその言葉を信じることができた。

「昔、サイン会でファンの人が来ると、怖くて嫌で、「も~お、なんでくるの?!」って思ってたと言ってたのは、最近はなおってきた?」と聞くと「やっぱり嫌だけどね。なんでだかはわからない。」と言う。「なんかお返ししなきゃならないみたいな気がして。」つまり気疲れがひどいということなのだろう。

「花輪大明神とか、あがめられる感じは?」と聞くと、「すごく嫌。だってありえないでしょ~。普通に花輪さんて言えばいいのにさ、そういうふうに言うのは、ばかにしてるんだよね。まあ、相手にしないけどね。そういうこと言う人とは関わりになりたくないっていうか。」という答えだ。

花輪さんに対して距離感がなく、失礼な態度をとるファンが多いということなのかもしれない。ファンなら作家本人の気持ちを尊重してほしいということだ。

花輪さんは最近は外で声をかけられたりすることもない、「隠れているのでいい」と言っていた。

ちなみに、昔、薄野の銀行に行った直後、「花輪さん!久しぶり!」と声をかけられたという。知らない人だったのに「ラーメン屋で会った」と言われ、ポケットからクリップでとめた札束(100万円くらい)を見せられた。競馬だか競輪だかでアタッチャッタ~!と上機嫌で、情報を教えると言われたので、興味がないから、と断ったそうだ。

「なんでおれの名前知ってたのかな~と思って。銀行で伝票を書いてるところをのぞき見されたんじゃないかな。それ、昔のことね。それから何年も経って、新宿でさ、まったく同じ手口でまた声かけられたんだよね~。」と言っていた。

食べ物の話になって、果物では、冬は林檎、「夏は深紅に熟れたソルダムが最高でしょ!」と言っていた。だいたい毎日タマネギや長ネギは食べているそうだ。「タマネギを薄く切ってさ、サバの缶詰と合わせるとうまいよ。」

そういえば昔、うちに来た時に、花輪さんが駅前の果物屋さんでドリアンを見つけ、好奇心から買って来て、私はその特徴的な香りにまったく食べられなくて、全部花輪さんに食べてもらったことがあったことをふと思い出した。その時も花輪さんは「うまいよ~」と食べていたな。

私の部屋で一緒に絵を描いた時の花輪和一さん。この時、銀箔の貼り方を教えた。2002年1月4日の写真があったので貼ってみました。

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一緒に野川にスケッチに行って、たまたま出会った猫たちをかわいがる花輪和一さん。

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私が「肉を食べないって書くだけで絡んでくる人もいるから怖い。」と言うと、「肉ばかり食うとがんになるよって言ってやれば。」と言われた。

「私が肉食をしないのは動物を殺すのが嫌だからで、健康のためではない、だから病気にならないために、ということは言いたくない。」と言うと「そう思えることがすごいよねえ。」と言われた。

山のほうはなんの花が咲いているの?という質問には「最近、山のほうに行ってないんだよね。ダニがいるから。前に首の後ろが痒いな、と思ったら大きいのがくっついてて腫れてたから。」と。

花輪さんが自分の庭で育てたトマトがもうそろそろ赤く熟れて収穫時だそうだ。

・・・・

花輪さんもそうだが、私が惹かれるのはいつも高い集中力と独自の表現力がありつつ、人間関係において政治的なところがない人だ。

花輪さんは自分の固有の苦しみの体験を生々しく描きこそすれ、他人の苦しみの体験を収奪して自分のお手柄にしようとは決してしない。つまり欺瞞的なところや卑劣さがない。

365日、私の頭を一瞬も離れないことは、ものを見ること、表現されたものの価値、同時にまた表現することの価値についてだ。「自信がない」と言いながら、すごいものをつくる人に興味がある。

私自身、どんなに集中してなにかをつくっても、こんなものではまだ全然足りない、自信がないと思ってしまう。

私がすごく惹かれる人はいつも、みずみずしい感受性、すごい才能を持っていて、それでかつ生き難さに苦しんでいる人、世間一般がお仕着せてくる価値観の暴力に苦しむ人だ。

その逆の、私から見てたいした才能がないのに自己肥大していて鈍い人、自信満々で自分の言動に不安を抱かない人には強い嫌悪感を抱いてしまう。

私が今まで知っている限り、才能を持っているのに自己評価が低く、生き難さに苦しんでいる人は、幼少期に親の愛情が少なかったり、虐待されていた傾向があり、さびしさや悔しさを知っている。

幼少期の不安感は、非常に憂鬱、鋭敏で濃密な感受性と、与えられなかったものを激しく希求するような性格をつくる。そこからいかに自由になるのか、どう闘うのかをいつも考えている。

・・・・

最近、私は毎日、たまたま見つけたGさんとCさんのブログを読んでいる。

ふたりとも私より年下の女性で、共通点は情緒的に未熟な酷い親に育てられ、うつ病になるくらい酷いストレスを受けていたことだ。Gさんはがんになった。Cさんは性暴力を受けた。

二人とも非常に頭がよく、感受性が鋭くてものを見る目がある、私から見てとても魅力のある女性。Gさんは濃い感受性と芸術的才能がある。Cさんは社会的考察が鋭く、批判能力がある。

二人とも正直で気取りがなく(むしろはらはらするほど自己開示していて)、欺瞞的なところがない。

私自身は幼い頃からずっと感受性過敏で悩んでいる。すごく美しいものも、すごく嫌なものも、どちらも強烈に自分の中にはいってきて、その体験が強く鮮明に記憶に残り、嫌なことは強烈なトラウマとなる。嫌なものにだけバリアを張ることは難しい(この性質はGさんとそっくりだ。)。

Gさんと私はほぼまちがいなくHSP( Highly Sensitive Person )だ。かつAC(Adult Children)。Gさんが痛々しくて(性格は似ているけど私の方が強いから)、私は彼女に連絡した。私は他人のブログを読んでメッセージを送ったのは初めてだ。

私の表現はどういう価値を目指すのか、ずっと考え続けている。

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2016年7月26日 (火)

愛しのちゃび 19歳 /  書道

7月24日

きょうは、1997年にちゃびがうちの子になってから19年目の日だ。

最近のちゃび。私の膝の上でゴロゴロ爆裂中。便秘がちだがまあ元気です。快作先生には「ジャンキー」と呼ばれている(食欲増進剤を飲んでいるから)。

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19年間も一緒にいてくれて本当にありがとう。ちゃびから、どれだけ多くのものをもらったことか。これからもずっと元気でいてね。

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うちに来た日のちゃび。

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うちに来て数日後のちゃび。

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7月19日に動物病院にちゃびの薬をとりに行った際に、診療時間が終わるのを待って、駅近くのお寺の脇道に子猫が数匹ぴょんぴょんしているのを見たのだけれど、野良の子猫を見つけた時にはどのように対応したらいいのか快作先生に聞いた。

「簡単だよ。ケージを持ってってつかまえて、保護して、生後2か月になったら避妊手術して。」とにっこり言われる。最低でも1kgにならないと手術できないそうだ。

正直言って今の私には体力的(紫外線アレルギー、右腕の負傷など)、時間的、経済的、今の住居の条件的に無理なので、すごく悩んでいた。

出来る範囲でどうしたらいいか、と聞くと、快作先生はその時ちょうど最後の順番で子猫を連れて来ていたご婦人に向かって「ねえ、簡単だよね!」と声をかけた。

そのご婦人はM上さんという、もう40年も野良猫の保護活動をやってらっしゃるかただった。

M上さんは谷川俊太郎さんと小学校の同級生だったという。見るからに私よりずっとずっとお元気。

M上さんは「きょう、鳥越さんが阿佐ヶ谷に来てたから自転車で応援に行ってきたのよ。」と言う。「山添拓ちゃんがしゃべってたのよ。あの子は私の孫と同い年だからすごく応援してるの。ストップ安倍でがんばってもらわなくちゃいけないから。」と。

快作先生も「鳥越さんは今ひとつなんだけどね~、でも今の選択では鳥越さんしかないでしょう。」とはっきり言われる。

「子猫がいたのどの辺?」とM上さんに聞かれ「K寺のあたりです。」と言うと「ああ、K寺ね。私、昔、自転車を盗まれてね。そしたらK寺の前の交番から自転車が見つかったって電話かかってきたのよ。」とM上さん。

すかさず「わあっ!それはご縁だねえっっ!」とアピールする快作先生に思わず笑ってしまった。

そのあと快作先生が仕事で奥にはいり、M上さんとしばらくふたりで話していたが、私が自ら労力やまとまったお金を提供できない分際で、なんとかしてくださいと図々しく人に頼めるわけもなく、とりあえずM上さんのお話を伺っていた。快作先生が奥から出て来て「どう?話まとまった?」と言われ「いいえ。」と応える。

M上さんと住所と名前を交換した。出版関係の仕事をしていたかたで「うちはね、典礼聖歌っていう本、出したのよ。」とおっしゃると、すかさず快作先生が「テンレイサンカねっ!!うんうん!」と(笑)。

そのあとM上さんと快作先生から、関わりがあったいくつかの野良猫愛護団体のメンバーの人についての雑談をうかがう。某会は自然消滅したとか、○○さんと●●は性格がきつくて、とかいろいろ・・・。

「(野良猫レスキューの)仲間になっちゃえ!」と言う快作先生に「ええ。。。性格が強い人とか、聞いただけで胃が痛くなっちゃう・・・無理ですよ私は。」と言うと、M上さんに向かって私のことを「この人は対人恐怖症だからね。」と。快作先生、ちゃんとわかってるじゃないですか。

結局、地元の野良猫レスキューのS藤さんに電話して相談したら、そのK寺のあたりは、保健所からも言われていて、近々行くつもりだったと言われた。さすが快作先生が「仏のS藤さん」と呼んでいるかただ。保健所と連携して殺処分されないようにしているのもさすがだ。

保護活動をされているかたには、本当にありがたく申し訳ない。これからちょこちょこ寄付をするつもりだ。

7月25日

書道の日。帰宅してからすぐに復習。「白砂青松」。「砂」のつくり、「少」のはらいが難しい。なぜか右の点より上からはじめる。はらいは「石」の下すれすれくらいにつけて左真横にはらうとのこと。

これは「松」の木偏の下の「とめ」ひどく失敗。
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下のほうが「白」はうまくいったような気がする・・・。「青」という字が難しいです。「松」の字もうまくいかない。「公」の字、きたない。要練習。
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先生の朱墨のお直しを見ていると、下手な人ほどお直しがはいるわけではなく、むしろその反対だ。

当たり前だが一流の眼から見たら、どこまでも無限にお直しがはいるに決まっている。厳しくお直しをしてくださるのはありがたいことだ。

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2016年7月18日 (月)

多摩の丘のヤマユリ(山百合) / 大妖怪展

7月16日

自然の野山に咲く花で、出会えた時に私の胸がもっとも激しく高鳴る花は、ヤマユリ(山百合)だ。

多摩の丘で撮ってきた写真画像を見て描いたヤマユリの水彩。この大きな花は、強い、素晴らしい匂いがする。(写真はすべてクリックすると大きくなります。)

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なんと言っても、この濃い赤の斑点と黄色い帯が凄く、胸を締め付けるくらいに魅力がある。花屋で売られている真っ白なカサブランカリリーは去勢されているようで、きれいだが今一つ物足りない。

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背景を、灰色の中に薄い透明な青を混ぜ込むか、泥っぽい茶や砂色を混ぜ込むか、水彩絵の具の個別の色の材質によるたらしこみ結果の実験。

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ヤマユリは母が大好きな花だ。

「近所の山には顔よりも大きな花を10個もつけたすごいヤマユリがあったの。子どものころね、わあっと走って行って折りたいと思うんだけど、見つけるのは必ずマムシが出そうな藪の中なのよ。」といつも言っていた。

小さい頃、箱根に連れて行ってもらった時、ロープウェイから真下を見ると巨大なヤマユリが咲いていた。

ヤマユリは子どもの私にとって、人が歩けない道に咲いている手の届かない夢の花であり、思い切り顔を近づけて匂いをかいでみたくてたまらない花だった。

大きくて強く香るヤマユリが恋しくて、自生するヤマユリを間近で見たくて、友人Oと多摩の丘へ。

3時過ぎに新宿。新宿から電車で30分~40分ほどの駅で降り、てくてくと汗を流して丘を上ると・・・ウグイスの声とシャーシャーという蝉のシャワー。

坂道の横に、紫の緻密なグラデーションの葛の花が咲いていた。この花もたいへん風情があり、葡萄のような香りがする。

丘陵の斜面には、あった!なんとなく今日くらいかな、という勘で来たのだが、ちょうどぴったり開花の時期に合わせてヤマユリを見ることができた。まさにユリの王様(女王)。

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木漏れ日の下のユリの群れに、わあっっっと興奮。

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人もいなくて、ほんとうに静か。斜面の叢にぽつ、ぽつと気高く咲くヤマユリ。しんと冷たい空気が流れるようだ。
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なんという素晴らしい匂い。なんという凛として豪奢な輪郭。なんという色あい。なんという野生の、甘い魅惑。

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町を見下ろす丘の頂上まで上った。日陰にいるのは、まだつぼみのも多かった。今日の私は百合柄のブラウスです。

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駅を望むとても美しいカーヴの坂道。ガードレールの内側だけ階段になっている。

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由美かおるのアース渦巻の看板とおミズのハイアースの琺瑯看板(ゴールデンコンビ)がついている無人の野菜販売所。

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おミズの歌はカムイ外伝のアニメの歌くらいしかよく知らなかったが、夜、youtubeでいろいろ聴いてみた。

水原弘「黒い花びら」「黄昏のビギン」、永六輔の作詞。

すごい。いい!むせび泣くような低音の素晴らしい艶っぽさ。情の深さ。濃さ。暗い絵。これは子どもの時にはわからない味。

破滅型の人だったらしく、42歳で亡くなっている。こういうタイプの歌手はもう二度と出て来ないのかと思う。

「へんな女」という曲、これだけはバカらしいハマクラ(浜口庫之助)のナンセンスソング。なんでこんな曲を出したのだろう。さすがロールオーバーゆらの助(by 早川義夫)。

ついでに私の大好きな織井茂子の「夜がわらっている」を聴いて涙。私は織井茂子のかっこいい「銀座の雀」(元は森シゲの歌)が大好きなのだがyoutubeにはないみたい。

7月13日

紫外線アレルギーなので、小雨に喜んで外出。

傷めた右腕がひどく痛くなり、歩くのも苦しくなってしまったので、とりあえず新宿の龍生堂で湿布を買って貼る。最近の湿布薬の成分は5種類くらいあるらしい。胃の粘膜にも影響があるので長時間貼らない方がいいらしいが、この日は我慢できなかった。

江戸東京博物館の「大妖怪展」を見に行く。

3時頃、並んでいる人はなくすんなり入場。

肉筆の妖怪画の筆づかいに注意しながら見て行く。

「法具変妖の図」が面白い。名前や解説がなかった鮮やかな朱の大きな蚤のような妖怪が気になる。法衣の下から鋭い爪の足だけがのぞいている妖怪も。

私が一番長く見ていたのは南山「姫國山海録」(宝暦十二年 1762年)だ。ここに描かれている妖怪たちはほとんどヘンリー・ダーガーの世界。造型の面白味のすごさと、こなれていない(なかなか出せない)絶妙な筆づかい。

となりに展示してある茨木元行「針聞書」もよかった。人のお腹の中にいる妖怪たち。

一冊の本のたった一か所を見開きで展示しているだけなので、せめてパネルで本の全ページを展示、紹介してほしかった。

「百妖図」の中の「虎にゃんにゃん」や「蝦夷狼」もかわいい。

幽霊画は少ない印象。昔、谷中の全生庵で見たのがすごく迫力があった。

「六道絵」や「十界図」は、花輪和一が描いたらすごく面白いのができそうだな、と思いながら見ていた。

「遮光器土偶」。まさに花輪さんの世界!そう言えば土偶の実物を見たのは初めて。だがこれは妖怪展に出すようなものなのだろうか?

全体としては、展示の量は思ったより少なかった。すっきりしているけれど物足りないような気もする。

最後の妖怪ウォッチの展示はないほうがよかった。水木しげるの妖怪の展示ならよかったのに、と思う。

7月4日

母のいる施設から電話。

最近、むせる傾向にあるので、面会に行っても食事介助は職員さんにまかせてほしいとのこと。今までは、面会に行くなら食事介助しないと職員さんに申し訳ない(なにも手伝わずに、ただ会いには行きづらい)と思っていた。

私が食事介助して肺にはいることがあったら、と心配していたので、少しほっとしたが、同時に母の体調が悪くなってきたことが悲しい。

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2016年7月 4日 (月)

陽に褪せた紫陽花、西新宿、コスモスの思い出、母のことなど

7月3日

気温35度。夕方になっても息苦しいほどの真夏日。友人Tと高円寺を少し歩く。

陽に痛めつけられて色あせた紫陽花と。植物が雨を恋しがっている。

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昔から好きな一角。木の枠の扉が素敵。

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高円寺駅の近く、公務員高円寺宿舎の廃屋。失われてしまった懐かしい西新宿の角筈団地や阿佐ヶ谷住宅を想い、切なくなる。

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錆びた小さな滑り台と鉄棒。
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高円寺の高架下にすごくおしゃれな店を発見。古い人形などが飾ってあるのでアンティーク屋さんかと思い、入ろうとしたら、美容院だった。

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「マッサージ薬――ラブ」と書いてある古い看板のある建物。薬局だったのだろうか。
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7月1日

夕方、I工務店の社長さん(ジュリーのお父様)と食事。

社長は新宿駅の駅舎が木でできていた頃を知っているそうだ。

市電はそこら中を走っていたらしい。

社長が高校生の時、淀橋浄水場(今の中央公園や高層ビルのあたり)の周りをよく自転車で走っていたそうだ。

西新宿の今のエルタワーのあたりに精華学園高校があり、そこに吉永小百合がいたので見に行っていたという。

若い頃、同じ飯場に2年も寝泊りしていたことなど、興味深いお話をいろいろしてくださった。

6月30日

明日(7月1日)に、現在の1300円から2300円に値上げになるヘアカットの店で6cmほど髪を切る。

私の髪質だと細すぎてレイヤーはおすすめできないといつも言われ、ほとんどぱっつんとただ切るだけ。

6月28日

朝、雨が降っていた。

午後、雨がやんだのを見はからって雨に濡れた紫陽花を撮りに行く。(画像はすべてクリックすると大きくなります)

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紫陽花は陽に色あせて柔らかくぼけて、美しくなっていた。

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桔梗紫、藤紫、白群青、紅玉末、紫鼠。

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黒曜石、銀鼠。

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灰色にけぶる桔梗紫、岩桃、砂色、灰鼠。ところどころに赤茶色。

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こんな色の絵を描こうか、それとも布をこんな古色に染めて花をつくってみようか・・・と思う。
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藤紫、紅藤紫、岩桃、黄土、胡粉。

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夕方、母の施設へ。

食事介助の時、口に食べ物を含んだまま、うとうとすることがよくあり、どうにも困ってしまって職員のかたを呼んだ。

スプーンを、私がいつもやっているよりずっと奥まで入れて、抜くときにスプーンの腹で舌をこすって刺激するようにするといい、とのこと。

その後、ナツメロのCDをかけながら私も母の耳のそばで小声で熱唱しながら、全身で食事介助。

曲は「りんごの歌」、「青い山脈」、「水色のワルツ」、「芸者ワルツ」など。

口に食べ物を入れたまま眠ってしまって、誤嚥性肺炎になったらどうしよう、と必死で刺激を与えながら2時間かけて食べさせる。

右腕をひねってしまい、筋を負傷。

6月27日

書道の日。

「安心立命」。人力のすべてを尽くして、心を安らかにして身を天命にまかせ、どんなときにも動揺しないこと。

そうなれたらいい、と思う言葉。

ウ冠ではなく、ワ冠を書いたあとに下の女という字まで続けて書く。女という字がすごく難しい。いつかかっこよく書いてみたいと思う字。

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小学生以来、数十年ぶりに書道を習っているが、とても楽しい。たった1時間半だが、私は集中しすぎて、終わったあと倒れそうになるくらいお腹が減る。

この頃やっと、とめ、はね、はらい、仰勢、覆勢などが、以前より楽しくできるようになってきた。

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ひとりでぐちゃぐちゃと悩むのでなく、先生に細かくだめなところを指摘していただけることがありがたくて、書道が面白くてたまらない。

6月24日

がんの定期健診で鎌ヶ谷の病院へ。

調子はどうですか、と聞かれて、がんとは直接関係ないけれど、毎年5月に顔の皮膚がひりひりして炎症を起こしてしまい、今年は特にひどく、まだ痛いまま、と伝える。

(顔が痛くて、ずっと日焼け止めもぬれない状態。顔を洗うと痛いので、極力洗わないで保湿用化粧水だけつけている。)

唇の皮がむけて真っ赤に腫れて痛くてたまらないのでプロペト(白色ワセリン)を出してください、と浅井先生にお願いしたのに、先生はヒルドイド軟膏を処方しくださっていた(笑)。

それと、筋肉が落ちてしまい、一生懸命食べても体重が増えないこと。区の健診の時の42kgよりは増えたが、現在43kg。陽が落ちたあとに自転車で坂道を上がったりしているが筋肉がつかない。

「この年齢になると、やせたくてもやせないですぐ太るはずなのにねえ。」と言われる。筋肉に負荷をかけたあとにプロテインを飲むといいと言われた。

6月20日

私と同じ頃に近所(西新宿)で生まれたユキちゃん(幼なじみ)のお母さんから、とても久しぶりに電話があった。母の具合を聞かれた。

ユキちゃんの家は、十二社(じゅうにそう)の交差点近く、昔スタジオゼロがはいっていた市川ビルの裏にあった。それから道路拡張で、ユキちゃん一家は板橋区に引っ越し、小学生の頃、よく遊びに行った。

その頃の板橋はまだ、いなかだった。低い土の丘や原っぱがあった。

近くに一面のコスモス畑があって、子どもだったので胸のあたりまであるコスモスの花に埋もれて、ずっと飽きずに花を摘んでいた素晴らしい思い出がある。

茎を手折った時、キク科の苦い香気が胸いっぱいにはいってきた。

触手のように細くなびく葉と、薄い昆虫の羽のような花びらの感覚と同時に、その香りが強烈に胸に焼き付いて、たまらないほどコスモスが好きになった。

子どもの頃にかいだ匂いで、一生、その花を好きになるのだろう。

両手に抱えられないほどのコスモスの花を、ユキちゃんのお母さんが新聞紙にくるんでくれて、家に持ち帰って花瓶に生けると、コスモスの葉にそっくりな細い青虫が何匹もついていたのにびっくりした。

電話口で、その一面のコスモス畑のことをユキちゃんのお母さんに話すと、「そう、よく覚えてたわね。あなたのお母さんもコスモス畑のこと、何度も言ってたわ。」と言われた。

私にとって強烈な思い出が、やはり母にとっても素晴らしい思い出だったと聞いて嬉しかった。

母はいなか育ちで、本当に植物が好きで、散歩の時に、これは何の花、と花の名と特徴を幼い私に話していて、私は母の感受性をそのままもらって育った。

庭のある木の平屋に住みたい、そしたら実の生る樹を植えるのが素敵、と言っていた母の願いを叶えてあげられなかったのが残念だ。

母の具合がだんだん悪くなってからも、一緒によく新宿中央公園を散歩した。スズカケ(プラタナス)の実を拾ったり、木陰のシャガの花を見たり、都会の何でもない公園だが、草刈りをされていないところには面白い草が生えていて虫もいた。

6月9日

ウズアジサイとアジサイのキメイラ。

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まだ若く、みずみすしくて、くすみのないアジサイ。中心の乳白色のぼかしの部分に惹かれる。

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2016年6月21日 (火)

多摩川 干上がった川底を歩く

6月19日

夏至近い蒸し暑い日の夕方。久しぶりに友人Mと多摩川へ。

駅から川まで歩く道で、電線にとまって、ツーピー、ツーピーときれいな声で鳴いている鳥(シジュウカラ?)がいた。

「若さえずり」というのだろうか、その澄んだ大きな声があまりに清らかだった。

川はだいぶ干上がっていて、端っこのほうに細く流れていた。増水の時に川底だった部分はすっかり乾いて、いろんな植物が生えていた。

恐竜の骨にも、細い船にも見える白茶けた大きな流木。怒涛の流れの中にいることを想いながら川底にいた。

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ハルシャギク(波斯菊、蛇の目草)の黄色が散らばる乾いた空間。花は陽のほうを向いているので、薄い陽を背にして撮れば、花は空中に浮遊した小さな陽の正円の集まりとなる。

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ぽつんと咲いていた可憐なムシトリナデシコ。雨が降って川が満ちたら、この花は流れの中に沈んでしまう。
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燕たちが、河原を低く速く旋回していた。空の高いところには大きな凧のように浮かぶトンビがいた。

水辺には優雅なダイサギが。

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干上がった堰の上を歩く。

まっすぐに続く鉄橋と巨大なチョコレートのようなコンクリートの造形。

このシンプルなかたちの繰り返しに、なにか未知の方向へつながっているような、子供の頃のよくわからない憧憬のような気持ちになる。

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太い灰色の柱と銀色に光る水平の水たまりがシュールに見える場所。

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小さい頃、空き地に残された家の土台の部分や、古びた階段や、崩れた塀、かつて何かだったものに植物が絡み合う場所が好きでたまらなかった。

そこに見えない不思議な建物や大きな宮殿を見つけて、えんえんと飽きずに遊び続けることができたからだ。

今でも廃墟と植物が大好きで、レジャーランドのようなところが嫌いなのに変わりはない。

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きょうの目的のひとつだった「忘れ草」(デイリリー、ヤブカンゾウ)がぽつんと咲いているのを、川底の白い泥の中に見つけた。

子どもの頃、「忘れ草」という美しい名の花を題材にした物語を読んだ。山道でこの花の美しさに惹かれて手折った若者が、すべてを忘れて戻れなくなってしまい、少女はいつまでも若者を待ち続けている、という話。

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沢渡朔さんの60年代の写真に憧れて、人のいない忘れ去られたような、何気なくてちょっと不思議な場所で、なにか物語がそこに動いているような写真を撮る試み(遊び)をMと共謀してやった。

空の皺のように視点を吸引する光る雲があった。同時に汚泥の腐敗した匂いがあった。

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それぞれの草たちがふるえ、なびき、「細かい様相が絡まりあい、おびただしい線と点とが混じりあう絵」である川沿いの野原。その中でじっと草の息をかいでいるのは幸せだ。
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駅の方へ戻る道で、来たときに鳴いていた鳥(シジュウカラ?)が、まだ同じ電線の上で健気に鳴いていた。

6時頃、場所を移動して、バードサンクチュアリのほうへ。

浅川の橋のないところ、飛び石の上を渡ったのだが、川の真ん中の流れが速いところで、水流に隠れた石に(表面がぬるぬるして滑りそうに見えたので)うまく飛び移れなくて、足をふたつの石にかけて開いたまま往生してしまい(笑)、あとから筋肉痛になった。

かつて「オフィーリアの湖」と名前をつけていた沼が、緑の藻に覆われて澱んでいた。

かつてこの沼でアオサギが魚を捕るのを息を殺して見つめていた思い出があるが、今の沼の状態では魚が住めなさそうだ。

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鬱蒼とした木陰に咲く白いレースのようなシシウドの花を撮りたかったのだが、すでに夏の繁茂に覆われていて森の中にはいれなかった。

ここは保護区域なので、この辺りではバイクの乗り入れやラジコンはもちろん、草刈りも禁止、という立札があった。たまにここで出会うラジコンを飛ばしている4、5人のグループの人たちは、鳥たちのストレスになるので本当にやめてほしい。

ハルジオン(春紫苑)の季節が終わり、土手はヒメジョオン(姫女苑)でいっぱいだった。

春紫苑と姫女苑は葉と茎と花のつきかたの違いで見わけがつく。実際の見た目の雰囲気は、「春咲く紫苑」のハルジオンよりも「姫」「女」とつくヒメジョオンのほうが、ずっと直線的で固く乾いた感じで男性的に感じる。

私にとって春紫苑は、その茎の匂いも官能的な春の最初を感じさせる花であり、姫女苑は夏へと動いている季節と風を感じさせる花である。

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