2018年1月13日 (土)

年末から新年

1月13日

昨年暮れから今までのこと。

次に出す本の作品撮影のため、12月28日に、カメラマンの糸井さんがスケッチブックをうちに取りに来てくれた。

近くのファミレスで本の概要や撮影についての希望を説明。

前のカメラマンさんの撮影データと合わせるための試作データが30日には送られて来、それから第2回補正、第3回補正と、色味や鉛筆の線の濃さの調整などのやりとりを正月中に、ずっとできていたのは、とてもありがたかった。

この仕事がなければ、なにひとつ充実しない淋しいお正月だった。

色味のニュアンスなど、感覚的なことを言葉で伝えるのはとても難しいのだが、糸井さんは軽妙で勉強熱心でコミュニケーションしやすいか人なので、彼のお人柄に感謝。

1月1日

福山家の菩提寺から年賀状が届いた!「謹んで新春のお慶びを申し上げます」に呆れて笑ってしまった。

昨年10月、母の火葬場まで若いお坊さんがお経を読みにいらしてくださったのに、そういう事実をちゃんと記録していないらしい。

(私が精神的に参っていたために)母の納骨を春頃まで待っていただきたいという電話をこちらからしないで、ずるずると年を越してしまった非礼を申し訳なく思っていたのだが、そんな気持ちも吹っ飛んでしまい、たいへん気が楽になった。

原宿で見たヤマガラ。

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素敵な枝ぶりの冬の樹。
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12月30日

話し合いのため、Y子のアパートへ。

2017年の年末も差し迫ってから、私にとって人生最大のストレスと言ってもいいほどの他人からの迷惑に対して闘わなければならない事件があった。

以前書いた、母の火葬の日に私の怒りが爆発してしまった件・・・知人H子が何十年も昔に私の父に保証人のハンコを押させていたH子の娘Y子の借金の件で、ついにY子に債権者側から裁判の準備段階として召喚される書類が届いたのだ。

(この顛末については詳細を後述する予定。)

世間一般のように仕事納めで解放される年末どころか、心身ともに酷使せずにはいられない年末となった。

疲労しすぎて帰宅前に駅前の居酒屋で休んだら、薬などのはいったポーチを席に忘れて来てしまった。翌日、店に電話したら感じよく対応してくれた。魚民さん、ありがとう。

・・。

2017年の年末は、大掃除も気力と体力の不充分によりできず、正月の準備、花飾りやおせちなどはなにひとつやらず。

マッサージと整骨にだけは通っていた。

新しい年の新鮮なまっさらになった喜びや、心身ともにひきしまる感じはなく・・・。

思えば母がパーキンソンの認知症になってから、おせちや雑煮など、もう10年以上食べたことがない。

私自身はおせちや雑煮に興味はないが、昔、毎年暮れに祖母が大釜で炊いていた煮物や、母の手作りのニシンの昆布巻きがたいそう嬉しかったことを思い出してしんみりした。

「一夜飾りはいけないのよ」と言って、28日までに千両や万両の赤い実に花を組み合わせた正月の生花を買っていた母。かいがいしく働きまわっていた母の姿を思い出す。

母がいなくなってから、私は正月のために花は買わない。

儀式などは関係なく、ただ、純粋に自分が描きたいという衝動が起きる花を見つけた時に買うだけ。

元日の朝、母のタンタンタン!と勢いよく階段を駆け上がって来る音を聞いた。ねぼけまなこの私を「知佐子!早く起きなさい!年賀状が来てるよ!」と起こしに来た母。

母が亡くなり、最愛のちゃびもいなくなった今、気ぜわしい色とりどりの年末や、真っ白に光り輝いて見えた元日の朝の光が、遠く鮮明な記憶の中だけのものになってしまった。

私にかつてそういうことがあったことが信じられないようにも、また同時に、失われてしまったことが信じられないようにも感じる。

まだどこかに強烈にあるのに、それをつかめない、全身で触れられない淋しさ、苦しさ。

初詣の時に、母とちゃびの健康と幸せを一心に願えないことが、どうしようもなく辛かった。

昨年、ちゃびが亡くなった11月の初めから、12月、私は人生で一番の危機に耐えた。動悸と悪夢、不眠が苦しかった。

眼の前は真っ暗、なにも楽しくなかったし、なにもやる気が起きなかった。

でも大切な相手を亡くした人は私だけではないはずだし、淋しい年末年始を過ごしている人も、この世にはたくさんいるだろう。

12月24日

図書館に行く細い道の途中にある寸断された樹。

頭にトタンのようなものがかぶせてあるのが気になる。

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曹洞宗鳳林寺にて。

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江戸時代からここにあるこれらの石仏にこめられた過去の出来事を思う。
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曹洞宗宿鳳山高円寺の白椿とメジロ。
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花の蜜を食べ、鴬色(渋い黄緑色)なのはメジロで、ウグイスではない。ウグイスは虫を食べ、地味な茶色で、花には来ない。
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2017年12月28日 (木)

次の本の制作 カメラマンと打ち合わせ

12月28日

次に出す本に新たに加える絵画撮影のため、カメラマンさんにうちに絵を取りに来ていただいた。

既に以前、ほかのカメラマンに撮影してもらっている画像データが10年以上前の出版にしか対応できていないやりかた(保存形式など)であるということがわかった。

撮影済みデータと、今回新たに撮影してもらうデータを調整してもらうお願いをした。

出版、印刷のやりかた、それに対応するカメラマンのやりかたも、どんどん新しく変化しているらしい。

I井さんを信頼しておまかせする。

12月20日

昼から中野に出て造形材料と古本を買い、3時に阿佐ヶ谷でFと会う。

寒かったが、川北病院の裏の巨大な欅の古木を見、神明宮のあたりを少し歩いた。

小学校の金網のすぐ向こうに、丸い実が金色に光り、そこに薄茶色の枯れ蔓が絡みついていた。キカラスウリかと思ったら薔薇の実だった。その向こうにボール遊びをする子供が快活に踊っていた。

Fは、彼の母親と18歳で上京する時に別れ、それ以来、頻繁に交流することはなかった。亡くなってからは、自分が子どもだった頃の母親のことを鮮烈に思い出す、と言った。

私のように成人してからもずっと近くに母親がいたほうが稀なのかもしれない。ずっと近い関係であったほうが、亡くなった時に母親の記憶を思い出しにくい、と言われた。

そうかもしれない。

父が異常で、母や私に過度な負担を強いたせいで、私は少しでも母の苦しさを軽減したい、母を幸せにしたい、という思いに駆られて、必死になってきた。

必死になっていたことは覚えているのだが、その時々の具体的な母の様子が細かく思い出せない。

介護をずっとしてきたにも関わらず、母が危険な状態になった時から、私はなにか大切な母の記憶がどうしても思い出せないようなもどかしさに駆られ、苦しんでいる。

私は母が亡くなってから心身がおかしい。ちゃびが亡くなってから、さらに心身がおかしい。

母とちゃびが生きていた時には楽しく思えたことが楽しく思えない。今は、自分のために意欲を持つことが不可能に思える。

ただ生存のためにどうしたらいいのか、どうしたら生きていけるのか、それだけを真剣に考えている。

Fと知り合って、来年で20年になる。

歌人の森島章人さんからパラボリカ・ビスでの展示のお誘いがあったことを話した。

そしてステュディオ・パラボリカから復刊された雑誌『夜想』と、パラボリカ・ビスというギャラリーがどういう傾向で、どういう人たちをターゲットにしているのかを、それほど多くを知っているわけではないが、私が知っている範囲で、私なりに、Fに説明した。

FはPCもメールもやったことがない。インターネットで情報を知ることが一切ない人だ。現在の若い人たちの流行も、「アート」をめぐる現況も、ほとんどなにも知らない。

Fに対して、「ゴスロリ」の意味や、日本における「球体関節人形」の流行りなどのざっくりとした説明をした。

「それで、その展示、どうするの?やるの?」と聞かれたので、「だから、材料買って来たんでしょ。」と、あまり説明はせず、きょう買ってきた袋を見せた。なにをやるのかは、まだはっきり決めていない。

3時半、ひとまずカフェに入る。

まずFのために買っておいたメラトニンのサプリを渡した。眠剤がどんどん効かなくなってきて、かなり苦しんでいるそうだ。

私はちゃびがいなくなってから動悸や過緊張の肩凝りや頭痛にひどく苦しめられ、毎晩辛い記憶にうなされて安眠できないが、眠剤は飲んでいない。精神安定剤を飲むようになることが怖いので避けたい。

かつて私が、その並外れた芸術的才能ゆえに好きだった人が、「お金を貸して。」と言っては(返すはずもなく)、薬やたばこを買っていた。そのことが私の中で許せず、澱のように固まっているからだ。

Fは「バイラルメディア」や「Change.Org」、「Me Too」など、私がしゃべった単語をメモしていた。

今日の一番の目的、私が今作っている、次の本のカンプのようなもの(掲載順に絵を仮にならべたプリントの束)を見てもらった。

Fに最初に見てもらったおよそ3年前から、熟考の末、絵の量がはるかに増えている。それを見てどう感じるか、Fの感想を聞きたかった。

本に載せるための絵の撮影をいったんしてから、やはり自分の外に在るものに寄り添って描いた時間を取りこぼしては本をつくる意味がないと思い直し、これから新たに違うカメラマンに撮影を頼むことにした。

「すごくいいね。あなたにしか見えないもの、あなたにしかできないことだ。」とFは言った。

私は「そう言ってくれるのはFさんと、この世であと2人くらいだけどね。」と真面目に応えた。

Fは、私のことを「生涯でもっとも影響を受けた人だ」と言った。目のつけどころ、ものの見方、どれもが驚異で、私と散歩しているだけで、ほかの誰と歩くのともまったく違う世界が見える、と。

とりわけFがいる、「高踏的」とも形容してかまわないだろう文学の世界は、言葉を言葉で批評することだけですべてが回っているからだと思う。

彼らが思う「見る」ということと、私がものを見ることとは、言葉の意味などでなく、おそらく体験の内実が違う。

「アート」の世界はさらに絶望的なまでに自分の殻に閉じこもった病んだ精神が、自明なまでにそこでは主流になっているからだと思う。

私と関わり、影響を受けてから出した本のほとんどすべてで賞をとった、とFは言う。

私はおよそ賞といったものに縁がないが、Fがもらった最初の賞金で、カニを食べに行ったことを忘れていた。5万円くらいかかったという、私にとって人生で最も贅沢な会食だったのに、そういう楽しい記憶を私は忘れていることがすごくもったいない。

5時半に食事ができる場所に移り、私は「七田」を飲んだ。

そこで初めてFに、なかなか口に出せなかったこと、ちゃびが11月に亡くなったことを告げた。話しているうちに、涙がまた溢れてきた。

Fは「そのことが気になっていたけど、なかなか聞けなかった。」と言った。

私はちゃびのいない世界で、なにひとつ自分の魂が高揚することがない。

そのことは、この世の誰にも信憑できることではないと思っている。

「愛情に際限がない」という言い方がもっとも私にあっている、とFは言った。性格がお母さんとすごく似てるんでしょ、と。

「精神疲労で頭が朦朧として回転が悪くなっている」と言ったら、「そんなことはない、昔から少しも変っていない」と言ってくれた。

それから最近興味深かった映画や漫画の話をした。Fは今日私が買ってきた漫画を借りたいと言った。まだその漫画を味わい尽くしていなかったので、私は貸すのを断わった。

12月11日

今年最後の書道。

「高談娯心」(楽廣)。「高尚なる談論をして心をたのしませる事」と本部からのお手本にある。

先生のお手本。

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私の書いた字。こうして写真に撮ってみると起筆の角度がおかしい(少し寝すぎている)。次から気をつけようと思います。

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今まで半年くらい、ふたつに割れてどうしようもない筆を使って書いていたので、そうとうな徒労があった。先日、安い(1600円くらいの)筆を新調したら、今までの苦労は何だったのかと思うほど楽に書けるようになった。

一度割れてしまった筆は、先生に筆の洗い方が不十分と言われ、どんなに洗っても元には戻らず、むしろぱさぱさになって余計割れるようになった。

昔、小学生の時、そんなに必死に筆を洗った覚えがなく、それでも数年同じ筆を使っていたような気がするので、もしかしたらむしろ洗いすぎだったのか?

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2017年12月19日 (火)

森島章人さんから歌集刊行記念展へのお誘い  /  東中野、中野

12月16日

森島章人さんから丁寧に封書でお手紙が来ていた。

来年の2月から3月のいつかに、森島さんの歌集『あねもね・雨滴』刊行記念の展覧会をパラボリカでやるということ。そこに作品を出してくれないかとのこと。

私以外では、雑誌『夜想』の今野裕一さんが声をかけて作家さんたちを集めるそうだ。

森島さんの歌に喚起されるイメージでなにかできたらいいけれど・・・。

やる場所がパラボリカだということをふまえて、いつもの私とは違うやりかたでなにかやれたらいいのかもしれない、とも思う。

12月15日

遠くに住むデザイナーの友人、和美さんに、ちゃびが亡くなったことをなかなかメールで伝えられないでいた。

和美さんとは、何年もずっと、お互いの母親の介護のこと、猫の介護のこと、それらにまつわる悲喜こもごもをメールで会話していた。今までなんとかぎりぎりでがんばっていることを伝えてきたので、母が亡くなったことに続けて、ちゃびが亡くなったことを伝えることが辛かったのだ。

ひと月以上すぎて、メールで伝えると、

「たいへんなメールをいただきました。このメールが来るのをおそれていました。どんな慰めの言葉を書いていいのかわかりません。」という返事が来た。

和美さんも9年間で4匹の猫をみおくったが、「どの子たちもそれぞれが唯一の存在とはいえ、私の場合は他の猫たちがいることで救われているので、福山さんの心境はもっと深刻なものだろうと思います。」と。

美大時代の友人愛子ちゃんからも、「ちゃびさんは子供以上の存在なんだろうね。私は、飼ったことがなくてわからないんだけど、自分以上に愛おしい存在なんだろうなって。生きているからにはいつかはって思うと、ふっこがどうなるか凄く怖かった。」というメールが来た。

私がどれほどのダメージを受けるか、どれくらいおかしくなるかわかってくれていた友人がありがたかった。

12月12日

母のお世話になった施設へ最後の精算に行く。

駅からの階段を降りて道を渡ったところ、染物屋さんの工場の前にいつも寝ていた猫が亡くなったという貼り紙があり、花と食べ物が供えられていた。

14歳だったという。外猫にしてはすごく長生きだが、最期は交通事故だそうで、とても残念だ。

私が母の施設へ向かうこの横断歩道で、たまたま車道のほうへ出てきているこの子を、よいしょっと抱き上げて染物屋さんの前に運んでいる人を見かけていた。

地域の人に愛されていろんな名前で呼ばれていたらしい。

施設に着き、受付に行って、ケアマネのK島さんを待つ間に、母との思い出が溢れてきて、もう涙が出てきてしまった。

母が施設から病院に移る直前に買った介護用の室内履きや未使用の紙おむつなど、まだ新しくて使えるものをもらっていただいた。

最後の精算の書類に記入してからも涙。涙。

母とちゃびが死んでしまうことが怖くて、あまりに張りつめていた時が終わったが、少しも解放された感覚がなく、ただ悲しい。

そのあと友人と中野の裏道を歩く。

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駅前に2匹でつながれていた犬。とても人懐っこくて、しゃがんだら飛びついてきて、口をなめられた。けだもののぬくもりと匂い、息づかいが身体いっぱいになだれ込んで、たまらなくなる。

たまにこんなふうに往来につながれている犬に出会うが、「飼い主」は人目につくところにほっておいて心配じゃないのかと不思議だ。私なら、不安で、怖くて、とてもできない。しっぽや手足をカラーリングされているのも身体に悪いのじゃないかと心配。

少なくとも、カラーリングが、犬自身のためになること、犬の身体によいこと、犬にとって心地よいことにはなっていないのは確かだ。

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私は動物に対して「癒される」という言葉を使うことができない。相手に対して愛おしさと心配が激しすぎるからだ。「癒される」というのは、生きている存在に対して使う時、非常に手前勝手な収奪の言葉だと思う。そういう人間中心的な言葉遣いが嫌いだ。

鎧神社。オオミズアオの色の錆びた鉄の扉。薄青とチャコールグレーの混じった風景に酵公孫樹の山吹色が映えていた。

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昔の西新宿にあったような古いアパートと敷石。家の玄関までをコンクリートで固めないで、雑草が息をする土の上にこの石を置いただけの細い道が好きだ。

(この画像、何度やり直しても画像が勝手に横に倒れてしまうのでそのままにしてあります。)

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東中野のムーンロード。大きな塊のアーチになった羽衣ジャスミン。冬でも緑の葉が茂っている。4月にはここは白い花の香りでむせかえるだろう。

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懐かしい雰囲気の中野の仲道通り。「文化堂」というレコード屋も健在。20年くらい前に、この入り口にあった「めりけん吉田」というとても面白い看板の古道具屋でブリヂストンの中古自転車を買った。

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「新鮮 蔬菜」と書いてある八百政の看板。「蔬」というのはキノコという意味らしい。ここでも季節外れの丸葉朝顔の葉が青々と生い茂っている。東京では冬も完全な立ち枯れにはならない。

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2017年12月15日 (金)

『デッサンの基本』第29刷

12月15日

12月8日に『デッサンの基本』第29刷りのお知らせをナツメ社さんからいただきました。

前回、第28刷り決定のお知らせをいただいたのは5月末でした。それからすぐ母が危ない状態になり、増刷についてブログに書けないまま、29刷りとなりました。

購入してくださったかたに、心より感謝申し上げます。

『デッサンの基本』の本が見知らぬどなたかのお役に立つことがあれば、これ以上に嬉しいことはありません。

もしデッサン(素描)に関する質問がありましたら、私のHPのコンタクトからメールいただけたら、私にわかることはお答えしたいと思っています。

・・

「デッサン」という言葉を、私は「自分の外にあるもの」をよく見て、感じて描く(自分勝手に頭の中で描かない)、といういうような意味にとらえています。

そういう意味では、「素描」も、「写生」も、「スケッチ」も、「ドローイング」も、(色をつけてもつけなくても)同じようなことだと思っています。

私は、「デッサン」(エチュウド)というものを、「本画」(タブロー)のための準備段階の絵であり「本画」より価値が低い、とはどうしても思えないのです。

古い優れた画家の仕事でも、「本画」(とよばれているようなもの)よりも、「デッサン」(素描)のほうに強烈に惹かれます。

例えば、ドラクロワも、私には、彼の油絵より、「デッサン」のほうがはるかに魅力的に思えるのです。

その他、ピサネロ、ロセッティ、ヤン・トーロップ、デゥーラー、クリムト、シーレ、フランツ・マルク、マネ、ゴヤ、スタンラン、ゲインズボロ、ラスキン、グウェン・ジョン、ポター、エドワード・リア、ロダン、ドガ、ロートレック、ゴッホ、ピカソ、ワイエス・・・デッサンに目を奪われる画家たちの名を思いつくままにあげても切りがないほどです。

私が「デッサン」に夢中になる理由は、「生命的なもの」をとらえたい、という欲求だと思います。

「デッサン」は、その「時間」を、より直接的にとらえているからです。

日常の中でとらえがたい「生命的なもの」の「時間」を、手作業によって、紙の上にとらえたもの(もしくは、とらえようとして逃したものの痕跡)が「絵」だと考えます。

日本の美大受験のためのデッサンは、すべての要素をくまなく平均的、客観的に描く、官僚的、権威主義的な方法と言えます。そのやりかたが絶対ではありません。

基本のやりかたを踏まえたあとで、自分の「物の見方」と、短い時間の中で端的にとらえる方法、生きた線を追求することが「デッサン」の醍醐味だと思います。

自分の理想としては、少ない線であっさり描いて、その時だけしか見ることのできない不思議なものが描けていたら一番よいと思います。

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毎年、12月末くらいから4月の最初くらいまで夢中で描いていたパロット系チューリップの素描。

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18年前に描いたチューリップ(ブラックパロット)・・・今見ると線が硬い。

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チューリップ(ブラックパロット)。

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チューリップ(モンテオレンジ)。

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小さなアネモネ。

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クルミとピーカンナッツ。小さくて手軽なモチーフで、曲線とリズム、鉛筆の強弱をつかむのが楽しいです。

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2017年12月 4日 (月)

ちゃびへの恋しさが止まらない

12月3日(日)

ちゃびが死んでしまったことを、なかなか受け入れることができない。

理性的にはしかたないこととわかっているが、身体が勝手に反応している。

冷たい北風の中から帰宅してドアを開けたとたん、湿った暖かい空気に包まれ、「ちゃび、遅くなってごめんね!」と駆け寄って抱きしめようとすると、ちゃびがいない。

この部屋の湿り気のある柔らかくて暖かい空気はちゃびそのものだ。涙が噴き出てくる。

自分が寝ているふとんをめくったり、あるいはふとんの端が見えたりした瞬間に、そこにいっしょに寝ているちゃびの茶色くて丸いからだが見え、「ああ、ここにいたの。潰しちゃいそうだった。」と思う。

ほっとした2秒後に、ちゃびがいない、という現実に引き戻され、胸の真ん中の骨のあたりがズン!と打擲されたように痛くなる。

それからどくん、どくん、と骨が飛び出してくるような痛みの感覚とともに「嫌だ、嫌だ、耐えられない。」という言葉が繰り返される。

日に何度か聞こえるカサカサッという音に、ちゃびが私のところに近づいてくるいつもの足音だと思い、ふふっと嬉しくなる。

次の瞬間、ちゃびがいないことに目の前がぐにゃりと暗くなる。

夢の中で何度も、「ああ、ここにいたの。」とちゃびに会い、その数秒後には、「やっぱりいない。嘘でしょ?!」とうろたえる。夢の中でさえ泣いている私がいる。

うなされて眼が覚め、「はあ、はあ、」とまるでセリフのように出てしまっている自分の声を聴く。着ている綿シャツはぐっしょり汗で濡れている。

朝、目覚めた時がもっとも緊張が強く、首や肩の凝りからの頭痛や動悸が苦しくて、レキソタンを飲もうかと迷う。

朝一番に精神安定剤を飲んで依存するのが怖くて、とりあえず、ゆっくりお茶を飲んでみる。それからさまざまな用事をかたずけるが、緊張のための頭痛と肩凝りは収まらない。結局タイレノールを1錠飲み、それでも苦しくてたまらない時には、昼くらいにレキソタン1mgを飲む。

ちゃびがいつも水を飲みにきていたお風呂場。黴を落とすのに強力な洗剤を使いながら、「ちゃびに毒だから、ちゃびが入ってくるまでに洗い流さなきゃ。」と思う。その2秒後に、「ちゃびはもういない」という現実に、胸と頭ががん、と打ちのめされる。

ちゃびのトイレを置いていた場所では、足が引っかからないようによけて歩いてから、もうそこにトイレはないのだと気づかされ、「あっ」と驚く。

外出する時には、ちゃびが玄関の土間に出ないように、洗面所のドアを開けっぱなしにして、玄関への道をふさいでおいた。今も、出かけようとするたびに、洗面所のドアを開けっ放しにしようとしてしまう。

週に1、2回は行っていた店の前を通ると、「トイレの砂はまだあったっけ?」と、いつもの習いで店に寄ろうとしてしまう。そしてまたその2秒後に、「もうちゃびはいないんだ、トイレの砂も、K/Dも買う必要がないんだ。」と気づき、真っ暗になる。

二度と関係ない?この疎外感。この虚しさ。

スーパーでマグロのお刺身を見ても、中トロを買ってきて、ナイフで細かくたたき、レンジアレンを混ぜてから、ちゃびにあげていたことを思い出す。今はマグロの刺身を見るのも辛い。

ちゃびにあげたお刺身の余りを私が食べるのが嬉しかった。自分だけのためになら、もう二度とマグロのお刺身は買いたくない。

いたるところでちゃびのために買っていたもの、買おうと思っていたものに出会うたびに涙が止まらない。

ちゃびの医療費はそうとうかかっていたが、数字としてどのくらいなのかまったく考えなかった。自分のためには食費も暖房費もなるべく使いたくないと思う。

ショックで自分を虐めたくなっているということではない。ただ、自分に余計なものを与えること自体がストレスになるので、極力そぎ落としたい。

ちゃびが私に美しい景色を見せていてくれたのだろうか。ちゃびがいないと、すべてのものごとから魅惑が消えていってしまうのだろうか。

幼少期から、生家には犬や猫たちがいた。だから、一緒に暮らしていた最愛の動物との死別は、これが初めてではない。だが、このようなショック時の過ごし方に慣れるということはない。

最愛の犬、チロとの死別で、私は初めて心身ともにおかしくなった。小学校6年の時。それから何度も悲しい別れを体験し、そのたびに死ぬほど泣いた。

もう一度ちゃびに会えること、強い愛情関係が見つかることしか欲しいものはない。

2007年。10歳の時のちゃびと私(自撮り)。

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私の絵の具箱(高さ110cmくらいのクリアケース引き出し)の上がお気に入りだった。

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いつも私をじっと見ていて、眼が合っただけでゴロゴロいっていたちゃび。Sdh000031

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どんな接写も嫌がらずに私にカメラ目線をくれていたちゃび。
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11月30日(木)

静かな雨。乾いた北風でなかったせいか、それほど寒さは感じなかった。

週に2回、保険外のほぐしマッサージに通っている。通りいっぺんの保険内治療より、一番苦しいところを重点的にほぐしてもらえて効果があると感じる。

11月29日(水)

池袋の公園で猫たちを眺めた。

サラリーマンの男性が食べ物をあげていた。そのあと、その男性が猫を膝にのせながら煙草を吸っていたのが気になった。

どこにもちゃびに似た子はいなかった。

そのあと大塚駅まで歩く。

桜の紅葉はほとんど地面の上。柿色、檜扇色、紅玉色、葉脈の際は山吹色で、山吹色と山吹色に挟まれた部分が朱色の葉など。

大塚駅で都電を見た。線路際に揺れていた黄花コスモスの淡い色。この花がなければ殺風景な線路だ。

今度、この都電に乗って、母がまだ元気だった頃、父と一緒に行ったと言っていた都電荒川遊園に行ってみたいと思う。

11月28日(火)

午前中、E藤さんより電話。「今、すぐ近くに来ているので昼食を一緒にとらない?。」と誘われる。

高円寺の名代そば茶屋で昼間から熱燗。

E藤さんはまったく飲まない人だったが、娘さんの通夜から、お酒をほんの少しずつ飲むようになったという。

蕎麦は、私には汁の醤油が濃すぎて出汁のうまみが感じられず、まずかった。

E藤さんが私の母に会った最後は10年くらい前、西新宿の旧駒ケ峰病院の前で、父と一緒に歩いている母が「これから食事に行くの。」と嬉しそうに言っていたそうだ。

母が病気で外出できなくなる前、父と都内のいろんなところに食べ歩きに行っていたらしい。その当時、母はとても幸せだったと思いたい。

そのあと、E藤さんを送って、E藤さんの家まで行き、娘さんの祭壇にお線香をあげた。

娘さんがかわいがっていたという2匹の猫(外猫)が、ベランダから家の中をのぞいていた。とてもガタイのいい猫だ。ベランダの戸を開けたら、ぱっと逃げてしまった。

誰にも触らせない、と聞いて驚いた。昔、何度か野良猫の世話をしたことがあるが、たいてい1、2か月で慣れて、向こうからすり寄ってきて、ゴロゴロ言いながら私に抱かれるようになっていた。

触らせない猫だったことにがっかりした。撫でるのを楽しみにしていたのに。

E藤さんから「家にいるのがよくない。旅行にでも行ったほうがいい。」としきりに勧められた。夜にネットで、一応、東京から近い島の宿などを調べ、そこに行った自分を想像してみたが、気持ちははずまない。

やはり今、寒い中で遠出すること、時間とお金と体力を使うことを想像すると、さらに疲弊する気がする。

なにかやるべきこと、大切なことの本筋からずれてしまうような焦燥感がある。自分の仕事が遅れていることに対する自己嫌悪。

結局、自分が思うところのやるべき仕事が進むことでしか自分を支えることはできない。

今は、遅々とした歩みでも、仕事と家の中の整理をしていたほうが精神的にいいように思う。

ちゃびが亡くなってから、部屋の中にいるのが怖くて、無理やりにでも電車に乗って出かけたりしていたが、陽のある時間は近所を歩き、あとは家の中にいたほうが心身の回復のためにいいのかもしれない。

外に出て余計なストレスを受けることを避けるほうがいいと今は思う。

11月27日(月)

書道の日。「呈祥献瑞」。淡々とお手本を見ながら忠実に書いたが、正月のおめでたい言葉。

今は書くのが虚しい。

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