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2007年7月

2007年7月30日 (月)

7月29日 雷雨

 昔、Tにもらった服や、昔の写真を捜しに実家に帰る。途中、烈しい

雷雨。

 煤だらけの押入れから昔の写真や手紙の束を引っ張り出しては

一枚一枚見る。

 時間と記憶、そして人語・・・・・繰り返し、繰り返し、どこに留まるの

かが問われ、耐え得る強さなのかが問われ、人語による生きるため

のヒント、そこに縋るのかが問われる。

 宗教を持たず、文化や慣習を憎む動物が、どうやってそこを生きるのか。

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Peony (silver foil, pigment)

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2007年7月23日 (月)

沢渡朔 NAIDA

 7月20日

 沢渡朔のNADIAの展示を見に、青山にいく。

 Tが亡くなってから(まだ信じたくないけれど)ずっと身体がギシギシと痛みっぱなしだが、何かして動き続けていないと、もっとおかしくなってしまいそうだから・・・。

 「NADIA」は「少女アリス」とともに、私の少女時代の感性に決定的な影響を与えた。当時アリスを演じたサマンサは、明治チェルシーのTVCMに出ていた。14歳の私はサマンサに焦がれ、沢渡朔の鬼才に焦がれた。あれから何十年も経っても、作品も、それに感じる私の感覚も、決して色褪せない。

 初個展のとき、いきなりご案内状を出して、沢渡さんが来てくださったときは、息が止まりそうだった。そして、私を撮ってくれると言われたときも、すぐには信じられずに、電話して、と言われても畏れ多くて電話することができずに、それから6年が過ぎた。だけれど、沢渡さんは嘘をつかない人だったし、嫌いなものは嫌い、ビジネスでないかぎいかぎりは、本当に共感できるもの、撮りたいと思うものしか撮らない、と言った。

 歳を経てからの沢渡さんは、昔の彼の肖像よりもずっと滋味あふれて優しく、あれだけのスターでありながらも、余計なものが全くない稀有な人だと感じる。

 自分の眼と、カメラと同化した身体性だけで作品をすすめていく。理屈も語らないし、流行りや権力はどこ吹く風である。きらびやかな場や嘘くさいものが嫌いである。

 彼の女性に対する感性が、どこに開かれているのか、わかるような気がするのだ。

 なぜ女性を撮るのか、・・・・・なぜ少女を撮るのか、

 そしてわたしが撮りたかった女性は、あとにも先にも、Tだけだった。

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沢渡朔氏

(撮影 福山知佐子)

2004年3月18日

多摩川べりで福山を撮影してくれたときのスナップ。

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2007年7月21日 (土)

7月19日

7月19日

夕方から通夜に行く。

下高井戸の改札から、たくさんの喪服の人がいた。お寺の庭には、とてもたくさんの人が・・・・・心臓が不安と緊張で怯えっぱなしなのは、信じたくないからなのだろう。

彼女とともに過ごした、18才から20代の、不安と夢と傷でいっぱいのときを、今は反芻したくなかった。

地上的でないほどの、類稀れな美貌の持ち主だった。

白磁を思わせる輝く透明な肌。

頭の回転が速くて神経過敏で、何をしていても品があって洗練されて見えた。統率力もあったが脆弱な美しさや無邪気さももっていた。

彼女が話した言葉が、私の中でまるで年をとっていない。

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鬱金香  ( silver foil, pigment )

 

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2007年7月19日 (木)

7月17日

7月17日

 夜11時過ぎに電話が鳴り、久しぶりの大学の友達からだった。

 友人が亡くなったと告げられ愕然とする。

 事実が受け止めれられないまま、ただ呆けたように応対していた。

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地震

7月16日

 胃腸の痛みでなかなか起き上がれない。食事もできず眩暈を感じながら寝ていると新潟沖地震のニュースがあった。母の生家のある柏崎が無惨な被害にあった映像を見ながら、母には電話しないほうがいいのだと思う。

 夜、なんとか買出しに出た時、猛烈な肋間神経痛に襲われる。

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2007年7月17日 (火)

台風 アレックス・カー アント二・ガウディ 

7月15日

 腸に穴があいたような疝痛がおさまらないので朝からずっと蒲団から起き上がれず、TVのニュースやドキュメンタリーばかり見ていた。

 20年前に群馬の赤ちゃんポストに置き去りにされて今年二十歳になった子供たちのドキュメント。沖縄の日本軍強制による集団自決の事実が、教科書の改悪によって歴史から消されようとしているニュースドキュメント。

 4時頃に一度だけ、薬局に行くために外に出る。意外に冷たい、烈しい風が心地良かった。台風が通り過ぎようとしていた。

 深夜、アレックス・カーの密着ドキュメントと、アントニ・ガウディの生涯の番組を2本続けて見て、自然と人工物の関係性について、類まれなる感覚を持った人の、その行動のぶれなさに胸が熱くなる思いがした。

 かつて、バルセロナでガウディの実物に触れたときの、鮮烈な印象の記憶を辿った。

 造形物が生命(動物)と寄り添い、自ら生命を持つためには、自分自身が(決してなれないけれども、それでも)動植物になるような、作家の繊細にして鋭敏かつ強靭な身体性が必須である。それがない作家がどんなに人口的な理論を付け加えようと、それはあくまで人間中心主義の、生命を圧殺してくるきたないオブジェにすぎないだろう。

 眠る前にもう一本、81歳の認知症の母親を介護する52歳の女性のドキュメントを見た。母と自分に重ねてしまい、人ごとでない気持ちで見た。

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2007年7月 9日 (月)

蛍 凌霄花(のうぜんかずら)

7月8日

 下落合の公園に蛍を見に行く。目白から不思議な建物が

続く散歩道を通って行く。凌霄花(のうぜんかずら)が満開の

住宅地。

7時過ぎ。漸く空は藍色染みてくる頃、ちらり、ふわり、と飛

ぶ光の心許無さ。たくさんの人がへしあうように並んでいた

としても、やはり、息を潜めて、その小さな明滅に呼吸を合

わせて、草に、苔にならなければならない。それなのに激し

いフラッシュを焚く人がいるのは驚きだった。

 殺さないように、生かすように、そっと近づかなければなら

ない。それは桜の花でも同じだし、桜の樹の傍で、ホロコースト

をする人をわたしは信じない。また、蛍やカルガモを愛でて

野良猫を顧みない人も・・・・また、自分の健康のためだけに

肉食をしない人も・・・・

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The Sound of Water ( part )

(silver foil, pigment)

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2007年7月 8日 (日)

ガヤトリ・スピヴァク講演 7.7 

7月7日 ガヤトリ・スピヴァク講演 一橋大

 鵜飼哲さんからチラシをいただいていたガヤトリ・スピヴァク氏の

講演にいく。3時ちょうどくらいに大学についたら、もう教室の中は

(1000人もいたのだろうか)床に座る人も壁側に立ち見の人もい

っぱいで、入口に近づくこともできないほどだった。別の教室に

スピ-カーで音だけ流してくれたので、私は60人くらいの人達と

そちらで聴いた。A4の紙3枚にびっしり聴き取ったことをメモした

が、内容については、ここにうまくかいつまんで書くことができない。

 自分のやっていること(表現)が、いったい何をしていることなのか、

そこがずれたり、狂ったりしないように常に感覚を鈍らせないように

努めなくてはならないと今さらのように思う。

 李静和氏のコメントが素晴らしかった。過酷な体験、理不尽な体験

をした女性が、何を言うべきか、何をどう言わないべきかわかってい

る、想像力と倫理が結ばれる瞬間がある。そして試行停止してしまう

のはいつも恵まれていて危機感のない人間たちのほうなのだ。

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2007年7月 4日 (水)

雨 緋扇 ヤブカラシ

7月4日

 雨。母親が具合が悪くて寝てばかりいるというので、久しぶりに実

家に帰る。近所でパック詰めのお寿司とケーキを2個買っていく。

 高層ビルを抜けて、それでも4,5年前までは昭和30年代のアパ

ートもたくさんあったひなびた町だったのだが、今は人が住むとこ

とは思えない、息も圧殺されそうな、西新宿、わたしのふるさと。

 ずっと身体がだるくて、手や口の震えが止まらないというのだが、

私が持って行ったものはおいしいと食べてくれる。階段の裏から、

畳まで大きく雨が染みてくる築62年の潰れかけた木造。昔ながら

の黒電話。おばあちゃんの仏前には野の花が挿してある。

周りがどんなに変わり、世の中がどんなに変わっても、変わらない

貧しさと生活の感受性。

 家の近所に、うちと同じくらい旧い木造の、粋な欄間のある「一直」

という連れ込み宿がある。芸者街だったかつての十二社を髣髴とさ

せる私の大好きな建物。そこの若い従業員さんが、時折母を散歩に

誘ってくれるそうで、それはありがたいねえ、といったのだが、その方

のおばあさまの具合が悪くて、もうすぐ新潟に帰らなくてはならない

のだと言う。

 明るい雨の夕べ、母と中央公園に草を摘みに行く。

 緋扇、ヤブカラシ(藪枯らし)、昼顔、梔子を一本ずつ、という

前衛的な組み合わせ。

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                                                                          ヤドリノキ silver foil, pigment

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2007年7月 3日 (火)

7月 青い銀杏

7月2日

 夜のうちに雨が降ったのか、舗道に青い銀杏の実が幾つも落ちていた。

 銀杏の実が晩秋に落ちるまでに、3ヵ月以上も前から 実って

いて、長い時をじっと静かに熟していくことを知るのは驚きだ。

 青い小梅のような7月の銀杏を見上げる人はいない。

 そして4月に私を釘付けにしたガレ(エミール)のように捩れた

今年の新芽は半夏生が過ぎた今も、日々新しく生まれ、旺盛に

艶めかしく伸びている。 

 樹の下部のその新芽の群れは、枝でなく、さみどりの茎を持っている。

 さみどりの「茎」は、いつ「樹の枝」に変わるのだろう。

 樹の上のほうの葉はもう既に黒ずんでみえるのに。

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                                ヤドリノキ silver foil, pigment

         

         

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