« ジシバリ(地縛り) | トップページ | デリダ、異境から »

2008年6月25日 (水)

デリダ 言葉を撮る

6月24日

並木の銀杏の青い実が落ちていた。

見上げると、小梅ほどの実がもうぎっしりと生っている。6月には実って、半年ほどもかけてじっくりと熟れていく。銀杏の実は茱や桜桃や桑の実よりずっと粘り強い。幹の根元からは、まだ新芽がうねりながらどんどん伸びている。

鵜飼哲さんにいただいた「言葉を撮る」を読んでいる。デリダが出演した映画をめぐって、「そのエジプト人女性監督と共に著した唯一の映画論にして哲学への招待状。」とあるこの本は、自分が映画に撮られた時の葛藤とトラウマを烈しく想起させる、まさにその内容である。

「つねに、私、(役者)は、映画の外にいると感じていた、「私」について映画が見せるあらゆるもの、「私」から構成されるあらゆる者に、疎遠であると感じいていたということも理解させるべきであるだろう。」「それも、この巧みな構成(映画のエクリチュールの構成のことだが、私はそのどんな部分にも、どんなときにも関与していない。このことをけっしてわすれないでいただきたい)が、衝撃的な、あるいは疑問の余地なき真理の印象を生むかもしれない場合でさえ、おそらくはそのような場合にこそ、そうあるべきであるだろう。」                                        一人の盲者に関する複数の手紙=文字 デリダ

|

« ジシバリ(地縛り) | トップページ | デリダ、異境から »

文化・芸術」カテゴリの記事

哲学」カテゴリの記事

文学」カテゴリの記事

映画」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

デリダ」カテゴリの記事