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2008年8月

2008年8月29日 (金)

髪を切る 豪雨  Hiroyuki Tomita

8月29日

カットモデルで、只で髪を切る。すごくおとなしい美容師さんで、全然話しかけてこないのでほっとしていたら、全部終わるころに、出し抜けに、バンドやってるんですか?と言われて、びっくり。フェンダーとか弾いてないですか、と言われた。

冨田洋之の、北京前の雑誌インタビューを手に入れる。やはり彼は、体操をアーティスティックな表現として捉えている。

「これが100だなっていう明確なものはない」。思い描いたイメージを練習で試してみると、その通りにはいかない、「そういうことのくりかえし。1回できたものを崩さずにいくということはしないで、崩しながら修正し、また自然と崩れていきますし。体も変わってくるんで、その中でどうやったらよくなるかということを考えていくわけです。」

そもそものイメージが違っていたということも「あります。ただ、1回やってできなかったといって、そういうふうに判断することはないです。何度かやっていく中で、違うイメージが出てくることがあるし、その違ってたイメージも何かと組み合わせるとよくなることがありますから。」

まったく、絵描きのことばに聞こえる。不思議なほどに画家の体験に馴染んでしまう。

「よく闘争心がないとダメとか言われるんですけどね。そういうのは……確かに人によっては闘争心が湧いて力が出てっていうことがあるかもしれないですけど、」「僕にとって闘争心が出るのがいいとは思わないし」

「人に見てもらおうというような意識ではなくて、どうやったら自分が美しく見えるかというふうに考えてます」

まさに身体芸術のことば。「僕にとって演技は、作品みたいなもの。画家が絵を描くのと同じ」

矜持!そのときどきの狭い人間文化の枠を超えていく、その矜持。

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2008年8月27日 (水)

デッサンモデル捜し  対人恐怖  冨田洋之 Hiroyuki Tomita

8月26日

2か月ほど前から、初心者のためのデッサンの本をつくっている。

人物デッサンのモデルを捜しに駅の改札前に立つ。良い本を作るため、少しでも絵心を掻き立てるいい顔(美貌という意味ではない)の人を探して、絵画モデル募集のチラシを渡すため。

3時間くらい駅にいて、渡せたのは7、8人。(はっとするほど目を引く人にはなかなか出合えない。)ひどい対人恐怖で、過緊張の私に代って、友情厚い信頼できるスタッフが手渡してくれる(心より感謝に堪えない)。

私は、ビジネスのためでも、初対面の人が怖くてたまらない。初対面でなくても・・・、対外的に強い人がひどく怖い。人間全般が怖いとも言える。(動物とは、たいてい、初対面とは思えないほどうまくいく。)

冨田洋之は、子供の頃からしゃべるのが苦手で、声も小さくて、緊張しやすい、(覇気がないと誤解されるほどに)おとなしい性格だったとまわりの誰もが言っていた。私が心底共感し、また関心があるのは、そういう性格が、極めて内向的に、内省的に、自分の思い描く最高の体現を目指すとき、そのためにほかの全てを捨てるとき、どうなるのか、だ。

自己も周りも裏切らない過酷な誠実さのままで、彼は人に見てもらう(そのままの時間をさらす)道を選んだ。

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2008年8月24日 (日)

冨田洋之 hiroyuki Tomita 人倫を超えた存在 

8月21日

冨田洋之の北京が終わった。

その繊細さ、その虚栄のなさ、その透徹した強靭な精神力に、あまりに共振してしまい、彼の試合のときは、緊張して胃痙攣になるほど、私の好きなジムナストである。

ここ数年、冨田洋之が一貫して言い続けてきたことは、「美しい演技」であり、「しなやかな体躯を極限まで使い、いかに優美な演技を体現できるか」であり、「勝とうと思って演技をしていない」とも言っている。

全試合後のNHKのインタビューでは、「体操男子団体の銀メダルへの道」とタイトルづけられ、「この時点で中国に勝てると思ったか」、「アメリカに逆転できると思ったか」、などの問いに、強制的にマルバツの札を上げさせるという、全く冨田の信条無視の、浅薄なアナウンサーの対応が続いた。

そのとき、冨田は、札を上げなかった。そして、「中国の演技を見ていなかったので」、「自分の演技に集中することだけを考えたので」、と答えた。「それでも、嫌でも中国の高い点数は目にはいってくるでしょう。」と、まだ言う、アナウンサーの口調を腹立たしく思った。

冨田洋之は、決して不快感や嫌悪感を表に出さない。優勝したときでさえ、声高に雄たけびを上げることも、はしゃぐこともない。けれど、信条を曲げて同調することもない。

冨田洋之が貫いたものは、パワーゲームとは無縁のものであり、国威発揚とも無縁のものであり、いわゆる男性的な筋肉志向とも無縁なものであり、体操競技という身体表現とは何か、の、根本の問いであると思う。

同じ技の練習を、比喩ではなく何万回もやること。余計なことに興味のない性格。自分が何に最も価値を置くか、がブレないこと。

言葉を使いこなす能力にたけていて、言葉だけで倫理を繕う、まやかしの身体の文学者や美術家をいやというほど見てきたので、ことさらに、すべてを犠牲にして身体演技そのものをさらす冨田の真摯な美しさに打たれる。「芸術性」という言葉さえおこがましい、と思う。

冨田洋之は、「比喩」ではない、嘘がない、そのまま、である、ということは、まさに「人倫」を超えた存在である。

世界の人が、冨田に目が釘付けになるのは、彼の白光色の精神そのものの身体の奇跡を見るからだろう。

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2008年8月 6日 (水)

原爆の日 ヨウシュヤマゴボウ

8月6日

原爆の日。赤塚不二夫の通夜。

大工道具屋の高いビルの陰の、ささやかな空き地が、桑(マルベリー)や、ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)や、アレチノギク(荒地野菊)で押し合いへし合いしている。

洋種山牛蒡は、2月には、白い、煤けた骨となって、無造作に、暗い地面に突き刺さっていたのだが、・・・私は、その姿が気になって仕方がなかったのだが、・・・

3月、4月、5月、白い骨は、そのまま残り、その同じ根から、柔らかな新芽が出て、恐ろしい勢いで腕を伸ばし、葉を拡げて、それを隠してていくのを見ていた。

洋種山牛蒡は3メートル以上になり、赤紫の茎に映える、中心が緑の小さな白い十字の花をつけ、空き地自体が、ひとつの、ぎっしりと中身の詰まった緑のキューブのようになった今、あの白い骨は、緑の葉影に存在しているのだろうか。

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すいどーばた美術学院

8月4日

予報で35度と言っても、地面の照り返しの強いところは40度以上ありそう、しかも以上に蒸し暑い日。真昼間、12時40分頃、目白の駅を出たとたん、すぐ全身どろどろべちゃべちゃの汗、息、上がりっぱなし。

早足で、すいどーばた美術学院に着いて、トイレにかけこんで鏡を見ると髪もぐっしょり、ひどい顔である。たいへん緊張しており、汗、全くひかず。

仕事のはなし。初対面の人に、仕事のお願いをするのは、すごく、緊張・・・・良いものを創りたい、という気がせくような、求めすぎて、全身震えるような、自分が破裂しそうになるような感じ。

四人も主任の方たちが来てくださって、緊張はピークに。しかし、感じのよい人たちでよかった。

その後、新宿でヨドバシカメラで機材の購入。夜になっても、全身ががちがちで、足が攣るほどの筋肉痛。(仕事の緊張+熱中症)

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