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2008年10月

2008年10月29日 (水)

シュテファン2  キアスム

10月29日

25日の撮影のあと、シュテファンと食事に行った。私は緊張していて、さらに簡単な英語も出てこない状態。シュテファンはきれいにお箸を使って、天ぷらとざるそばを食べる。寒天をすすめると、これは、ドイツの辞書には載っていない、初めてのもの、といった。大皿から取るとき、きちんと箸を逆さにして取っていたのに感心する。

「あなたはクリスチャンなの?」と聞くと「違う。僕は無神論者。・・・・無神論者という語はちょっと強い言い方すぎるけど、・・・人間以外のいろんなものにsoulが宿っているという考えはいいと思う。」と言った。「私もそう思う。樹や虫にもspiritがあるっていうことでしょう?」と言うと、「そう、soulよりもspiritのほうがあってるね。」と言った。

そこでおずおずと、「私は肉を食べません。・・・私は、宗教もなく、イデオロギーもなく、健康のためでもなく、ただ、感じるだけ。・・・・私は、自分のかわいがっている猫と他の動物の区別がつけられないの。生まれてすぐからずっと・・・」と貧しい英語で言った。彼は「たぶん、あなたの言いたいことはわかると思う。」と言った。

「外国のほうが、肉を食べないと言ったら、すんなり通る気がする。だけど、むしろ日本でのほうが理解されない。」と言うと、「だけど、昔の日本人は食べなかったでしょう?」と言われて、「そうなんだけど・・・」と英語が出てこない。「卵やチーズも?」と聞かれて、「ミルクや卵やチーズはいい。魚も。」と答えた。たとえ日本語で聞かれても答えるのが難しい、自分を常に生きにくくさせる、人間のための文化以前の初原の身体感覚・・・それについて私はじょうずな言葉を持たない。

帰りの山手線の中で、シュテファンが小声で、「あのTシャツのバンドも僕の好きなバンドだよ。」とささやいた。何気なく振り返ると、すごいごちゃごちゃしたデザインのnapalm deathのTシャツを着たいかついおじさんがいたので、大笑いしてしまった。「意外すぎる。もしかして高校時代は派手なメイクや髪型で超早打ちでドラム叩いてたの?」と言うと、「いや、自分はナチュラルなのが好き。ヨーロッパではみんなピアスやタトゥーをしてるけど、僕はしない。」と言った。「ツインバスドラのドラムも、大学に入った時に売っちゃった。」それから「高校時代は全然勉強しなかったんだよね。」と笑いながら言った。

そうだ、なにをしても、ファッションではないのだ。そのままなのだ。本当に飾らないほんもののエレガントなのだ。たぶん、「拈華微笑」のようなことがわかる人なのだと思う。

そしてはっと気づいたのだが、彼はちゃんと絵のための服装を考えて、最もシンプルで普段通りの、黒い半そでの無地のTシャツと、カーキ色のカーゴパンツを選んで着て来てくれたのだ。

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2008年10月26日 (日)

人物デッサン シュテファン

10月25日

人物デッサンの写真撮り。12時にシュテファンを迎えに行く。駅まで歩く道すがら、もうどのくらい日本にいるの?と尋ねたら、1ヵ月と聞いてびっくり。

彼と初めてあったのは10月5日。モデル探しで徒労ばかりで、特に傷ついて気持ちがぐしゃりと折れた日に、それでも諦めたくない、と雨の中、JRの駅のほうへ歩いていく途中で、傘を持たずに走る彼とすれ違った。

見えるとも見えないとも言えないような一瞬で、彼の静謐さに眼を奪われ、編集とふたりで、雨の中、走って追いかけた。

椅子に座って足を組んだポーズをつけると、シュテファンは、皆が驚くほど動かなかった。10分やって、疲れない?だいじょうぶ?と聞くと彼は、全然だいじょうぶ、描いている学生のために、もっと長く、15分か20分でもだいじょうぶだと自分から言った。

午後の薄い光の中の彼は、銀色の朧の雲を反射する満開の梨の花みたいだった。ボッティチェリの描いた何者かのようだった。何も恐れないおとなしい鹿のようだった。えもいわれぬ、(戦慄するほどの静けさと、優雅さと、甘やかさと・・・もっと、さらになにか不思議な・・・)実際、こういう雰囲気を持った人を私は初めて見た。

シュテファン、あなたはすごく美しい、あなたの雰囲気はあまりにも柔らかで、静かで、優雅で・・・しかも知的で、洗練されていて、と言うと、「ありがとう」、と笑って、彼の白い顔が瞬間に紅がさして、揺れる八重桜の花房みたいになった。そして彼は「たぶん、あなたが何を言いたいか、わかると思う。」と言った。

10分毎の休憩の合間に聞くと、彼はドイツで「古武道」を習っていたそう。そうか、つまり実戦のためでなく、「空気」とか「息遣い」とか「静謐さ」のようなものを、直覚的にわかっているのだ、と思った。

さらに私が驚愕してしまったのは、カメラを向けた時の反応だった。、たいていの人は、にかっとはじけるように笑うか、苦笑いっぽくなるか、硬くなってちょっと不機嫌な顔になるか、無視するか、幾つかのパターンがあるのだが、彼は全く違っていた。カメラを向けた時、彼ははにかんでふわっと微笑んで、ほんとにふわっとカメラの眼(私の眼)に眼を合せてきた。いつも撮られている人のように慣れた仕草でもなく、自意識に縛られることもない、驚愕的な自然さだった。

「自然」な感じ、という言葉を私は普段使わないのだが、(どの時点がそうなのか、すごく難しいので。)信じがたいほどに、余計なもの(虚栄とか、優越感とか、自意識とか、対抗意識とか、計算とか、欺瞞とか)がない感じ、(「フレキシビリティの極み」とはこういうことを言うのか)・・・

種村季弘先生が土方巽追悼のときにお話されていた、「棘抜きの少年」の話を思いだす。足の裏に刺さった棘を抜く少年の仕草が、あまりに魅力的だったが、少年自身がそれ(そういう仕草をするときの自分が魅力的なこと)を知ってしまったら、もうその仕草は美しくもなんともなくなる、という話だった。

Dsc02018

シュテファン

30分 鉛筆F,HB

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2008年10月24日 (金)

人物モデル エレガント

10月23日

モデル探しの件で、以前からお願いしていたS出版の編集さんからの御紹介で、やっと25日にOKの人が見つかったと連絡があり、万が一Sが風邪をひいていたりしたときの控えなど、お願いできるかわからないけれど、とにかく急遽会うことになった。

緊張しながら8時に駅で待つと、Mは小雨の中を自転車で現れた。素足にゴム草履で、飴色の髪を乱して満面の笑顔で。

オーストラリア生まれで、高三から単身日本に来たという。きれいな敬語で、とにかく花のようにチャーミングで明るくて、第一声から、とてもデリカシーのある濃やかな気配りのある人だとわかる。

最初日本に来て、新鮮だったのは古いものと新しいものが共存しているところ。日本の現代史にすごく興味があると言う。たとえば靖国問題とか。漢字は音読みと訓読みがあるから覚えるのがたいへんでした、と笑って言う。アジア問題研究のために中国にも留学していたので、中国語も話せる。オタク文化には全く興味がないそう。

いやがおうにも一目をひく美貌なのにまったく自分ではそれに気付かないかのように飾り気がなくて、ものすごく優秀で、集中力があって、ひたむきな人って、日本人にはあまりいない。

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2008年10月22日 (水)

デッサン エロス 言葉 メルロポンティ アルトー デリダ

10月21日

きのう、Sからメールの返事がきた。

こんにちは。
わたしもまたたいへん喜んでいます。
うっかり忘れてしまいごめんなさい。もう一度お約束します。
土曜日が楽しみです。ぜったい楽しいにちがいないです。
それでは土曜日に。

という内容のドイツ語らしい。やはり、人柄も優しくて、上品・・・。あの、なんとも言えない雰囲気。

すいどーばたに、最終打ち合わせのため出向く。Sが当日風邪でもひいたら、すべて終わりだから、どうしても控えの人は必要、と編集が言い、近場で抑えときたいということで、帰りに立教大で人物探し。ひとりだけ声をかけた。仕事自体はOKしてくれたが、日時が合わず。

恥をかき、傷つくことを承知で、それでも声をかけようと思える人は本当に稀な人で、そのポイントは、「表情そのものが詩的である」、としか言えない。それも一瞬で、直覚的に。

ここ数日、熊野純彦著のメルロ・ポンティの解説書を読んでいる。それと、デリダの「基底材を猛り狂わせる」と、アルトーの「ヴァン・ゴッホ」をたどっている。

メルロ・ポンティを読んだのは初めてであるが、「無言の経験」「ものそれ自体」「否定しがたい経験そのもの」について、「客観的世界の手前で生きられている」がままの身体について、「世界に対する私の視線」について書かれている。

知覚心理学の図みたいなものを使った説明のところは、退屈だったが、「客観」なんてものは、人間が言葉でつくったもので、それぞれの身体にとっての世界が、まったく「べつのもの」であることを言ってくれているのはありがたいと思う。

メルロ・ポンティにしろ、アルトーにしろ、デリダにしろ、日本の知識人は皆、当然読んでいるのだろうが、もしその場にアルトーやゴッホがいたら、彼らが幾度耳を切ったり手を焼いたりしてもすまないくらい、平然とひどい仕打ち(繰り返される欺瞞的駄弁や神経の抜け落ちた言動)をするのはなぜなのだろう。

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2008年10月19日 (日)

一ノ関圭 3 花輪和一

10月16日

花輪和一に電話。「一ノ関圭って知ってる?」「知ってるよ~、あの、うまい人でしょー。白土三平みたいなー。」「きのう、会ったの。」「えっ!!モデルに決まったの?」「なんで、作家がモデルやんなきゃいけないのよ。デッサンのほうよ。」「あっ、いいんじゃなーい、すごいじゃない。」「あの、デビュー作の、100ページの、ビッグコミック賞の、あれがペン入れした二作目だっていうんだけど、そんなことってあるの?」「う~~ん~、天才だからじゃなーいー?」

一ノ関氏は、優れた造形作家が皆そうであるように、正直で、余計なものがない人であった。少しでも、先に、根気よく取材して、出来る努力は全部して、進みたいのだ。

私の経験からして、身体を使って、本当の体験からやっている、真の造形作家は、皆言葉がシンプル、率直にして深淵だった。宮西計三しかり、花輪和一しかり、若林奮しかり、中川幸雄しかり。言葉の人の中で、おそろしく突き抜けて韜晦なく、率直にして温かかったのは、種村季弘氏だ。

宮西計三も、花輪和一も、漫画家としてというより、それを超えた一流の画家として、好きなのであるが、一関氏が言っていたとおり、すべてをひとりでやる(漫画のアシスタントを使わずに)、ということは、中庸な他人が介入しないということは、制御を失って完璧を目指してしまう、ということであり、誰もわからない極限の状態に、果てしなく追いつめられるということである。

駅の北側を歩いたとき、眩むほどの密の匂いに立ち止まり、満開の花の白さが黔い棘のある葉に映える銀木犀を見つけた。銀木犀は、金木犀よりも香りが強いのだろうか。金よりも、銀は澄明で、果実の密にちかいような香りを感じた。

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一ノ関圭 2

10月15日

一ノ関圭氏の予定を月曜(10月13日)に編集から訊いてもらい、「ああ、明日でいいんじゃなあい。」と言われた、と聞いて、「だめ、ぜったいだめ!心の準備というものがあるから。」と言って雨の心配を理由に、一日遅らせてもらったのだった。

約束の45分前に茶房に着き、過緊張で、心臓が苦しく、何をどう準備すればいいかもわからない。

到着した一ノ関氏は、小柄で、かわいらしい方で、朗らか(笑うのが好きで、面白いことが好き)。しかし、こちらの緊張が解けるわけではない。ものすごい才能の人と接する、ということが、その畏れが緊張させるのである。

まず、私が気になるのは、子供の頃のことである。いったい、どんな子供時代があのような天才を生むのか。漫画はとにかく大好きで、いっぱい読んでいたそうである。絵本は、あまり読まないけど、たとえば「赤毛のアン」なんかは興味なかったけど、「ドリトル先生」とかは好きだったとのこと。好きな漫画家はいっぱいいるけど、関谷ひさしの「ストップ!にいちゃん」はすごくおかしかったわ~、という話で私も笑ってしまった。関谷ひさし、忘れていたけれど、すごくうまい人だったなー、キャラも明るくて線が達者で。その他、いろいろ、バロン吉元は好きだったとか、赤塚不二夫はあまり好きじゃなかったんだけど、「まりっぺ先生」は面白くて・・・などのコアな話題で、盛り上がる。

小学生の頃から、鉛筆で漫画を描いていて、将来は漫画家になる、と言っていたそう。

しかし信じられないのは、学生の時、初めて習作として、サガンの小説を原作にして、40ページくらい描いたのが、ペン入れした最初の作品で、ビッグコミック賞を受賞した「らんぷの下」は、ペン入れ第二作目(オリジナルとしては最初の作品)だというのである。

いったい、どんな、異常な事態があったら、25歳で、最初のオリジナルで、あんな恐ろしいすごいものが描けてしまうのか。想像を絶しすぎて絶句、である。

「らんぷの下」は、どのコマをとっても、完全な一枚絵であり、完全なデッサンであり、完璧な映像であった。

(私は、タブローと、エチュウドと、デッサンと、スケッチと、クロッキーと、写生と、エスキースの区別をつけない。具象と抽象という言葉も使わない。あえて言えば、「絵」であるのか、「絵」でないのか、だけである。その「絵」のなかでも、自分はまったく追いつけない、別次元のものには、ひたすら驚異を感じてしまう。)

表現形式は関係なく、身体を通して、外(身体の外)との関わりあいのなかで、心身を使っているもの、さらに、余計なものがない平面のものだけを「絵」と呼んでいる。生の体験の時間が感じられないものは、、自分はまったく興味がないのである。

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2008年10月18日 (土)

人物

10月15日

オスカー・プロモーションに仕事の概要書を提出し、パスワードをもらって、モデルのデータ・ベースを見る。男性モデルは、数十人しかいない。その中で、昨日会った彼は、ひとりだけ抜きん出た存在であった。他のプロモデルは、皆、街で会っても、自分なら気にも留めないタイプであった。K.Aという彼は、TVのCMと、ファッション紙と、ショウモデルもしているそう。

でもやっぱり、素人のSに頼みたい、ということで意見が一致し、夕方、7時くらいに、Sの寮へ。またまた逡巡して時間を潰したが、思い切って、管理人室へのインターホンで、お願いしてみる。姓を聞いてなかったので最初、そういう人はいないと言われ、絶望しかかったが、管理人の小母さんが確かめてきてくれたら、なんと食堂にいた。

二度目に見るSは、物静かで、上品で、やはり絵になるたたずまい。明日から試験で、ずっと忙しくて、連絡するのを忘れていた、ごめん、とドイツ語と英語で言われた。話しながら白い顔が紅潮する、おとなしくてシャイな感じが麗しい。25日ならOK、と言われて、え?ほんとう?と耳を疑った。

ゲッティンゲン大学からの留学生だという。Sは、長い金髪を後ろでひとつに結わいていて、ジーザス・クライスト・スーパースターのときのテッド・ニーリーをすごく華奢で知的で甘くした感じ。それに全盛期のピーター・フランプトンのジャケットの、輝くようなイメージをかけたような感じだ、と思う。

本当に、やってくれるのだろうか。まだ心配。

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人物モデル

10月14日

先日(10月5日)、うちの近くで声をかけた、Sに、もう一度モデルを頼んでみるために、編集と二人、8時くらいに彼の寮へ。寮に入る人に声をかけて、取り次いでもらおうと、通りで待っていたが、誰も通らず、門の中に入って、玄関を叩くのも怖く、時間だけが経ってしまう。

駅のほうへ行って、しばらく改札で降りてくる人を見ていたが、人材は見つからず。足と腰がひどく痛くなってくる。くたくたになり、地下鉄の駅のほうへ戻り、スーパーで、何か食べ物を買おうとする時、編集が、あっ、あの今向こう向いてる人!と小声で絶叫。どれ・・・とポテトサラダを取るふりでぐっと覗き込むと、相手が振り返り、もろに目が合ってしまう。たおやかな優し気な風情。

きょうは、誰にも声かけられなかったから、どうしてもかけていく、と編集が言い、スーパーの外のエスカレーターの上で待つ。結構、時間がかかってから、やっと出てきた彼に勇気を振り絞って、声をかけると、協力したいのですが・・・と丁寧な口調で、もう事務所に所属しているので、と言われた。オスカー・プロモーションのプロのモデルさんだそうだ。

ただ見た時よりも、しゃべり声を聞いた時のほうが、さらに、きれい、と思える優しい雰囲気と清潔感のあるひとだった。

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2008年10月11日 (土)

絵画モデル 言葉 エロス

10月9日

透明な涼しい光の射す日。

天空に予言のような雲。

どこに行っても、木犀の香が満ちる。

肩に、髪に、両腕に、びっしりと、淡い枇杷色の、幾万もの、粟のような、レイジーデイジー・クロスステッチを抱えた、少しの風にも今にもほろほろと散りそうな金木犀。さらに伏せ目がちの銀木犀。

感覚と倫理について、ずっと考えている。どうしようもなく惹かれる、魔的な魅力のあるものについて、それが植物だろうと、動物だろうと、人間だろうと、倫理を超えたところにあるものだから、・・・・倫理的には、どうの、と言われても無意味であるし、個別性の才能は、たやすくそこを超えてしまう。

一瞬の生命の輝きに触れるのか、触れないのかも受け手の問題でもあるが、少なくとも、人間的な嫌悪感を与えてくる者に対して、関わりたくない、まして絵には描けないというのは、ひとつの抵抗の在り方だろうと思う。

私自身は、(いささか抽象的な表現ではあるが)透明感のある人、自己主張が弱よわしいくらいの、繊細な神経の人、社会的には損ばかりしているような人に惹かれる。

ここ数日にあったことについて、このブログで、明確に書けないのだが、自分の意思だけは、表明しておこうと思う。私自身は、ずっと何十年も、政治的運動と直接関わることを意志的に拒絶してきたのだし、絵をやることで、様々の、知的優位に立とうとする人間と闘ってきたつもりである。たとえばだが、「ラーゲリ」とか、「ヒロシマ」とかは、自分自身がどれだけ身体的に関わり、負荷をおえるのかということにおいて、軽々しく作品に流用して、言葉にしてはいけない言葉だと思っている。だから、私は植物について、書いてきた。

それが、どんなに、社会的には、知られない、ぱっとしない仕事であるにせよ、私を助けてくれた人は、(たぶん直観的に)身体感覚的に私に共鳴して、無私の気持ちで助けてくれたのだということを、痛いくらいに感じている。

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人物モデル

10月6日

人物デッサンの撮影のためのモデル選びが難航している。

受験のためのデッサンは、どんな苦手なものを出題されても、その場でそれをこなし、描写の実力を見せるための鍛練であり、できあがった絵だけを何百枚も並べたときに、その中で絵として堅実かつ強く見えることが要求される。だからむしろ描きにくい対象が出題されることもある。けれど、今つくっているのは、受験のための本ではないのだ。

むしろ、なぜこの絵をかいたか、作者の心情が伝わるようなデッサンが欲しいのだ。

沢渡朔さんが幾度も言っていた。カメラマンとモデルとの気持ちの伝わり方、そのなんとも言えない機微の、交流や共鳴がなければ、(ビジネスとしては撮るけれど)作品としての写真は撮れない、と。

まして、絵なのだ。

その人の魔力にすっかり魅せられて、時の感覚もすっとんでしまい、夢中で、鉛筆を走らせる、というのが一番なのだが、・・・そういう人はなかなか都合がつかないにせよ、なんらかの感動がない絵になるのは困るのだ。

それは個人の主観である、としても、画家である以上、気持ちののりかたや、エロス的な感覚を無視するわけにはいかない。

私が、代理でモデルを捜す、ということは、私の感覚に責任を持ちたい、妥協したくない、ということなのだ。

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2008年10月10日 (金)

デッサン 実作 エロス 言葉

10月4日

すいどーばたにて、静物デッサンの実作の撮影。若くて優秀な3人の芸大生さんに描いていただいて、段階ごとに撮影。自分が描くわけじゃないのに、過緊張。

皆さん、一生懸命やっていただいて、感謝。特に、すいどーばた講師の益子さんは、さすがでした。ものの情感、という領域に達しているのに、感動。

デッサンとは、なんであるのか、

以前、批評家を気取る人達が、言葉だけで、その意味を議論するのをま近で聞いていたとき、怒りで頭がきりきりと痛んだ記憶が鮮明に残っている。

デッサン、スケッチ、写生、クロッキー、ドローイング、これはこういう意味で、それはそういう意味でしょう、と言葉で言い合うのをきくのが、大嫌いである。

一本の鉛筆の線が、儚くも鋭敏な、神経と体温のある線なのか、

その線をひいた誰か(それはいったい誰なのだろう)は、なにを見たのか、

言葉だけで、分類していく人間、すでに世間的に評価の高い作品に関してしか書くことができない人間、人間だけの言葉の既知の中で、比喩と比喩の繰り返しの中だけで回っている人間に、その線が見えているというのか。

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2008年10月 3日 (金)

一ノ関圭

10月1日

15歳の頃から敬愛する一ノ関圭氏と電話で話す。

土曜の夕刻、お手紙を出したばかりなのに、きのう、私が治療院に行って留守のあいだにお電話をくださり、編集に伝言してくださったとのこと。

話しながら、涙が出、身体が震えた。14,15の頃に、ひどく心をうたれ、ずっと自分の核に棲んでいる幾人かの表現者、その本人と話していることが不思議である。

どんな(地味な)かたちであれ、自分が絵を続けていなければ、話せることもなかったのだろうと思う。

思ったとおり、さっぱりとして正直で、ユーモアもあり、自分の仕事にだけはものすごく厳しい方であった。

お返事をいただけることも諦めていたのに、自分の拙い、心もとない手紙がつうじたのだろうか?まったく信じられない展開だが・・・・自分には、たまーに奇跡(の邂逅)が起こる。

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