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2008年11月

2008年11月23日 (日)

すばる文学賞 受賞パーティー

11月20日

吉田文憲(詩人)の招待状に便乗して、友人と、シュテファンを誘ってすばる文学賞のパーティーへ。目標はただただ帝国ホテルのおいしいビュッフェのみ。文学賞自体には興味ないのだが、シュテファンに普段食べられないようなおいしい日本の魚介類を食べてもらいたかった。

行きの電車の中で、忍者をどう思う?と聞いてみたら、彼は実際は映画なんかと違うのじゃないか、文楽の黒子のような人だったのじゃないか、と言ったのに鋭い知性を感じた。

意気ごんで、会場に着いて、唖然、愕然。パーティーは明日だった。毎年、ボジョレーヌーボーの解禁日にやってたと思い、早合点だった。とにかくどこかでおいしいものを食べようということになり、丸ビルに移動。全員丸ビル初体験である。

丸ビルの蕎麦屋で、シュテファンが行った日光東照宮の話になり、吉田文憲が、鳥居は止まり木であり境界であり、鳥は彼岸と此岸を行き来する、眠り猫はたぶん鳥に呼応する何かだと言い、私はそれを英訳するのにどきどきした。

そのあと、巨大な東京駅をさまよい、駅の中の居酒屋でまたビールを飲む。

ゲッティンゲンのガチョウ姫の伝説の話になり、シュテファンも知らないことをグリムやブロッケン山の話とからめて、英語で質問するのがたいへんだった。皆よく笑った。シュテファンの専門が日本学と同時にアルゴリズムと聞いてびっくり。夏休みには大手広告会社で、複雑なソフトの管理の仕事をしていたそう。9歳の時から16年もPCを勉強していると言った。ドイツに兵役があることも初めて知った。(彼はやや華奢なので免れたそう。)

彼の家はリューネンブルガー・ハイデとい美しい名の荒野にある。ハイデは植物の名、低くて紫の花の草、と言われて、それって、ヒースじゃないの?と聞くと、そう、ヒース!と答えた。

帰りの電車の中で、私はずっとPCもほとんどわからないし、インターネッットにも、携帯電話(持っていない)にも恐怖を感じると言ったら、シュテファンは、そのほうがいい、PCは人を奴隷にする、と言った。私はずっとシャイで、子供の頃は唖のようだった、と言うと、ドイツでもそういう性格の学生が、日本に来たいと思っているんだと言った。

それから彼は、時々、今パンを焼く仕事をしていたほうがよかったと思うときがある、ものを作る仕事、手作業の結果を見られる仕事はあなたを救う、と言った。

11月21日

再びシュテファンを迎えに行く。昨日の質問の答えを調べてくれていた。

メルヒェンは、メイル(手紙、情報)にヒェン(小さな、かわいいの意味で、日本語の「ちゃん」がこれにあたる)を合体させたものだそう。

ドイツ語のハイデ、英語のヒースは、ロシア語でエリカでしょ、と言うと、そう、自分のおばあちゃんの名はエリカだった、と言った。

ニーダーザクセン州は、英語で言うとロウアー・サクセニー、旧東ドイツにもザクセンと言う州があり、ニーダー(低い土地の意)で区別されるとのこと。

きょうはやっとビュッフェにありつけ、シュテファンに海胆(雲丹、海栗)や鮑を英語で説明する。海胆も鮑も生まれて初めてだけど、おいしいと言った。彼は食べ物を写真に撮って、漢字をメモしていた。箸使いもエレガント。ドイツで使ってたの?と聞くと、そう、最初は先をすぼめるのが難しかったけど、2週間毎日練習したらできた、と言う。

身体とストレスの話題になる。

忍者はとてもしなやかだったと思う、だから目立たないでいることができた。力よりもしなやかさのほうがずっと重要でしょう、と言うとそのとおりだと彼は言った。

自分を理解しないだろうと思える人が、しつこく意見してきたとして、あなたならどう対応する?と聞くと彼は、それはよくあるけど、それが自分にとって重要なら議論するが、そうでないなら、やっぱり、そうそのとおり、と言うだけ、と言った。

帰りの電車の中で、「モイン」というのは、ドイツ北部の漁師言葉で「おはよう」の意味だと聞く。(辞書にもなく、長年気になっていた言葉の意味を初めて知る。)

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2008年11月19日 (水)

冨田洋之 可視の身体

11月19日

冨田洋之を見てから胸が騒ぎっぱなし。

performanceとは、実行する、やり遂げると言う意味があり、体操における「演技」にあたる言葉である。今まで、他の表現者がperformanceという言葉を使うとき、悪いイメージしかなく、嫌気がさしていた。

私は、ほとんどの美術展を見に行くことができないし、ほとんどの演劇やダンスも、見に行くことができない。自分にとって、体調が滅茶苦茶になるほどのストレスだからである。私にとって、嫌なものを見ることは死ぬほど、身体的に苦痛であり、そこに付き合ったという自分への憎悪やらルサンチマンやらでおかしくなりそうになるのである。

可視であることに徹底的にこだわるとはどういうことなのか。

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2008年11月18日 (火)

冨田洋之 豊田国際 2日目

11月16日

豊田国際2日目。11時30分くらいに会場に行くと、きのうよりずっと熱気で長蛇の列。すぐ横で写真を撮っている家族が、冨田のお母さんとお兄さんと気づく。

席につき、きょうはずっとオペラグラスで冨田の表情を胸に刻む。アップは体に力を入れないで、いろんな柔軟を少しずつ。床に仰向けに寝て両足を30cmくらいのところで止めたり、本当に全身のあらゆる部分をまんべんなくやる。

冨田が平行棒のところに来る。森泉さんと中瀬選手も一緒に、慎重に銀色の物差しできっちりと幅を調整している。砂糖水、塩水、蜂蜜など一式置かれた場所からボトルをとって、丁寧に塗る。マグネシウムの粉を手につけてから、最後パンパンとマットの上に手をはたくのが印象的だった。

平行棒をつかんで少し心配そうに見上げる、私の大好きな冨田の表情。彼は必ず右目のほうの眉が上がる(左目を少し困ったようにしかめる)。全く晒された生命が匂い立つ。

それから、瞬間のけもの的躍動があり、「象徴なき象徴の神々しさ」(私たちはいかなる神も持たないから)があり、静謐と、冷徹と厳格さの中に混然となったあまりに柔らかい子猫のような命が一気に噴出して、誰もが魂を奪われてしまう。

左のふくらはぎに手術したあとのような長く白い傷痕が見えた。

平行棒も、鉄棒も、吊り輪も、下から見るとひどく巨大だった。怖かった。

今日の彼は凛として張りつめた精神が共振してくるようだった。周りの空気が澄むようだ。

平行棒の慣らしを何回か終え、彼が鉄棒のほうの椅子に座わる。バッグから白いテープを出して指に巻く。それから静かに心を高めるようにプロテクターを手にはめる。画家魂としてはとても平静に見られない魅惑的な仕草。始めはちょっと慣らす程度。最後はコールマン(息が止まりそう)で、後方に身体を回転させる感じでマットに転がる着地。

日頃の練習が全てであり、そのイメージを再確認するための肩慣らしではあるだろうが、それでも本番にピークを合わせるための精神と身体の取扱い、その持っていきかたに非常に興味がある。

何万回、何十万回と練習しようとも、精神と感覚はより高みを目指すだろうし、試練は新たな試練を生むに違いないところで、一瞬一瞬の新しい賭けをどうするのか。その果てしない、計り知れない未知の領域で、冨田は引退を選んだのだが・・・。

二種目目の彼の平行棒まで、一種目目の演技が終了するまで奥で待っている冨田はずっと腕を回転させたり、前屈したりし続けていた。

二種目目の平行棒の選手入場があり、心臓はパンクしそう。鹿島選手が平行棒真横のスタッフブースに移動して、じっと、すごい真顔で冨田の最後の演技を待つ表情に胸を打たれた。目の下に影の隈があるように見えた。

互い違いに進行する女子の床の演技に、私は目をやる余裕があるはずもなく、冨田の表情を追っていた。彼の前の床の演技中、彼は斜め下の宙を見て、じっと動かなかった。ただただ静かに集中している演技直前の姿。彼の演技の番が来て、彼が砂糖水を塗り、白い粉をはたいて立ってから、床の採点が長引き、彼が美しく片手を挙げるまで測定不可能の時が流れた。右肩に黒紫の内出血がいくつもあるのが、生々しくはっきり見えた。

彼の演技については、あまり書けない。ものすごくしゅっと長く延びた足がダイナミックだった。彼のきゅっと食いしばった顔が、なまなましくも強烈に輝いた。世界一美しい倒立に歓声が上がった。異様に張りつめた凝縮した瞬間。どんな言葉も追いつかない凄味のある優美さと迫力。

それから、彼の鉄棒についても、うまく言葉が出ない。正直、落ちたらどうしようと思い、心臓がぎゅっとつかまれるように痛かった。しかし彼は戦慄させるほど晴れやかにやり遂げた。およそ人間らしくない凄さ。帰宅してから、北京よりもさらに難度を上げた構成だったと知り、さらに胸が焦がれた。

引退のセレモニーのとき、冨田は「去年の北京では、生涯味わったことのないような重圧を味わい」と言った。「去年」が間違いであることさえ、私もまた気付かなかった。あまりに凝縮された、あまりに懸命な時を過ごすと、はるかに時が経ったように感じることがある。

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冨田洋之 豊田国際

11月15日

いよいよ豊田国際。

6時過ぎに起き、7時過ぎに家を出、8時過ぎのひかり号に乗る。とにかく緊張している。豊橋で乗り換えて知立へ。知立からの三河線は、ローカルでかわいい電車。先頭に「猿投」と書いてある。11時15分豊田市着。駅から歩く。会場前は数千人並んでいた。

12時会場。チケットのチェックを受けてアリーナに入ると、いきなり床の上に座った冨田が真近にいて、息が詰まる。席は偶然ブロックで、平行棒の真ん前。

自由席を確保した人は食事に行ったりして会場はいたって静か。おもむろに彼が平行棒のほうへ歩いてきたとき、身体が震えた。きょう彼の演技はないが、ゆっくり少しずついろんな柔軟をやって、それから幾度も平行棒の調子を確かめる彼を見ることができた。

平行棒の横の椅子に座る冨田。短パンから出た足がすごく引き締まって細い。背筋が確かにひとりだけ信じられないくらいくるりと盛り上がっていて、だからイスに座って前屈みになると腰から上が短く、ひじをつく位置が他人と違う。他人より太ももがすらりと前に伸びた形に見える。横顔がほんとにきりりとして、しかもあどけない。その姿だけで、明らかに「にんげん」じゃない。

平行棒にぶら下がってからしゅっと両足が前に振れるときの速さ。ものすごい凝縮した生命の力学が振れる。真正面から胸を突き抜かれるれるよう。選手誰もが彼を見ている。その一瞬の肩慣らしだけで彼が、どんなに過酷で緻密な世界に生きているかが知れる。

冨田の2時間のアップを見られたことはあまりに貴重だった。

私はつくりものヤエンターテイメントに興味がない。常に、興味があるのは、ぎりぎりの、確かめようのないところで選択を迫られ、さらされてある生命である。

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2008年11月 9日 (日)

冨田洋之

10月8日

冨田洋之が引退するというニュースを知って、あまりのショックに混乱状態。その後、胃痙攣で吐いたり、急にどっと涙が出たり。だが言葉がでない。

言葉にしたくないと言うべきか。

痛み。全身が重くなり、身動きができない。まだ何も考えられない。

きのう、筑紫哲也が亡くなったのを知ったときもショックだったが。

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2008年11月 6日 (木)

ICU 国際基督教大学

10月4日

Mに案内されて、ICUの中で撮影。

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