絵画 憎悪
1月30日
版下全部を今月中に印刷所に入れなければいけないと、きのう言われ、今朝5時までかかって、「動物を描く」の原稿(絵とキャプションとデザインラフ)を仕上げる。
「素描」(デッサンという言葉は自分にはしっくりこない)は、私にとって、永遠に決定(終結)できないものであり、対象との関係性において、どの断層の瞬間をとっても、素描(の関係性、時間)としかいいようがないものが、変化しながら持続する、その重さから逃れられないから、休むことはできないから苦しい。締切が怖いのは、自分が休まない限り、必ず締切のあとにもっと良いものができる確信があるから、だから激しく焦燥するからである。
「素描」と「絵」(本画)の区分もないから、さらにはっきり言えば、生きることと、他者との関係性そのものと素描の区別がないから、私にとって、だから市村弘正さんが対談のときに言われた、「普通は過剰と衰弱を自分の中で共存させないんだけど、あなたは自分の過剰さに自覚的だし、とくに過剰さの核心部分には「憎悪」があって、過剰さが絶えず溢れ出ている。」という評価はあまりにも慧眼である。
この仕事に集中しだしてから、絶えずひっきりなしに表現と憎悪が私を眠れぬほど駆りたてている。
こちらにとっては、命を懸けるほどシリアスなことが常に他人には笑われてしまうという事態に、幾度吐き気を催しながら他人を憎悪したかしれない。なんでも一瞬で平準化されてしまう。全く共感できない内容の会話が容易くなされ、「・・・って、・・・じゃないですか。」と同意が求められる。私は全然そう思わない、あなたと私の感じ方は全く相容れることがない、と言うべきなのだろうか。
説明してもわからない他人から完全に離れたかった。
自分の身体と気力がずたずたになるくらい、何かに集中すること、その緊迫感と希求のわかる人としかつきあうことはできない。
種村季弘先生のノイエ・ザハリヒカイトと、サガンのテネシー・ウィリアムズとカーソン・マッカラーズに会ったときの思い出と、H・Jの素描家としてのエッセイと、アルトーの「神経の秤」と、自分が市村弘正さんとした対談を読んでいる。
それと、ドイツ語をやり始めた。身体も痛く、ものすごく圧がかかって苛々してどうしようもない時、ドイツ語の複雑な文法を勉強していると、ものすごく楽しい。この浮遊感はなんなのだろうと思うくらい快感である。ドイツ語と英語の単語を覚えているときが一番リラックスできる、と言うと、そんなわけないでしょう、と他人に言われるのがひどく鬱陶しい。
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