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2009年2月

2009年2月28日 (土)

毛利武彦 山湖深秋

2月26日

鶯谷の医院に行ってから東京駅に回り、日本橋の高島屋へ。

「山湖深秋」。毛利先生の作品は、全く体力的な衰えが見えなかった。

何をもって精神性と言うかが常に問題であるが、湖面を表す金箔(青金)の下から透ける絵の具の鈍い光と、さらに箔の上に幾重にも幽かに触れた筆触の痕が、さらには箔のまるで貫入のような、えもいわれぬ繊細なひび割れが、その極めて物質的な稀有さが、まるで無作為のようであることがあまりに私を打った。

毛利武彦の画が(他の画家と違い)歴然としているものは、「技術」「マチエール」という言葉とも、まだずれている気がした。

ただ、、「精神性」という言葉も危険である。「精神性」と言う語は、何かを表しているようで何も言っていない言葉になりかねない。(他の画家にも濫用されかねない。)

毛利武彦の画そのものに、より的確に、よりそうように、言葉を模索していきたい。

そのあと新宿のジュンク堂で、仕事のため美術書を調べる。本屋に来ると、あらゆる表現が溢れていることにすごく疲れる。それにしても、絵はすべてを顕わにするものだとつくづく思う。その人にとって絵が何なのか、その人がどういう志向性で、どれだけ誠実なのか、またどれだけ驕慢なのか、どの程度の思慮なのか、どんな身体をもっているのか、絵は一瞬で顕わにしてしまう。

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2009年2月25日 (水)

毛利武彦のことば

2月25日

21日(土)の夜にいただいた毛利先生の言葉をまとめるのに苦しんでいる。

小品の新作はきょうから1日(月)まで日本橋高島屋の画廊に展示されるそうだ。

求龍堂の「毛利武彦画集」から18年経った。その中の師の言葉のおそろしい厳しさに対し、今の今まで、何も問えずに来た。私の送った師の言葉の抜粋に対し、よくここまでちゃんと読んでいる、とご夫妻で驚かれたそうだが、研ぎ澄まされた言葉は、本人も忘れた頃に他者の中で生きる。

雪や霙が中を透過して沈澱するのは、融けないほどに冷たい水。

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2009年2月17日 (火)

ねこの足の指と肉球の数 単子葉類

2月16日

ねこの足の指は、前が5本、後ろが4本。肉球は、前が掌球(1)、指球(5)、手根球(1)、計7つ。後ろが足底球(1)、趾球(4)、計5つ。

単子葉類(平行脈)の植物は、花弁が3の倍数が多い(ユリ、チューリップなど)。双子葉類(網状脈)の植物は、花弁が5、または4の倍数が多い(サクラ、リンゴ、ウメ、アブラナなど)。

ユリやチューリップは、外側の3枚の花被片は萼。花が開いて数日経つと、つるつるていた雄蕊が崩れて花粉が出てくる。花粉が落ちてから、3つに分かれた雌しべが割れて頭中が出てくる。

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2009年2月10日 (火)

枯れ花

2月8日

風が冷たい日。朝から頭と肩と胃が痛くて集中できない、と思ったら夕方ついに発熱。6時くらいから熱急上昇に伴い、胃がでんぐりかえって激しく嘔吐。動けなくなり横になる。9時くらいになんとか改源を飲んで寝る。

2月9日

朝、昼と改源とセルベックスとビオフェルミンを飲んで寝ている。午後2時くらいから仕事したが、苦しくて造形的アイデイアが出ない。ただ見て描いているだけ。夕方6時を過ぎると吐き気に悩まされる。

2月10日

朝から描いているが、「場」がつかめない(小さくまとめられない)。胃酸が上がってきて苦しい。熱は下がったと思うが、とにかく吐き気が辛い。

私は1枚の原稿を描くのに、10枚以上描いてその中から一枚選ぶやり方でしかできない。解放された中でとにかく何通りもやってみて、新しく生まれてくるものを見る。最初から構成ということはほとんどしない。今、見ているものから線の流れや組み合わせ、リズムや空間、全てをもらう。これできょう、いいものができれば幸せな誕生日、いいものが描けなかったら最悪の誕生日。

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2009年2月 8日 (日)

薊 立ち枯れ 野川

2月7日

風が無い暖かい日だというので、薊の立ち枯れを捜しに野川に出発。武蔵境から西武多摩湖線でひと駅。自然観察園の中に、数年前の12月に確かに薊の立ち枯れがあったが、刈られていなければいいのだが。

野川はやはり相当つるつるに刈り込まれていた。日差しのあたる斜面にはもうイヌフグリの花や、背の低いハルノノゲシがポツポツ咲いていた。

だめもとで、まったく雑草の見えない自然観察園に入る。絶望的な気持ちだったが、樹の足元に無造作に捨てられていた刈り採られた背の高い立ち枯れの草の中に、カサカサに乾いた薊のミイラを発見!1m以上もある麗しい薊がこんなふうに刈られて捨てられていることに複雑な思いがするが、阿佐ヶ谷住宅の草のように、几帳面にゴミ袋に入れられて迅速に処分されていなくて良かった。

他にも、繊細なシソ科の立ち枯れ、紫苑のようなキク科の類、少しずつ拾って、大沢のほうへと歩を進めた。山葵田のところには花梨の実が山ほど落ちていて、その上に梅がそろそろ満開。大沢緑地では、野性的な月見草の立ち枯れと、小さなヒメジョオンや蔓の類を採集。紙袋にいっぱいで、もう持ちきれないほど。

さて、11日の昼までに、立ち枯れの草の絵を描かなければならないのだが、風邪気味なのだろうか、このところずっと胃腸痛と頭痛と筋肉痛で、セルベックスとビオフェルミンとタイレノールとレキソタンを飲みながらなんとか頑張っている。

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2009年2月 6日 (金)

素描の言葉 梅 春の最初の日

2月4日

シュテファンの手(鉛筆の持ち方、鉛筆の削り方)の撮影。

このところずっと、本の末尾に載せる素描についての言葉を考えていて、相当全身に圧がかかった状態が続いていた。何に反発し、何を憎悪して、何を(絵にかかわらずとも)するのか。それをどう文章で書くかを考えると体中が傷んだ。月曜の朝、徹夜して原稿を出したあと、腸に穴があいたような疼痛で、ふとんから起き上がれなくなった。

あんまり神経が疲れていたので、シュテファンに会うのが怖いくらい緊張していた。けれど実際に目の前に現れた彼は、陽春の日のように柔らかく朗らかだったので、私もつられてずいぶん笑った。

我が最愛の中川幸夫氏の書を見せて、読める?と聞くと彼は大抵読めた。梅はドイツにある?と聞くと、梅は、プラムと訳されているけど、正しくは、ジャパニーズ・アプリコーゼだと思う、と言った。確かに、梅は李より杏のほうに葉も実もそっくりである。ドイツにはアプリコーゼはあるけど、梅は見たことない、と言った。彼は本当に漢字が大好きで、紙を渡すと、まるで初原の喜びで字を書いてくれる。

我が師、毛利武彦の肖像を見て、シュテファンは、sincereという表現を使った。川の水と海水が混じり合うところを描いた絵を見ながら、彼は、ドイツでは川の水のことを「甘い水」と呼ぶのだと言った。

ゼルブストフェアシュテントリヒカイト(自明性)という言葉を出して、私は自明性の表現を芸術表現として認めない、そのような表現を見てしまうとひどくストレスを感じる、と言おうとしたのに、英語で言うとどうなる?と聞いてしまったら、彼が、「友達が困っていたら自分はいつも助けるっていうこと・・・」と言ったので、笑ってしまってそれ以上の話ができなくなった。彼が言ったのは「自明」であって、「自明性」とは違うのだが・・・。

また九鬼神伝流のプリントの服を着ていたので、きのうは節分て言って、デヴィル アウト、フォーチュン インの日だよ、豆ぶつけられるよ、と教えた。だから、今日は春の最初の日。シュテファンは食べたことないから試してみる、と言って節分豆を一袋持って帰った。

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