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2009年12月

2009年12月31日 (木)

アズールとアスマール / ソンタグ / アルトー

12月31日

最近は朝6時近くに寝る生活。

アズールとアスマール(アニメ)を見て、アラベスクの緻密な模様に惹かれ、生理的欲求として、細密に描きたくなって、面相一本で描き込んでいた。ある法則を持ちながら、個体差と時間の切断のはかなさを持つ植物の絡みを、ただ細かく描きこんで、肉体的、物質的快感に酔ってから、一方では壁のようにベタに(ニュアンスを付けずに)潰す。

ここでの白は、純白でなく、橙と灰を帯びた逆光の白。黒は、漆黒ではなく、反射光の紫と水色の混じった柔和な黒。

ソンタグの「アルトーへのアプローチ」の次に「写真論」を読んでいる。

ダイアン・アーバスは、「醜く」「奇怪な」人たち、「犠牲者や不運なもの」を撮ったが、「事故や戦争や飢饉や政治的の犠牲者のように、おそらく自分で苦しんでいることを知っているような苦悩者」は「除外」した。「アーバスが1971年に自殺した」事実は、「彼女の作品は誠実なものであって覗き見趣味ではなく、またいたわりのあるものであって冷たいものではないことを保証しているように見える。」

全ての、「心情の電化を維持」しない自己顕示欲だけの芸術行為、「情緒とか感覚の不感症を患った人たち」の、他者(人間以外も含む)の苦痛に対する異常な無神経さ(麻痺)と、口先だけの芸術的、または政治的、倫理的身振りが不快でたまらない。

「見ることの倫理」。「なにを目撃する権利があるのか」。

最近は映像を多く見ている。ソンタグが書いていたジャック・スミスの「燃え上がる生き物」を見て、意外とエロティークでないので、びっくりした。その時代では、センセーショナルだったのかもしれない。この映画は・・・私にとって(すごく面白くもないが)嫌な感じの映像ではない。

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2009年12月24日 (木)

Susan Sontag / Antonin Artaud

12月24日

ずっとブログを書けなかった。ブログの修正しなければと思うところも、未だ修正できていないまま、一年が終わってしまいそう。

「浅薄な人間に限って、自分は外見によって判断しないなどと言う。世界の神秘は目に見えぬものではなく、眼に見えるもののなかにある。   ――オスカー・ワイルド、ある手紙より」(「反解釈」のプロローグ)

Susan Sontagの「反解釈」を、ここ2週間くらい、ずっと、毎日読んでいた。市村弘正さんが、私と話すときに、必ず言及されていたので、(だいぶ遅くなってしまったが、)買ってよんだのである。想像していたよりはるかに読みやすかった。まさに、自分がいつも、ほとんど24時間考えていること、ほとんど24時間、それについていらいらしたり、息苦しくなっている問題についての、言語化の実践がそこにあった。

「反動的で、でしゃばりで、臆病で、抑圧的な」「解釈家」(言葉で商売している人)に収奪されたあらゆる経験が蘇ってきて、身体がかあっと熱くなる。

実在感のある経験を持てない人間、他の生命と深い関わりを持てない人間、五感が死んでいて、何を見ても何も感じていないくせに瞬時に言葉にすりかえて自己保全をはかる人間、直接的な官能のなんたるかを知りもしないくせに、すぐに「映画の」あるいは「文学の」「歴史の」「文脈」で語ることで、相手を支配してくる人間、狡猾に用語を使い、言語の持つ曖昧な性格を利用して巧みにディスコミニュケーションをつくり、自分の身だけは守ろうとする人間、彼らの言葉は常に巧妙に、「遺棄された」側のことについて語る。が、実際はありとあらゆる場面で「遺棄された」側の生命、身体、経験、あるいは「証言」を収奪する。

今は、Sontagの、「アルトーへのアプローチ」を読んでいる。読みながら、まさに身体的に、おかしくなってしまうことがしょっちゅうある。怒りで、胃や肩がガリガリになって、落ち着かないのである。怒りとは、アルトーへの共感と同時に、私の全身を貫いてくる、アルトーを収奪する(アルトーとは対極の)人間たちへの怒りである。

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2009年12月15日 (火)

沢渡朔 Kinky /  Rose oneil キューピー

12月13日

沢渡朔写真展「Kinky」のイヴェント 沢渡朔×白石かずこ対談へ行く。

http://www.bld-gallery.jp/exhibition/091202sawatarihajime.html

60年代の写真。新書館の寺山修司の本の表紙などで見ていたが、まとめて本物を見られたのは初めてで、とても良かった。

沢渡さんは、痩せて、以前よりさらに若く、かっこよくなっていた。

そのあと、松屋銀座で、ローズ・オニールのキューピー展を見る。

最近のキャラもののQPは大嫌いだが、以前からローズ・オニールの原画を見てみたいと思っていた。彼女は1874年生まれ。画力は本物である。このころの画家は、ものとしっかり結びついた「眼」の能力が半端でない。当時の漫画や挿絵の原画が、すごく大きいので驚いた。ペンで、柔らかく抑揚のあるタッチで、すごく大きく描いて、縮小して印刷していた。

うちにも、ふたり、QPがいるのである。

ひとりは、1920年代にドイツで誕生した、ローズ・オニールのビスクQPに面影が似ている(しかし、ちょっとしかめっ面をしている)アンティークのQP(ロンドンのアンティーク市で買った)。

もうひとりは、私が生まれたときに親が買ってくれたQP。

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うちの満員の飾り棚の中の一部。BONZOと、ねこの楽隊がお気に入りです。

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2009年12月 3日 (木)

花輪和一来訪

11月30日

夕方、何回か携帯から電話があり、うちに携帯からかけてくるような人は、ほとんどいないので、誰かと思ったら、花輪さんだった。ほとんど使わないが、一応ケイタイを持っていたのだと言う。

寺山修司の秘書をしていた田中未知さん(オランダ在住)から電話があって、久し振りに東京で逢いたい,と言われて、きのう上京し、きょう、田中未知さんと逢っていたいたのだと言う。明日の夕方、もう帰ると言う。

12月1日

昼12時。花輪和一来訪。2年ぶりくらいか。ドイツのフィルムなど見せる。D.B(ドイツの鉄道)の窓から撮ったフィルム、特に他の列車が行き交うシーンが面白い、と言う。ドイツの列車、かっこいいじゃない、と。

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柿食べる?と言うと、きゅっ、きゅっと洗って、皮ごと齧る。皮は渋くないよ、と言う。Stefanも桃を皮ごと食べてたっけ。自然とつながっている人、動物的生命力が輝いている人はかっこいいと思う。

羽田まで送っていくことにし、その道すがら、フィルムを撮ることにした。歩きながら話しながら撮った。駅近くでスパゲティを食べてビールを飲んだ。

電車の中から、お茶の水の鉄橋が近づいた時、「ここらへんから、こっちの方角から撮って!」と大きな声で、周りの人が振り向くのもかまわずに言うので、楽しくて笑ってしまった。ホームで、元祖テツの、電車の撮り方講義を活き活きとやってくれるので、その説明の様子を撮った。

スケッチブックには、昔の日本の錠前のスケッチがあった。言葉よりも、お互いの絵を見て、瞬間的に通じる人は、本当に貴重である。

羽田の待合室で、寺山修司の写真のバッジをくれた。

今度は、スケッチに行って、気に入りの店で食事できるくらい、もっと余裕を持って来てね、と約束。

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