Susan Sontag / Antonin Artaud
12月24日
ずっとブログを書けなかった。ブログの修正しなければと思うところも、未だ修正できていないまま、一年が終わってしまいそう。
「浅薄な人間に限って、自分は外見によって判断しないなどと言う。世界の神秘は目に見えぬものではなく、眼に見えるもののなかにある。 ――オスカー・ワイルド、ある手紙より」(「反解釈」のプロローグ)
Susan Sontagの「反解釈」を、ここ2週間くらい、ずっと、毎日読んでいた。市村弘正さんが、私と話すときに、必ず言及されていたので、(だいぶ遅くなってしまったが、)買ってよんだのである。想像していたよりはるかに読みやすかった。まさに、自分がいつも、ほとんど24時間考えていること、ほとんど24時間、それについていらいらしたり、息苦しくなっている問題についての、言語化の実践がそこにあった。
「反動的で、でしゃばりで、臆病で、抑圧的な」「解釈家」(言葉で商売している人)に収奪されたあらゆる経験が蘇ってきて、身体がかあっと熱くなる。
実在感のある経験を持てない人間、他の生命と深い関わりを持てない人間、五感が死んでいて、何を見ても何も感じていないくせに瞬時に言葉にすりかえて自己保全をはかる人間、直接的な官能のなんたるかを知りもしないくせに、すぐに「映画の」あるいは「文学の」「歴史の」「文脈」で語ることで、相手を支配してくる人間、狡猾に用語を使い、言語の持つ曖昧な性格を利用して巧みにディスコミニュケーションをつくり、自分の身だけは守ろうとする人間、彼らの言葉は常に巧妙に、「遺棄された」側のことについて語る。が、実際はありとあらゆる場面で「遺棄された」側の生命、身体、経験、あるいは「証言」を収奪する。
今は、Sontagの、「アルトーへのアプローチ」を読んでいる。読みながら、まさに身体的に、おかしくなってしまうことがしょっちゅうある。怒りで、胃や肩がガリガリになって、落ち着かないのである。怒りとは、アルトーへの共感と同時に、私の全身を貫いてくる、アルトーを収奪する(アルトーとは対極の)人間たちへの怒りである。
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