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2010年3月23日 (火)

2ちゃんねる  Twitter  写真 ことば 芸術

3月22日

Twitterを始めてみたが、うまく使う方法がよくわからない。写真に関して言えば、ブログよりも少し人に見てもらえるのかな?と思う。

日本の有名人のTwitterをいくつかのぞいてみたが、少し読んだだけで、すごく怖かった・・・こんなに、日常のおしゃべりがわあっと入ってきたら、私には、もう、まともにものを見ることができなくなってしまう。日常会話が怖いのだ。静謐な状態でないと何も描けないし、書けない。ごく親しい友人と話すときも、笑い話もするが、ほとんど本質的な話(時間を濃密にするための会話)しかしない。それだったら何時間でも夢中で話せる。

有名人で無い人の中に、素敵な人がいるのだと思うが、まだ、フォローするのが怖い。

2ちゃんねるをたまに見ている。見るようになったのはごく最近である。PCを持っていないころ、掲示板とはとても恐ろしいところだ、と聞いていたのだが、実際に見てみたら、そうは思えなかった。ひとつの話題にしぼっているので見やすいし、本当にいろんな人がいるが、思ったよりバーチャルなところではなかった。むしろ逆に生々しい感覚を感じることのほうが多い。ここに語らずにはいられなかたんだな、と思える(共感する)ことも多い。こういうのは必要な場所だと思う。玉石混交で、ひどい内容のカキコミももちろんあるけど、たまに、すごく言語センスの良い人がいて、ウマイ!!と手を叩いて笑ってしまうことがある。

最近で一番笑ったのは、「缶ポックリか」の一連のスレである。(すばらしい!)

ハイアートに詳しかったり、現代思想や現代芸術をたくさん知ってる人のほうが、センスがいいのかと言えば、全然そんなことはない。そんなヒエラルキーはない。直接会った人の中で、知識を弄ぶ悪臭芬芬たる人も少なくなくいた。とくとくと知識を語るけれど実質的には全く他者への共感能力のない人、軽薄、無神経、無感覚、しかも退屈な人、そういうのと比較してしまうせいなのか、むしろ2ちゃん(の一部)が面白いし、ほっとする。

情報(知識)として知っていることと、その人の存在自体に芸術的才能(芸術を見る才能も含めて)があるかどうか、は全く違うことである。そしてまた、知っている、理解しているとはどういうことか(いったいどういう身体状態のことなのか)、がつねに問われなければならないと思う。

情報(知識)を集めて、系統立てて組み立てて、自分は最先端の芸術をこんなに良くわかっている、と自慢げに語る人がいる。そして、本物の、のっぴきならない剥きだしの生(必然的に芸術にうちこまなければ生きる道がない生)から、権力欲にまかせて、いいように、無感覚に、収奪する。

蛇足だが「初心者殺し」と書いてあったメンヘラ系の板を、おそるおそる、ちらっと覗いてみたが、思ったよりずっと、まともだった。たまたまなのだろうか、なかなか素敵なつぶやきがぽつっと書いてあったので、感心してしまった。

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