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2010年4月18日 (日)

毛利武彦

4月13日

ここ10年以上、この日が来るのを恐れて、恐れて、夏の猛暑の頃、冬の雪の頃、いや、いつでも、24時間、ふと思いついては、胃が捻じれるような痛みを感じ、眼の前が暗くなったり、吐いたり、泣いたりして来た。

それなのに、13日の夕方、美大の同級生から電話が来た瞬間、なぜか、そのことを、思いつかなかった。ああ、Oさん、どうしたの?と私は明るく応えた。

最大にして最愛の師、唯一、私が震えるほど畏れる画家、精魂込めた仕事を見てもらいたいこの世でただひとりの人、毛利武彦が亡くなった。

えっ!?なにも、なにも、わからなかった。わからない。信じられない、と私はただ繰り返した。Oさんも、僕もまだ、実感がない、と言った。

最後の、本当に最後の、ほんとうにすごい先生がいなくなってしまったね、と二人で言った。(もう、この世に誰もいない・・・・・)

この(これから来るであろう)異様なほどの苦しみは、毛利武彦が、たまたま自分の先生だったからとか、自分をかわいがってくれたからではなく、毛利武彦が、唯一無二の、最後の稀有な、「画家」であると思うからである。

毛利武彦のような稀有な画家はどこにもいない。毛利武彦のどんな亜流が出ようとも。

もう、誰も、この世に心底敬愛できる画家がいない、ひとりもいない、という事実が、重たすぎて、真っ暗な金属の空が自分の真上からのしかかって身体を潰してくる感覚に、耐えられるのか、これから、どうなってしまうのか、わからない。わからない、としか言いようがない・・・

ほとんど虚無につかまってしまいそうだった。

もう、ほとんど絵をやめている美大時代からのほんとうの親友にだけ、電話をした。それ以外の人にはひとことも、なにも言いたくもなかった。

さなえちゃんは、まず、最初に、「ふっこ(私の呼び名)、だいじょうぶ?」と言った。

「ずっと、ずっと、何年も、このことを心配して苦しんで来たんでしょ。」

「うん。ずっと・・・・・毎日、体がひどく痛かったよ。」と答えた。

それからは、もう嗚咽してしまって、「うまくしゃべれなくてごめん・・・」と言いながら、なんとか式場の説明をした。さなえちゃんは、クリーニング店でパートを始めたので、行けるかわからないけれど・・・・どうか、悲しみすぎないで、と言った。

4月15日

さなえちゃんからA4の郵便物が来ていたので驚いた。封を開けると、昔(私ががんセンターから退院して彼女の家に遊びに行った頃)さなえちゃんが描いてくれた私のスケッチと、昔から変わらない優しいていねいな文字の手紙がはいっていた。

「毛利先生は情の深いとてもいい先生でした。ふっこがあまりにも悲しんで体調を崩すのではないかと心配で、慰めにはならないかもしれませんが昔ふっこのことを描かせていただいたスケッチがででてきましたのでコピーを送らせていただきます。ふっこのように学生時代と変わらない人は珍しいですね。

毛利先生はふっこの才能を認め、ふっこの好きな詩人の名前がわかる程ふっこの深いところを理解していらした先生です。」・・・・・・号泣・・・・

4月16日

通夜。

どこでどう電車を乗り換えたのかもわからなかった。長いエスカレーターで幾度も吐きそうになった。呼吸がおかしい。口で息をしているが、時々酸素不足でくらくらする。

呆けたように、震えながら増上寺にはいった。たくさんの人々の中、席について、自分が力なく悲しんでいるのか、同席しているたくさんの人たちに、言明できない何か怒りのような感情を抱いているのかわからなかった・・・・・

そのとき、「ふっこ。」という声がななめ後ろから聞こえた。さなえちゃんだった。「うそ・・・!来てくれたんだ。」そのときばかりは素直に泣き崩れてしまった。私がどうなってしまうか心配だったから、クリーニングのパートを早番に替えて来てくれた、という。

私は、帰る前に、棺の中の先生の顔をじっと、全て焼き付けるように見た。

趣味の良い深い苔色のブレザー、グレーのシャツ、艶消しの渋いネクタイ。

巻き貝の内側のようなはっきりとした痩せた耳のかたち。白くすべらかな肌。落ちくぼんだ美しい眼がしら。すらりとした余分な肉のない縦長の鼻。彫刻的な、きわめて美しい、老人らしくない若々しい清潔な相貌。ほんとうに、見惚れるほどの美男である。

ほんとうに死んでいるのだろうか?

こんなに美しい晩年があるだろうか。

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