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2010年4月 3日 (土)

ジョルジョ・アガンベン アウシュビッツの残りのもの――アルシーヴと証人

4月3日

ついにジョルジョ・アガンベンの一冊をまずは最後まで読み終えた。感涙・・・・素晴らしい。こんなすごい本を書いた人が同時代に生きていると思っただけで、鳥肌が立った。これからずっと、繰り返し何十回も読むと思う。とにかく、今は興奮してしまっている。

これは「証言」とはなにか、「証言」するものとはどういうものか、という問いの本である。

さらに言えば、いったいなにが、「証言を成り立たせている語ることの不可能性と可能性のあいだのつながりを」「断ち切っている」のか、という問いの本でもある。

ここ十年以上、ずっと、言葉と身体の関係に悩み、苦しみ、知識人のシンポジウムやら、イヴェントやらに行くと、必ず自分だけが激しい身体的苦痛で、全身汗だくになってしまい、周りを見回しても、誰一人苦しんでいる人はいないのに、それがどういうことなのか言明できず、本当に苦しんだ。

また、自分のドキュメンタリー映画を撮られた(被写体となった)時も、「言表」の可能性について、また、「証言」と「収奪」について、内臓がちぎれるくらいに苦しんだ。

そういう全てのことについて、応答してくれている本であり、私にとっては、一生に読む本のうちに、おそらくベスト5にはいるくらいの本であるような気がする。

この本は、フーコーやバンヴェニストなどの論を参照しつつ、彼らが「文や命題ではなく、まさに言表されるものを明確に対象とし」、「言説(ディスクール)のテクストではなく、それの生起の事実そのものを問題にした」ところから、「主体、自我、意識のようなものが、言表されるものに、つまりは言語活動の純粋な生起になおも一致できるのか、という問いを果敢に提起」したことを論じている。

とりあえず、今はここまでしかことばにならない。

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