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2010年4月29日 (木)

沢渡朔  セリーヌ 

4月28日

雨。四谷三丁目の街路に薄紫のライラックが咲いていた。雨に打たれて匂った。

沢渡朔さんに写真を見てもらいに行く。

とにかくシュテファンには、錆、廃墟がぴったり似会っている、と言われた。そして、私の作品として撮るなら、もっと、がんがん私の世界のほうに引き入れてやったほうがいい、と。言われていることは理解できるが、けれどシュテファンはシロウトだから、私個人としてはつくりすぎることをやりたくないのだ。

むしろ、相手がプロのモデルだったら、たとえばQIで会ったオスカープロモーションのK君になら、こちらの気持ちが痛まずにどんどん演出の注文をつけることもできると思うが。

強い演出は、記憶にならない。「絵」にもならない「絵」は私にとってもっと身体的な、体温とデキモノのようなものだから。

画家なんだから、もっとどんどん絵をやったほうがいいんじゃないの、と沢渡さんに言われて、描くのはいいんですけど、部屋の中に溜まっていくのが困るんで、絵なんてどんどん増えてもなんにもならないんじゃないかって思う時がよくあって…と言ったら、「ええ?!なんにもならないなんてことはないんじゃない?!いいものは死んだあとも残るんだしさ。」と真面目な調子で言われた。

確かに、毛利先生が亡くなられてから、これから絵を描いても、いったい誰が見てくれるのだろうか、という悲観ばかりが渦巻いている。この想念はどうにもならない。それで、どうしようもなく息が切れる。

絵はデキモノみたいなもので出てくるときには勝手にでてくるんですよ、と言ったら。そりゃあいいね、自然にってことだからね、と言われた。

Dsc03528 沢渡朔さん

4月27日

クリニックで星状神経ブロック注射を打ってもらって、横になって10分くらいしたら、首を締め付けられる蟇蛙のような声が勝手に出て来て、気がつくと、咽喉仏の下のあたりがぎゅっと詰まって口から息が吸えない。慌てて看護師さんを呼んだが、咽喉がしまって声が出ないで涙ぽろぽろ。反回神経のほうに麻酔が流れて、横隔膜が動かなくなったということだった。それから15分くらい、休んでいたらやっとおさまった。

4月25日

23日からずっとセリーヌの「夜の果てへの旅」と「なしくずしの死」を読んでいる。

「完全な敗北とは、要するに、忘れ去ること、とりわけ自分をくたばらせたものを忘れ去ること、人間どもがどこまで意地悪か最後まで気づかずにあの世へ去っちまうことだ。棺桶に片足を突っ込んだときには、じたばたしてみたところで始まらない、だけど水に流すのもいけない。何もかも逐一報告することだ、人間どもの中に見つけ出した悪辣きわまる一面を、でなくちゃ死んでも死にきれるものじゃない。それが果たせれば、一生は無駄じゃなかったというものだ。」                   ――セリーヌ 「夜の果てへの旅」

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