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2010年5月

2010年5月30日 (日)

Twitter/ Flickr

5月30日

TwitterとFlickrの使い方がいまだによくわからない。

Twitterで、私をフォローしてくださっている方に、心より感謝しています。

この場で、私をフォローしてくださった方に言いたいことを書きます。いつも申し訳ないと思っているのですが、私からフォローできない理由は、多くの皆さまのつぶやきが、まともに、というより過剰に、身体に、すべて入って来てしまうので、私の精神(脳なのか?)と身体が、たくさんの言葉にうまく対応しきれないからです。私は、社会に生きることに慣れている大人のように、いろんなことを「うまく受け流す」ということができない性質、というか身体なのです。

言葉の意味、重み、そのひとがどういう気持ちで、その言葉を口にしたのかを、どうしても考えてしまう。

フォローした人のつぶやきが気になって、それに対して、常に、その都度、真摯に反応しなくてはならない、というより、私の身体が反射的にそうなってしまうので、たぶん、心身が持たないと思われるからです。

Twitterとは、たまたま、その瞬間に眼にとまったつぶやきに反応していればよい、というものなのでしょうか?本当に、正直、それ(やりかた)が、わからない。

正直、私には、何千人もの人とフォローしあっている人のやり方というか、心身の構造が、よくわからないのです。うまく対応できる能力が私にあるとは思えないのです。スピードについていけないし、私の心身に深くくいこみすぎるのです。

私から今現在フォローしている人は、友人と、マンソンと、よくわからない外人さん(英語がよくわからないのですが、向こうからフォローされたので、英語の勉強のために試しにフォローしてみた)だけです。

気ままにフォローしてみて、フォローを止めたら、相手が傷つくのではないか、と思ってしまうのですが、そういうことは余計な心配なのでしょうか。

今まで、私の人間関係は、多数の人とではなく、しかし、とても(いわく言葉で説明不可能なほどに)濃密なものでした。そういうふうにしか、つきあえないのです。

Twitterをやってみて、まったく予想だにできなかった見知らぬかたに、自分の絵や文に興味をもっていただけることもあるんだ、ということを知って、ほんとうにありがたく思いました。あまりそういう可能性があるとは自分で思っていなかったのです。

きょう初めて、Twitterで自分あてのメッセージの一覧を見るやりかたを知りました。もし、Twtterを通じて、私にメッセージを送ってくださるかたがあれば、自分にできるかぎり真摯にお返事させていただきます。それでもお返事できない場合は、私が真剣に考えすぎて言葉がでてこないのだということをどうかご理解ください。

ときどき、気になる人に自分からメッセージを送りたい衝動にかられます。しかし、できないのです。気軽になにかをできないのです。たぶん、精神的過敏症なのだと思います。無責任にやってはいけない、という気持ちと単に(異常に)シャイな性格が邪魔してできません。

もっと気軽に、いろんな人と関わってみたい、という気持ちは強く持っていますが、できないのです。自閉したいと思ったことはありません。けれど、言葉で通じるようになるまで、たくさんの時間を共にしないと理解し合えないような気がして、しりごみしてしまうのです。

個展のときなどに、人前に出て、いろんな人に会って、いろんな(そのひとの利益のために利用される)思惑に巻き込まれて、くたくたになって、対人恐怖が強くなってしまったこともあります。

自分の作品、絵や文については、自分の生命を賭けた仕事だと思っています。それについては、対人恐怖を超えて、「他者」に見ていただきたいという激しい欲求を捨てることはできません。

私のブログのアドレスを他のサイトにコピーして載せてくれたかた、またリツイートしてくださったかた、本当に心より感謝します。

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2010年5月26日 (水)

毛利武彦

5月26日

毛利先生が亡くなってから、ずっと、心身ともに壊れている。もともと身体のどこにも痛みを感じない日は、一年通して一日もないのだが…それにしてもこの一か月は、真に苦しんだ。

毛利先生が認めてくれたから、あらゆる困難に耐えられた。生きている画家で、日本で私が信頼する最高の、唯一の画家と呼べるひと、最高の芸術家が、この世からいなくなってしまった。

正直、画家と呼ばれるひとで、私が真のおつきあいをさせていただいていたのは、毛利先生と奥様だけだ。私は画家なのに画家の友人や仲間がいない。私の親友は「絵」を描く人たちではない。(まあ、花輪和一は画家かもしれないが。)

追悼なんてできない。一生追悼なんてできずに、毛利先生を思い続けるのだと思う。

初めて毛利武彦に会った十八歳のとき、その容貌と雰囲気に驚いた。落ち窪んだ思索的な眼。底の底まで見通してしまうような眼の光。

本質的なことをずばり、なんの説明もなしに言うかすれた声。

幼かった私は、それでも直感的に悟った。毛利武彦は、他の「画家」と呼ばれているひととは違う、異質のひとなのだと。

その雰囲気だけで、魂を奪われるのに充分だった

私の初めての個展のときの毛利先生。右は奥様。

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師 毛利武彦 これは5年前の個展のとき。

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毛利先生との記憶の文章を書いている。やはり書けないこともたくさんある。建前でない本音を、ぽろっと言ってくださっていたからだ。先生の立場を考えたら、書けない。けれど、その率直さを心から信頼していた。

怖い先生だったと思う。ごまかしは通用しなかった。先生に対して畏れを抱かずに、平気で絵を描ける後輩たちが気持ち悪かった。

今、追憶の文章を書きながら、発作的に涙が出て、身体が狂ってしまう。けれど、このままいくしかないのだ。たぶん、私の精神は私の身体ほどにやわじゃない。

壊れたなら壊れたまま、狂ったなら狂ったまま、このまま、自分にできる仕事をしていく。

去年の夏、先生のアトリエにうかがって、先生のスケッチブックを見せていただいたときの写真。このときが師にお目にかかった最後だった。

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2010年5月14日 (金)

ブラックパロット チューリップ 素描 「デッサンの基本」重版 第6刷り

5月14日

「デッサンの基本」重版 第6刷りの連絡が来ました。

表紙だけではわからないと思うので、詳しい内容の紹介を以前に書いていましたので、よろしかったら……

http://anti-lion.no-blog.jp/blog/2009/07/post_70bd.html

http://anti-lion.no-blog.jp/blog/2009/07/post_070d.html

私個人としての素描。一時期、ブラックパロット(ブラックリリーと表示している花屋もあった)というチューリップに狂っていた。

黒い花で、パロット系の中でもちょっとごつごつしていて、六角形がシャープな、とびきり神秘的な、大人っぽいチューリップである。(すべてクリックすると大きくなります)

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花弁の一枚が緑の葉に変形しているもの。しかし、もともと本来は花弁6枚で、真上から見ると内側の3枚がやや幅ひろく、外側の3枚はシャープな三角形をつくっている。

この花は7枚目の花弁と葉の混じったようなものがあるので、気にいって花屋で買った。

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黒紫のはなびらに緑の部分が浸入しているのが美しいと思う。

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2010年5月10日 (月)

素描 水彩 デッサン アネモネ

5月10日

自分のスケッチブックを見返して、鉛筆の素描と水彩の多さに自分で疲れる。人様に見せてもしょうがないようなのもたくさんあるが、もう少しだけUPしておく。

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アネモネ・モナークという花弁が細い筋のようになっているちょっと変わった種類のあねもねに、一時期魅せられ、狂ったように描いていたことがあった。(上の絵の中の右下の。)

下の絵の種類がアネモネ・モナーク。とにかく衰微の運動を描きたいのである。時間の経過とともに、あちらもこちらの身体も変化する。眼も変わる。舞踏は一瞬も固定しない。

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これは、色の記憶のために描いたもの。白い花弁に赤いふちどりの花は、ラナンキュラス。

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アネモネ・モナークのアップ。花弁(ほんとは萼片)のふちが浅緑で可憐。

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これは、アネモネ・モナークの枯れたところ。

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これは、アネモネ・セント・ブリジットだったと思う。うねり、よじれ、曲線と輪郭の美しさから、劇的な線の流れ、自分の中で勝手に描くのではできない、「私」が持っているのではない、植物の持つ脅威的な線やポーズの発見に痺れて、毎日狂ったように描いていた。

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2010年5月 9日 (日)

素描 水彩 デッサン アネモネ

5月9日

あねもね。ギリシャ語のアネモスからくる。アドニスが死んで流した血から咲いた花。ドイツでは「風の薔薇」と呼ばれる。英語では「風の花」。

プロトアネモニンという毒を含む。

アネモネの素描も数百枚ある。これはわりとかっちりと描いた素描。(クリックすると大きくなります)

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これは、エロティークなしどけない様を見ようとして描いた。色は感覚的につけた。(クリックすると大きくなります)

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これは奇形のアネモネ。はなびら(萼片)が葉に変化している。(クリックすると大きくなります)

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これは、衰微しつつあるアネモネ。こういう状態の変化の運動にものすごく色気を感じる。これは自分としてはそうとう気にいっている絵。(クリックすると大きくなります)

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きょうは母の日だったと夜、買い物に出て初めて気づく。その前に訪問介護の医師と長く電話で話した。結局、薬をやっても、やらなくても、病気の症状は出る、その相関関係は、つきっきりで見ないとわからない、と言われた。その名が電話では、個々の症状への対応に、まったくアドヴァイスをもらえなかったので、ものすごく私には耐えがたいものだった。

誰が、どの道を選ぶのか。

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2010年5月 8日 (土)

絵 素描 デッサン 鬱金香

5月8日

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きのうに引き続き、ヴェルデパロット。(クリックすると大きくなります)

1mも引きをとれないゴミゴミした部屋で、蛍光灯のみ(普通どおりの状態)で撮ってみたので、暗い。

この奇妙で個性的なチューリップの魔的な魅力を所有したかった。チューリップだけでも何百枚かは素描している。いつもだいたいパロット系で、思いきり奇妙なものしか描きたくない。

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次のは、枯れたチューリップの運動を身体的に感受するつもりで描いたもの。とにかく衰微しつつあるものの、一瞬一瞬の運動と変化に惹かれる。(クリックすると大きくなります)

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大野一雄先生が個展にいらしてくださったとき、やはり個展のチラシを見て、舞踏に見えた、というようなことをおっしゃってくださり、衰微する鬱金香の絵の前で踊ってくださった。

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これも衰微していくチューリップのシリーズ。(クリックすると大きくなります)

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2010年5月 7日 (金)

絵 素描 スケッチ デッサン 

5月7日

けっこう自分で気にいっている絵(自分の作品)で、写真撮りをしていないものがほとんどなので、良いと思うものだけは、ちゃんと選んで整理すべきなのだが、なかなかできず、ぐちゃぐちゃになっている。

きのう、写真を撮ってあったのにずっと忘れていた昔の作品を10年以上経って思い出したのでUPしておきます。

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鬱金香(1999) 中川幸夫さんに初めて見ていただいたとき、「花(チューリップ)をよく見てる。」と言っていただいた作品。(ええと…クリックするとなぜか画像が粗いです)

あんまり植物に興味のない人には、頭の中でつくった花のように見えるかもしれないが、これは枯れたチューリップをそのまま、写生したものである。

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アネモネの素描。葉がはなびら(実は萼片)に変形しているもの、葉が曲線的なうねりや、乱れを感じさせるものを選んで買う。これは「デッサンの基本」に載せなかったもの。(クリックすると大きくなります)

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これは「デッサンの基本」に載せたもの。(色を見てほしい)ヴェルデ(緑)パロットチューリップ。(クリックすると大きくなります)

もともとウイルス性の病気を利用してこのような変形チューリップが作られたらしいが、この花自体が線描の筆跡とリズムそのものに感じられる。これを買うとき、花屋の若い男の店員に、「きのうここに出てたグリーンのパロットチューリップ、もうありませんか?」と訊いたら「ああ、あの怪獣みたいなやつ?」と言われた。

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2010年5月 4日 (火)

若林奮 ゆりの樹 Liriodendron tulipifera

5月4日

若林奮が好きだった(と思う)樹、ゆりの樹の花咲く季節がやってきた。

2002年豊田市美術館での若林奮展に行ったとき、「所有・雰囲気・振動――ゆりの樹による集中的な作業」(1984)というのを見た。これはゆりの樹の葉を一枚一枚そのままなぞって、銅板をその葉のかたちに切り抜いたものを、大きい葉から順にきれいに重ねて束ねて、四角い木の彫刻の穴に収めてある。

それから「「大気中の緑色に属するもの」Ⅱ(1986)という作品の大きな銅板のかたすみにLiriodendron tulipiferaと刻んであったとき、胸が苦しいほど震えた。

ユリノキの学名はリリオデンドロン チューリッピフィラである。「チューップみたいな花を持つユリの樹」と、学名にふたつ花の名がはいっている。(dendoronはギリシャ語で樹の意味)

チューリップみたいな形の花に3枚の萼片があり、花弁は6枚で、黄緑色にオレンジ色のすじまだらが入っている。

葉は半纏のようなかたちなのでハンテンボクとも呼ばれる。葉の裂が偶数なのである。なんとも不思議な植物。

――若林奮へのオマージュ―― (2004年図書新聞に福山知佐子が書いた文章から抜粋)

  共約不可能、 個人の領域、 「概念」によらないこと、 「真実の根拠」

  「考察」よりも「事実」を重視、 

  「自分の現在と最初期の接近を考え、その間にある歴史を不要としたい」 

  人間中心主義から最も遠い場所

                                                     二〇〇二年二月三日、神宮前ナディッフで行われた前田英樹氏との対談におけるI・Wの姿を、私は忘れることができない。

その対談が始まる前、長方形の机の一端の席に座り肘をついたI・Wは、テーブルの脚のひずみを激しく感受し、ポケットから鍵の束を取り出した。ほとんど見分けがつかなく思えるような六、七枚の鍵の微妙な薄さの違いを一枚ずつ順番に実に精妙な仕草で机の脚と床のわずかな隙間に差し入れ、そのわずかな隙き間に最も適応してすっと机を黙らせる一枚を探っていた。

そのときのI・Wの顔は険しいとも厳しいとも神経質なのとも少し違う、人が限りなく細やかな神経と経験によって、その手技でしか成し得ない奇跡的な手仕事の運動の一瞬のただ中にいる時の、緊張と充溢と、少し困ったように見える顔だった。

最前列にいた私は、その手つきと最終的に選ばれた鍵の、その差し入れ方の微妙さに目が釘づけになった。その鍵は先端の一方の角を斜めに、鍵全体の五分の二ほどの深さだけ差し入れてあった。

もしその一枚の鍵がなかったら、I・Wはその席の不安定さに耐えてそこに留まることは到底できなかっただろう。――I・Wほどもののわずかな傾斜、それを支える地面のバランス、空間の充満、歪み、ずれ、そういったものとの振動を身体そのものの生きる場として「実感」的に感受していた人間はいないだろうから。

まず「個人、自分自身という個人を元にしている、ということから始めなければいけない。」(「対論・彫刻空間――物質と思考」若林奮×前田英樹)とI・Wは語っている。

他の多くの人と共通しているとは思えないような、自分自身の鮮烈な記憶、あるものへのこだわり、興味、くり返し想像してしまうこと、強く自分を捉えて離さない何か、その「ほとんど個人の領域」と思える経験を「貯えて行く過程で何かに気づく」そうやって「自分の内側と外側の関係を結びつけていく」それが彫刻の方向に向かうのはそのあとのことだという。

ごくごく「個人的な」経験から、物質、空間、距離、温度、物量、傾斜などについての意識が生まれ、思考は深まり、迷い、揺れ動き、それらのことに深く感応するようになる。その共約不可能な「個人的な」ことから始めない限り、その重荷を負わない限り、物質や空間について身をもって知ることにはならないだろうし、そうしなければ「この世界の実在の根底(前田英樹)を開くことはできないだろう。――それがI・Wの「直感的な経験」の教えてくれる信念であり、唯一の方法であった。

I・Wのようにかくも思考と同時に生成する触覚的な経験、視覚的経験の「実感」を大事にした人はいなかった。そして見えていない範囲のことを見たことにしない、触覚的に把握できる範囲を限定すること、その限定される範囲をこそ探すことにかくも徹底的にこだわった人はいなかったと思う。I・Wほど「全体の中にある一部分を考える」ことによって「概念」ではない「自然」、その「全体」にちかづこうとした人はいなかった。自分がわかる範囲を限定するということ、それは彫刻家にとっての「真実の根拠」の問題である――とI・Wは述べている。

「概念」によらないこと、このことを現在(いま)どれくらいの人が実行でこるだろうか、それはほとんど知覚の不可能性の領域を横切っていくようなことだろう。私たちは自らの眼で見たこともないことを知っているような気になってしまう。言葉に置き換え、言葉という解読格子を使って対象物を理解したり解釈したりすることに慣れている私達は、自らの身体をその中に――たとえば洞窟の暗闇の中に置いてみることなく、自らは安全なところにいて何かをすぐわかったことにしてしまう。

――中略――

人間が最初に絵を描いた時のこと、その時の状況(―中略―)絵や彫刻の成り立ちの時と現在(いま)と継続しているものについて考える。それをさらに過激化し、徹底的に考えるためにI・Wはあえて「自分の現在と最初期の接近を考え、その間にある歴史を不要にしたい」と書いている。

この言葉の重さを深く受けととめねばならない。

若林奮が一貫してやってきたことは「人間も自然の一部である」ということ、「生命は人間だけに代表されるものではない」ということ―――

それをある意味で人間中心主義からは最も遠い場所で、人間の世界の外に投げ出されてある物象と身体の倫理と気象に則して厳密に思考し、それにあるかたちを与えようとしたことだ。いま若林作品を眼の前にする時――それは生成する振動尺の(それが深い生命原理に支えられてあるような)ほとんど奇跡の手技のように思えるのである。

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