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2010年7月

2010年7月18日 (日)

大野一雄の会

7月17日

「ブラヴォー!大野一雄の会」。大野先生を思い、感謝を捧げる会。

6月にこの会のことを伺ってから、ずっと緊張しながらこの日を待っていた。この日、自分の身体がどういうふうになるのか、心配もあり……

3時すぎに家を出、5時前に着いた。水辺のホール。写真、ポスター、衣装の展示。今さらながら、衣装が奔放で妖艶で素晴らしい。今にも生きて踊り出しそうだ。

展示を見ているとき、まだ、大野一雄先生が亡くなったような気がしなかった。いつもの展示を見ているようだった。だから、懸念していたように、どうしようもなく悲しみにふさがれてしまうことはなかった。

献花のための鮮やかなガーベラを渡されて、祭壇の前に進む。

(右側席から見た祭壇)真ん中に山百合。手前に黄色の百合。紅色の百合。

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(左側席から見た祭壇) 祭壇の上のドレスは深い牡丹色のシフォンの上に海老茶色のシフォンを幾重にも重ねた鮮やかなスカート。(アルヘンチーナ頌の衣装)。

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献花をするとき、中央の写真を見て、少し心が動揺した。大野一雄先生は今どこにいるのだろうか? 

献花の時の花は、いつも、白は嫌だと思う。この日、渡されたのも、(白いのもあったのに)私のはマゼンタピンクの花だったから、ほっとして、渡してくれた人に感謝した。

そのあと、また会場を回っていろいろな展示や、弔電などを見ていた。(ちなみに、私の弔電も約30の展示弔電の中に選ばれました。)

笠井叡さんの奥様、久子さんと久しぶりにお会いでき、お話しできた。お元気そうで良かった。

6時近くなって、席に座り、緊張してきた。(6時から献杯があるのです。)左側の前の方の席に座っていたら、すぐ前に大野慶人さんが控えていらして、慶人さんの黒いスーツを見ると、胸が痛くなる感じがした。

6時になり、細江英公さんのお言葉「大野先生に向けて」があり、そのあと、慶人さんの舞踏(大野一雄先生の姿の指人形を踊らせる)があった。

1曲目はマヘリア・ジャクソンの「I blieve」。2曲目はプレスリーの「好きにならずにいられない」。(この歌は慶人さんのお兄さんが歌われた。)くしくも、私の個展のときに踊ってくださったのと同じ曲目であった。思いが溢れてきた。慶人さんの張りつめた真剣なまなざし。細かく震えながら命を躍動させる指人形。つーっと涙が流れた。終わった時、会場から、ブラボー!の声があがった。すごい拍手。

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アルヘンチーナ頌、第一部のデヴィーヌ(ジャン・ジュネの、糞尿の海にはまって死んだ老男娼)の衣装。

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大野一雄先生ご愛用の椅子。椅子の上に座椅子が乗っていた。

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日本伝統文化振興財団のディレクター(ポール・グリフィスの『ジョン・ケージの音楽』の翻訳者でもいらっしゃる)堀内宏公さんとも初めてお会いした。感じのよいかただった。

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会も、もう終わりに近づき、慶人さんと、スタッフのかたにご挨拶に行った。名前を言うと、スタッフのかたが、驚いたように、お渡しするものがあるので、ちょっと待っててください、と言われた。なんだろうと思って受付の方に行くと、『大野一雄 稽古の言葉』の本を出されて、ページをめくると、本扉の裏に大野一雄先生の私宛のサインがしてあった。

「これが見つかったので…」と言われて、もう耐えきれずに泣いてしまった。

1997年の本である。いつ書いてくださったのか。わからない。ありがたく、何か消えないもの、生命としてずっとつながっていかざるを得ないものを感じた。

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それから、慶人さんのところに、もう一度お礼に行った。「一雄先生は、長生きされたと思うんですけど、それでも、好きすぎて、まだ信じられません……慶人先生、どうか長生きしてください。本当にありがとうございました。」とやっと言って、恥ずかしいけれども、このときは我慢できずに嗚咽してしまい、慶人さんの肩に顔をうずめるような感じになってしまった。慶人さんは「ありがとう。ありがとう。」と噛みしめるような感じで言ってくださった。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってしまった。

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泣いた顔の記念写真。アルヘンチーナ頌のポスターと。

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NYKホールの入口に咲いていた朱の鬼百合。祭壇の上に飾ってあった山百合をいただいて帰った。家に着いたらすぐに氷水に活けた。いつまでもずっと百合の香りが消えなかった。(写真は全てクリックすると大きくなります)

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2010年7月15日 (木)

三善晃 / 梔子 紫陽花

7月15日

毛利武彦先生がお好きだった三善晃を聞いている。ピアノ・ソナタを聞いていると気持ちが落ち着く。レクイエムを聞いていると気持ちが乱れる。(レクイエムは、私には歌声が強烈で戦争のイメージが視覚的に訴えてきすぎてしまうから。)

三善晃の戦争体験、毛利先生の戦争体験を想像したせいか、大切なひとたちが亡くなってしまったことをまだ受け止められない、どうしたらいいのかわからない不安で胃や肩が痛く、妙に緊張が続いているせいか、怖い夢を見て汗を掻いた。私の見る怖い夢は半端でなく怖い。怖すぎてここに書けないくらいに。

言葉であったとしてもそこからはみ出すもの(たとえば絵や彫刻、たとえば動植物との交接)の価値を書こうとして、そのために言語についての本を読んでいて、ずっと強いストレスを感じているせいかもしれない。

梔子の花は、白く生々しい花が少なくなり、ほとんどが枝についたまま化石化してきた。それぞれに捻じれて不定形に固まって茶色くなり、艶のある濃緑の葉の上に点在する茶色の花を美しいと思う。

白くプロペラのように整っていたときは強烈な甘い匂いでたくさんの葉虫を寄せ、気だるい夕暮れに厚みのある花弁が黄ばみ、張りつめていた力が抜けてくると、梅雨が明ける。

紫陽花は乾いて青紫色が緑色に変わってきた。

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2010年7月11日 (日)

毛利武彦 / 若林奮

7月10日

毛利武彦展を見に(2回目)練馬区立美術館に行く。雨のほうが気持ちが落ち着くのだが暑い日。

昔の素描(柳)の紙の端の文字。「於 不忍池 1,5 根津時代 六日 凍ラズ 浮藤島 池心と遊び暉燦々たり」…おそらく戦前(18歳から22歳)の素描。

《広場の鳩》……やはり鳩よりも鳩の羽根が動かす空気のほうを描いている。

《残雪》…… 黒緑青の粗い岩絵の具の使いかた、箔のちぎりかたが詩的に感じる。

《冬日》…… 井の頭公園の池に見える。桜の幹と枝は凍てついて厳しいフォルムを見せているのに、霞がかかっている。すべてが灰色がかった寒色の景色。冬の日なのにボートの数がやけに多い。この世のものではない風景。

《サウロの回心》……落下。それを驚きもせず静かに見つめる左の黒い馬。赤い地。馬の股のすきまを削っていく赤銅の山の稜線。落ちる人の背を横切る(支える)水平の黒い水。落ちる人の足は光っている。脇の空へすべって遠ざかる水金の鳩。

5時くらいに毛利先生のお嬢様みはるさんがいらっしゃって、声をかけてくださった。お会いできて嬉しかった。

毛利先生が亡くなったことを、正直、まだしっかり受け止められない。考えてしまうと相当心身がおかしくなりそうなのだが、先生のご家族に会うと、先生が生きておられるような、ありがたい気持ちになる。

興奮したせいか、前回忘れてきた傘をまた、持って帰るのを忘れてしまった。傘立ての鍵をずっと持っている(すみません)。

7月9日

若林奮についての文章を毎日苦しみながら書いている。うらわ美術館の展示のあとの、報告カタログに載っている若林さんの発言を幾度も噛みしめるように読んでいる。それから「現代の眼」や川村記念美術館のカタログなどなど……。

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2010年7月 6日 (火)

若林奮 / 宮西計三展

7月5日

宮西計三展の最終日(『夜想』のギャラリー、「パラボリカ・ビス」)に行って来る。

久しぶりに宮西計三と会ったが、一時期より元気そうで、歯も補修されていてよかった。

昔、私があげたホルベインの透明水彩をまだ使ってくれていた。あいかわらずの鉛筆と丸ペンとインクと、たまに透明水彩のみの画材。生活もいろいろたいへんだが、ライヴ(「Onna」というバンド)をするのが息抜きと言う。

旧いつきあいであり、「頭上に花をいただく物語」から「エステル」の頃、懇意にしていた。私は彼の絵を描く動作の一部始終を見ていたので、その気の遠くなるような作業の時間を貫いてぶれない最初の、制作の前のイメージの強度と、その欲求のパッシオンに打たれ、本物(死語)の絵描き魂を見ていたものだった。

「バルザムとエーテル」(まんが)の後半のほうで、線の筆勢がなくなって、線の流れに必然性が無くなってきて、ぐねぐね、ちまちまして来た(と私には見える)時、どうなることかと心配したが、また流線の勢いを持ちなおして来たようだ。

私が持っている原画。(写真の精度が悪いですが、クリックしてみてください。全部「点描」で描いてあります。)

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点描で時間をかけたから価値があるわけではなく、そのパッシオンの源の「眼」がすごい(と感じる)から惹かれるのであり、宮西計三の絵には、思いつきのアバンギャルドや、「ちょっとした真実味や、たいして意味のない発見」ではなかった。堅牢にしてほとばしるものがあった。描かなくては生きていけない本当に少数の人間だったのだ。

線が非常にのびやかだった頃の宮西計三作品。(クリックしてみてください。)

「よろこびふるえる」(「少年時代」けいせい出版)より。

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私が望むのは宮西計三の「線」が死なないこと。

「おとぎの空」(1985)(「頭上に花をいただく物語」フロッグ社)より。 白と黒のバランスも美しい。(写真の精度悪いですがどうぞクリックしてみてください。)

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ちなみに、私たちがつくっている同人誌「あんちりおん」の1号も宮西計三の表紙で、中には「宮西計三の言葉抄」が載っています。(一部1000円。残部僅少。もし興味のあるかたはTwitterで連絡ください。)

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夜、また若林奮の資料を読んでいた。若林奮は難解だと言われていて、誰もが「わからない」のに評価されている。私は本人を知っているので、人物の魅力に惹かれすぎていて、そこをさっぱりと差し引いて作品の魅力だけを言葉にするのは、なかなかに困難である。

作品自体は、そのタイトルから具象物(たとえばデイジーという花)を連想するのは、普通に考えて無理だと思う。けれど、自分の身体の「個人的体験」から、若林さんの身体の「個人的体験」を想像することはできるような気がする。そこから「彫刻」に到る道筋を想像することは可能な気がする。しかし、それはまったく一般的には共有されないことだと思う。

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2010年7月 4日 (日)

若林奮 Dog Field

7月3日

多摩美術大学美術館、若林奮 Dog Field展に行く。

http://www.tamabi.ac.jp/museum/exhibition/default.htm

鍵岡正謹さん(岡山県立美術館長)のお話「思索する犬と彫刻家」を聞く。

いくつかの若林作品について、「さっぱりわからない」という感想も含めて、誠実なお話だったと思う。鍵岡さんのお名前だけは知っていたが直接講演を聞くのは初めてだったが、感じのよい方だと感じた。

若林奮さんのドローイングには、いつも刺激を受ける。

「わかる」とは簡単に言えない難解さを持ちながら、なお共感するものがあって、見飽きることがない。

なぜ惹かれるのか、そのことをなんとか言葉にしたくて、若林さんの過去に書いたものや、対談の発言を毎日読んでいる。

若林さんの言葉について、一回や二回読んだだけでは、それがどういうことなのか、どういう状況で、どんな身体の状態で、どんなふうに感じた体験なのか、想像するのは容易くない。

誰かの「言葉」を読む。人それぞれに読み方は違う。その「言葉」が生まれた「体験」「身体」を想像するには、想像する側の「身体」が、それぞれのやりかたで感覚「体験」を積むことで変わって来る。「感覚」と「感情」も切り離すことはできない。

「触覚的」になにかを捉えるために「視覚的」な感覚をきっかけにする。もちろん、音や香りや温度や光や風や湿度やいろいろな要素が同時に関わり、そのときの身体の状態すべてが刻々と変化しているのだから、感じたことを「言葉」にするのは困難である。

その困難さに立ち向かうとき、そこで言葉が崩壊するのは必然だとしても、それでもいかにいんちきくさいことをしないか、をいつも考えている(と感じられる)人が好きである。(たとえば、セリーヌの「嘘」は、「いんちき」ではない。)

私が猛烈にストレスを感じるのは、何も感じていない(と、私には感じられる)のに、上手な「言葉」だけがすらすら口をついて出てくるような、不誠実な、饒舌な「言葉」なのである。「言葉」だけが「主体」を伴わずにしゃべり続ける。「言葉」が「身体」を偽装するとき、たくさんの動物たちが惨殺される。

若林さんが一貫してしゃべっていたことを確かめたくて、うらわ美術館のときの資料や昔の図録などを引っ張り出して見ていたら明け方になっていた。

興奮した勢いでワールドカップサッカーの試合を見た。アルゼンチンかわいそう…スペインは応援していたので勝って嬉しかった。

7月2日

今頃、雨の中に、白い小さな柑橘の花が咲いている。夏蜜柑も文旦も朱欒も5月に強く匂って、一週間くらいで散っていたので、不思議だなあと思ったら、金柑の花である。

柑橘の花は、その果実と異なって、まったく酸味のない、きれいな香りである。はごろもジャスミンよりも上品な感じ。どこかの王女が愛したというネロリ(たしかビターオレンジの花の香水)もこんな匂いなのだろうか。

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