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2010年7月 6日 (火)

若林奮 / 宮西計三展

7月5日

宮西計三展の最終日(『夜想』のギャラリー、「パラボリカ・ビス」)に行って来る。

久しぶりに宮西計三と会ったが、一時期より元気そうで、歯も補修されていてよかった。

昔、私があげたホルベインの透明水彩をまだ使ってくれていた。あいかわらずの鉛筆と丸ペンとインクと、たまに透明水彩のみの画材。生活もいろいろたいへんだが、ライヴ(「Onna」というバンド)をするのが息抜きと言う。

旧いつきあいであり、「頭上に花をいただく物語」から「エステル」の頃、懇意にしていた。私は彼の絵を描く動作の一部始終を見ていたので、その気の遠くなるような作業の時間を貫いてぶれない最初の、制作の前のイメージの強度と、その欲求のパッシオンに打たれ、本物(死語)の絵描き魂を見ていたものだった。

「バルザムとエーテル」(まんが)の後半のほうで、線の筆勢がなくなって、線の流れに必然性が無くなってきて、ぐねぐね、ちまちまして来た(と私には見える)時、どうなることかと心配したが、また流線の勢いを持ちなおして来たようだ。

私が持っている原画。(写真の精度が悪いですが、クリックしてみてください。全部「点描」で描いてあります。)

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点描で時間をかけたから価値があるわけではなく、そのパッシオンの源の「眼」がすごい(と感じる)から惹かれるのであり、宮西計三の絵には、思いつきのアバンギャルドや、「ちょっとした真実味や、たいして意味のない発見」ではなかった。堅牢にしてほとばしるものがあった。描かなくては生きていけない本当に少数の人間だったのだ。

線が非常にのびやかだった頃の宮西計三作品。(クリックしてみてください。)

「よろこびふるえる」(「少年時代」けいせい出版)より。

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私が望むのは宮西計三の「線」が死なないこと。

「おとぎの空」(1985)(「頭上に花をいただく物語」フロッグ社)より。 白と黒のバランスも美しい。(写真の精度悪いですがどうぞクリックしてみてください。)

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ちなみに、私たちがつくっている同人誌「あんちりおん」の1号も宮西計三の表紙で、中には「宮西計三の言葉抄」が載っています。(一部1000円。残部僅少。もし興味のあるかたはTwitterで連絡ください。)

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夜、また若林奮の資料を読んでいた。若林奮は難解だと言われていて、誰もが「わからない」のに評価されている。私は本人を知っているので、人物の魅力に惹かれすぎていて、そこをさっぱりと差し引いて作品の魅力だけを言葉にするのは、なかなかに困難である。

作品自体は、そのタイトルから具象物(たとえばデイジーという花)を連想するのは、普通に考えて無理だと思う。けれど、自分の身体の「個人的体験」から、若林さんの身体の「個人的体験」を想像することはできるような気がする。そこから「彫刻」に到る道筋を想像することは可能な気がする。しかし、それはまったく一般的には共有されないことだと思う。

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