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2010年8月11日 (水)

大野一雄 池田淑人 / ロジェ・ジルベール=ルコント

8月10日

谷昌親さんにいただいた「ロジェ・ジルベール=ルコント 虚無へ誘う風」をやっと読み終えた。

1907-1944 彼が大野一雄先生よりも1年あとに生まれたと思うと不思議な感じである。

「わたしは書いたり描いたりする権利をけっして見者にしか認めはしないだろう。すなわち、完璧に、そして意識的に絶望していて、「啓示=革命」の名を受け取った者にしか、あらゆるものに反抗すべく訓練され、承諾とは無縁の人間、出口を探しても、人類という限界のなかには見出すべくもないと確実に知っている人間にしか。」

友人たちの言葉・・・「妥協なき純粋さを示す、明るく澄んだ青い眼をしていて、口は官能的で、すらりと鼻筋が通り、両性具有を思わせる細くなめらかな顔つきで、身体はひょろりとしていた」「自然にウェーヴがかかった髪をしていて、ロマン派的な外観がなんとも印象深い」「天才少年というロマン派的観念から思い浮かべる顔をしていたのは彼だけ」「謎めいた微笑」「並外れた話し方」「傍から見ていてもすばらしかった」

「才能にも容姿にも恵まれた天使のような存在」が「自分の誕生の手前」の世界に住み、麻薬で早世するまで。

ロジェ・ジルベール・ルコントが言った「全体」は、若林奮が言っていた「全体」のことだと思う。ロジェ・ジルベール・ルコントの「虚無」は、なにもない、なにも感じない空無とは違う。「全体」に達する可能性ということ。人間の閾を出るということ。

「芸術のための芸術」ではなく、「全体のための芸術」。「芸術は目的ではないし、目的にはなりえないが、それは芸術と呼べるものがただひとつしかないからだ。」

5年前に貸していた大野一雄先生の本を返してくれたJ(故郷に帰っている)から長い近況のメールが来た。当時学生で、173cm49kgの華奢で敏感で頭の回転の速い美少年だったが、強く元気に生きているようで嬉しかった。

8月9日

小雨模様。早起きして母を東新宿のMへ送る。帰りに新宿駅まで歩く途中、偶然「小泉八雲記念公園」と書かれた小さな門を発見。オリーヴの樹が植えられているくねっとした細い道を入ると、金色のマリーゴールドや薄紫と白のルリマツリが雑草とともに咲き乱れ、廃園の趣があった。その中に野良猫が3匹。ホームレスのおじさんが数名。まひるまの天気雨。

ジュンク堂で、「大野一雄 百年の舞踏」と「大野一雄 年代記 1906-2010」を買う。

チェロを抱いた池田淑人(叔父さん)の写真が載っていた。「中学時代に渡米。19年間アメリカを放浪し、詩作とチェロと絵画を学ぶ。帰国後は画業に専念。氏の存在は一雄に大きな影響を与えた」とある。その池田淑人さんの資料をいただいたことに胸がつまる。

8月8日

日曜美術館の宮崎進を見ていた。後半、霧島アートの森の紹介があり、森の中に点在する彫刻をさめた眼で見ていたら、いきなり若林奮先生の作品が出て来た。茶色く錆びた立方体が映った瞬間、録画ボタンを押したら、若林先生本人が出てきたので心臓がばくばくした。あの、なんともいえない、静かにくぐもったように響く声。あの深さ。

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