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2010年10月

2010年10月31日 (日)

2010ベルリン覚書3

ベルリン覚書3

10月2日(土)

ギャラリーの人を訪ねる日で朝から緊張している。5時の約束。

直通の地下鉄の駅が直ぐ近くにあるはずなので、前もって確認に行くが、地図上にある場所に、いくら探してもない。近くにいた人に訊くと、今工事中で、駅そのものがない、と言われる。ショック!バスで次の駅まで行って、地下鉄に乗り換える。

ギャラリーに行って最初のあいさつ。自分はシャイなので、ひどく緊張していて心臓が痛い、と言うと、ギャラリストは自分もそうだ、と言った。彼はオスト(旧東)の生まれと言った。

ファイルを見て彼は「コマーシャルアートとリアルアートは全く違うものだ。」と言った。

この言い方は私の気にいった。

彼は私の経歴を丁寧に見て、「日本で商業主義のギャラリーでやったことがあるか」と聞いた。私は「まったくない。」と答えた。事実、自分からギャラリストにプレゼンしたことが一度もない。

彼は、「なぜ、ドイツのコマーシャルアートのギャラリーに来たのか」と訊いた。

「私の、ものすごく愛した画家がドイツ人だったから、そしてそれを初めて日本に紹介した種村季弘先生をものすごく愛していたから(ふたりとも亡くなってしまったけれど)。それからコマーシャルアートがなぜコマーシャルアートになり得るかを知りたい(その仕組みが私にはまったくわからない)から。それに、ベルリンはとても好きだ、崩れた壁と落書きと野原がある。まだ東京よりずっと自由な美しさがある。」と答えた。

彼は私の好きな人たち、影響を受けた作家の名前を紙に書いてくれと言った。「Sはふたつ?」と訊きながらその場でPCで調べていた。彼はほとんど笑わず、ぶっきらぼうだけれど、ちゃんと話に集中してくれていると感じた。

「どうしてこんなに暗い絵を描くの?」と訊かれた時、「あっははは・・・」と笑ってしまった。彼は「なぜこの質問で笑うの?」と真顔で訊いてきた。「私が死ぬほど好きな人はみんな死んでしまった。彼らに捧げる気持ちで描き、おのずとこういう絵になるのです。それによって私はまた少し生きられるのです。もし、かわいくてポップなキャラクターの絵を見ても、イライラするだけで、なんら自分の生きる意欲を刺激してくれない。」と私は答えた。

彼は早稲田大学での私の講演の内容を知りたがった。「抽象的なこと?」と彼は訊いた。「全く抽象的なことではない。私は植物の変容を肌で感じ、眼に焼き付けるために、幾度も野原に通う。自分の身体の外にあって絶えず変化しつづけるものに自分は興味がある。人々が全く興味がない忘れられたもの、捨てられたものに自分は夢中になるのだ。」と答えた。

「特に盛りを過ぎた花の変容――死の時間にすごく興味がある。少しずつ動いているものを絵に書くことに興味がある。私は存在ではなく生成を描きたいのです。まだ見えていないものと、すでに見えなくなってしまったものとのあいだで。」と言った。

彼は「あなたの性格はとてもアーティステイックで興味深い。僕を刺激してくれる。」と言った。

結局4時間以上話していた。

10時近くに、帰りにひとりでアパート近くのイタリアンレストランに寄った。

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2010年10月30日 (土)

2010ベルリン覚書2

<ベルリン覚書2>

9月30日(木)

はじめに降り立った電車の駅まで歩いてみる。700~800mくらい。BIOマーケットをいくつか見つける。無農薬野菜が安い。肉を食べない人向けのキッシュなども売っている。

植物をよく見ている。ダチュラ、シロザ、タンポポ、ハルノノゲシ、ハキダメギク、日本とほとんど同じ形状。センニンソウは日本よりだいぶ蔓も太く、髭もごわごわしていて野性的。野葡萄に似るがヤブカラシにも似ている日本でみたことのない蔓植物が真っ赤に紅葉しているのをよく見かける。

昨日の筋肉痛と疲れがどっと出て、不規則な時間にきれぎれに寝てしまう。

10月1日(金)

家の近所を歩いて写真を撮る。古い建物の上の落書き。ポスターを何度も剥がしては貼った跡の、ちぎれた紙の偶然の組み合わせの美しさに夢中になる。

誰かが何かを意図して描いたのではないもの、雨風にさらされて人間的な目的からは遠くなってしまった痕跡が、面白くてしかたない。それをフレーミングによって色と線のバランスで切り取る。私は平面の絵としてそれらを見ている。そこにはマチエールも感じられる。

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コルヴィッツプレイスのほうに歩いて行ったら、樹の上で樹の実をかじっているリスがいた。子供に「何を見てるの?」と聞かれたので「アイヒヘルンヒェン。」と言ったが通じなかった。「スクウァーレル。」と言ったが、その子には見えないようだった。

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古い給水塔。ナチス時代には地下が拷問室になっていた、と本に書いてあった。

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公園で船の形の遊具のマストの上に乗って子供が遊んでいた。

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わんこのためのお座布団(??)より、入口ふさいで寝るほうが気持ちいいのかな。

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2010年10月29日 (金)

絵画  2010ベルリン覚書1

10月28日

明け方までかかって2点仕上げる。昼すぎ、ぎりぎりに、下半分の絵具の重さが足りないと感じたので、即、粗めの黒を垂らす。

11時過ぎに電話で予約できたので、2時半に日本橋で写真撮影。反射と証明について、カメラマンさんに突っ込んだ質問をする。少しカメラの写り込みがあったほうが、マットすぎずにきれいに光の反射が出るとのこと。

3時45分新宿。5時半巣鴨。ひどい雨の飛沫で、絵がしけらないか心配になる。

とにかく一つの大きな締切は終わった。熱と吐き気も落ち着いてきた。

少しずつベルリンで撮った写真をアップしていきたいと思います。

<ベルリン覚書1> 

9月29日(水)朝ベルリンに出発。夕方3時半頃デンマークに着く。乗り継ぎまでの4時間、免税店も見ず、飲み物も飲まず、ただ雲を見ていた。重々しくて劇的な雲の移り変わる様を。

カストラップ空港。地平線ぎりぎりまで垂れこめた雲。芋虫のような貨物の車。

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飛び立つときには夕闇が降りて来ていた。空港の誘導灯がメランコリックに眼の奥に入って来た。

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雲の上に出たら、雲ぎりぎりの柘榴色とカナリア色とトルコ石色が溶けたような夕日の色に胸を打たれた。

ベルリン空港に夜9時半過ぎに着いてから、荷物がなかなか出て来ず、ドイツ語であっちに行け、いやあっちに行け、といわれてカメラとヴィデオとPCを背負ったまま、いろいろまわされてクタクタになる。最後は、おまわりさんに外の地下の倉庫に連れて行かれた。予定より45分くらい遅れてしまう。

空港からバス。真っ暗で外が見えない。バスを降りて電車に乗り換える。駅の階段が雨で濡れていて荷物を運ぶのがたいへん。4つ目の駅で降りる。寒い。7度くらいの感じ。真っ暗。明りが少ない。タクシーも見えない。計6,7人に住所を訊きながら行く。石畳がでこぼこでスーツケースが引っかかって速く進めない。

部屋のブザーの名前が良く見えなかったので、アパートの門の前で通りがかった人にたのみこんで携帯で大家さんに電話してもらう。電話代を払うと言ったが、いい、と言われた。

夜11時過ぎに、必死でアパートにたどりつく。

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