« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010年11月

2010年11月30日 (火)

国立科学博物館分館研究館

11月29日

母を迎えに百人町に行く。高田馬場が近いが、大久保でJRを降り、歩いてみた。

まぶしい晴天。大久保通りから垂直に小道を進む。韓国料理店の連なるところを抜けると、テニスコート。それから国立博物館分館研究所の横に出ると、古い建物の隣に、蔦の絡まった古い桜の木が何本もあり、茜色の落ち葉が美しかった。幹が4本にも根幹から分かれている公孫樹の巨樹があって、葉はまだ落葉せず、山吹色に染まっていた。見上げると午前の日差しが眩しかった。

カラスが何か豆のさやのようなものを大事にくわえていたので、じっと観察していたら、近くで見るとウインナーソーセージだった。どこから取って来たのだろうか。

私の足で12分くらいで、百人町のKに着く。

母に古い桜の木のきれいな紅葉を見せたかった。きょう、あたたかくて空が真っ青だから、少し歩いてみる?」と訊くと歩きたい、と母が言った。ここ数年、母は足元が不自由なため、電車に乗っていないのだが、大久保から電車とバスで帰る冒険をしてみることにする。

荷物を背負って、母を抱きかかえるようにして歩いた。何かあって、母が転倒したとき、私がしっかり支えられるか自信がないのだが、今を逃すともう寒くなって、紅葉も見られないと思ったので。

国立博物館分館研究所の横に来て、巨大な公孫樹の木を指さすと、母はすごく大きいね、と言って見上げていた。それから桜の茜や臙脂や緋色の落ち葉の中から、特に目だってきれいなものを拾っていた。

そこから7,8分で大久保に着いた。駅の階段が不安だったが、なんとかうまくいった。新宿からバス。家に着く前に、十二社の大公孫樹(乳銀杏)を見た。家について食事をさせてから、私は新宿3丁目に出て、世界堂で新しいキャンバスとジェッソとメディウムを購入。

|

2010年11月28日 (日)

絵画 植物

11月27日

Gからメールが来ていた。あまり画期的でない作品を渡してしまったかもしれないと思い、なんと言われるか不安でしかたなかったのだが、「とても良い」と言ってくれていたので、お世辞だとしても一旦はほっとした。

メディウムを替えてみたら、今までの苦しみが嘘のようにうまくいった。絵具が立ちあがってくれた瞬間、世界が地獄の底から薔薇色に。

フィギュアスケートを見る。

11月26日

2時に西新宿。母を百人町のKにタクシーで送る。いつかの9月の一日のように暖かい日。

3時半くらいから百人町の公園を散歩。相当長寿と思われる大きな欅が数本ある。幹の高いところまで艶艶した緑の苔に覆われている。よく見ると白い小さな苔の蕾がびっしり生えている。母は「とてもきれい。」と言った。生まれた家にも、もっと大きな年代物の欅が何本もあった、と言う。

紅色から臙脂色に燃えるように鮮やかな桜の葉を2枚、洋梨色のミツバ楓の葉を1枚、巨大なプラタナスの葉を1枚拾う。微かな風にも一斉に舞い落ちる欅の葉を浴びながら立っていた。

公園の隅に薄紫の薄荷の花を見つけた。葉をちぎってみると、確かにペパーミント。秋明菊の薄桃色。夏の名残りの瑠璃茉莉の薄青紫。酢漿草(カタバミ)の群生。

青い夏蜜柑が実る校庭の脇の道を通り、団地の横の植え込みの植物を見ながらもう少し歩いた。幹の途中がこぶのようにふくれた欅の並木。柚子の木。石蕗(ツワブキ)の黄色い花。斑の杜鵑草(ホトトギス)。

大きな黄色い果実が植え込みの中に落ちているのを指さすと母が拾ってくると言った。近くに行くとごつごつした重い花梨の実だった。秋の収穫を持って宿舎に帰る。途中、薄い雲が晴れて細長いオレンジの夕日の腕が正面から伸びて来て、母が「あ、夕焼け。」と言った。

5時頃新宿に向かう。空腹でくらくら。世界堂でメディウム混合について質問しながら画材購入。

|

2010年11月23日 (火)

絵画制作

11月22日

前日の深夜まで、ぎりぎりに追い詰められた状態で制作し続けていたので、ものすごく疲れている。身体が痛い。神経が過敏になりすぎ、本当に限界。

朝、新作の絵を撮影。雨模様の薄い光だが、踊り場のところで撮った。

そのあと梱包。

作品がものすごくうまくいった、と思えないので、心が苦しい。だが、冷静に考えて、かつ感覚を静かに受け止めて、今現在手元にあるものの中から、極力厳密にベストのものを2点選んだ。

24日にベルリンに旅立つM氏に絵2点を持って行っていただくために、3時に面会。M氏に会うのは初めて。Gの親しい友人ということで、絵を託すように言われた。M氏には迷惑をかけることになるし、幾度かメールでやり取りし、M氏は非常に親切で闊達な人物であるとわかっていても、異常に緊張した。

M氏はベルリンで博士号をとって、ベルリンのシンクタンクにいた人物である。

3時に会い、海外で活躍しているM氏の教え子さんの話、マレーネ・ディートリッヒの話など伺って4時半頃別れる。

これで、無理矢理にでもいったんは一段落。身体の状態がひどい。緊張に続く緊張で凝り固まった肩と首と背中と目の奥がつりそうに痛い。とりあえず治療院に行く。異常なことになっている(固すぎる)と言われる。緊張しすぎて、なかなかすぐに力が抜けない。眠ろうとしても頭が痛い。

11月21日

夜遅くまで制作しているが不安である。ここ2日、ずっと集中してやっていた作品が、あまり良いと思えない。駄目だと思うと決定的に駄目に見えてくる。そして絶望感。

提出の前夜ぎりぎりになって、何年も前に完成と決められなくてほっておいた小品のほうがよいと思え、その画面の気にいらない部分を消していった。直感的にすばやく手を入れたら、まったく違う作品の様に良くなった。その小品の方を出すことにした。題を「Lichtzwang」(迫る光)に決める。

もう一点は、カンバスに描いたものと、パネルに和紙を張って描いたものの中から選ぶ。断然パネルに和紙張りの作品のほうが線描がきれいに、シャープに出ている。結局「Winterbaum」と名付けた絵。この絵は自分らしく良くできたと思う。この絵も最初は痩せて貧しかったが、空間に大胆に太い線を入れたら一瞬でものになった。

カンバスに描いても同等の切迫力のある作品を期待されたのだと思うが、現時点では無理である。

神経過敏で少しの物音にも心臓がびくっとして目が覚める。浅い眠りを繰り返す。

11月20日

描いたことのないカンバスを計8枚買って、それぞれ違う下地の作り方でやってみたが、うまくいかない。絵具の発色が汚い、と感じた瞬間にもうだめである。

パネルに和紙を張ったほうも同時に何枚も並行して制作している。

最初に感覚的に良いと思ってやりだしても、空間取りが良くないと思った瞬間に全部潰してしまう。空間取りがよくても、絵具が垂直にのらないともう終わり。

途中までやって、なんとなく良くなってきた、と感じると急に幸福感に満ち、そのあと苦しみながらやり続けて、すんなりうまくいかなかったときは絶望に突き落とされる。もうこれ以上いじりまわしても時間と絵具の無駄、と身切ったらすぐに潰す。その繰り返し。

自分は、作品が自分で気にいらないということ以上の不幸はない、と気づく。自分で、素晴らしいと思えないのなら、もう何もない。ひとが何と言おうと関係ない。

自分で、かっこいいと思えないものを作るなら、提出しない方がましである。

自分で、良いと思える作品を作ることだけが幸せ。それ以上のぐちゃぐちゃした手続きや余計なおしゃべりに潰されないようにしたい。

夢の中でも、毎日絵のアイディアを考えている。台所の水まわりで描いているので、料理ができない。ちくわなど、そのまま食べられるものだけ食べている。やたら咽喉が渇くのでミルクティーだけはしょっちゅう飲んでいる。

11月19日

吉田文憲さんにもらったS文学賞パーティーの招待状で、友人と帝国ホテルに年に一度の栄養補給に行く。この時だけはカニ、エビ、アワビ、果物の食べ放題である。小説家に知り合いはないので誰とも挨拶もしないで、ひたすらもくもくと食べる。席に座って有名小説家の言動を観察する。

いつもなら飲めるビールも咽喉を通らない(飲むと気持ちが悪くなる)ほどやつれている。寝ても覚めても制作のことしか考えられない状態。

満腹になったころ、偶然、佐藤美奈子さん(あんちりおん同人)に会って嬉しかった。とても久しぶり。あんちりおんの次の号を出したいのだが・・・

11月18日

制作に苦しむ。絵は新鮮な驚きでなければならないと思う。そして、描く行為で自分が充実しなければならないと思う。そうでないなら、提出すべきでない。会心の作ができませんでした、と謝って提出しない方がましである。

幾度も幾度も失敗し、絵を潰すことをくり返し、心身ともに、ものすごく追い詰めらている。しかし薬漬けにもノイローゼにもならず踏みとどまっている。ただ身体がすごく痛い。

アジア大会の水泳を見る。入江の涙に感動。

11月17日

制作に苦しむ。アジア大会の体操を見る。水鳥さんががんばっているのが素晴らしい。

11月16日

午後、母をKに迎えに行く。東中野で電車を降りるといつも迷ってしまう。

制作に苦しむ。夜、体操だけ見る。

11月15日

制作に苦しむ。体操(個人総合)だけ見る。

11月14日

制作に苦しむ。女子バレーボールのけなげさに感動。

11月13日

朝、母を北新宿のKにタクシーで送る。夜、母から電話。

制作に苦しむ。女子バレーボールだけ見る。

|

2010年11月12日 (金)

絵画 花輪和一 フィギュアスケート サンプル百貨店個人情報流出 

11月11日

久しぶりに電話で花輪和一と話す。 ドイツの旅の報告と絵について。花輪和一は、「くだらないものつくって、そのとき話題になって、お金もうけたって、なんにもいいことないでしょ。自分に満足いくようにやることだけ考えたほうがいい。」と言った。その言葉が私を楽にしてくれた。

帰国してから、ずっと、毎日時間に追われながら制作していて気が休まらない、小さな作品に、あまりにエネルギー過剰、費やす時間が過剰で、と言ったら、今はしかたがない、と彼は言った。

彼は、人間的な欲(金に対する効率や売名)に興味がない。だから、非常に、あっさりと話が通じるので気持ちがいい。そして対人恐怖症・・・・・・これも私と同じ。欲の深い人、慈悲の気持ちがない人を非常に嫌う(これは彼の作品の内容と同じ)。植物と動物が大好き。これも私と同じ。彼はTVを持っていない。パソコンも、オーディオ関係の機器も。冷蔵庫も。彼が持っているのは小さな机と年季のはいった仕事道具。

11月10日

長いメールで、英語で、日本語でも説明困難な内容のことを話し合う。

芸術について。ジャンルについて。マテリアルについて。あの作家について、あのキュレイターについて、どう思うか。日本人に日本語で話したって、ほとんどの人はわかってくれないだろう。一瞬でわかってくれていた人たち・・・・・若林奮先生、種村季弘先生、毛利武彦先生はもう亡くなってしまった。

できない英語で、こんな困難なコミュニケーションに挑んだことがあったろうか。でも質問をしてくれるのは、ありがたいことだ。ここでも、思考のレヴェル、感覚のレヴェルがすべて問われるだろう。高校以来、一度も英語を習ったことのない私が、今ここで、必然的に英語のレヴェルが上がらざるを得ないのは、苦しいけれどもラッキーチャンスというものだ。

そして、こういうぎりぎりのコミュニケーションは、どちらかが相手をくだらない、話すに値しない、と思ったら急速に離れてしまうような、危険なものだと思う。

11月7日

私はこういう話題について書くことはあまりないのだが、あまりに怒り心頭なので書いておく。

最近、サンプル百貨店というサイトから、顧客の名簿が派遣社員によって流出(売買)された、とのメールが来た。それで、最近、生まれて初めて、毎日私の実名あての迷惑メールが20通も来る理由を知った。

以前、なんとなく登録してしまったが、一度もサンプルをもらったこともないのに、この被害。

私の実名で、出会い系サイトからのメールがひっきりなしに来るストレスは計り知れない。こちらはパソコンに触ってからまだ3年、ケイタイも持たないITシロウトである。殺意が湧くほど頭に来ている。

今までメールをブロックした経験もなかったので、OCNのサポートに電話で聞きながらメールフィルターを操作。それでもまだまだ迷惑メールが来る。次の日、もう一度OCNに問い合わせ。操作の調整。それでも、まだまだ来る。3日目、もう一度OCNに電話。細かい設定が間違っていたらしく、もう一度詳細設定やりなおし。

サンプル百貨店の対応ダイヤルに電話すると、若い俄かアルバイトらしき女性の対応が、問題外の失礼さ。こちらが怒っているのに笑ったりしている。まったく謝罪の気持ちなし。例によってまともな日本語(口のきき方)を知らない頭の悪さ。

11月6日

フィギュアアスケートの気になる人の演技を見ながら、あいだにバレーボール女子の試合を見たくて、カチャカチャとチャンネルを替えながらTVを見る。

最高に緊張する瞬間に、いかに自分らしくやれるのか、その瞬間を目撃することに興味がある。

フィギュアスケートの場合は、もちろんスポーツなのだからリスキーな技を美しく決めてくれる瞬間にぞくっとする。同時にすぐれた舞踏を見るときとおなじように、身体全体の動きのイメージ喚起力のようなものを見てしまう・・・・・とくに上半身の表現と体線・・・身体の反り方、首の角度や腕の振り方の緩急や指先を見る。

(もちろん、すぐれた舞踏は、練習時の動きとは別の、きわめて未知の時間の身体を巻き込むものではあるが・・・・・・)

バレーボールの場合は、一瞬一瞬にかわる状況判断に、身体をどう反応させているのかに興味がある。追い詰められた時の身体・・・・・すぐれて直感的な反応。頭の回転と身体反応との関係。

|

2010年11月 4日 (木)

2010ベルリン覚書6

〈ベルリン覚書6〉

10月8日(金)

Eさんと一時に待ち合わせて、また別のアートフェアLISTEに行く。元貨幣局(?)の古いかわった建物。いろんな国から出店していて、玉石混交。素人っぽい人もいたが、売り絵になれていない(そんなにスレていない)なまっぽい感じの展示があって、かえって面白かった。

気にいったギャラリーに話しかけてみる。ドルトムントから来ている女の人で、工場から捨てられた金属の板をつかって作品を作っている人と話があった。

10月9日(土)

昼からティーアガルテン(動物園)駅の6月17日通りのアンティーク市に行く。去年、シュタイフを買った美人なご婦人が、今年も同じところに出店していた。50年近く前のシュタイフうさぎ12オイロ。

Sdsc04385

ほかにもヘルマン、ティーア・ハルツなどドイツの古いメーカーの動物のぬいぐるみに目が行く(クマ以外のもの)。ライオン、トナカイ、ハリネズミ、フクロウ・・・・・・

Sdsc04383

アンティーク市を満喫した後、オスト(東)駅より、もっと東の駅に撮影に行ってみる。

ワルシャワ通りという駅で降りると、その駅舎のまわりの風情が胸に沁みて、涙が出そうになった。

Sdsc04387

去年、ドイツの行く先々で咲いていた、あの日本では見ない黄色い可憐な野菊。私が降りたとたん、ホームの先まで走り寄って撮ると、やっぱり駆け寄って来てこの風景を撮ろうとしていた旅行者と眼があった。彼は笑って「スィー」と言った。イタリア人だろうか。

Sdsc04391

ゴミだがきらきらした破片が美しかった。

Sdsc04397

Sdsc04398

あの白い道の続く野原に、どうしても入って行きたいと思った。

Sdsc04401

Sdsc04404

とりあえず先に屋内アンティーク市を見に地下鉄でひと駅乗り換える。

Sdsc04405

SchlesischesTor 駅付近。かわいい犬発見。ここらへんの建物は面白い。

Sdsc04408

Sdsc04411

となりのアトリエの猫が犬を意識。

Sdsc04412

アトリエのウィンドウに飾ってあるブタさんと同じように立った!

Sdsc04417

おんもに出たいらしい。

Sdsc04423

Sdsc04429_2

昔の監視塔。

Sdsc04437

Sdsc04440

トレプトウの蚤の市。やっとたどりついたが、めぼしいもの無し。

急いで引き返す道。マリリン・モンローの写真がしゃれててきれいだった。

Sdsc04458

ひと駅戻ってワルシャワシュトラーゼの野原に入る。

Sdsc04473

黄色の野菊のとなりに狂い咲きの蓮華。日本のよりもやや大ぶりの花。

Sdsc04474

しばらく植物観察に夢中になって、ひとり野原にいた。

Sdsc04480

ひと駅戻ってオスト駅で降りる。去年と同じ「シェイク!」という名のサーカスのテントが来ていた。去年よりポスターなどの飾りが凝っている。

Sdsc04508

Sdsc04509

Sdsc04527

なにやらさびれてノスタルジックなサーカス。

Sdsc04528

その横には、去年と同じ、白いレースフラワーの咲く野原。

Sdsc04514

この並んだ白い(錆びた)杭が好きだ。

Sdsc04516

|

2010ベルリン覚書5

11月3日

休日。晴れて暖かいので久しぶりに阿佐谷のほうまで歩いて植物観察に行く。ほぼ廃墟になった阿佐谷住宅がまだあったので嬉しかった。子供たちがハンモックで遊んでいた。

どこかに遅咲きの木犀がまだ香っていないかと捜したが、どうやら私が日本を離れていた間に散ってしまったようだ。かわりに、初夏の花である忍冬(スイカズラ)の珍しい狂い咲きに出会った。花の中でも特に忍冬の香りが好きだ。ホトトギスがあちこちで咲いていた。カラスウリのひんやりとした小さな重量。熟柿色のと、まだ青い縞縞のとあった。ヨウシュヤマゴボウの紅葉。黒紫の実。イカルやヒヨドリ。

<ベルリン覚書5>

10月7日

初めて会うMさんと中心街で待ち合わせる。待っているあいだ、おしっこがしたくて我慢できないくらい苦しくなってくる。無印良品の店に、トイレはないかと訊くが、ない、と言われ、大きなモールの方に行くが、トイレに鍵がかかっていて、トイレ探してうろうろ、もう限界と言う時にMさんが現れる。とりあえず食事の店に連れて行ってもらって即トイレに。日本のようにトイレがどこにでもあるわけではないので、慣れるまでたいへんである。

ギャラリーから1:30に忘れもの(マフラー)をとりに来るようにメールが来ていたので、Mさんにレストランで待っててもらい、途中で抜けて行く。ギャラリーのドアをたたいたが留守だった。いったん、店に戻ってMさんと一緒に行くと、今度はいた。ギャラリストはオランダ在住のアーティストと奥さんと打ち合わせ中だった。

「きょうの予定は?」と訊かれ、「メッセに・・・」と言うと、「別のもっと若い人達のアートフェアのレセプションのチケットがあるから、一緒に行かないか」と言われる。一時間後に来て、と言われ、Mさんに案内してもらって周辺を一時間散歩。しゃれたモールのホーフ(中庭)にある胡桃の樹の果実が割れて、種子がこぼれていた。

2:30にギャラリーに行くと、「バイクで行く?」と言われ、面白そうなので地下鉄よりそっちがいい、と答えた。小さなバイクの後ろに乗っって、スピードが出る瞬間、身体が後ろに吹き飛ばされそうにのけぞった。シュプレー川を渡るとき、強い風を受けながら、ノスタルジックな博物館の古いドームたちがすぐ横に見え、くすんだ木々たちと溶け込んで美しかった。

途中でエンジンの調子がおかしくなり、バイクがエンストしてしまい、二駅ほどを地下鉄で行った。会場はアールのついた細長い古びた建物で、暗い感じがした。「これ、なんだか知ってる?ナチスがつくった昔の飛行場だよ。たぶんベルリンで一番細長い建物だと思う。」と彼が言った。

初めて見るアートフェア。まだへんにスレていない人の展示もかなりあったので、予想より嫌なものではなかった。彼はひっきりなしにいろんな人たちに話しかけられていたので、私は迷子にならないように彼の居場所ををちらちら確認しながら、ひとりで作品を見て行った。

心に残った展示はふたつ。ひとつは博物館にあるようなガラスケースに本物のたんぽぽの穂綿をいっぱいに入れて展示してあり、その横にタンポポを観察した繊細な油彩の、最小限の線で描かれたドローイングがかけてあったもの。ガラスケースの中の穂綿には黴がはえていた。「うわっ、プーステブルーメでしょ、これ。すごく好き!私と(感覚が)似てるみたい!」と彼に言った。「ギャラリストに話しかけてあげて。」と彼が言ったので、そこに座っていた上品なご婦人に話しかけた。どうやら彼女は大学の博物館のギャラリストで、そこにあるのは学生のつくった展示だということだった。

もうひとつは、二人の小さな子供がその場の小さな机で絵を描いているブース。できたものから後ろのボードに貼ってあった。「見て!これすごくうまいよ。これなんか特にすごく良くできてる!」と私は思わず彼を呼んだ。お母さんだという人に話かけたら、この画家さんは7歳だという。笑顔のお母さんが指さすところをよく見ると、私がとくに素晴らしいと思ったトレドのような丘のある町を描いた微妙な曲線の繊細な鉛筆画には売約済みのピンがついていた。絵の中に5オイロと絵に溶け込んだ文字が描かれていたが、買った人は10オイロで買ったという。「やっぱり一番良くできてるの、もう売れてる。」と言ったら彼は「早く来てたら買えたのにね。」と言った。

日本から出品しているブースがひとつあったので、彼は「日本のに挨拶しなくていいの?」と訊いた。私は、「日本のブースの選んでいるアーティストが全然好きじゃないからいい。」と答えた。6時ころ建物を出た。

まずバイクを転がして、一番近いガソリンスタンドを探した。道行く人に訊いたら、ここから1.5キロくらいはある、と言われた。「電車でひとりで帰っていいよ。」と言われたが「私がうしろに乗ったせいでエンストしたのかもしれないし、バイクに乗れて楽しかったから一緒に行きます。」と言って歩いた。

ガソリンスタンドで中を開けて点検したがバイクは直らなかった。彼はすごく沈んでいた。そこから延々中心地までバイクを引いて歩くのにつきあって歩いた。

彼は「ああ、今頃になってイライラしてくる。たくさんの人に話しかけられて、そのときはにこやかに話してしまう。そのときはわからない。けれど後になってイライラする。」と言った。「さっきの人達?ギャラリスト?それともアーティスト?」と訊くと「ほとんどがアーティスト。彼らの話はくだらない。それに失礼だ。」と言った。「後になって、怒りがこみあげてくるというのは・・・たぶん、わかる。そういう経験はよくある。」とだけ私は言った。

それから、未知の夜のベルリンを南北に歩く散歩。彼は気の毒だったが、私は地図を気にせず、道に迷う緊張から解き放たれて夜のベルリンの石畳を踏みしめることができ、楽しかった。バーや飲食店の灯り、古い塀や建物、墓地の横の道、レモン色やオレンジ色に光り、透き通る街路樹の葉。夜見る雑草たち。

「きょうは夜なのに暖かい。」と彼が言った。「ここはどこ?」「クロイツベルク。」これが朝まで賑やかだというトルコ系の町クロイツベルクか。それから、まだどんどん歩く。「今、検問所を超えた今、かつての壁の跡の上を歩いている。」それから見覚えのある高いTV塔が見えてくる。

「新ドイツ零年という映画を見てない?あの最初のシーンが撮られた場所を知らない?」と私は訊いたが、彼は知らないと言った。

ローザルクセンブルグプラッツで別れて地下鉄とバスで帰る。部屋に着いたら10時近かった。

|

2010年11月 2日 (火)

2010ベルリン覚書4

11月1日

朝4時過ぎに寝、昼ごろ起き、食欲なく、ミルクティーだけ飲んで、西新宿へ。区役所の人と打ち合わせ。一番近いスーパーがつぶれたので、新しく建った高層マンション一階のスーパーまで買い出し。6時過ぎに新宿へ。空腹で気持ち悪くなる。風邪なのか、熱はもうないが鼻水だけ出ている。

<ベルリン覚書4>

10月3日(日)

きょうはじめてあうNさん(アンドレアの紹介してくれた友達の、友達)が、アパートまで迎えに来てくれて、一緒にマウアーパークの蚤の市に行く。日差しがまぶしい。3cmくらいのちっちゃな猫の陶器の人形、5個で2オイロ。

途中、凧があがっているところを目印に、Nさんの友達のアメリカから来たアンドリューくんと落ち合って、3人で散歩。広場ではドイツ人のカラオケ大会をやっていた。

カスタニエン通りのほうに出て食事。その近くで巨大な手が樹にぶらさがている変な建物を見つける。きょうは肩が痛くてカメラを持っていなかったので、記憶にだけ留める。

10月4日(月)

朝、買い物に行って、アパートの部屋の鍵が開かなくなる。何十回もガチャガチャやっていたが、どんなに力を入れてもどうしようもなく、中庭で自転車をいじっていた旅行者の女の人に頼んで、3階まで来てもらって開けてもらった。「最後は強く力を入れるの。」と言われたけれど・・・汗だくになるくらい力は入れているはずだが。フィーレンダンク。

きのうの不思議な建物を確認に、手ぶらで、いけるところまでロケハンに歩いてみることにした。全身の筋肉痛がまだとれず、一眼レフを持っただけで肩が痛くて吐き気がするので。

カスタニエン通りをゆっくり進む。崩れた廃墟っぽい建物、割れたガラス、落書き、枯れた夏の花をよく眼に焼きつけながら、どんどん進むと、シオン教会が右手に見えてくる。荷物無しならけっこう歩ける。結局ミッテの中心のハケンシャーマルクトまで歩き、また歩いてもどった。

夜、食事から帰って、また鍵が開かず、30分くらい頑張ったがだめで、中庭に何度も降りてみたが人に会えず、どうにも困って表通りに出たら、隣のバーの外で飲みながら煙草をふかしているおじさんがいたので、思わず声をかけてしまった。私は旅行者でとなりのアパートにいるのですが、部屋の鍵が開けられないのです、と言うと来てくれた。簡単に開けてくれたあと、「最後のガチャッという時に、ドアをぐっと押すんだ。」と言われた。「フィーレンダンク。」と繰り返して頭を下げた。そのひとは大笑いしながら降りて行った。(帰ってからこの話を女の友人に話すと、そのひとが良い人であったからいいようなものの、けっこう危ないことをしている、と言われる。)

右手で鍵を開けるときの最後の瞬間に、左肩で、ドンッとドアに体当たりすると、確かに簡単に開くことがわかった。

10月5日(火)

きのうロケハンしたところをたどり、写真を撮る。

Sdsc04328

Sdsc04329

Sdsc04331

Sdsc04334

Sdsc04336

Sdsc04340

Sdsc04341

Sdsc04342

Sdsc04351

カスタニエン通りのシオン教会の中に入ると、フルートを吹いている女の人がいて、その低い音が聖堂の古くはげ落ちた壁を震わせていた。かつてこの教会は反体制派の拠点だったという。

Sdsc04368

大きな手が木からぶらさがっている奇妙な建物。パンクスが不法占拠したらしい。

Sdsc04370

Sdsc04372

10月6日

初めて会うEさんと駅で待ち合わせ。初めてベルリンの市電に乗る(イイ感じ)。

全く知らなかったが、ちょうど今、ベルリンで大きなアートフェアをいくつもやっているという。この機会に、一番大きなメッセを見ておいた方が良い、と言われ、焦る。

自分の性格として、大きなアートフェアなど(大規模な商業主義的なもの)にすごくストレスを感じるのである。そういうものを、一切、見に行ったことがない。たとえばほんとに見たいたった一点があったとしても、それを見るためにその他のたくさんのものが眼から体内に入って来ることに耐えがたい苦痛を感じる。

ひっそりと静かに対話できるもの以外、身体が受け付けない。

ダンス、パフォーマンスなどもそうだが、特に大規模なもので、つまらないと感じてしまうと、死にそうになるくらい嫌悪感を感じる。私はそれに対して無感覚になることができない。

そんなものより、壁に偶然できたシミのほうがずっとずっと美しいと思ってしまうのである。人が意図したものでないもの、人が眼もくれないもののほうに夢中になる。

|

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »