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2010年12月

2010年12月31日 (金)

浅田真央「愛の夢」

12月31日

浅田真央の「愛の夢」の感動について、26日のフリーを見たあとすぐに書きたかったが、なかなか言葉が出てこなかった。これは、そのオマージュのための、個人的な感覚の覚書である。

リストの「愛の夢」を聞くと、どうしても、この曲で踊っていらした大野一雄先生の姿が見えて来て涙が出て来てしまう。戦争で数多くの死者を葬送し、地獄の中から生き延びてきた大野一雄先生の、あの大きな手の指の震えと、慟哭と無言の祈りと幻想と・・・圧倒的な慈しみの「愛の夢」・・・・

浅田真央の「愛の夢」は、大野一雄先生とは全く違った、若い植物のような、研ぎ澄まされた精緻なきらめきを感じさせた。

到達不可能なところへ到達しようとする希求。このストイックな孤独が胸を打つのだろうか。

青ざめたモーヴ色の薄い香気。ヒヤシンスの、甘くない不思議な香り。ダイアモンドリリーや薄紫のヒヤシンスの、半透明のガラスのような細胞質のきらめき。

霜の、霧の、見えないベールが時折なびいては消えて行った。

余計なブレのない、しなやかだが静謐で硬質な美しさ。植物のきらきらした細胞質の彫刻。

今年の最後に、このようなストイックで端正なものを見せてもらえたことは非常にありがたいことです。

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2010年12月26日 (日)

全日本フィギュア

12月29日

最近完成した絵を写真撮りして、そのうち3枚のデータをドイツに送る。何十枚も写真に撮ったので猛烈に視神経が疲れる。

12月27日

今年最後の画材の買い出し。渋谷と新宿へ。最近猛スピードで描いているので眼が痛い。

12月25日

全日本フィギュア。

浅田真央のショートを見るまでどきどきしていたのだが、美しかった。滑り出しのところ、身体の縦のリズミカルな動きが緊張を誘いつつも優雅で惹きこまれた。そしてジャンプ。もうほとんど完成というところまでうまくいってよかった。全体に細かな動きの演出が凝っていて、独自の惹きつける演技だったと思う。明日、あまり考えすぎないで、うまい具合に緊張して、どうか自分の身体とうまく息が合いますように。

安藤美姫はきらきらの白い衣装で、今回はショートがうまくいってよかった・・・・。

高橋大輔は途中の踊りの上半身の動きの激しさがすごく劇的な盛り上がりを見せたが、思ったより小塚崇彦のほうが点数が伸びた。良い演技だと思ったが・・・。点数は素人目にはよくわからないところだが・・・。

12月24日

ついに新しいメディウムでカンバスに描いた最初のチューリップの絵に葯を入れて完成。朝方にアパートの踊り場のところで撮影。そのあと室内の窓のところで新種の紙に描いた新しい素材の実験的な絵をいく枚も撮影。絵を止めたボードを、適当に斜めに置いて、それに並行になるように適当にカメラを設定して撮るのである。。(狭い部屋の中に垂直に絵を張れるほどの壁のスペースがないため)。絵が正確な長方形に映るように、全く感覚で判断して撮る。どうしてもかすかに台形になったり歪んだりしてしまう。これはたいへん困難で頭と目が疲れる作業。

ものすごく眼の奥と肩と首が痛くなって頭痛もしてきたので、あとでフィギュアスケートを見るのにそなえて仮眠。

全日本フィギュア男子ショート。高橋大輔は身体の調子が万全でなさそう。しかし点数の差がつきすぎな感じがしたが・・・。

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2010年12月23日 (木)

仏手柑(ぶっしゅかん、ぶしゅかん)Citrus medica

12月23日

日が差しているうちに窓際で大好きな仏手柑の撮影。黒いビロードの布の上で撮りたかったので、とりあえず自分の古着のコートを敷いて撮った。(クリックすると大きくなります)

とてもよい優美な香りがする。

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12月22日

朝方まで雨だったので、ずぶ濡れの金柑の木の葉裏から葉裏をいっとき観察してアゲハの幼虫を探す。見つからなかったのでものすごく心配になる。こういうことを心配し過ぎると神経が参ってしまうんだなあ・・・と思いながら駅の方に走る。しかし気になる。

母を迎えに百人町へ。帰りは近くにタクシーが見えなかったので母をかかえるようにして歩き、大久保からひと駅電車に乗った。午前中なのに車両は学生で混んでいた。少しずつ晴れて春のように暖かくなっていた。

母を送り届けてから、西新宿のヒルトンホテルのマルシェのイベントに行く。3日前そこを通った時、各地の珍しい果物や野菜販売と看板に書いてあり、何より私の大好きな仏手柑がディスプレイしてあったので、ものすごく気になっていたのだ。(その時は一瞬それを盗んで帰りたい欲求にかられた。)

仏手柑(ぶっしゅかん、ぶしゅかん)Citrus medica。生まれて初めて見たときは子供のころ、どこかのお寺の庭に生っているのを見て、全身がかーっとなるくらい惹かれた。その後、ものすごく稀に、苗木屋さんで鉢で売っているのを見た。

中川幸夫先生も何度か生け花に使われていた。昔はお茶の席で、よく床の間に飾られたらしいが、本当に神秘的で優雅な魅力がある。

マルシェに着くと、仏手柑ひとつ400円で売っていた。5つの中から夢中で丹念にかたちを吟味していると、売り場のお兄さんがもう一か所マルシェの会場があると教えてくれた。親切なお兄さんで、結局もう一か所の場所まで仏手柑をかごに入れて持って行ってくれて、全部で12個ほどを並べて選ばせてくれた。その中でかたちが気に入ったのを二つ買った。

みかんの実のような中身はほとんどなく、皮を柚子のように刻んだりすりおろしたりして香りを楽しむらしい。

仏手柑の尖った指先が痛まないように気にしながら新宿に出る。世界堂でローラーとカンバスを買った。

夕方、道も乾いたころ、もう一度金柑の木を確かめたら、いた!!緑の大きくなった幼虫ちゃん。生きていてくれて本当に良かった。

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2010年12月21日 (火)

絵画 メディウム

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Tulips

acrylic gouache, pigment, medium, silver foil, canvas

12月21日

ついにカンバスの上に、大体思うように絵具を発色させることに成功(あくまで自分の過去の和紙の上に描いた作品比)。

初めてカンバスを使った時、膠にこだわったために大失敗した。アクリル(レジン)系のメディウムを使って、毎日いろいろなやりかたで(下地をこねくりまわすなど)やっていたのだが、今朝、さらっとやってみたらできた。

アクリル系の絵具で最初から描いていたら容易いのかもしれないが、自分は透明水彩と膠ばかりやってきたので、乾いたら固まってしまうアクリル絵の具がとても使いにくかった。油絵具のようにどろっと厚塗りすることができず、どうしても薄塗りになってしまうが、この次は下地を盛り上げて厚塗りっぽく仕上げるのをやってみたい。

自分の性格として、いくつものアイディアの方向性が同時に出て来て、頭と手が混乱してしまうのである。乾いた感じにするのか、てかてか光った感じにするのか、空間を不透明な壁のようにするのか、水の中に漂っているような感じにするのか、枯淡な感じにするのか、甘くて暴力的な感じにするのか、質感のイメージが異質なものが同時に頭の中に見えているので混乱してしまう。

いくつかの方向性をそれぞれの個体(絵)に分けてやること。同時にいろんなことをやろうとするとつまらなくなる。

12月20日

新しく買った絵具と紙で夢中で実験。紙を20枚くらい使ってしまった。紙の断裁の問い合わせをするが1回3000円かかるとのこと。

12月19日

母を百人町のKに送っていく。大久保駅の方に帰る道、桜の古木の紅葉はほとんど散ってしまっていた。この古木が数本集まっている静かで気持ちのよい場所は、国立博物館分館の敷地ではなく、隣の病院の裏庭なのだと気付いた。その隣には不思議なアールのかかった塀のある古い木の家。ここだけが静かで古い時代のときが流れているようだ。

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2010年12月18日 (土)

追悼毛利武彦展 「デッサンの基本」第8刷り 絵画 メディウム

12月18日

朝、初めてきのう受けたメールを見て、「デッサンの基本」の第8刷りが決まったことを知る。嬉しかった。仕事のことで、少しでも結果が出るということほど、心身ともに楽になることはない。本当にありがたい。日本のどこか遠くで、見知らぬ人がこの本を手にとって見てくれることがある、と想像する、と全身がざわつくほど感動。

「追悼毛利武彦展」の最終日。きれいに晴れた日。初日にも伺ったが、最終日にもう一度師の絵と対面したくて出かけた。京橋の林田画廊から近岡美術へ。

毛利先生の奥様、お元気そうでよかった。毛利先生のお母上方の従妹さん――つまり春日井健氏の妹さんにお会いできた。感激だった。

やはり、この前にも惹かれた馬の絵にとても惹きつけられた。ちょっと言葉にできない絵だ。毛利先生がまだ若いころの作品というのも、余計に惹かれる。

それでもやっぱり、まだ先生が亡くなったことが信じられない。自分の中では、うまく受け止められない。なんとも変な感じの痛みが絶えず波のように寄せてくる。

新宿の世界堂に寄る。アクリル板、スチロール板、いろいろな種類の紙、最新の額縁、素材を吟味しながら、いろいろなアイディアで頭がはちきれそうになるが、とっ散らかってしまったので結局買わなかった。カンバスの表面をつるつるにする方法を店員さんに訊く。油絵をやっているという実習の人が親切だった。やはりもう一度、違うやり方でジェッソを塗ってみなければならない。

12月17日

きのうは北見市で-21.7℃、陸別町で-23.7℃と聞いた。夜から朝方、今年一番の寒さ。今朝の東京も寒かった。けれど風がないので公孫樹の葉はまだきらきら光っている。

朝早く起きて絵具屋さんに出かけた。メディウムに関する説明を受けに行く。

説明を受けにきたのが自分ひとりだったので、いろいろ質問することができた。私の性格として、1対1でないと質問できないのだ。

いろいろな素材を使わせてもらえて、その場で実験させてくれたので非常にハイになった。次次とアイディアが出て来て、もう夢中だった。最近こんなに楽しかったことがあるだろうか、というくらい楽しかった。

そのままいろいろ使ったことのない素材を買って電車で帰った。荷物が袋三つになって、液状の絵具やメディウムが重かったのだが、新宿に寄ってさらにカンバス5枚とアクリル絵の具の微妙な色を10本くらい買い足した。重くて、はあはあ言いながら帰った。

帰ってから早速いろいろ組み合わせて実験。

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2010年12月12日 (日)

絵画 言葉

12月11日

フィギュアスケートグランプリファイナル。ちょっと残念な感じであった。高橋大輔・・・・安藤美姫はショートの曲も衣装も替えたのに緊張がうまい具合に保てなかったってどうしたんだろ。

身体表現において身体運動能力をピークに合わせることの難しさ。

12月12日

寒くなったと言っても、9月の終わりにいたベルリンよりも暖かい。ずっと、あの旅のときの転んで膝が破れたままのヒートテックパンツをはいている。(2か月半、面倒なので毎日ほとんど同じ格好。)

曇り空。風はないので、公孫樹の黄色はまだ散り残っていて鈍い銀の空に映えている。

絵を描く人なら皆そうだと思うが、それぞれの色を質感で記憶する。粉っぽい青磁色なのか、甘く艶のあるとろりとした青磁色なのか、というように。

近くの医院の花壇で、真冬の百日草と真冬の松葉牡丹を見た。首から下がカサカサに枯れて茎ばかり残っている松葉牡丹の花が2輪だけまだ咲いていた。ふちが赤い薄オレンジ色の八重の花弁。赤い花の茎は赤い。大谷石のくすんだ薄黄緑の上の蔦の紅葉の浮き出し方が美しい。

色彩も、筆触も、質感も、なにもかもが言語にすぎないのかもしれないが、何をやっても、言語に回収されてわかりやすくてつまらないものにされてしまうのかもしれないが、また、私が全くつまらないと感じるものが言語の力で価値づけされて強大な力を持っていくのかもしれないが、それでも「言語化不能なもの」のほうへ向かいたい、と考えるほうが好きである。

真冬に残っている真夏の花の状態を見ることは俗なことでもなんでもない。けれどそれを言葉でなく絵に描こうとしたら、その似姿を描かずに、つまらない絵にならないようにそれを成し遂げるのは至難の業である。

その造形と質感と色の何が惹きつけるのかを抽出して、身体に刻んだとしても、支持体の上に現れる時にまったく違う質感、触感になってしまう。言語化不能なものを言語でないものに造形するには自分の予想を超えた能力(自分で描いたとは信じられないような)がいる。

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2010年12月10日 (金)

絵画 メディウム

12月9日

母のところにバスタオルを届けに東新宿のMへ。地上出口を間違えて新宿美術研究所(新宿美術学院ではない)のほうに出てしまったので長く歩いて疲れる。

週末に近づいたせいかMはきのうよりずっとひとがいた(きのう3人、きょう8人くらい)。父がバスで一瞬面会に来た。風邪をひいたそうで咳をしていてすぐ帰った。

冬らしい寒さにはなって来たが、雲ひとつない晴天だったので、戸山公園入り口のところまで母を連れて散歩。

桜の紅葉もだいぶ散った。葉も茎も茶色く枯れたのに花だけはバーミリオンやサーモンピンクのかわいい百日草。名残のコスモス。黄色と臙脂色の小菊。満開の山茶花。戸山公園入り口のところには赤茶に燃えたカラマツの木が3本あった。

Mで2時間くらい過ごしてから世界堂まで歩く。小さなカンバス6枚。初めての実験のためにピグメント(一番安価で、有毒マークのついていないもの)を3色選んで買ってみる。保護マスクを使用、とか指で直接解かないでください、とかラベルに書いてあり、けっこう怖い。

帰宅してからさっそくピグメントを溶いてみた。けっこう粒になってしまって溶けにくい。パレットナイフで梅皿の上で潰すように練ってみる。自分でうまく混色しないと、感覚的にはきつい感じの発色。うまく混色し、うまく粒子の大きさを調整すれば使えそう。

自分の身体の欲望が満たされるような発色――ぎらぎらしたペンキっぽい感じではなくて、落ち着いていて、しかも対比があって、日本の古色とも違う・・・・今までのメディウムも絵具も支持体も替えて、全く新しいやりかたでそれをやりたい。

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2010年12月 9日 (木)

追悼毛利武彦展 絵画メディウム

12月8日

朝9時過ぎ西新宿。母を東新宿のMに送っていく。

そのあと地下鉄で東京駅に出る。丸ノ内線から八重洲口に出るまで、ぐちゃぐちゃした商店街がびっしりで、何回も右折左折、わかりにくく時間がかかる。

追悼毛利武彦展(12月8日ー12月18日)を見に、京橋の近岡美術へ。馬の絵がよかった。とくに奥の方に展示されていた親子の馬の絵が好きだった。

そのあと同時開催の林田画廊で(名古屋のいづみ画廊をやっている小山さんが、林田画廊さんの会場を借りてやっている展示らしい。)毛利やすみさんにお会いする。やすみ先生はお元気そうでよかった。

「毛利先生は中国の山水画について、相当研究されていたのではありませんか。」と尋ねると、「よくわかるわね。そう。こんな大きな本持ってたの。なかなか手に入らない本だって言ってた。」と言われた。毛利先生について、内容のある文章を書きたいので、今度質問させてください、それから毛利先生の書かれた文章も紹介したい、とお願いした。

余談だが、名古屋で画廊をやっている小山さんは、小塚崇彦のお父さんと同級生だそうで、小塚選手と一緒に食事している写真を見せられた。やすみ先生もフィギュアスケートの大ファンと初めてうかがった。「あの身体の動きのすごいきれいさ、大好き。」と言われるのを聞いて、やすみ先生の感覚がものすごく若いのに感心した。

そのあと銀座線で渋谷へ。空腹で貧血が起きかかっていたので、シブそばでそばをかきこんでから、宮益坂のビルへ、ウエマツの社長の次世代メディウム講座を聞きに行く。

ずいぶん古いビルなのでちょっと感じが良かった。そして膠についての話は、本当に面白かった。膠信仰は「日本画」という言葉がつくられたのと同時に、明治時代以降にできたものであること。それ以前に日本で壁画や障壁画や天井画に使われていたメディウムの話。膠製造過程の詳細な説明。膠の分子構造と特性。

膠は皮革産業のあるところでつくられていた。そしまさに3Kといえるたいへんな工程の作業であり、もう誰も(中国も)やりたがらないこと、今存在する最後の膠製造工場も、もうすぐなくなること。

膠の特徴は含水乾燥を繰り返すことであるから、大家と呼ばれるひとの作品のように完全看護のもとに保存されるのでないかぎりは、必然的にひび割れる。特にヨーロッパのような乾燥した地域にはむかない。膠は動物性であるので、黴も必然。膠を生かすにはひと塗りであること。重ね塗りにはむかない。

膠は沸騰させると接着力がなくなる、というのは定説として聞かされてきたが、昔の人はぐつぐつ煮詰めて使っていた、そのほうが殺菌されて黴がはえなくなる、ということ。(確かに私はよく、うっかり沸騰させることを繰り返しているが接着力が落ちたことはない。)

胡粉は炭酸カルシウムであるから水分を保てず、膠の水分を吸収することで乾燥して割れる。白土は珪酸カルシウムであるから含水性があり、昔の壁画は白土を塗った上に描かれることでひび割れや剥落を防いだ。

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2010年12月 7日 (火)

絵画 批評 メディウム

12月7日

布団乾燥の引き渡しに立ち会うはずだったが、時間がずれて、もう終わってしまったとケアマネさんから昼にTEL。それでも蕗の煮物などつくってあったので、2時過ぎに西新宿に向かう。

西新宿のグリーンタワーがくすんだ緑青色なので、その前にある欅の葉はアプリコットオレンジ色に光って浮き出して見える。中央公園側の欅の葉は渋い栗茶色。

煮物、スイートポテトの食事。きょうはそんなに寒くない日なのに、母の手が恐ろしく冷たい。食事をさせて、手をこすっているうちに温かくなった。

4時過ぎ、外に出てみたい、と言う。「曇りだし、もう暗いよ。」と言ったが、少しだけ出たいと言うので、近くの連れ込み旅館の前まで行った。十二社が芸者町だったころの名残の、古い木造の小さな旅館である。その旅館の脇に植えてある檀(マユミ)が薄桃色に紅葉していて、桃色の実がはぜて、赤い種がのぞいていた。「すごくきれいな葉っぱ。」と言って一枚引っ張るが、なかなか枝から離れなかった。「この葉っぱ、強いのね。」と母が言った。

4時半、交番前から渋谷行きのバスに乗る。参宮橋、代々木公園西門、放送センター前、それから渋谷公会堂の前、パルコの前を通って渋谷まで30分。

ウエマツでアクリル絵の具やメディウムについて質問すると、たいへん親切丁寧に答えてくれた。岩絵の具でカンバス地でやっている人について訊くと、そういう人は大抵木製パネルにカンバス布を張っている、と言われ、そういえば・・・と感心する。(今まで関心がなかったのでカンバス地でやっている人の岩絵具の状態を観察したことがなかった。)自分勝手にてきとうに混合するより、レジン膠を発明したウエマツの社長がやっているメディウム説明会に行って説明を受けた方が良いようだ。とりあえずアクリルの溶解剤を購入。これは何の物質でできてるんですか、と訊いたが、弱アルカリの液体、ということだ。手についてもさほど有害でなく、高価な刷毛でも使える(毛が痛まない)ときいて驚く。

そのあと新宿に出る。青梅街道の公孫樹がきれい。立ち食いの握り寿司を食べる。

新高円寺の青梅街道添いの公孫樹は新宿のよりきれいだ。歩道や車道に乱れ散っているから。落ち葉が街に暴力的に降り注ぐのが嬉しい。日が落ちて、暗くなる頃、それぞれの店の灯りの位置(高さ)によって、黄葉の色映りが全く違って見える。陰になって沈んだ樹も闇に溶解して美しいと思う。蛍光灯に照らされた黄葉は青ざめたプールの底のレモン色。

2,3日前から現代美術に関する批評(対談)を読んでいる。言葉上ではもっともな発言が多々ある。

「モダニズムの要請として」「現在性を絵画において現前させたいという形而上学がある」「作品自体はむしろ現れなくて、言説の内部にしかマレーヴィチも現れないしイヴ・クラインも現れない」「言説のフレームがないと知覚できない。」「この「現在性という神話は芸術の自律性という神話と結びついていたわけだけど、作品としてそれを実現した途端にいかに自律しえないかということを証明してしまう。」

けれど本当に「瞬間性なんてのはフィクションだよ。」と言えるのだろうか?常に「瞬間性は瞬間の知覚に置きかえられ」ていると言えるのだろうか?

「行動の違いによって知覚は分割される」と言い切れるのだろうか?前田英樹さんが言っていたように「知覚」と「感覚」を分けて考えたらどうなのか?

どうして、人間が無理やりに5秒前、3秒前の記憶を取り戻す訓練をしたら離人症になると一般化して考えるのだろうか。画家は、予想外の瞬間に襲われて、その瞬間が何度も限りなく(少しずつ変化しながら)くり返し戻って来るような経験があると考えないのだろうか。

少なくとも、絵の中で「同時に行われて」いる「与えられた異なる言語ゲーム」というような言い方は「画家」はしないと思う。この言い方は、まさに「言語ゲーム」を支配する人たちの言葉づかいである。(しかし、この人達は実作者なのである。)

どうして、「画家」だったら当然こういうことは考えるはずだから、というような発言が多いのに、「画家」だったらこういう感覚は持ってるはずだから、または彼は持っていたかもしれない、とは言わないのだろうか。

どうして、過去の偉大な画家が持っていた「感覚」や「眼」に対しては、普通の人間ならこれはありえない、というような平準化が行われるのだろうか。

話がするするっとすべるのは、自分が持っている膨大な知識と情報処理能力に関しては、とにかくしゃべらずにはおれないということなのだろうか。

PC(ポリティカル・コレクトネス)、これさえあれば芸術だというのは間違っている。これには多いに共感する。ちょっとでも政治的な身ぶりをして芸術だと自分を正当化して押しつけてくる人には、その作品(演劇、歌などのパフォーマンスを含め)はいらない、テキストだけでもう充分、と言いたくなる。

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2010年12月 5日 (日)

絵画 絵具 メディウム

12月5日

ベルリンのNさんから、2日で雪が20cmも積もったというメールが来る。雪のベルリンはさぞかし美しいだろう。体温調節がきかない私には歩くことは無理だろうが。記憶の中の森が白い雪に埋まって、木々が黒々と佇んでいるのを想像するだけでぞくっとくる。

12月4日

あらゆる紅葉の落ち葉が混然となって道を埋めている。杏の紅葉に初めて注目した。桜のように紅色にならず、ほんとに杏色(くすんだ濃いオレンジ色)だった。

金柑の葉がだいぶ食べられている。どこにいるのか、いっとき立ち止まって枝から枝へ眼を這わせていたら、いたいた・・・まだ青虫になっていない黒と白の地味なアゲハの幼虫。どうか蝶になるまでがんばってほしい。

ジェッソを使うのが初めてなので、厚さをどうするかに迷っている。何パターンもやり方を替えるが、地の感触に満足できない。石板のような硬質な感じにするか、布の目に絵具の粒子を引っ掛けるようにくっつけるのか、質感をはっきりさせたい。

1枚はアクリルの黒の上に透明な赤の発色のさせかたの実験。赤の色味の加減と透明度の加減によってはすごく汚く俗っぽくなる。

もう1枚はアクリル絵の具を混色して水で薄めて塗ったら、黒の粒子が分離して下に沈み、薔薇色だけが浮き上がって黒の粒子と混ざらずに滴りの形をつくった。下にセルリアンブルーのにじみを残し、絵具の反応が自分の意図しない絵をつくった。実験としての1枚はここで、もう手を加えないほうがいい。けれど発表するためには面の中に強い物質性の部分をつくらないといけない。やることは見えているのだが、位置と分量に迷って眠れなくなる。

12月3日

素晴らしい天気だった。朝方は耳をつんざく豪雨。昼過ぎからは強く透き通る日差しで23℃まで上昇。そして午後から夕方には屋根も吹っ飛ぶような強風。

3時頃、青梅街道は山吹色の公孫樹の絨毯だった。時折、小さな竜巻が起きて、空高くまで公孫樹の落ち葉の高速回転スクリューが昇っていた。この細い激しい黄色い竜巻を写真にとればよかった、と後で思った。

3日前にベルリンの天気予報を見ると12月1日の予報最高気温-9℃、最低気温-16℃となっていたのでびっくりしたが、実際にはそれよりは少しだけ暖かいようだ。それにしても夜中に-9℃くらいまでは下がっている模様。友人たちは寒さに負けず元気なのだろうか。

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