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2011年1月

2011年1月30日 (日)

サラ・ムーンのミシシッピー・ワン / 蝶の舌

1月29日

レンタルで借りたVTRとDVDを見る。ひとつは以前から見たかった「サラ・ムーンのミシシッピー・ワン」。もうひとつは以前一回見て、もう一度見たかった「蝶の舌」。

ミシシーッピー・ワン。サラ・ムーンは昔から好きな写真家。キャシャレルの暗い草地の映り込んだ写真が好きだ。ミシシッピー・ワンのフォトブックのほうを持っていて、ずっと映画を見たいと思っていた。

うちのTVでは画面左上のほうが青っぽく、画面右下にかけてセピア色にグラデーションに見えた。

心の病を患っている神経の細い青年が8歳の少女を誘拐する。予想通り、特に大きな展開はなく、離別に向かってただもの哀しく、けだるいモノトーンの映像が続く。映像と音の微妙さに興味がわかない人にはひどく退屈な映画と思う。

回転木馬。新しい靴。「走れる?」 暗い夜。逃げる雨足と追いかける雨足。

電話ボックス。海鳥が激しく鳴く桟橋の上。足首にまとわる波しぶきの中を海にさらわれそうに無防備に歩く影。車のフロントガラスに映り、歪んで流れていく木漏れ日。廃屋。シャワーを浴びているばかりの青年。ゴム飛び。蛇腹の古いカメラ。剃刀。包帯。石畳。シーツ。

サーカスの虎。サーカスの回転するポニー。三角のひらひらする旗。ピストル。幾度も繰り返される女性ボーカル(ヴィヴァルディ)。「もう遊びはいや・・・。」

Vivaldi詩篇第126番『主が家を建てられるのでなければ(ニシ・ドミヌス)Nisi Dominus aedificaveret Dominum』RV.608から第4曲〈主は愛する者に眠りを与えられるであろうCum dederit dilectis suis somnum〉

http://www.youtube.com/watch?v=KDCwK-E1yh4&feature=related

蝶の舌。いくつもの忘れがたいシーンで最後まで強烈に惹きつける。

小児喘息で人見知りの少年。ゴリヨン(スズメ)。木のうろ。古い橋。仕立屋。薬局。居酒屋。アンソールを思い出させる村祭りの仮面。決して自説を押し付けない教師。ラ・リングァ・デ・マリポサス。

ルカルス・ゼウルス(クワガタの一種)。果樹園の青い林檎の実。「これは秘密だが、死んでも地獄はない。」

本棚から革命の本を手に取りながら「宝島」を手渡す先生。優しいお兄ちゃんの吹くサキソフォン。ガリシアの青の楽団。宿の老人が焼いた小動物を食べるときのパキパキいう音が恐ろしい。

夏の光。ミクロ・スコルピオ。水浴びをする少女たち。ティロノロンコ(鳥の一種)のように女の子に花をあげなさい。

「地獄を生むのは人間の残虐さ。」アテオ(無神論者)。

教師役のフェルナンド・フェルナン・ゴメスは「ミツバチのささやき」に出ていた人で、残念ながら2007年に亡くなっている。才能と魅力のある人。

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2011年1月23日 (日)

中川幸夫 自華像

1月22日

中川幸夫「自華像」展を見に行く。

原宿の若者たちの雑踏を避けるため、代々木のほうから千駄ヶ谷を通って散歩し、裏道から神宮前に出た。

代々木駅の古いしみだらけのガードレールをくぐって右の細い裏道に入り、昭和30年代からあるような平屋の家の横を通り、新宿御苑の柵の外から、柵の中の歳とってひねこびたスダジイや、いくつもの乳を持った銀杏や、背の高い欅の木々、真冬のツワブキ(石蕗)の穂綿をのぞきながら歩き、千駄ヶ谷門の近くから大きく右に曲がった。

能楽堂のあたりから外苑中学校を通って神宮前へ。豪華な新しい建物の中に混じって、古くからある小さなつましい木造の家がまだ壊されずに残っている。木の塀に滲んだ長い時間のつくった色と模様に惹きつけられ、幾度も立ち止まって見入ってしまう。

枯れた芭蕉の木のある廃庭。絡まってはびこった白茶けたカラスウリの蔓の中に、誰にもかえりみられないいくつもの朱の実が燃えるように輝くのを見た。人ひとりやっと通れるような裏道。空き地の隅で食べ物をもらっているキジ猫。古いハウスのような白いペンキの剥げた木の家。屋根を突き破って健在の緑青色のヒマラヤ杉。高円寺にも似ている小さな古着屋がいっぱいの路地を迷いながらVACANTに着いた。

久しぶりに中川先生の大きな写真と対面。

中川幸夫の活けた薔薇、中川幸夫の撮った薔薇はどうしてこんなにも深紅なのだろう。深く深く艶やかで、少しも派手すぎず、ずしりとくるのに甘い。激烈でありながら柔らかい。怖くて甘くて触れがたい究極の赤だ。赤い薔薇をもっとも俗から遠いところで撮れるひと。

中川先生とのあまりにも強烈な思い出が迫ってくる。あの最高の笑顔。憎悪と すべてを跳ね返す先の祝祭と。

交わされた言葉と同時に何を見たのか。その瞬間の空気の感覚。陶酔とともに最も痛みに過敏になる瞬間の記憶、記憶。

献花の薔薇の匂い、コーヒーの匂い、煮物の匂い、墨の匂い、冬の寒い部屋、ガソリンスタンドの前で大きく手を振る姿、地下鉄の中の会話、錆びた鉄の階段、絵具だらけのズボン、ユニオンジャックの旗、ゲーテの肖像、大きな力強い指・・・。

清楚で優しい花にならなくていい、と師、中川幸夫は言った。「あなたのその奔放さと怖さをね、もっと前面に出したほうがいい。妖しくて恐ろしい花をね。」と。

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Einmalige Blume unvermerkt von den Bienen

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Die ungeweinte Tränen

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2011年1月20日 (木)

絵画

1月21日

体調が最悪に近い状態で首と肩がひどく緊張して頭痛がするので、クリニックに行って首と肩に計4本の麻酔注射を打ってもらう。12時に行ったが1時間以上待たされた。風邪とインフルエンザが流行っているのでクリニックはとても混んでいる。

おとといと同じく、2時半ごろU氏のビルに行く。今日はUさんは外出中でお店の方が親切に案内してくれた。3時間ほどぶっ通しで立ちながら中腰で作業。おとといの乾いた作品の修正と同時に新しく4枚やった。5時半くらいにUさんが帰って来られる。絵画教室でふさがっていないときはいつでも使っていいと言ってくださる。知り合ったばかりだが、とても親切にしてくださるので頭が下がる。乾いていない作品をあとで取り込んでおいてくれると言われた。

1月20日

母を北新宿のKにタクシーで送る。足の怪我が化膿していると言われ、ケアマネさんからデイサービスの人に事情を訊いてもらう。

1月19日

これはきのうの夜にやった小品。

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Niemand zeugt für den Zeugen 1

証言者のために証言するものはいない。
(誰でもないものが証言者のために証言する)

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Niemand zeugt für den Zeugen 0

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Delight

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Delight

午後、U氏のご厚意で工房を使わせていただく。自分の部屋では狭すぎて、絵を平置きで描いて乾かせるようなスペースがないため。

全紙を2枚、半分に切って(つまりB2)、2時間で計4枚やった。限られた時間内に、なんとか格好がつくように一応終わらせるために、結構頭を使ったのでくたくたになった。乾かないので、そのまま平置きにしておいてもらった。

そのやや大きな作品4枚の中からよくできたものを近日中にUPしたいです。

金曜日にもう一度伺う。そのときに、また垂らし込みの実験をやらせていただく予定。

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2011年1月18日 (火)

Tomod`s トモズ ドラッグストア 反省ZERO

1月18日

私はブログに生活関係の記事を書くことは滅多にないが、そしてこれを書くことにとてもためらいがあったのだが、記録として残すことで、同じような厭な思いをした人の参考になるかもしれないので、あえて書き留めることにした。

私の怒りがおさまらないのは本社の顧客サービス対応をするイシザキという人間である。(いつくかのTomod`s(トモズ)店舗には、たまにとても親切な薬剤師さんもいるので、そういう人たちには好感を持っている。)

きのうは20パーセント割引のはがきの期限最終日だったので、近くのTomod`s(トモズ)で薬と食品を買ったのだが、賞味期限が近い食品で10パーセント引きになっているものを、つい何点か籠に入れてしまった。レジで会計をして、「こちらはすでに10パーセント引きになってますので割引き対象外ですがよろしいですか?」と言われ、一瞬「?」となったがレジを終了してしまった。薬と食品で7835円。

?・・・レジの横に同じ商品でまだ新しいものがたくさんある。そちらは20パーセント引きなのになぜ賞味期限切れに近い商品は10パーセントしか引いてもらえないのか?レシートを見ると「商品のお取り換えはレシート持参で一週間以内」と書いてある。レジに誰も並んでいなかったので、「すみません、やっぱりこれ(10パーセント引きの食品だけ)返品にしたいんですけど。」と言うとすごく不快そうな対応。「どうして賞味期限ぎれが近いもののほうが割引率が低いんですか?」と聞くと「もう割り引いてあるものは対象外とはがきに書いてありますから。」と憮然とした答え。新しいのと交換しますか?と言ってくれるなどの親切な対応はなかった。スタンプカードを出させられてスタンプをひとつ消された。「お名前は?」と聞くと「Sです。」とぶすっとにらまれる。

Tomod`s(トモズ)のHPを見てみた。「株式会社住商ドラッグストアーズ」とある。住友商事の子会社だから、キチンとしているのかと思ったら大間違いなのである。

総務人事部に電話(かったるい間延びした声の女の人が出る)、「顧客サービスについて対応してくれる方をお願いします。」と言ったら、イシザキという男性が出てきた。話して数秒で、恐ろしいくらい感じ悪さが伝わってくる人。落ち着きがなく、人の話を聞かない。(はぁ?それが何か?)的な挑戦的な人を舐めたしゃべりかたで、こちらの言葉をさえぎって勝手にこちらの意図と異なる方向に要件を捻じ曲げて割り込んでくる。この会社は平均年齢31.7才だそうだが、いかにも若くて軽薄そう。

「確認して留守電に入れときます。」と言われたので留守電が壊れている旨伝えたが、仕事で出かけるかもしれないので編集事務所のほうの電話も言った。すると「それは屋号なんですか?会社の正式名称はなんですか?漢字は?後ろ株ですか?前株ですか?」と聞かれ、「なぜ前株かどうかなんて必要なんですか?」と言ったら「メモのため。」だそうだ。「もし留守電を直したら留守電に何を入れるんですか?」(留守電録音30秒で済まされても不快だと思ったので)と言ったら「留守電、直せるんですか?(直せないって言ったのはうそなんですか?)」と凄んでくる。(意味不明。)

個人情報を根掘り葉掘り聞かれたが、その際に「失礼ですが○○をうかがってもよろしいですか?」の言葉一切無し。もちろん「すみません」などの言葉一切無し。

そしてこの会社の不気味なところは、顧客の電話(クレーム、質問など)に対応するのは、必ずこの恐ろしく傲慢なイシザキという男性ひとりのみ、ということだ。ほかの人間が対応してくれることはない。

そして、今日そのイシザキという社員から返答の電話が来たのだが、まず、いきなり、「会社のほうに電話したのに会社にいないじゃないですか。きのうあなたが言ったのはうそだったんですか?」と責められた(不気味)。私はそちらに行っているかもしれないから、と言っただけなのだが・・・。

昨日の段階で、あまりに気持ち悪い対応をする人なので、この人以外の人に電話をいただきたい、と電話対応の女の人に約束していたのだが、それもイシザキにつぶされたようである。

そして「確認しましたが、すでに割引きになっている商品は割引きできないとはがきに書いてありますので。」ということだ。「なぜ同じ食品で古いもののほうが高くなるんですか?」ともう一度聞くと「はがきに書いてあるからです。」と平然。「価格のつけかたとしておかしい、客に対してサービスになっていないと思いませんか?なぜ新しいのと変えましょうか、ひとこと言ってくれないんですか?」などの質問には、「お客様が選んだんですから。」という答え。

「確認というのは上司に社の方針として確認したんですか?それとも店舗にですか?」の質問に対しては「答える必要はありません。」。「あなたはトモズという会社を代表して、その社員として責任を持って、窓口として、今この電話で消費者に対応しているんですか?」と聞いても、何に対しても「答える必要はない」の一点張り。

そのくせ「さっき事務所の電話に出た人は誰なんですか?あなたとどういう関係なんですか?あなたは社員じゃないんですか?」など、それこそ私が答える必要のないことは聞いてくる。(あまりに不気味。)

「ほかの近隣のドラッグストア(サンドラッグなど)のほうがもっとずっと親切に説明やアドバイスしてくれますよ。」と言うと「あ~~そうですか。」と平然。「この電話は客へのサービス改善のために対応する電話じゃなかったんですか?」と言うと「お客様の質問に答えただけです。さっきからお客様の話が最初の質問とずれていますので。」と言う。「こんなにも失礼な対応の会社は珍しいです。」と言うと「お客様の言ってることがわかりませんが。」という発言が何回も繰り返された。

しかも、「私の上に上司はいませんから、手紙(親書で社長宛に出しても)全部私のところに集まってくるから、無駄ですよ。」と言い放った。

つまりこの人の対応が会社のトップの方針と一致しているのかは不明。

「サービスや態度について少しも謝罪する必要はないと思われるんですか?」と聞くと「謝罪してほしいんですか?もう要件はすんだんだから切りますよ。」と言われて電話を切られた。

なるほど。上司がいない。だからこれほどの頭と態度の悪い人間でも顧客対応の仕事ができるのか。この人ひとりで対応しているとしたら、消費者がメールで質問やクレームを出してもろくな返答はないだろう。ほとんどパートとアルバイトで回転しているのだろうが、本部にいる社員(薬剤師さんなどの専門職では無い社員)に関しては、全く不気味な会社。

この嫌悪感に比べれば店舗のパートさんの感じ悪さなど些細なことであった。

もし、私のほかにもTomod`s(トモズ)で厭な思いをした人がいたら、本社に電話するともっともっと厭な思いをするので親会社の住友商事に直接電話したほうがいい。こちらはさすがに感じよく、まともに話を聞いてくれる。

――――――

夜になり、友人とサルヴァトーレ・クオモのデリバリーをとった。私は肉類が食べられない(好き嫌いではなく、昔から犬猫と親しく近くにいすぎたので、動物を殺して食べることに対して身体拒絶反応が出てしまうのである。)ので、電話したときに、一応「エビカニのクリームパスタに、べ―コンやハムなどの肉類は一切はいっていませんか?」と確認した。30分ほどで到着(速い)。ところがパスタの中に大きなベーコンが入っていたので、一応電話してみた。

すると店長さんが電話に出てきた。「ええと・・・次から問い合わせのときに材料の確認をお願いします。」と言うと「今回は大変申し訳ありませんでした。今からベーコン抜きのものを作ってお届けしたいのですが。」と言われてびっくり。「いいえ、それは大変ですから・・・それでは悪すぎますから。」と言うと「いえ、こちらのミスですから。今更ありがた迷惑でしょうが、私の気がすまないので、ぜひ、そうさせていただけないでしょうか。」とさわやかに言われた。(かっこいー!!)

Tomod`s(トモズ)の対応となんという違いだろうか!!!

そして新しいパスタとサービスでアイスクリームまでつけて届けてくれた。デリバリーの人(デリバリーの若い人も感じのよい人でした)に「申し訳ないです。ありがとうございました。店長さんによろしくお伝えください。」と頭を下げた。友人も感動していた。今度からぜひお店に行こうと思う。

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2011年1月14日 (金)

絵画 花輪和一 ドイツ 

Sdsc05093

DelightⅡ

water color, paper

Sdsc05081

DelightⅠ

water color, paper

Atem_10  

Atem(333×242mm)

1月14日

花輪和一から届いた彼のドイツの友人からの手紙(英語)の訳を電話で伝える。手紙文の内容は平明なのだが、なにしろアルファベット文字が判読不能。丸っこくて線がとぎれとぎれで、こんなに読みにくいつづりを書く人は初めて。

「これだけ他人に読めない字を書くっていうのがすごいよね。日本人だったら字がきたなくても読めるように書こうって気にするよね。全然気にしないんだからすごいよねえ。」と花輪氏が言った。

翻訳代として2000円くれると言ったが、いらないから今年はお互いに出さなかった年賀状をちょうだいと言った(昔はすごく凝った絵をやりとりしたものです)。

「外国に行ったことなかったけど、ドイツに行って眼からうろこだった。あの文化はすごいよ~~。(家並みや景色がすごくきれい)」とのこと。「林の前で餌まいてたら林の中からどんどんイノシシがやって来た。」

油絵描いたことあるんだよね?(私は油絵具の経験が無い)と絵具の粘度について聞いたが、「昔100号の油絵描いて公募展に出したけど落ちて、その絵、燃やしちゃった。」と言う。「なんで?もったいない。」と言うと「だってバカらしくて。」と言った。

「顔の肌色のいろんな色の感じとか、シーツの皺の光の反射とか描くとき、油絵のほうが水彩なんかよりもずっと簡単なんだよね~。」と彼は言った。なるほど、そうなのか・・・

1月8日

ベルリンのNさんから、雪景色の写真が届く。

真っ黒いシュプレー川の水に浮かぶ夥しい氷の破片(写真を見ているだけでも背中が凍えて来そう・・・)。Hof(中庭)で雪合戦をする子供の赤いジャケット。雪の夜、そこだけ光って見える落書きだらけの黄緑色のペンキの小屋。タへレス(アーティスト達が不法占拠したビル)の前の真っ赤なライトに染まった雪とZAPATA(バーの名前)のライト。地下鉄のOranienburger Straßeの光る看板の向こうの、チャコールグレーと藍色の混ざった暗い空。誰もいない公園の黒い細い木々の枝枝にも、置き捨てられた自転車の上にも、柵の鉄の細工の全ての模様の上にも、雪、雪、雪。

寒さに弱い私にはじかに見に行けない風景だが、限りなく抒情的に胸に迫る。

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2011年1月11日 (火)

新しい年 絵画

Slichtzwang

Lichtzwang (227×158)Japanese paper, silver foil, pigment, glue

1月8日

待ち人来たれり。去年の年末にぎりぎり送っておいたメールの返事が来た。それで、ぱあっと明るい気分になって、やる気も倍増。真面目に出したものになかなか返事が来ないと、見捨てられたのかと思って意気消沈してしまう。しかし、軽いものでなく、誠実な返事が来ると本当に信頼していてよかった、と思う。新作の絵の整理、写真撮りとUPを進めよう。

1月7日

母を迎えに行く。冬らしい寒い日だったので歩かずにタクシーで帰る。

少しずつ大切な人へ賀状の返事を書くが、ぱっぱっとは書けないで時間がかかる。ひとりひとりに対して、均一でなく、ちゃんと書こうとしてしまうのでたいへんなのです。

1月4日

母を百人町のKに送っていく。

1月2日

両親と実家で食事。とりあえず今年も生きているということがめでたいのだと思う。

精神的に苦しくて年賀状を書けなかったのだが、大切な人が亡くなったのは去年のこととして、書かなければならないのだろうか。

新しい光とともに、まったく新しい気持ちで希望を持つ、という切り替えがむずかしい。

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