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2011年2月

2011年2月26日 (土)

浅田真央 シュニトケ「タンゴ」  リスト「愛の夢」

2月26日

浅田真央、安藤美姫など、フィギュアスケート四大陸選手権の録画を見ている。

シュニトケの哀愁に満ちたメロディ。ダンスは妖しく気高く始まり、同じ旋律が繰り返されるごとに熱は高まり、止むにやまれぬ気持ちに体はせきたてられ、動きは激しくなる。そして誰にも止められない強い意志を貫き通すように背筋をピンと張ってフィニッシュ。

シュニトケが1990年からロシアを離れ、1998年に亡くなるまでハンブルグに住んでいたと知り、私が最初にハンブルグを訪ねた時、あの小さな町にシュニトケも住んでいたのかと思うと、余計に哀切でパッショネイトなメロディが心に沁みる。

あのとき、私はいつか会えると信じていて急死してしまった最愛のドイツ人画家の住んでいた家を訪ねに、ハンブルグの小さな丘の上を目指して行ったのだ。風の強い寒い日だった。灰色の空。エルベ川が果てしない灰色の大海のようだった。

リスト「愛の夢」。

「愛の夢」とはどんな夢だろうか。薄紫のヒヤシンスが見る夢。しかしこれはなんという孤独と静寂の中の夢なのだろう。高く舞ってトリプルアクセルを決めた瞬間も、まるで人間の肉の重さ、不自由さを感じさせない静かな着地。余計な動きやブレがない。細く長い手足のせいなのだろうか、身体感覚の洗練が余計な生身の人間の雑味を感じさせず、極めて削ぎ落とされた端正な動きの残像を幾重にも切り取って見せた。透明で静かで優雅であった。浅田真央に惹かれるのは、この孤独感、この緊張感。

まだ見知らぬ愛の対象に駆け寄る「愛の夢」もあるが、かつて激しく愛して今は失われてしまったもの(それが人間ではないものでも。)に駆け寄る「愛の夢」もある。

私にとっての「愛の夢」は、かつてあんなにもこがれた、あんなにも情熱の対象だった大野一雄先生、若林奮先生、種村季弘先生、毛利武彦先生、今だ亡くなったことが信じられない大切な人たちのほうへ、まっすぐに走っていく夢なのである。

体操競技やフィギュアスケート競技の最高のレヴェルの演技を見るのは本当に気持ちがいい。そこには緊張感あふれる研ぎ澄まされた身体そのものと、目の当たりにする演技、直接目から入ってきて私たちの身体を震わせる動作があるから。「実践」による本当の美しさというものはかけがえがなく貴重だと思う。

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2011年2月24日 (木)

ホームページ / 戸山 人骨

2月24日

まだ不十分なところもありますが、このたびホームページをつくりましたので、見てくださるかたがありましたら心より感謝します。ほとんどすべての画像が拡大して見られるようになっていますので、カチャカチャ(クリック)して見ていただけると、心より幸いです。

http://chisako-fukuyama.jimdo.com/

もし、装丁、挿画などに使用してくださるかたがありましたら、ご連絡をお待ちしております。

2月22日

前日の夜。新宿区戸山で人骨の発掘をしているニュースを見、それが731部隊の人体実験の人体標本を埋めたものではないかという話をきいたので、きょう戸山のMに母を迎えに行く前にその場所を見に行こうという気になった。

東新宿で降りて、戸山公園入り口を入る。生まれた場所から遠くないのだが初めて歩く戸山公園、箱根山。みごとにねじれた枝ぶりの桜の古木の後ろに、団地の洗濯物がきれいに並んでいるのが絵になっていた。つつじの植え込みの中でひなたぼっこしている猫たち。とんがり屋根のある小さな教会。400年も生きているのではないかと思われる欅の巨樹の前にトラックで来た八百屋さんがお店を広げていた。

そこから早稲田のほうに歩みを進めなければならなかったのだが、母を迎えにいく時間が気になって図書館のほうから大通りに戻った。

2月14日

乾かしていただいていた絵を引き取りに渋谷に行く。ヴァレンタインデーなどの行事には縁のない私であるが、Uさんにお礼にチョコレートと苺を持っていったら喜んでくれたので良かった。

店に戻って画材の買い足しをして、スタッフのひとと技法について話していた若いスタッフの人が絵を見たいというので、巻いてあったのを広げて見せたら、「わあ~」と驚いてくれたので意外だった。自分の目には、やっているうちに慣れてきてしまうせいか、あまりうまくいかなかったと思っていたのだが、わりと熱心に見てくれて「勉強させていただきました。」などと言われ・・・他人の眼には新鮮に見えるのだろうか?

たしかに自分にとって見たこともないものは「すごく」見える。その技術を身につけてしまえば最初の段階のものは、もはや物足りなくみえたり、洗練されていなく見えたりする。

(しかし不自由さの中で迷いながらやった一番最初のものが一番良いもののときも、ままある。)

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2011年2月14日 (月)

アゲハの幼虫の死  /  HP(ホームページ)製作

2月13日

11日に降った雪で、ずっと大切に見守っていた金柑の木に住んでいたアゲハの幼虫が死んでしまった!木を確かめたら、どこにもいなくて、木の下に亡きがらを見つけた時の激しいショック!!

どこをどう考えても私のせいだ。雪になると聞いた瞬間にすぐに枝ごと折ってきて、飼育箱の中に保護すべきだったのに・・・今まで、ものすごく寒い日もなんとか生きていたので、雪で下に落とされることを瞬時に思いつかなかった。

ものすごい後悔と身体の痛みでおかしくなりそうだった。

11月に1齢だったところを見つけて、これから冬になるのにだいじょうぶだろうかと、毎日心配していたのに。もう最近は終齢に入っていたと思う。とても大きな緑の姿になっていたが、なかなか蛹にならなかった。蛹になっていれば雪にも耐えられたのだろうか。春まで蛹のまま耐えて、日の差す朝に飛べたのだろうか。

自責の念で泣きわめいてももう遅かった。あの子は私が見つけて、私だけが大切に見つめてきたのだから、「私の」幼虫であり、私が責任もって飛び立つ日まで見守らなければならなかったのに。

誰でもが「秘密の領域」の中で、自分だけの木を持ち、自分だけの草を持ち、自分だけの動物、自分だけの虫、自分だけの場所を持つ。その生命は誰にも理解されなくても大切に守らなければならない。

たまたまそこで出会ったものが大切なもの(人間以外の生命)だったら、その生命の重さをどう扱うかは完全にこちらがわの生き方(責任と感じるかどうか)に左右されてしまう。「問われる」のか「問われない」のかを決めているのはこちら側の身体だ。

他人と「解釈」や「感覚」がいかに違おうとも。その場所で「人倫」の遠近法が狂うのは、人の社会に生きているかぎり当たり前の軋轢だ。ここに他人と共有しきれない強烈な「秘密の領域」が生まれる。

ここで言っているのは趣味の話ではなくて、「生命」に関する話だ。人間が決めた殺していいものと殺してはいけないものの「法」の常識と、他者(人間以外)の生命との関わりの瞬間に激しく湧き上がるものは決して相容れることはない。

その身体感覚について、人間中心主義に反対する文献を軽く口にする人が、実際の肉の痛みをどれほど平準化して殺してしまうのかは、説明不能なほどの罪深さだと思う。

とにかく自分に対して許せなかった。ぐだぐだと泣くより何か自分を追い込む作業をしたかった。絵にのめり込むよりもっと、いつもの自分と違う追い込み方をするべきだと思った。それで直観的に思い立ってHPをつくることにした。

PCに触ってまだ3年のドシロウトの自分が、何か建設的に自分をさらす場所を自分一人の力でつくるのはいいことだと思った。

さっそく本を買ってきて、無料でできるHP製作にチャレンジしてみた。はじめてみたら集中できて朝までやっていた。

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2011年2月10日 (木)

ビーズのバッグ ヴェルヴェット ビロード

2月10日

夕方新宿に出る。Sちゃんに写真を送るためにビーズバッグを持って撮影。新宿の街は混んでいた。明日から3連休だとこのとき初めて知った。

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2月8日

旧友にして親友のSちゃんから包みが届く。開けてみると繊細な古い銀色のビーズのバッグだった。探しものをしていたら出てきたもので、亡きお母上がSちゃんに買ってくれたものだけど使う機会がないので私に使ってほしいとのこと。

お母様の気持ちがわかって、Sちゃんの気持ちもわかって胸が痛い。心のこもったものを使ってあげたいのに、ちょっと使う機会がない、ということらしい。私だってビーズのバッグを使う機会があるわけではないのだが・・・

思い出してみると、私はよく大切な女友達から、「自分はもう二度と着ることはないから、よかったら着て。」と言われて、服をもらったものだ。

それは傷つきやすい少女時代の思い出の服のようで私の胸を締め付けた。私が18歳のとき、Sちゃんは私に小花模様のさらさらした白い木綿のシャツをくれた。誕生日には手作りの細かい刺繍の匂い袋を・・・花の中にちっちゃな女の子が佇んでいる刺繍の中にFUKKOと私の呼び名が縫いとられていた。

誰よりも際立って美貌のTは、19歳の私に小豆色に白いドットのワンピースをくれた。一年前にそれを着ていたTを鮮やかに覚えていたので私は嬉しかった。それから、紺色の夏のスカート、グレーの木綿の袖なしのワンピース、インディアンレッドの真冬のざっくりしたセーター。Tのおそろしく細くて白い指には大きすぎる銀の指輪。

私よりたったひとつかふたつしか上でないのに、19歳や二十歳のときに彼女たちは少女時代をもう過ぎ去ったはるか遠いもののように言った。そして、なぜか私のことは、決まって「いつまでも変わらない」と言うのだった。

そして私はどんなに時が経っても、大切な友達からもらった服をちゃんと持っているのです。

Tの形見の指輪も。(一度は無くしたと思って泣いたが、大野一雄先生を送る会の夜に、家の中のひょんなところから発見された。大野一雄先生のおかげだと思う。)

近年、私の秋冬の服は、作業着は擦り切れたエアテックパンツ、そうでないときは古着のヴェルヴェット(ビロード)と決まっている。

ヴェルヴェット(ビロード)、別珍、ポリエステルのべロア、色は大抵黒だが、チャコールグレーや、暗い緑色や暗い紫色のものもある。シャツ、スカート、コート、ワンピース、全部同じような素材。

全身黒のヴェルヴェットにSちゃんからもらった銀のビーズのバッグを持って、真冬の夜の街に出かけようと思う。

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2011年2月 7日 (月)

築地

2月7日

築地の病院。「きょう、お時間あったら血液を採りたいんですけど。すみません。」と主治医のA先生に言われる。「すみません」と謝られるようなことではないのだが・・・。今まで何度A先生の「すみません。」を聞いたことか。とても優秀な医師なのだが、初めて会った時から、少しも変わらず、偉ぶらない。静かで、ボソボソ小さな声でしゃべる。何年経っても権威のいやらしさが身につくことがない、とてもチャーミングな先生なのである。

血液4本採取。レントゲン。

そのあと築地の場外市場を散歩。

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テープの貼り跡が美しい絵になっていた。

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きょうは良いお天気でした。

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ちょうど市場が終わった3時頃。

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敏捷で男前な猫。一瞬振り返ってから走り抜けて行った。

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関東大震災の後に銅を使った家ができたというが、当初は赤銅色だったと想像できない。緑青の洗練された渋い色味に惹きつけられる。

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なんという微妙で深く濃やかな色、色、色。木枠の歪んだ灰色ガラス。

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銅、鉄、ぷらすちっく、木。

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貝?と思ったらふぐのヒレだった。

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お店の裏の空き地のセイタカアワダチソウやエノコログサ。

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波除神社の鳥居に枝垂れている木は、枝垂れ桜?と遠目に見えたが、幹は銀杏。近寄ってみると「枝垂れ銀杏」と書いてあった。

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近くの果物屋さんとお団子屋さんとお米屋さん。

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「犬に顔や手を近付けないで下さい。大変に危険です。」

「猛犬に注意!」と書いてある大野屋米店さんのわんこ。

4時半頃、にわかに北風。急激に寒くなって来た。おなかもすいて、血を採られたせいかフラフラしたが、たくさんのお寿司屋さんをチェックしただけで、食べないで帰った。

2月6日

母を百人町のKに送る。手のリハビリのために、塗り絵を2枚やった。リスの持っている大きな四角いものを私はどんぐりだと言ったが、母はお茶碗でしょう、と言った。「20」と「11」と2段に書いてある数字を「この数字はなんの数字ですか?」と職員さんに訊いてしまったら、「2011」と横に書けばよかったのだが、大きく書きすぎて入らなくなったので2段にしたのだと言われた。3箱あった12色の色鉛筆の色のかたよりを揃え直した。

5時過ぎまでKにいて、はらぺこのフラフラで新宿に出る。京王フローリストで、初めて見る新種の黄色のチューリップを発見。八重咲きと百合咲きの合体のイエロースパイダーをさらにフリンジにしたような不思議なかたち。

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2月1日

1月25日くらいから眼がかゆいので、クリニックに行ったら、「エルピナン」という錠剤と「フマルトン点眼液」を出された。花粉症なのかどうかは不明。検査してアレルギーでなくても出す薬は変わらないとのこと。右肩の筋肉を痛める。

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