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2011年3月

2011年3月28日 (月)

地震 原発 信憑 ちゃび

3月27日

福島第1原発で、2号機タービン建屋地下の水たまりで26日朝採取した水に含まれる放射能濃度が、運転中の原子炉内の水の約1000万倍(1立方センチ当たり29億ベクレル)に上ることが分かった。水たまり表面の放射線量も毎時1000ミリシーベルト以上と、同原発でこれまで測定された線量で最大。東京電力が27日発表した。

また新しく悪い段階にはいった。昼11時のニュースを見て胃痛と吐き気激しくなる。

のちに27日の深夜、東電は汚染水の放射能濃度を修正。東電、保安院の人命を軽んじる態度には、もういいかげんに頭に来た。

原発1号機建屋が水蒸気爆発してから、炉心が水から出ていると聞いて、3号機の空高い水蒸気爆発、そして黒煙・・・・最初のぞっとした感覚から肩、首、背中の痛みは激しくなりほとんど食べ物が咽喉を通らなくなった。

何も買いだめなどしていない。そんなスピードも体力もない。

今、腹が立っているのは原発はもういらないという意見に対するバッシングが横行していることだ。

これからどれほどの現場で実際に作業しなければならない人達が被曝するんだ?福島の人は本当に守られているのか?そのことを東京にいて、心痛で吐くほど心配することのどこが「煽り」なのか?

「当事者」と「関わる」ことのない無駄なおしゃべり、最も苦しんでいるものをネタにしたイベントは嫌い、と私は書いた。

では私も「現場で実際に作業しなければならない人達」を「福島の人」をネタにおしゃべりしているのか?

「当時者」と「関わる」とは、いわば「無関係の関係」である。「関係なき関係性」と言っていい。

シンポジウムで誰かの意見に反対したり、賛同したりする予定調和的な役割分担――社会的な相互補完的な関係、そうしたイベントから離れて、身体的につながっているということだ。

20年くらい前に広瀬隆「危険な話」や堀江邦夫「原発ジプシー」を読み、激しい衝撃を受けた。それから原発反対の識者の意見などもたまにチェックするようにしてきた。自分はずっと原発には反対である。

そして原発に反対だという話をすると、必ず「代替エネルギー発電の方法がないんだから」「日本の原発は絶対安全なんだから」と政府や電力会社のCMを鵜呑みにしている人の強弁に口をふさがれた。でも、本当にそうなのか?

原発に関して少しでも意識を持って来た人間だったら、今回の事故の最初にぞっとしたに違いない。それは、取り返しのつかない、収拾のつかない惨事になるかもしれない(眼に見えない放射性物質についていくら勉強しても直接的にはわかりにくいからこそ怖い)、という生命の恐怖反応なのだ。

福島第1原発3号機は昨年10月26日、MOX燃料(プルトニウムが含まれている)の装荷後、初めて営業運転を開始している(『福島民報』同27日付)。MOX燃料が全燃料のうちたとえ約4分の1であるにせよ、東電側もTV報道も、この事実を積極的にコメントしていない。

現場の人が被曝して身体に確実に損傷を受け、死の危険にさらされなければ成り立たない原発はおかしい。地球温暖化ばかり取り上げられてきたがプルトニウムの毒性はCO2と比べものにならない。今、すでにある放射性廃棄物の管理も未来永劫必要。放射能は消えるのに時間がかかりすぎ、扱うのにリスクが大きすぎる。

それでも電力会社と政府とマスコミが原発擁護し、だらだらと意味のわからない会見(情報隠蔽)をしているのは原発が巨大なビジネスになるからだろう。

権力、利権誘導、自己保身、慣れ合い。正力松太郎、中曽根康弘、自民党、原子力発電プラント事業、東芝、日立、三菱重工、ゼネコン、地方自治体の長、原子力安全委員、保安院、東大、経済産業省、JBIC・・・・・

それを暴くフリージャーナリスト(TV局スポンサーを持たない人たち)。

たくさんの情報、たくさんの言葉がネットに飛び交っている。何を信じるか、これを「信憑」と言う。

誰を信じるのか?

私は利権を持たない人、言動に身体がかかっている人、感覚の鋭敏な人、顔がいい人、「弱いもの」のことを口先でなく身体感覚としてわかる人を信じる。私は存在の雰囲気を見る。つまらないおしゃべりをしない人(これはなかなかいない。内容が興味深い話であれば饒舌もいい)を好きになる。

この混沌とした状況で、何かを丸のみに信じて、それにぶら下がっていくのは不可能である。盲信こそが傲慢である。重要な部分で合うところ、専門家の建設的なアイディアに期待するしかない。

震災前に昔のネガを整理していて、デジタル化するためショップに預けていたものが、震災後返ってきた。ちゃびの赤ちゃんのときの写真をUPすることにした。

最初の地震のとき、ショックで怯えて2時間以上も物陰に隠れて出て来なかったちゃび、余震のたびに飛び起きて怖がっているもう老猫のちゃびを、怖がらせないように、全身で守ろうと決めているからだ。ちゃびを移動させたら死んでしまうかもしれないから、私は東京を離れないと決めた。

「ちゃび」と「こな」がうちの子になった日の写真。(すべて、クリックするととても大きくなります!)

雪みたいに白い「こな」♂と茶色い「ちゃび」♀の兄妹。

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お風呂にはいりました。

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眼は海みたいな青い色でした。

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ぬいぐるみ噛むの好き。

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顔を噛まれているちゃび。

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好きで好きでたまらないふたり(兄妹)。

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こなはゆえあって行方不明になってしまい、私にはもうちゃびしかいない。

動物の歓喜。動物の体温。

動物には人間の作り出した「観念」、「金」の欲望がない。

人間の作り出した身勝手な欲望で生き生きした生命を殺すことは、もうこれ以上、絶対に止めなければならない。

人間には人間以外の生命に対する全責任もあるのだから。

3月22日

東北関東大震災で亡くなられたかたがた、本当に悲しい。そして怖い。

11日に激しい揺れが来た時、新宿の戦後すぐに建てられたボロボロの木造住宅に住む両親はもう死んだと思って涙が出た。そのあとしばらくして公衆電話に並んで電話したら生きていた。

そのあと東北の被災者の悲惨な状況を見、そして福島原発事故。

ずいぶん以前より私は広瀬隆や堀江邦夫その他の本を読んでいたし、ずっと原発には反対だったし、けれど原発反対と言うと、必ず、「原子力は安全でクリーンなエネルギーなんだから、日本には資源がないんだから」、と強弁する人がいて、その根拠はどこからくるのかわからないのだが、そういう強い人たちの前ではどうしたらいいかわからない状態だった。

放射性廃棄物の処理地を募集しています、とかブーメランのように投げると帰ってきます(プルサーマル)とか、スイッチ、東京電力というCMがTVで流れるたびに異様に苛立ってきた。(たしか滝川クリステルや鈴木杏や岡江久美子などがCMに出ていたと思う。それから草野仁や「やくみつる」は原子力推進委員会に関係していたと思う。中部電力のCMには弁護士北村晴男、勝間和代、薬丸裕英が出ていたらしい。)

最初に福島第一原発の1号機が爆発してから、燃料棒が水から出て空気にさらされているという報道があり、3号機の水蒸気はもっと高く空に黙々と上がり、(経緯の次第はよく覚えていない)私は恐怖で神経がおかしくなっていった。

自分が今までずっと反対していた原発に殺されるのだけは嫌だ。いわゆる事故や病気で死ぬのとはわけが違う。原子力は人間がつくってしまったもので、手に負えないとわかっていて、電力会社、TVマスコミ、政府一体のあらゆる欺瞞に押し切られていると知っていて、反対運動で止めることができなかったものなのだから。

とりあえずどこかに避難できるのならして、心身を少し落ち着けて、その上で募金なり、自分にできることをするのがベストであると思う。東京にいて、神経衰弱になりながら体調を崩していてもなんの役にも立たないのだから。

けれど私は東京にいる。その理由は自分の命と同程度大切に思っている命を置いて行けなかったからだ。平常時だったら、ベルリンに行こうと思っていた時期だし、九州と北海道に一時泊めてくれると言ってくれた友人がいるが、自分だけ避難しても神経が休まらないと思うので・・・。

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2011年3月10日 (木)

ミモザ 沈丁花 巴旦杏 ゴッホ

3月9日

税務署に書類を取りに行くついでに、団地のほうやお気に入りの狭い路地を歩き回った。

大好きだった古い築地塀の脇の細い坂道の両脇にあった空き地と廃屋は無残に潰されていた。左は平屋の家の前にムラサキハナナの花がびっしり、右はカラスウリが絡まる塀の中にヨウシュヤマゴボウが紅葉していたのを、もう記憶の中でしか見ることはできない。

沈丁花の香気。遅咲きの二色の梅。誰かが摘んだフキノトウのあと。

必ず毎年訪ね歩くミモザの木が6~7本あるが、だいたいどれも今がちょうど満開だった。

大好きな二本の巴旦杏(李、すもも)の木は固い花芽がびっしりついていた。この巴旦杏の木は4月に真っ白な花を咲かせ、7月に夥しい数の甘酸っぱいルビー色に爛熟した実をつける。

空色を背景に満開のこの白い花をゴッホも描いていた。ゴッホは巴旦杏の枝を何度か描いているようだが、空色の背景の絵を初めて見た時、私は絵具そのものが燦然と光をため、光を発することに胸が震えた。

この巴旦杏の種子のからの中の「仁」の部分がアーモンドだが、アーモンドの果実の果肉は食用にならないそうだから、ゴッホの描いたアーモンドは、この木とは種類が微妙に違うのだろう。

団地の中にあるこの巴旦杏の木やミモザの木は、優しい面立ちの友達のようなものだから、私はこの木が団地が崩されるのと同時に切り採られてしまうのではないかと心配でたまらないのだ。

夏蜜柑の木や金柑の木や山椒の木にアゲハの幼虫がいないかと探したが見つからなかった。そう、もう少し暖かくなってから生まれたほうがいい。

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2011年3月 7日 (月)

世界ジュニアフィギュアスケート選手権2011 エリザベータ・トゥクタミシュワ

3月6日

世界ジュニアフィギュアスケート選手権。

庄司理紗はかわいいし、とても14歳とは思えないしっとりとした動きでミスも少ないし、素晴らしかったのだが・・・

ロシアのアデリーナ・ソトニコワとエリザベータ・トゥクタミシュワ。あの新体操的な恐ろしく細長い手足。少年のような顔と、まだ固い少女の胸とあの大人びた芸術性はすごく詩的であった。

激しくも華麗な演技で二人とも強烈にアピールしたが、特にエリザベータ・トゥクタミシュワ。重く激しいアレンジにしたアストゥリアス。ギターバージョンしか知らなかったので、アストゥリアスってこんなにかっこいい曲だったっけ?とくぎ付けになった。黒と赤の衣装で妖しさを秘めた心憎いような決めポーズ。手首や指の使い方が劇的。

こんなすごい子たちが浅田真央のライバルになるのは・・・相手として申し分ないと言うところでしょうか。

次の日、深夜youtubeで二人のガラを見た。発音はトゥクタミシューワとなるのだな・・・エリザベータは細い腰にぴったりした黒いスーツでマイケルジャクソンを踊っていた。やっぱり、小粋でかわいい・・・。アデリーナは黒鳥。ふたりの個性を引き出すプログラムをすごく考えている感じがする。

フィギュアに関しては、曲のアレンジ、強い印象を与える音質や曲調の盛り上がりがとても重要になると感じる。

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