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2011年4月

2011年4月26日 (火)

4月24日 反原発デモ / 東電・保安院合同会見

4月26日

反原発のためのプラカード

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マイン・マーラーH.Jによる「死と乙女」の変奏、の変奏。(BGMーHuman Expression)

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本日はチェルノブイリ事故から25年目にあたる日。

きのうときょう、5時からにこにこ動画で東電と経産省・保安院と内閣府・安全委員会の合同会見を見る。これまで昼の1時頃と夕方6時頃、東電の会見は保安院と別にやっていたが、25日から合同になった。

連日、4時間の長丁場になり、PCを見ているだけで腰が痛くなる。

安全委員会は専門家が出席せず、担当の広瀬研吉(内閣府参与)のおそろしくだらだらと理解しがたい話しかたに唖然、慄然。

人命に関わる急を要する質問に対してまったく意に介さず、要点をはずし、答えにならない答えを長々とゆっくりしゃべる。相手の必死さに対して徹底して他人事。

このやりくちには私の身体の記憶に覚えがある。

いくら責められても自分は安全な場所にのうのうとして他人事。質問に対して答えないでずれた決まり文句だけを繰り返す。自分の気が進まないことは、やりますと口で言うだけでいつまで経ってもやらない。サボタージュのうちに逃げ切れると思っている。

逃げとごまかしのうちにずるずると時を過ごすやり口。決して本質に向き合わないようにかわすことが習い性の自己保身。そうやって地位を守って生き延びてきた。

体験として、こういうやり口の知識人にあったことがある。それも一人や二人じゃない。その人の自己保身の慢性的な身体反応になっているから、「わざと」でも「無意識」でも、もう同じことだ。

細野豪志も(原発の収束の見通しが)「夢」と発言するなど、浅薄で勉強不足なだけでなく恐ろしく不用意な馬鹿じゃないかと呆れた。

4月24日

芝公園23号地集合の反原発デモに行ってみる。(チェルノブイリ事故の4月26日にあわせたデモ)

神谷町から歩き、ちょっとわかりにくい場所だったが、警察の人員輸送車と警官がたくさん集まっていたので集合場所を発見。

集合場所ではたくさんののぼり。市民団体や組合や党派の旗。

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プラカード作って来なかった人には印刷物を配布してくれた。(私は自作のを持って行きました。)

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後の報道で4500人と知った。昨年、同じデモでは100人くらいだったそうだ。

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芝公園を出て、経産省別館の前を通り、中部電力東京支店前を通り、東電の前でアピールし、常盤橋公園で流れ解散のコース。出発の時点で200人くらいずつに団を切られる。私はとりあえず、前から4つ目くらいの団の最後列にくっついて出発。

途中、日曜で人のいないオフィス街を通るのはさみしかった。後ろの団の先頭の拡声器を持っている人から「WE SHALL OVER COME」を歌いましょう、という声を聞いてがくっとなる。あまりにも昔風のシュプレヒコールでちょっと・・・自己満足と言うのか凡庸の紋切り型と言うのか。4月10日の高円寺のデモのほうが気迫はあったと思う。やはりグループでなく、個の集まりで、自由な気風のほうが。

数寄屋橋から東電前のシュプレヒコールでちょっと盛り上がった。日曜だが東電ビルの高い窓の明かりはついていた。

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歩道のきわでオリジナルの横断幕(チェルノブイリの奇形の子供と東電社長の顔のショッキングなデザイン)でアピールする人

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警官がいっぱい。列を横にはみ出す人がいると7,8人の警官がすぐに駆け寄る。

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最後の団には、高円寺のデモで見たピエロの扮装の人たちや歌を歌う人たちがいた。やはりノンセクトは一番後ろの団だったようだ・・・。

どんなアピールをするか、どんな局面でアクションを起こすかは人それぞれだが、今はそれぞれ、何か行動を起こすときだと思う。

このデモの前日、ドイツのシュピーゲル紙が日本の子供に対して高すぎる放射線被曝量の基準値を確定したというニュースがTwitterで回って来た。

1年で約20ミリシーベルト、これはドイツの1人の原発作業員の最大値と同じである。

http://www.twitlonger.com/show/a1bk9a

この20ミリシーベルトだけはどうしても阻止しないといけない。子供の被曝の感受性に対して、これはもう狂ってる。

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2011年4月11日 (月)

4月10日 高円寺反原発デモ 

4月11日

4月10日の高円寺反原発デモ。

すごかった。この1か月、ずっと恐怖と怒りで苦しんで悩んできたが、胸に希望が灯る一日、最高のデモだったと思う。

何よりも組織や労組でなく、口コミやTwitterで、デモに初参加のたくさんの人を含む、多様な個が集まったこと、お仕着せのやりかたじゃない自由な雰囲気のデモだったことはすばらしい。そしてたぶん主催者の企図をはるかに超えて、あらゆる未知の広がりが起こっていった。

元気な若者もシャイな若者もたくさん。ご年配のかたも、車椅子の人も、外国人の人も、小さな子供を連れたお母さんも、乳母車の中で眠ってる赤ちゃんもいた。かわいい犬も一緒に行進した。

奇抜な仮装をしたい人はし、手作りのプラカードを持ちたい人は持ち、声をあげたい人はあげ、黙ってついて行きたい人は黙ってついて行った。それぞれのやりかたがすばらしかった。

プラカードや旗にも個性的なデザインのものが多かった。メッセージはシンプルで切実なものだ。「子孫を残したい」「子供を産みたい」「ちっちゃな子がかわいそう」「金より安全」「おいしい水道水が飲みたい」「ライフスタイルは変えてもいい」「原発はシャブ」

正直、10日くらい前に高円寺反原発デモのお知らせがTwitterでRTされてきたとき、いきなり「30万人デモ」と書かれていたので「?」と首を傾げた。松本哉のブログとHPをチェックして、本当に真面目なものなのだろうか、とちょっと懐疑的だった。

翌日、北中通りの本人のお店にも行ってみたけれど、そんなポスターもなかったので、とりあえず慎重を期して、自分のRTを取り消しておいた。

当日の様子を見て参加を決めることにして待機していた。

3時頃、南口の公園に向かう道の途中でスタートしたばかりのデモ隊と出会った。片側の道路いっぱいのデモ。すごい数の警官。先頭を行く警察車両の上から高い声の警官が「4列に並んでください。守らなければ主催者が逮捕されます。」と大声で叫んでいる。

列の中に、ボスニアから流れてきた運動家の友人を見つけた。「Sulejman ! Sulejman !」と叫んで追いかけたがものすごい音にかき消されてしまう。彼が振りかえって、私のところに笑顔で駆けて来た。「参加してよ!」と言われてそのまま列に加わる。

「また会えてうれしいよ!」と再会を喜び合った。「あなたは外国に逃げるのかと思った。」と言うと「いや、行かないよ。だいじょうぶだよ。」と言った。「アイルランドから来たジャーナリストのDavidは?」と聞くと「彼はきょう、芝の浜岡原発のデモに行ってる。」と言われて涙が出た。「彼、アイルランドに帰らなかったんだ・・・」

そこからしばらくSulejmanと石原都知事批判や原発について話ながらデモ行進した。話ながら勇気が湧いてくる感じがした。まわりにはこまめに取材している外国人ジャーナリストの女性もいた。私の日本人の友人も一緒にデモに加わった。

4月10日高円寺反原発デモ

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先導する車の上からの激しい叫びと演奏に歓声があがる。

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私の友人は学生時代の経験を生かして、列の後ろのほうでシュプレヒコールを先導して声が枯れた、と言った。誰かが声を上げないと皆やりかたがわからない。それも強制でなく自主的で自由な(てきとうな)やりかたで。

東高円寺を周って5時頃高円寺駅についた。「流れ解散してください!」とひっきりなしにスピーカーから指導されているが皆なかなか立ち去らない。めまいがするほどおなかがすいたので、友人とおそばを食べた。そういえば今日初めての食事だ。

興奮しながら語りあって、そばを食べ終わってまた6時すぎに駅に出てみたら、まだまだこれから続々と後からの団が到着しているところだった。

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「只今、第六梯団が到着します。皆さんと主義主張を同じくする人たちです。すみやかに道を空けてください。流れ解散してください。」と警官がスピーカーから叫んでいる。

「第六梯団てなに?どこかほかの場所から合流したのかな?」と友人と話していたら、やはり最初のほうの列で1時間以上前に戻って来た人に声をかけられた。「芝公園からじゃ遠すぎて歩いて来られませんよね。なんだろう?」

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暗くなっても続々と駅前に到着。高まる熱気と興奮。

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まだまだ続々と来る。

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「きょうは15000人集まりました!アルジャジーラも来ました!」という主催者の声に歓声。

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まだまだ。たくさんの人、人、人

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旗には話題のプルトくんの姿も。

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駅前の広場は笑顔で溢れた。

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忙しく立ち回る主催者側の人をやっとつかまえて聞いてみたら、ほかからの合流ではなく、全部、2時に高円寺南口公園に集まった人だそうだ。信号待ちなどで10団くらい(?)の梯団に分かれたそう。車は2台に分かれてそれぞれ違うグループの演奏をした(天ぷら油で電気をつくったとネット上のお知らせに書いてあったと思う)。車上以外にもいくつか電気無しの演奏グループが団の間にはいって演じたそう。

2時に集合して、あまりに人が多すぎて、隣の駅まで練り歩いて帰ってくるのにこんなにも時間がかかったことに感動!主催者にも全容がつかめないほどの盛り上がりと熱気。本当にこれは画期的なことだったと思う。

ガスマスクと防護服の人に話しかけている子供

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駅で、通りがかりの人に「なんの集まりですか?」と声をかけられた。「反原発のデモです。」と答えると「あら、私も知ってたらぜひ参加したかったわ。私も原発事故から毎日泣いてたんですよ。パソコンは始めたばかりなのでTwitterもまだよくわからないんで。」と言われた。ネットをやらない人達にも宣伝したらもっと盛り上がると思う。

帰宅したらすごい筋肉痛。心地よい疲れ。高円寺反原発デモのきょうの体験を個々が持ち帰り、これが次に繋がるひとつのきっかけになればと思う。

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2011年4月10日 (日)

震災 原発 動物 人間中心主義 肉食 アガンベン

4月9日

フルビネクは証言することができない。というのも、かれは言語をもたないからである。しかし、かれは「このわたしの言葉を介して証言する」。といっても、生き残って証言する者もまた、完全に証言することはできず、自分のうちにある欠落を語ることはできない。      (ジョルジョ・アガンベン 「アウシュヴィッツの残りもの――アルシ―ヴと証人』)

この「フルビネク」は「三歳くらい」の「アウシュヴィッツ」の子で、「話すことができず、名前もなかった」。(Levi 3,p.166)

「フルビネク」という名をもつ者は、「もっとも名もなき者」であり、「動物」であり、「もっとも弱い立場の者」であり、無名であることで「無きものとされている者」である。

「フルビネク」の名は人間の言語の中に登録されていない。「フルビネク」と聞こえた、その子の口からもれたきれぎれの音声は人間の言語の中にはない。

人間は有限な存在である。自分にできることはほんの少しであるだろうし、余命もそんなにあるわけではないだろうと思う。しかし生き残った私たちには、それがほとんど不可能でも、「遺棄されて殺された者」のために、その者の声に耳を傾ける責任はあるだろう。

自分はいわゆる「人間中心主義」が総じて嫌いである。こう言うと「人間社会から出ていけ」、とか「何も食べるな」、といったような反論にも値しない詭弁(上げ足とり)がでてくるので面倒なのであまり書かなかったが。

なぜ、人間は動物を殺していいのか、それは人間が考え出した「言語」というものによる。「言語」が人間中心の理屈をつくる。「言語」はどんどん膨張していく。欲望を巨大化させ、権力を巨大化させていく。

人間が生み出した人間のためだけのもの、「言語」は「文化」や「神話」「宗教」をつくり、それぞれに殺していいもの、殺してはいけないもの(大切にすべきもの)の区別をつくる。どの動物を殺して(食べて)、どの動物を食べてはいけないというきまりごとはそれぞれの文化、習慣、宗教ごとに存在する。そして狭い共同体の中で仮の「倫理」をつくる。

「言語」は位階をつくる。何もかもを判別していく。人工的につくりあげられた価値が膨張していく。人間中心主義は言葉を持たないものを圧殺していく。

「原発」は言語の最たるものだろう。最も人間的なもの、動物を殺すもの。

「肉食をしないなら何も食うな。それなら飢えて死ね。」と言われて私たちは生きられる「飢え」に追い込まれていく。

「原発がいやなら日本から出ていけ。」と言われて私達は「けもの道」に追い込まれていく。「原発の恐怖」は嫌だという動物を殺して、排除して一部の人間は最適で最高な人間生活を味わう。

けれど、どの文化の習慣にも、私達はまるまるそのまま従う必然はない。逆に言えば、本来は一瞬ごとに私たちは迷い、身体感覚に問うてみるしかない。その逡巡が不安で恐ろしいから、考えたら淵に落ちてしまうから、人間は仮の「倫理」をつくって安心する。さらには平然と(人間があとからつくった不完全な)「法」を持ち出して強弁する人さえいる。

なぜ人間は動物を殺していいのか?その理由は誰が何を言おうと、根拠はわからない。人間の都合であとづけに(人間がつくった)「神」を持ち出すことも多いが、人間がそう決めたから、としか言いようがない。

私自身は宗教を持たない。人間だけが大切とも思わない。人間は動物の一部だと思っている。動植物や虫 と共存できない世界なんて人も生きていけると思えない。

親鸞の「絶対平等」という考え方には惹かれた。宗派による決まりごとには興味がないが。

しかし小動物一匹助けるのもたいへんなことだ。充分に何かを尽くそうとしたら、ものすごいエネルギーがいる。それはそれは苦しむことも多い。何事にもこれはこうだ、と決定してしまえないから、誰かと関わりを持つというのはたいへんなことだ。

私は「ヒューマニズム」という言葉が嫌いだ。人間以下の人間のたとえとして動物の名を使うこと(たとえば「犬畜生」などの語)も嫌いだ。

「人間的」という語を、私は人間にしかない嫌な欲望が強い人と言う意味で使うことがある。たとえば権力や流行りのものに弱い人、巧みな言葉で支配しようとしてくる人、言葉は立派でもその人の習慣から出てしまう身体が機械的な人、巨大な利権の絡んだゼネコンのようなビジネスをもってアートだという人、動物に高級品と殺してもいい区別をつけていく人、経済効率でしかものごとを考えない人、いわゆるスピリチュアルにはまる人・・・つまりは眼の前にある瞬間を見ようとしない人、見えない(他者がいない)人。

逆にいきいきとした生命力に溢れる人を「動物的」な人と呼んでいる。

私は「絵」というものを、人間がつくりだした行為であるが「人間中心主義」に陥らないための一つの大切なものとしてずっと考えてきた。だから、「アート」(この言葉は嫌いだが通じやすいので使っている)と呼ばれているものの中で、あまりに人工的で、人間以外の生命を抑圧するように働くものを私は「絵」だとは思っていない。私にとって「絵」とは、自分の外にあるものを感受する行為であり、平面作品といういわゆる形体でなく、「絵」であるものと「絵」でないものがあると思っている。

4月6日 善福寺川の桜

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花を食いちぎる鸚哥。ワカケホンセイインコというらしいですね。

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黄緑色が鮮やかに映えている。

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錆びたブランコの支柱と私の好きな片側だけ切られていないアシンメトリーの桜の古木。

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東北・関東大震災によって被災した方の犬・猫の救援情報特設掲示板です。

サイドバーにも追加しました。リンクしてくださるかた、お願いします。

http://tohoku-dogcat-rescue.com/

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2011年4月 3日 (日)

巴旦杏

4月1日

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2011年4月1日のちゃび。

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暖かな日差しの日。自転車で今日の植物の成長チェックに回っていたら巴旦杏が満開だったのですぐに小さなカメラを取りに戻った。まわりの桜はまだ一分咲きか二分咲き・・・

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毎年7月の最初にルビー色の甘酸っぱい実が鈴生りになる巴旦杏の木。

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誰もいない遊び場。滑り台とブランコ。

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頭上注意、老朽化のため調査中と札を付けられた桜。蔦の緑が美しい。桜の向こうにもう一本の巴旦杏。

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陽が翳り、草たちが薄緑と灰色とモーブ色の陰の中にはいった。

ここにはかつて子供が住んでいた。

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静。

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去年、1mの蛇と出会ったほうに・・・

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ジャノヒゲの細い草の群れのほうに歩いて行った。

道の脇。3本目の巴旦杏の木。

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まだ人の住んでいる気配のある場所。

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翳の絢爛。

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