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2011年8月

2011年8月21日 (日)

吉祥寺 高砂百合

8月20日

きのうから雨がちの曇り空で急に涼しい。久しぶりに吉祥寺に行き、湿った武蔵野の原生林を歩いた。

映画「フィッシュストーリー」で撮影に使われた洒落た古レコードのお店を見てから裏通りのつたの絡まった古い家を見、動物園の横の道から萬介橋のほうへ。アブラ蝉やミンミン蝉に交じって、もう蜩が鳴いていた。萬介橋は下連雀の由緒正しい橋のようだ。

そこから玉川上水沿いに歩き、武蔵野の原生林を観察。久しぶりの雨にたっぷり湿った緑の匂いを嗅いだ。妖精のステージになりそうな30cmもある朱色の茸や、サルノコシカケが生える朽ちた切り株がいくつもあった。トコロ(ヤマノイモ)の花が咲いていた。

石灰色で縦に亀裂模様があり、ごつごつした幹で、根元より中頃が太く、太枝がうねる面白い形の樹を見つけた。どうしたらこんなふうに捩じれた成長になるのだろう。名前を知らない樹だった。探すと同じ種類の樹が何本か連なって生えていた。皆少しアンバランスな不整形の美しさを持っていた。樹木について、私は草ほど詳しくない。(カメラを持っていなかったので、強烈な樹皮の記憶をもとに、帰宅してから一生懸命調べたら、カバノキ科シデ属のイヌシデ、犬四手、別名ソロシデ、ソロ、ソネという樹だと判明。若木は平滑で、老木になると縦に裂け目ができるらしい。)

モグラを捕獲する仕掛けなのだろうか、網籠のようなものがたくさん土の上に置いてあるのが怖かった。畑じゃないのだからモグラを殺さないでほしい。

弁財天のほうに歩くと植え込みの片隅に、びっしりの細葉が震える白く細い百合が咲いていた。タカサゴユリというものか、新鉄砲百合か・・・。テッポウユリよりも花も葉もずっと細くて線の美しさが際立っていた。

池のほとりにくるくる絡み合いながら飛んでいる黒揚羽のカップルがいた。黒揚羽はブルーサルビアの蜜をよく吸っていた。白粉花の匂いを嗅いだ。白粉花は色が多彩だが紅と薄紅の斑の花が一番好きだ。

井の頭公園駅のほうまで歩き、くすんだ木の扉の廃屋や、明治時代のうろこ屋根のお屋敷のような豪奢な家を見ながら駅の近くに戻った。

丸井の裏の通りのコンクリートの片隅にもさっきのホソバの白百合が咲いていた。首がヤマユリやテッポウユリよりももっと俯いていて、筒状の部分が細く長い。ひんやりとしたガラス管を想像させる。

駅ビルが改装工事されていて、私の好きなピーターラビットのパン屋さんがなくなっていたのでショック。白神こだま酵母を使った淡い甘さのパンが好きだったのだが(麻布十番にはまだお店があるらしい)。公会堂地下のイタリアンの店も好きだったのに閉店していた。

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2011年8月15日 (月)

若林奮 ジャコメッティ

8月15日

2003年の冬、川村記念美術館で見た若林奮の「――振動尺をめぐって」の記憶をたどったりしていたら眠れなくなってしまった。

川村記念美術館はとても遠かった。フランク・ステラがたくさんあった。それから私の大好きなヴォルス。マーク・ロスコの本物(はじめて見た)は予想よりも胸に響いた。若林奮の「振動尺(手元)」の恐ろしいほどの美しさ。

「何故、現在彫刻をつくり、絵を描こうとするのか。何故、できた作品に違いがあり、そのいくつかは私を魅了するものであり、他はそうでないのか、といったことから始まる、多くの疑問」と若林奮は言った。

この意味は、美術の歴史をまっとうに背負って、脳みそを使ってやるなら、もう現在彫刻や絵としてできるものはないということなのだと思う。

川村記念美術館で、たくさんのフランク・ステラの実物を見たときはなんだろうと思ったが、本人の言葉を読めば、何も考えずに実物の劣悪なコピーを描いているものよりははるかに共感できるということになる。やはり先鋭な言葉が重要ということだろうか。

時代は刻々と変わる。作家の立ち位置も作業のありかたも刻々と変わる。

スタティックなもの、スタイルを決めてやっているようなもの、生きている植物の運動を殺すようなものにものすごい嫌悪とストレスを感じる。

「すべての芸術作品と、何であれ直接的な現実とのひらきが、あまりにも大きくなってしまった。実際、わたしはもはや現実にしか関心を持っていない。」(ジャコメッティ『ジャコメッティ 私の現実』)

私が出会って、少しでも関わりを持っていた巨大な才能の人は、現実だ。若林奮さんにしろ、中川幸夫さんにしろ、毛利武彦先生にしろ、研ぎ澄まされた仕草と短い言葉の中に、端的にすべてがあった。対峙したときの、そのリアルな時間にまさるものはない。

その体験の強烈さに比べると夥しい美術作品も、小説も映画も、まったくリアルでない。

若林奮は個的身体感覚としての地層の傾斜や視覚的に感じる距離の変化、空間のずれや切断、領域などに対して、常に意識が向いていて、過敏に身体が違和を察知するようになっていた。関心による習慣は拡大し、身体感覚はどんどん鋭敏になる。ものの見方はどんどん直観的になり、瞬間で判断がくだされるようになる。

たえず特異なものに出会っていた。これが共感の要因であり、異常な魅惑である。こういう人たちとつきあってしまうと、この眼がない人との会話が苦痛で堪らなくなる。

『I.W――若林奮ノート』などを幾度も読み返すと、文章の中では極力不確かなことは書かないようにされ、あまりにも言葉を厳密にするために一般言語に共訳不可能な言語で書かれているが、その実はものすごく正直である。韜晦ではない。精確に言葉にしようとして言語が固有のものにならざるを得ないのだ。

若林奮の口から名指しの批判、激しい怒りの発言を幾度か聞いた。その中には、まさに私に聞いてくれ、と言っているものもあった。そのとき、心底、若林さんを尊敬できる、信頼できると感じて胸が熱くなった。あの燃え上がるような敬愛と共感の時間を繰り返し思い起こしている。

ジャコメッティも絵空事でない現実の過酷さを見つめていた。知的であるためにクールにリアルに特異と過酷な現実の両方を行き来する。その作業の場として、作品の削り取られた部分にに含まれる灰色と黒と埃のアトリエがある。

朝8時から昼まで眠り、母を迎えに東中野へ。母の病気が進行している。おかずを買い家に戻る途中、近所の水色と黄金色の眼を持つ大きな白猫が木の塀の前で寝ていた。私が近づくとすりすりして甘えてきた。

中央公園の脇道を通って駅に向かうとき、何千匹もの蝉の声が大滝のように降っていて欅の並木に反響し緑の空気全体が振動していた。石垣の上の笹の茂みに、数えきれない蝉の抜け殻。多くはお尻を上にして笹の茎にくっついていた。人間のつくったものでないものの素晴らしさに、わあっと声が出るほど胸が震えた。

夜、終戦記念日の特集で、クローチェを読んでいて国家主義に反対し自由がなければ生きる意味がない、やがて自由が勝利する(日本が敗戦する)というような言葉をひそかに書き残しながら特攻隊で命を奪われた学生のドキュメンタリー映像を見た。

現在、自由なはずなのにあらゆる人間的なものの過剰から苛々を感じる。人間のつくる美術を見て、かえって固定観念の抑圧を受けて強い苛立ちを覚えることが多いのはなぜなのだろう。人間のつくったものでないものと触れ合っていたほうがずっと自由でいられるのだ。少なくとも私はそうだ。古壁のシミを見ているほうがずっと楽しいし興奮する。ごく一部の大好きな作家の作品を除いては。

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2011年8月12日 (金)

花輪和一 反原発 若林奮

8月12日

きょう、福島県内の農林水産業関係者約3000人が東電本社前で抗議デモのニュース。

花輪和一よりもらった手紙を読み返していた。

「反!原発」をテーマに10月に札幌芸術の森美術館で「アートから出て、アートに出よ。」という展覧会に出品する絵を現在描いているそう。

手紙の内容は痛快。さすが花輪さん、と惚れ惚れする。

「キレイぶりっこ、アカデミズムぶりっこ、芸術ぶりっこ」の絵が大嫌いとのこと。

「描き終わったカケジクを福島原発の見える所まで持参し、そこの路上に広げ、(絵の描いた面を下にして)思いきり踏んづけ、ボロボロにして、津波の中からひろってきたような状態の姿で出品してやりたいと思うが、」(気持はそうだが実際どうやるのかは思案中)

電話で、原発の欺瞞で殺された動物たちに対する怒りをぶつけあい、また、こんな状態でも関係なく、何も考えずにつまらない絵を描いて商売している人たちへの胸糞悪さをぶちまけあった。

「花輪さんの個展だったら見に行きたいけど、ほかの人が出ると思うと(誰が出るのか知らないが)、想像しただけでもう無理。」と私は言った。

あまり何も感じずにいろんな展覧会を見に行けたのは、いつの頃だったろうか?記憶にあるのは18歳の頃、今ならおぞ気だつような大嫌いな画家の絵があっても、その前をスルーして好きなものだけを見た。今ほど嫌悪を感じるものが少なかった(何もわかってなかったのだと思う)。

今は、歳月が堆積して、良いものと悪いものをたくさん見て、人生が濃くなったせいか、厭なものを見ると厭なものが身体に入ってくるような気がして、直接的な激しいストレスを感じる。「生きれば生きる程、読むべき本は増え、考えるべきことは積み重なる」ということが少しはわかったてきたのかもしれない。

吐き気がするような絵(または立体やパフォーマンス)とはどんなものかと言うと、「収奪」としか言いようがないもの。うまい下手は関係ない。むしろ手慣れていない頼りない線には魅力を感じる。

嫌いなのは手癖がついていて、紋切り型のものの見方と技巧が固着したもの。陳腐で、なんの疑問も怯えも感じずに絵を描くのが好きだと言う手慣れた人を見ると吐き気がする。生きている動植物の生命をコンクリづけにしていくような塗り固めた絵。現代美術の問題の重荷を背負わない自覚なき自己表現。

またはテキストだけがあれば作品はいらないもの。口先だけの倫理。身体感覚なしのパフォーマンス。

若林奮の言葉を借りれば、自分の「外」と関係がないものである。

ベルリンのアートフェアで、その場で鉛筆一本で記憶の風景を描いていた6歳の子供の絵を見たときの衝撃を思い出す。彼には鈍さがなかった。さり気なくて、鋭くて、危うかった。

それが記憶であったとしても外を見ようとしているもので、常に柔軟に変化するもの、類型でないもの、形式化されないもの、また、ある種の過敏さ、過激さに惹かれる。これは、まさにそういう人間の生き方に惹かれるということだ。

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↑花輪和一が送ってくれた北海道新聞(夕刊)「原発の毒火はいらない」

さすが地方紙。個性的で面白い記事が載せられるのはいい。

10月からの展示に出すものはこれよりさらに過激になるという絵の構想を聞いた。

若林奮が生きていたら、どんな行動を起こしたかと毎日考えながら、彼の残した難解な言葉を繰り返し読んでいる。何十回、何百回と読んでも、やはりすごい言葉だと思う。いわゆる文学者にも、美術批評家にも書けない言葉。唯一無二の思考力と実践力。

作品として「何ができるか」よりも「何ができないか、何をしてはいけないか」を問うこと。

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