9 19 原発にさようなら集会 明治公園 60000人 デモ
9月19日
明治公園の脱原発集会とデモに参加。友人と12:30新宿駅待ち合わせ。
千駄ヶ谷に降りたらホームが人でいっぱい。改札口が大混雑でけっこう待つ。明治公園までの道のりも満員。思っていたよりずっと人が多い。
千駄ヶ谷の改札(写真はすべてクリックすると大きくなります。)
道も大混雑で、やっと明治公園にたどりついたら、もうすごい人で埋まっていて、ステージの近くには行けないどころか、立ったままぎゅうぎゅう押されて一歩も動けず「座ってください」のアナウンスにもしゃがむスペースがない状態。無理やりしゃがんだが膝も地面につけられない。不自然な格好での足の痛みと暑さで全身汗びっしょり。
大江健三郎スピーチ 遠くて顔が見えない。
写真をトリミングするとこんな感じ。
鎌田慧、落合恵子、内橋克人、澤地久枝、福島から来たハイロアクション武藤類子さんの切実な発言。そしてドイツからFoE(国際環境NGO Friends of the Earth)ドイツ代表フーベルト・ヴァイガーさんのスピーチ。顔は見えなかったのだが非常に胸に迫った。
デモが日本青年館の横からスタートということで急いでそちらに移動。
デモスタート地点も人が混雑してまったく動けず、前がどうなっているのかわからない状態。
デモ隊について道路に出られてから、15分くらい息を切らして歩道をほぼ全力で疾走したら、やっとデモ先頭を見ることができた。
向かって一番右側で旗を持っておられるのは澤地久枝さん。すごく若々しくて明晰なかたなので感動した。真ん中落合恵子さん。相変わらずエネルギッシュ。
向かって左 鎌田慧さん。真ん中 大江健三郎さん。カメラを向けると必ずこちらを向いてくださった。
大江健三郎さんの向かって右隣に内橋克人さん。彼も「顔がいい」人であった。
かわいい子供たちや赤ちゃんも参加。
青山通りに出て右折する交差点。
私も参加して友人に撮ってもらった。
表参道の欅並木から明治通りを渋谷へ。
一時間くらいで代々木公園NHK側に到着し、公園通りのカフェ・ラ・ボエムで休憩。40分くらい休んでから、また公園通りに出て後発のデモ隊を応援することにした。公園通りからファイアー通りに下る坂の途中でプラカードを持って次々と来るデモ隊を出迎えていたら、もう夕闇が迫るころになって
山本太郎登場!!!
信号待ちの間、山本太郎の掛け声ですごく盛り上がる。
よく通る声できびきびした先導。
はじめて山本太郎を間近で見たのだが、非常に颯爽としていた。
自分もくっついて行くことにした。
代々木公園について最後にもう一盛り上がり。
その後、暗くなってもまだ続いている後発のデモ隊を代々木公園入口で出迎えた。
周りの人の熱気冷めやらず、打楽器隊の人たちが大演奏したり、けっこうな人数で出迎えていた。最後の人たちが戻ってきたのは7時20分くらいだったろうか。
デモコースがA(明治公園出発、青山通りから渋谷、代々木公園渋谷区役所前ゴール)、B(明治公園出発、原宿、第一体育館ゴール)、C(明治公園出発、外苑西通り、新宿南口、代々木第三児童遊園地ゴール)と3つに分かれていたので、力が分散されるのではと心配したが、そんな危惧は無用の大迫力デモであった。
プラカードの猫の絵がきっかけで、「それかわいい。あなたが描いたの?」と歩いている途中も、歩き終わってからも、計10人くらいの人(おおかた女性)に声をかけてもらえた。
「三菱、日立、東芝の不買」のプラカードつながりで声をかけてもらえたりもした(不買運動をテーマに書いている人はまだ少ない)。
高知県から2泊で来られたという原発労働者を救う会のご夫婦とも、プラカードの絵がきっかけでお話できた。
あらためて、自分にできることは極めて小さいが、絵を工夫することは、まったくの無駄ではなかったと感激した。遠いところに住む人たちと「お互いがんばりましょう。」と一瞬でも言葉を交わせたのはよかったと思う。
長く熱い一日だった。
9月15日
14日(水)の夜、ベルリンからメールがあり、スカイプで話したいと書いてあった。夜11時ころ、私が退席中にあちらからスカイプがかかってきたような形跡があったので、こちらからかけ直したら、今度は向こうが退席中だった。
そのまま寝てしまったら、朝四時頃にスカイプの通信音がして目が覚めた。出てみたらベルリンと繋がった。どうも、私側のスカイプが勝手にスタンバイをしていてかけてしまったらしい。
こちらの原発反対デモの状況や、哲学思想系の人で誰が原発反対の運動に関わっているかなどを聞かれた。
ギャラリーを手伝うリンダと初対面。リンダはライプツィヒ大学で日本学を学んだそうで、日本語が上手で、たいへん頭の回転がよく、話が通じる魅力的な人なので感激した。
「素人の乱の松本哉のデモでしょ。去年高円寺に行ったときに松本哉見たよ。高円寺は日本でも一番面白い街だよね。」と言われた。
高円寺にヴィーガン(動物肉、魚介甲殻類、卵、蜂蜜をすべて食べない)のレストランがあった、ドイツ語のポスターが貼ってあった(今はあるか不明)、と聞いて、動物の話で盛り上がる。
(私自身は魚介甲殻類、卵、牛乳は食べるのでヴィーガンではなく、また健康のために肉を食べないのではないのでベジタリアンでもない。動物と人間の差別の大きすぎることに対して反対するという意味ではピュタゴリアンというほうがあっているのかもしれない。頭で考えるより身体が過敏に反応するので、肉を食べないことを選択するのではなく、身体が恐怖して拒絶しているのである。)
私はI do not meat じゃなくて、 I can not meat なの。生まれたときから家に犬や猫がいたので、それを食べることへの拒否反応が観念から身体反応に定着して、2歳くらいから食べられなくなり、ハンバーガー屋の横を通るときの匂いだけでも吐き気が酷い、外食で出汁にちょっとでもはいっているともう食べられないと言ったら、「え~?!それは珍しいよね。日本は何にでも肉がはいってるから生きにくいでしょ。」とリンダは言った。「でも2歳くらいからそれに気がつくってすごいよね。」と。
「ドイツは一匹も殺処分しないからいい。日本はペットビジネスがあるから、一匹100万円の値で売られている動物と、一方で同時に年間30万匹の動物が保健所で殺処分されている。日本では動物の生命の権利と人間の権利が差がありすぎる。」と言ったらリンダは酷い、気持ち悪い、と驚いていた。
「柄谷行人は有名だよね~。ライプツィヒにも来たよ。」とリンダ。大江健三郎がたぶん来週の脱原発集会に来る、と言ったら「大江健三郎?!来たらすごいよね!」との反応。なんという話の通じの早さ。すばらしい。
ドイツ人で頭の回転が速く感覚もいい人に会うと、すごく好きだと思ってしまう。暗い歴史もあるし、ドイツのことをそんなに知っているわけではないので軽々には言えないが、それでも日本よりいろんな国から来た人たちが混在しているせいもあるのか、それぞれの志向や身体感覚を尊重しあう自由な気風が在るように感じる。日本では大多数と異なる身体感覚を口にすると、ほっておいてくれないどころか叩かれる。(私は英語もろくにできないし全然国際人ではないが、)日本は変な共同体の抑圧やルサンチマンが在るように感じる。
もし、異端や特殊に対して寛容でない国であれば、それこそ芸術は生まれないどころか抹殺されるだろう。一般(決して普遍ではない)の最大公約数からは、ビジネスと装飾と娯楽だけが残るだろう。自分にわからない奇妙な感覚に耳を傾けることからしか何も生まれない。
「リンダリンダのリンダだよ~。」と言ったリンダ!ベルリンであなたに会いたい。
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