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2011年11月 6日 (日)

言葉 詩 批評

11月2日

きのう久しぶりにMさんに電話し、即、会うことになった。3時に会って、あまり煙くない穴場の喫茶店に行き、話が盛り上がり、そのあと比較的静かな飲み屋に移動して話し続けた。気がついたら12時を超えていた。

私にとって話が合う、ということは、自分にとってもっとも切実なこと、もっとも重要なことについて、腹を割って話せて、相手もそれに関心を持って聞いてくれるという状態であり、相手が私の話のキモに興味を持たないのであれば親友になれるはずもない。

それは私の場合、必然的に何を書くか、何が「絵」なのか、という話になってしまい、つまりは毎日の生存の感覚と乖離していないことなのである。毎日の体験から疑問に思ったこと、理不尽に思ったことが問題になるのであり、通りがかりに発見したもの、実際に見たものが(記憶であれ、)絵になっていくのである。

私が心底敬愛した数少ない画家や造形作家は、作品と、実際その人に合っているときの感じ(厳しさや豊かで鋭敏な感覚)が乖離していなかった。だから一生ついて行きたいと思った。逆に言えば作品にその人らしさがすべて出ていたので裏切られることはなかった。むしろ出会ってみて、その人の恐ろしい深さに触れて、ますます惹かれていった。共通して言えることは、私が偉大な芸術家だと敬愛した人たちは、いつもまわりが見えていたし、観念でなく、「もの」をよく見ていた。仕草ひとつとっても、芸術家の血が通っていたのである。

私が敬愛した画家や造形作家には「嫌悪」するものがあった。だから、そういう対象にはひどくはっきりと意思表示するときがあった。私はそれを見て、なおさら惚れ惚れした体験があった。

ところが、物書きの場合は、事情が全く違うのである。

どうも言葉というものは、その人の身体を介さなくても、素晴らしい内容のことが書けるらしいのである。たくさんの書物を読んでお勉強好きで、情報処理能力に長けた人には高度な言語技術が身につくらしいのである。

少なくとも私は「詩」について饒舌に声高に語り続ける人には興味を持てず、存在自体が詩的な人に惹かれる。逆に言えば、存在や雰囲気に「詩」がない人、ものが見えていなくてナルシスティックな人にすごいストレスを感じるのである。

そんな話や、最近のいろんな体験から思ったことを話していたら、あっという間に時が過ぎていた。

10月31日

新宿でHさんと会う。

初めて会う人だったので、ものすごく緊張した。この対人恐怖はどうしようもできない自分の資質であり、自分の仕事をベストのかたちでやりたい、そのために出会えるものなら理解者に出会いたい、という希求のあらわれである。

相手がすばらしい引力を持ち、尊敬できる人であれば、がっかりされたくないために緊張し、相手に引力がなく、話が通じず、こちらががっかりすれば疲労し、どちらにせよ初対面の人には緊張する運命にある。

新宿のど真ん中の地下のお洒落なバー。5時過ぎはティータイムで、アイスチョコレートを飲んだ。6時過ぎからバータイムになり、赤いサングリアを飲んだ。

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