« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月

2011年12月25日 (日)

全日本フィギュア 浅田真央 高橋大輔 村上佳菜子 / 「社会におけるアートの役割」

12月25日

浅田真央「愛の夢」、すごかった。

フライリヒラートの詩を思えば、優雅で繊細な中にも激しく生命が燃え、躍動していた。甘やかで優しいと舞いと言うよりも、今までで一番スケールが大きくこの曲が演じられたように見えた。一本の張りつめた線がピーンと通っていた。終わった後の何とも言えないほっとしたような顔が素晴らしかった。たとえ何があったとしても、その瞬間を精一杯に生の最大振り幅を生きようとする輝き。

生きているかぎり精一杯愛しなさい、という言葉の愛の対象はもうすでに死んでいるものでも(人間でない生命でも)いい。90歳を超えた大野一雄先生が震える手で踊っていた「愛の夢」の記憶が重なる。大野先生は戦争のときに関わったたくさんの死者のための「愛の夢だった。」何十年も決して語らなかった戦争の体験を最晩年になってから語った、と聞いた。

一瞬ごとに過去になってしまう生の中で、作品のリアルは常に過去、記憶との関わりであり、有限な時間の中に生まれ、他者の記憶にどれだけとどまるのか、消えてまた変容して生まれるのか。眼からはいってきて直接細胞を震わす痛みに耐える柔らかい身体。しなやかで強靭な身体。

12月24日

全日本フィギュア 男子フリーと女子ショート。

浅田真央。個性的な衣装で、足の脇のところが何段にも開いていて、そこから空気がはいって、藍銅鉱(アズライト)色?ラピスラズリ(ウルトラマリン)色?の透明な布が風をはらんでくるくるひらひらと舞う。薄い胸と細長い手足が幻惑的。月夜に光る銀砂。凛々しく、すばやく、伸びやかで力強く、幻想的で、きらめきと軽快さと哀愁が同時にあった。

村上佳菜子。すごい成長ぶりで驚いた。去年の明るくはじけた演技は自分の好みとしては好きでなかったが、今回のシリアスさに俄然興味が湧いた。自分自身で大人の表現をものにしたいと強く希求した結果、非常に機微のある演技に変身していた。首や肩のねじりかた、ぐっとためるように腕を突き出すような重厚な抵抗感のある動きなど、感心してしまった。

高橋大輔。ショートが鳥肌立つ凄さで、最高に動きがきれていた。て、フリーの前に練習しすぎてフリー本番疲れてしまった、というようなことを言っていた。私たちの身体が有限であり、たえず何かの影響を受けていること、いかに練習が日常化し試合慣れしているアスリートでも、体力温存のぎりぎりのきわとか、ほんのかすかな調整違いというものは計り知れないものがあるのだろうと思った。それにしてもショートの演技は本当に素晴らしかった。

12月22日

S.Mさんから電話。G社の件など。そのあとYさんと電話。次の本の出版社が決まる。年内出版関係者は目が回るほど忙しいみたい。

12月20日

医者に行く。クラリスロマイシン、ハイスロック、セレガスロン、タイプロトン、リタクロス。

12月19日

熱が下がらないので母の迎えを申し訳ないが代理の人に頼む。

「社会におけるアートの役割」という言葉にずっとひっかかっている。

ベルリンのハウス・シュヴァルツェンベルク(ベルリンの中心街にある古い戦争の傷跡の残る建物で、ベルリンのアートカルチャーシーンの発信地のひとつ)を多国のアーティストのよりどころとして盛り上げるのはいい。

なぜなら旧東ドイツだったという大変な歴史があり、今は多国の人達が流れ込んできたところだからだ。

ただ思いつきで造形をしたり狭い観念の中でナルシスティックに閉じこもる若い子だけでやったのではだめだと思う。かつてあった素晴らしいものや、かつて有り得たかも知れない素晴らしいものを知っている多国の人を呼ばなければ。

だが原発事故を体験して、何も解決していなくてこれからもっとひどいことがたくさん起こるだろう日本の、今のアートとは何ができるのだろう。

身体を通らない記号をアートとして読みとらせようとする表現行為は事実としての惨い体験や現実を逆に絵空事のように軽くしてしまう。

証言をできる可能性のある(証言の資格のある)人はいわゆるアート関係者ではない。

当事者(もちろん関東に住む私たちも当事者であり、あの全身が痛むような不安と怒りを忘れるわけがないのだが)の声に耳を傾けようとすることの実践、問題意識の明確にすることと現実の重さに見合う表現をどうしていくのか。

12月19日

ピカソは、最初にパリに出てきたときに一緒に住んでいた親友カサヘマス(拳銃自殺した)の死に顔を描いた絵、3枚を晩年まで人目に触れぬように隠していた。

描いておかなければならないもの、かつ他人に触れられたくないもの。

12月18日

12月の初めからずっと7度弱の熱で、頭痛に苦しんでいたが、パブロンとタイレノールでごまかしてきたが、ついに夜急に高熱が出る。吐くのをこらえて寝る。

12月9日

母を北新宿のKに送る。きょうはめずらしく体調が良さそうだった。

|

2011年12月18日 (日)

芸術、アート

12月17日

土曜の朝。6時近くまで起きていたので体が痛く寝ていたらYさんからTEL。仕事の話が進んだとの吉報。もう一度2時過ぎまで寝る。

12月16日

朝。熱があって頭が痛くて全然英語も読めないし、文章も書けなかったのだが、なんとか17日中に速達で出す書類を徹夜で書く。書きながらいろんなことを考えてしまう。

日本の現代アートと呼ばれているもの、ほとんどに興味が無い。というよりも、自分の身体、感覚、感情に抑圧を与えてくるものが多すぎるので見たくない。

最近まで生きていたけれどもう死んでしまった人なら、熱烈に敬愛する人は何人もいるけれど。

自分より豊かな世界を持っている人、底知れない雰囲気を持っている人に惹かれる。そういう人に熱狂して、その人たちに見てもらいたくて作品を作ってきたのだけれど。これから誰に見てもらえばいいのかわからない。

ある種の作品を見ると、もともと私が見ている世界の絶え間ない変容の面白さと衝撃が、そがれてしまうような感じがする。作品を見ることでこちらが豊かなものを分けてもらうのではなくて、逆に消耗させられて苛々する。あまりに無機的でステレオタイプの言語を読みとらせるような作品が苦手だ。本人が救われるのならそれでいいと思うが、なるべく見ないようにしたいと思ってしまう。生き物の世界から乖離しているような現実感覚の無い個人の狭い頭の中を見せられるような表現が苦手だ。

私が激しく惹きつけられるのはその作品を見て、もう一度生きて動いている世界、毎日の体験、発見の新鮮さに戻って来られるような作品。線の魔力を知っている人に惹かれる。

|

2011年12月13日 (火)

花輪和一 / 絵、公共(パブリック)

12月12日

午前中、花輪和一と電話。「また花輪さんの昔の原稿が古本屋の作品便覧に載ってたよ。『どんどろ百鬼図』と『本邦の妖怪便覧』各315000円。花輪さんが27歳のときの。」と言うと「ええ~~!!」と驚いていた。「『月の光』の時代の、あのどろどろぎねぎねしたタッチで、すごくいい絵だよ。」

お詫びと修正: 花輪さん本人から連絡があり、この件に関して少年画報社は関係ないそうです。少年画報社の責任ではないので、花輪和一ファンのかたは抗議などしないようにお願いいたします。「ええと・・・その当時描いてたのどこだっけ・・・」と花輪さんが不確かな記憶を辿るように話していたのを、そのまま書いてしまった私が軽率だったと反省しています。少年画報社は、花輪さんにとって、たいへんお世話になり、ありがたい思い出多い出版社ということです。花輪さんが「ろくな人生にはならない」と言ったのは、むしろ今現在その原稿を販売しているほうです。蛇足ですが、私も少年画報社の編集さんにお会いしたこともあり、過去に出版された作品も素晴らしい仕事であり、尊敬する出版社です。)

以前、中野のまんだらけでも、花輪さんの昔の原稿2作品が売られていたのを見た。ひとつの作品名は確か「吸血草」と「猿回し」だったように記憶している。2作品で百万円の値が付けられていた(と思う)。

その後、数人の漫画家たちが「漫画原稿を守る会」の裁判を起こし、「原稿の所有権の確認を怠っていたとして」漫画原稿を販売していたまんだらけが敗訴したはずである。そのとき、裁判を起こしていた漫画家たちには原稿を返却したらしいがが、裁判に参加しなかった花輪さんの原稿は返却されていない。

・・・・・

夜、親友と電話。

「もともと脱構築ってヨーロッパの思想の話なんじゃないの?日本みたいに最初からヤオヨロズのところでそれを言ったら、それこそなんでもありの、味噌もクソも一緒のエクスキューズになっちゃう。」と言ったら、「そのとおり。ユダヤ的掟、砂漠の掟の中ではすごく有効だと思うけど。」と彼は言った。

「パブリック(公共)」に関してどう思うか、と私は聞いた。「作品については、いつも必ず「当事者性」ということが重要だと思う。どれだけ生身でその苦痛を味わっているかどうか。原爆や殺戮に関して軽々に引用、コラージュしているものには軽薄と嫌悪を感じる。発言として原水爆禁止や原発反対を言うのとは違うと思う。」と私は言った。

彼は「コラージュとは記号の引用であり、そういう意味で流通言語である公共の空間にはのる。けれど生身のクライシスを感じない作品には何も感じないし、収奪と言えると思う。」と言った。

「パブリック(公共)の場では虐げられたものに耳を傾けるというようなことを、厳密に、詩的に言っていて、生身の生存の場ではまったくそういう生き方をしていない、と感じる文学者は?」と聞くと。「言葉というものがそもそもそういう性質のものだ。だから実際、そうなっていると思う。」と言った。

「ものすごく大雑把に言うとポストモダンの良いところは戦争しないということでしょう?だけどポストモダン的なことを強弁しながら自分だけのお手柄を立てるために他を暴力的に支配して復讐心をあおる人は、結局モダンの一番悪いところを実践しているんじゃないの?」と私は言った。彼は「それが彼の一番悪いところだ。鋭敏なコピーライター的な、まさに80年代以降的な才がありながら、全共闘世代的、党派的、権威主義な感じがある。」と言った。

|

2011年12月12日 (月)

GF 浅田真央 / ベルリン

12月11日

浅田真央選手が御母堂の危篤でGFを欠場したことに対して批判的なつぶやきをした人達が話題になっている。twitterと言っても、つぶやきというよりも強い言い方の意見、発言であるから、すごい(怯えの無い)性格だなあと思う。

人が最も大切に思う人の危篤に駆けつけることに、当事者でも関係者でもない他人が強い口調で反対意見を言う――たくさんの人に損益が出るから、と。こういうのを「全体主義」と言う。全く不気味である。

浅田真央選手が危篤の知らせを受けてから飛行機に乗っている間の時間、その十数時間を想像すると、内臓もちぎれるような耐えがたい時間であったろうと、悲痛な思いがする。ものすごく濃縮していろんなことを思い、考えてしまっただろう。

しかし浅田真央は自分の才能のかけがえの無さを自分で理解しているから、それをちゃんと大切にするだろうと思う。

あまりに特別な存在であり、敬愛していた人が癌で亡くなったときのことを思い出す。身体が痛いほど苦しんでいるときに、ある人に「もっと前向きに」というようなことをつらつらと言われて、その人に二度と会いたくないと思った。言った人は私にとって敬愛の対象でも、特別な存在でもない、遠い関係だったからだ。「死んだのがあなただったら、今頃こんなにも苦しんではいない」と心の中でつぶやいた。その人の言葉が胸に響くような相手(尊敬する人や理解力のある親友)でなければ、苦しみや悩みを決して正直には吐露しないと決めた。

また違う人に「大切な人の死を糧にして」と言われたとき、激しくその人を嫌悪した。「糧」にするわけがない。未だ何一つ「乗り越えて」もいない。ただ耐え続ける中で仕事をするのみ。

大切な人が亡くなるたびに自分は表現に対してシビアな性格になっていった。他者(人間以外の生き物も含む)の不幸や犠牲をネタに自分は安全なところにいて自己表現する自称アーティストや文学者に嫌悪感が止まらない。そういうのを「収奪」と言う。少しでも身を呈して自分以外のものを救う実践がないのならおとなしくしていてほしいと思う。

「当事者」性の無い人間が他者の不幸をネタにすることが「パブリック」では許される、としても、「当事者」性の無い人間の「収奪」のある作品に全く心を揺さぶられないことだけは確かだ。だが。これも私の個人的感性にすぎない。

「当事者」でない人間が「当時者」をネタに自分のお手柄をつくる場面を、傍で見るのではなく体験したからそう思う。

夜、ベルリンとskypeで会話。こちらの夜10:30頃から2時間ほど話していた。ベルリンに来るなら長く滞在して山ほどの企画のアイディアの相談に乗ってほしいという。確かに相手の企図を理解するには長い時間がいる。私はドイツ語はいくつかの単語のみ、英語もお互い不完全。

大きなアートのイベントで何か意義あるものをやるのはとても難しいと思う。「アートの社会的役割」という言い方はおかしい。芸術とはそもそも反社会的なものだからだ。

私は極々個人的な共有不可能なことだけが芸術になると思っている。テーマが大きければ大きいほど空疎で瞞着しかなくなる。一瞬の胸を突かれる衝撃がなければ。

|

2011年12月 7日 (水)

ASPIRE ONE D260

12月7日

ASPIRE ONE D260 が起動しないのでエイサーのサポートに電話。言われたとおりACアダプタやケーブルを外して、バッテリーを外して、スイッチを10回トントンと押したら直った。静電気を逃がす作業だそう。

12月6日

朝、ASPIRE ONE D260をつけようとしたら起動しないので焦る。去年、ドイツに行く前に日本との通信用に買った小さいモバイルPC。これにはカメラが付いているので、今はもっぱらSkype用に使っている。

Vさんから電話。S.Mさんから電話。仕事が少しずつだが動いている。

夜、Julie London の Cry Me a River ばかり繰り返し聴いている。すごく美しくて声も魅惑的な人だと思う。希望は過去にしかない。

12月5日

夜、Yさんから仕事についての電話。この電話を待っていた。

|

2011年12月 5日 (月)

国立がんセンター / 仙川

12月5日

国立がんセンター。喉が腫れていると言われ、いつもの薬にうがい薬とPLをプラスされた。

ふとすれ違った70歳くらいの、グレーのメトロ帽子とグレーステンカラーのコートをすっきりと着こなしたそろりそろりと歩く男性に、種村季弘先生の面影を見て心臓がドキーンとした。

会計カードを出して電光掲示板に会計番号が出るのを待つ間、またさっきの種村先生によく似た人に会った。離れた椅子に座っているその人の横顔にどうしても眼が釘付けになってしまう。上品で知的で穏やかな雰囲気。おっとりした仕草も似ていた。面影が似ていて、仕草が似ている人を見ることで、何かが戻ってくる感じがした。人が人に自ずと与える、ある雰囲気というもの。

その人は私の数番前に会計機にそろりそろり歩いて行った。種村先生は亡くなってしまったが、その人に似ている素敵な雰囲気を持った人を見ることができて、涙が出た。この人はどこが悪いのだろうか・・・

きょうも誰かが亡くなっていて、誰かが生きている。きょうも誰かががんに苦しんでいる。すれ違う人、私の知らない人たち・・・・

12月4日

仙川崖線緑地。国分寺崖線に比べると住宅地に分断されたささやかな緑地なのだが、集まってきている鳥の声がいとしい。

Simgp3497

Simgp3493

風は凪いでいた。光が刻々と変わる。

Simgp3496

Simgp3494_2

Simgp3495

今年最初の紅葉を見る。紅葉の時期が遅い。

Simgp3499

Simgp3500

夏の終わりから晩秋にかけての色の変化もその風情も大好きな植物、ヨウシュヤマゴボウ。葡萄のような実がかわいい。

Simgp3502

暖冬のせいで春の植物が元気。柔らかな緑のフキとハルノノゲシ。

Simgp3504

プラザギャラリーの遠藤研二展を訪問。

Simgp3514

遠藤さんとはアトリエの件で紹介されてこの日が初対面。作品は上部に水が回転して流れていて、その上に浮かんだプラスティックの球の中のライトが暗くなると光る。

Simgp3511

外からガラス越しに見る。ガラスに街路樹と信号機の赤が映っていた。

Simgp3516

|

2011年12月 1日 (木)

現代詩花椿賞 季村敏夫 / 介護施設

11月30日

母を初めての施設(西早稲田のF)に送っていくため、朝からバタバタ。実家に行っていろいろ持ち物をチェック表に記入しながら大きな袋2つに詰め、母に温めた牛乳と薬を飲ませ、着替えさせ、母を抱えながら歩きタクシーを拾う。きょうのタクシー運転手さんは優しい感じの人でよかった。いつもタクシーに乗るとき、母の足腰が悪いため乗せたり降りさせたりに時間がかかりたいへんだったり、地元の人でなく道をわからない運転手に曲がるところを逐一説明したり、渋滞でお金がかかったりでとても疲労する。

タクシーは1600円代で着き、まずは良かったが、そのあとの契約説明と看護師からの普段の生活の様子の質問や薬の打ち合わせで時間がかかった。母が少し眠そうにベッドに横になっていたら、診に来た院長のきき方は「いつもこんな感じなの?」とすごくきつかった。薬のこと、普段の転倒や足のこわばり、認識力について、実際試されているのだが、病気の度合いが進んでいると判断されたらはじかれる(施設入所拒否)のだから、悪いことをしているわけではないのに詰問されているように感じる。弱者であればあるほど選別されて落とされることにやりきれない思いになる。とにかくやりとりにすごく疲労する。

実際にそのとき担当してくれた介護の職員さんは若くて優しそうな人であった。現場の人たちは親切で誠実な人が多いとしたら、職員が少ない(だから手がかかりそうな病人は受け入れられない)構造の問題はどうにもならないのだろうか・・・

1時間ちょっとで契約を終え、急いで帰宅。黒のベルベットと暗緑色のコートに着替えて季村敏夫さんの現代詩花椿賞のパーティーに銀座資生堂へ。きょうは緑のガラスのミリアム・ハスケルのブローチをして行った。

季村敏夫さんの「ノミトビヒヨシマルの独言」が受賞されたということで、本当によかった。嬉しいから乾杯のシャンパンもおいしかった。

Simgp3447

祝辞を述べた金時鐘(キム・シジョン)さん。「花椿賞のイメージというのは華やかで、季村敏夫さんの作品はそのイメージに合わなくて親しみがもてます。季村敏夫さんが受賞されて本当によかった。」というようなことを言っておられたけれど、本当にそう思った。

Simgp3450

季村敏夫さんは吉田文憲さんの山本健吉賞受賞のときにちらっとお目にかかって以来だが、すごくかっこいい人だ。文学者然とした虚飾や油ぎったところやギラギラしたところがない、さらっとしていて色気がある人だ。

阪神大震災の頃から特にたいへんなご苦労をされたこと、今も東北にボランティアに行っておられることなど人づてに伺うが、そういう背景を知らなくても、顔の表情を見て直観的に素敵な人だと思う。

Simgp3458

会場風景。著名詩人がいっぱい。

Simgp3459

資生堂パーラーのお料理。ホタテのグラタンみたいなもの(手前右側)がホタテが巨大(7cmくらい)でマルサラ酒(?)がうんと効いていて美味だった。

Simgp3452_2

資生堂のケーキ。モンブランと胡桃のケーキがおいしかった。

Simgp3460

詩人の財部鳥子さんと。財部さんは吉田文憲さんが尊敬する詩人。すごく上品な方。

Simgp3457

会場の隅っこで季村敏夫さんを間近で話しながら撮った。話し方の雰囲気ですべてが感じられるような魅力のある人。くしゃっと笑った時の顔がすごく素敵なのだがフラッシュを切って撮影したので表情にタイミングが合わなくて残念。握手してくれた彼の手はとても温かく、私の手はいつもながらすごく冷たい。

Simgp3465

帰りに数寄屋橋のほうまで冷たい風の中を歩いた。

帰宅してずっと私をひとり待っていたちゃびと(私が自分で右手を伸ばして撮影)。一日中ひとりぼっちにしてごめんね~。

Simgp3483

10時過ぎにVさんから仕事のTEL。

|

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »