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2012年1月

2012年1月31日 (火)

日隅一雄連続対談 「審議会が本来の機能を取り戻すために」

1月30日

日隅一雄連続対談の2回目×青山貞一「審議会が本来の機能を取り戻すために」を聴きに岩波ブックセンターのビルへ。

6時開場だが友人Yと一階の岩波ブックセンターで4時30分に待ち合わせた。ちょっと早すぎたみたい。3階には、まだ廊下に撮影スタッフの人が二人いるだけで会場のドアさえ開いていなかった。

座るところもなく一階の本屋に一度戻って少し本を見てからまた3Fの廊下で待っていたら、主催者の弁護士さんたちから「寒いのにすみません。」と言われ、ちょっと早いが5時30分くらいに中に入れてくれた。

本物の日隅さんを眼の前にしたら、それだけですごくあがってしまった。日隅さんはものすごくお尻のあたりが細くて、始まる前に少しお腹をさする仕草をしたので、痛いのかな、と心臓がどっきんとしたが、顔色は明るくきれいに見えた。友人Y(彼はPCもケイタイも持っていないので日隅さんの顔も声も知らず、私が熱弁するので興味を持ち一緒に来てくれた)が「彼、(思ったよりずっと)若いんじゃない?」と言った。

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この後ろの題字はNPJ代表の梓澤和幸さんが書いたそうだが、気骨とともに日隅さんに対する濃やかな情が感じられる素晴らしい字だった。

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青山貞一さんのお話は具体的な経験に基づいていて、テンポが速くわかりやすかった。まったく知らない世界について具体的な説明がどんどん出てくるので興味がそれなかった。現在、かつて実社会を遠巻きから批判していた知識人(と呼ばれた人々)が実社会の中に囲い込まれ、利益をともにしている、それに加えてマスコミも利益構造の一員となり、政・官・業・学・報のペンタゴンとなったという話。

日隅一雄さんは青山さんのお話で問題意識を持つことができた、それを少しでも広めてください、というようなことを言った。質問者は二人だったが充実した質疑応答だった。「日本では技術が発展して労働が集約されたはずなのに仕事が減らない。総務省は賃金の出る残業しか統計をとっていない。サービス残業を換算したら日本はすごい。社会活動ができないのは当たり前。夜10時11時に帰宅してからNPOに行ってくるなんて言ったらどこのNPO?って言われちゃう。家庭不和のもとになる。」と日隅さんが言って皆が笑った。

まとめで、NPJ代表の梓澤和幸さんが、4年以内に70パーセントの確率で起きる首都直下型地震のときに、東海原発がどうなるか、どう対処するのか監視しなければならないという発言とともに、日隅一雄さんに熱い拍手を!という言葉をあまりに熱い大きな声で叫んだので涙が出そうになった。(ここらへん、心が動かされて精確な記憶で書けないので後に動画で言葉を確認したい。)

そのあと日隅一雄さんにサインをもらおうと並んだ人達がいた(ほとんど女性!)ので、自分も並んだ。お口が「ひ」という字なんですね。

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「ひ」の字の口の表情が変わると顔が変わる・・・

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そのあと場内が暗くなって、ハッピーバースデイのサプライズがあった。

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日隅さんがろうそくを吹き消す貴重な瞬間、私だけがシャッターを切っていたみたい(?)。

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日隅一雄さん きょう1月30日49歳の誕生日だそう。 おめでとうございます。(同じ水瓶座でうれしいです・・・)

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日隅さんのためのケーキはマクロビオティックの豆腐でつくったものだそう。やっぱり笑顔がすごい。理知とパッションと行動力の凄みと同時にシャイな柔和さに驚く。49歳の誕生日の笑顔を間近で撮れてすごく嬉しくて胸がいっぱいになった。

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Yは私の話から想像していたよりも「実際の日隅さんがはるかに柔軟な人物だったので驚いた。」と言った。「もとはシャイな人なんだとわかる。すごく魅力はあるよ。」と言ったので「私がすごく好きだ好きだって言うだけはあると思った?」と聞くと「思った。」と言った。

ペインコントロールを工夫しても痛みで夜睡眠不足だったりするようには見えない。疲れや苦痛を外に見せないあの凄さはなんなのだろう。

1月25日

S社の人と新宿で打ち合わせ。

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2012年1月23日 (月)

日隅一雄 / David / 表現

1月24日

かわいい雪だるま。誰かを待っているのかな。

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1月23日

日隅一雄さんと木野龍逸さんの新刊【検証 福島原発事故記者会見 東電・政府は何を隠したのか』が届く。発売前に増刷が決まったそうで、おめでとうございます。今、半分くらいまで読んだところ。

夜11時過ぎに外に出てみた。アパートのベランダの柵の上には6cmくらい積っていた。裏通りは足跡が少なくて、白、白。枯れ木の上に真新しい雪が光っていた。空は赤灰色。

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1月22日

David McNeill が講演をするというのでカフェ・ラヴァンデリアへ。Davidはアイルランド出身のフリージャーナリストで、英インディペンデント紙を中心に執筆している。彼と、彼のガールフレンドとボスニア出身のSurejmanと、何人かの外国から来た人たちと高円寺で飲んでいたのは震災の前のことだ。きょうは久しぶりに彼ら夫妻と会え、彼らの赤ちゃん(去年の6月生まれ)にも対面した。

Davidは東北大震災後の原発関連の取材も精力的にしているそうで、福島の現地の人達のリポート、自主避難した人たちのたいへんさなどの話と質疑応答。外国から来た日本語の上手な人がたくさん来ていた。

「日本の大手メディアは震災直後、福島に行かなかった。それは会社が行くなと命令したからで、日本の記者はジャーナリストとしてのアイデンティティよりも会社に帰属しているというアイデンティティのほうが強いから。イギリスだったら、会社に禁じられてもその禁を破って現場に行くジャーナリストは必ずいると思う。そこが日本が決定的に違うところ。」という言葉が強く心に残った。「たとえ禁を突破してスクープをとったとしても、それを会社が喜ばない。握り潰されて報道できないのが日本の現状かも。」と。

ジャーナリスト魂と言えば、日隅一雄さんのブログが今年にはいってからさらに衝撃的になっていて、私にはショックと胸の痛みの連続で、言葉が出てこないのだが、やはり彼は凄いと思う。及びがたいものを感じる。

一月6日からついに麻薬系の鎮痛剤の投与が始まったとのこと。オピウムとの再会からおみくじの「託宣」まで、この文章はすごい。

http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/d/20120108

最近のお身体の写真【胆のう末期癌宣告後236日目】ペインコントロール初期の状況その5&最新のデータ(1月15日)

「冒頭の写真は、撮りたてのスクープ(笑)。事実をそのまま伝えるべきだ、それが遺体であっても、その情報を伝えるべきだ(もちろん、時間帯、メディアの種類で一定の自粛はありうるが…)とマスメディアを批判してきた私の渾身の一枚です(笑)。」とある。

http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/d/20120115

「自分で納得しないと済まされない性格なので…。悪い情報でもいいから、納得できれば、それは受け止めることができるんだけど…。」と1月18日のブログに書いておられる。自分の体内のどこがどういう状態で激しい痛みになっているのかを検証したいのだ。知りたい、知った上でどう対処するか決めたいという気持ちはすごくわかる(私も手術のときに医師を質問攻めにした)。けれどここまで自分のたいへんな状態ををさらしながら感情を抑えて、しかも軽快に、ナルシスティックでない明晰な文章が書けるだろうか。

自分のやっていることを冷静に見つめられること。あきらめないで眼をそらさないこと。

「表現」について。「自己表現」という言葉を使うとき、本来「自己表現」自体は悪いことではないのだが、仲間うちでは「表現の価値がないものを自己満足で表現している」という意味で使われるのが慣用になっている。もちろん人それぞれに価値基準が違うから、その表現に惹かれる人どうしが集まって、それぞれにふさわしい共通の価値基準の友人ができるのだろう。

自分は自分の絵や文章をさらすとき、恐怖を感じずにはいられない。自分にはあまりに及びがたい者(もの)が存在しているからだ。その厳しさの前で震撼してしまう。それと同時に毎日の現実のリアリティ(日隅さんのことを読むリアリティ、母を介護するリアリティ、自分の身体の痛みのリアリティ、友人と弾丸のように語り合うリアリティ、動物や植物とつきあうリアリティ、何かを夢中で見つめているときのリアリティetc....)に比べてあまりにもそぐわない乖離症的表現が眼から身体に否応なく入ってくるときにストレスを感じずにはいられない。私にとっては現実の毎日がスペクタクルなのだ。大切なものにじっくりつきあうために、それと対峙するために自由で率直でいなければならない。

日隅さんの表現は究極の表現だ。リアルそのものを記録として提示しようとしている。そこには茶番がはいる余地がない。初めにもっともリアルな「死」があって、そこから何をするのか必死で考えなければならないとき(私もスピードは遅いが手術不適応癌患者であるというリアリティは常に持っている)、何を選ぶか。彼は全身全霊ジャーナリストであることを選んだ。

日隅一雄さんが自分の闘病生活をここまで公開してくれることを、胸が痛みながらもありがたく思う。なぜなら私は彼の誰にもまねできない生き方に非常に関心があり、苦しくても彼のことを見たいし、知っていたいからだ。

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2012年1月18日 (水)

薔薇 / 介護

1月17日

買ってきた薔薇をただぼーっと描こうとしたらほとんどの花がすでにちゃびにかじられていた。

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1月16日

介護認定のため1時に家を出る。2時過ぎにケアマネさんと入れ替わりで叔父夫妻が来る。叔父夫妻は母とは10年以上会っていないいないと思う。私は叔父とは6年ぶりくらい、叔母とは20年くらい会っていない。「今、新宿だから今から行く」と言われ・・・。

父は「医者に行ってくるから。」と言って(予想どおり)逃亡。それから2時間半くらい外をうろついて帰らなかった。

叔母がすごくきれいで高級そうな身なりで廃屋みたいな掃除もされてないボロ家に来たこと、叔父が、母はまだなんでも食べられると思って鰻のひつまぶしを買ってきたこと、私も介護用の実用的な格好でまったく身なりにかまっていないことなどがなんとも気まずいというのか、どうしたらいいのかわからなかった。

叔父は兄妹の情があり、まだ母にわずかでも認識力があるうちに会っておこうと思ったのだろう。夫妻は自分たちの最期のときにそなえて介護や医療のことも聞きたがっていた。介護の実態やシステムについていろいろ正直に話したが、当事者でない人に話すのはすごく自分としてはしんどいことだ。どういう立場で何を話すのか、(母のためには)病状の実際を自分が話していいのか、内心目まぐるしく考えて、ものすごく気疲れした。

叔母は私が1cm大くらいに鰻をちぎって、指で小骨をとって母の口に入れているのを見て、「すごく情がある。自分は親の介護もしたことがないので、絶対そんな風にはできないと思う。私だったらほかのやらなきゃいけないことを考えたりして気持ちがせかされる」と言った。「介護している瞬間はほかのこととか何も考えていない」と言ったら「集中力があるのよね」と言ってすごく驚いていた。う~ん、?どうなんだろう。実際、母といるときは眼の前の母のことしか考えていない。帰宅してから自分の現実が襲ってくるし、身体の痛みが襲ってくるのは確かだ(計画的に体力の配分ができない)。「私は自分の子供にこんなにはしてもらえないわ」と叔母が涙目になったりして、そんなにびっしり毎日やっていないのに感心されると自分としてはすごく後ろめたいし・・・。

私が子供だった頃は叔父が転勤のたびに母は私と妹を連れて叔父のところに遊びに行った。私は忘れていたが、どこに行っても私は絵の具を借りて窓から見える景色の絵を描いていたそうだ。

叔母に言われて気付いたのは、母は私には「生活(掃除、生理整頓)がまともでない」とよく小言を言っていたが、叔父や叔母から見たら滅茶苦茶に大らかで放任の子育てだった(実際働いていたので躾にまで気が回らなかったのだが、それが私にはよかった)ということだ。

7時過ぎに帰宅してから疲れで吐き気と頭痛に襲われた。が、母が弟夫妻が来たことがわかって嬉しそうにしていたのと、鰻をすごくおいしいと食べていたので良かったと思う。

6時間以上留守にしていたので、ちゃびが私の衣類袋から靴下などいっぱい引っ張り出して床に広げて、その中にうんこをしていた。

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2012年1月 6日 (金)

パンジー 三色菫 バラ 薔薇

1月13日(金)

朝8時、外で日向をさがして歩きまわり、ビルの陰になっていない駐車場で絵を撮影。クリエイティヴさんが来るのが昼とのことで、12:30に、パンジーのつぼみの描き直しの指示が来た。30分で描いて、日向で撮影した写真を送ってOKが出る。急ぎつつ丁寧に梱包して郵便局で1:54EMSで出す。午後の便は3時に出るとのこと。どうか月曜の朝に間に合いますように。

とにかくエキサイティングですごく楽しい仕事だった。

あちら(台湾)の会社はきょう忘年会でもうすぐお正月とのこと。謝謝。向諸位問好。
想五月去台灣。
好的新年。

EMSを出したあと、紅ほっぺ苺をつまみにビールを飲んだ。眠っていないせいか吐き気に襲われ、お風呂に入って寝た。

1月12日(木)

薔薇正面1点と斜め2点、葉っぱ2点、あちらの会議でOKが出る。パンジーはフリッカーにUPしていた私の昔の絵にほとんど同じくらいまで近いほうがいいとのこと。

月曜の朝に原稿をほしいと言われ、明日の昼までに出さないと無理ではないかと不安になる。明朝、太陽光で撮った写真がほしいと言われ、そのあとの修正時間も想定して早く起きなければと思ったら緊張して一睡もできなかった。

1月11日

水彩で濃く塗りすぎると修正がきかないので、やや薄塗りにして少しずつアクセントの支持を待つ。

1月10日

写真に撮ると紙を白に合わせると絵の色が飛んでしまい、絵の濃さに画像を合わせると紙も絵も全体に青灰いろに暗くなってしまう。そこを言葉でフォローするのがたいへん。

会議の結果が出るのが午後で、それに合わせて夜中までに修正して、また次の日の会議の結果(午後)を待って修正の繰り返し。先方が何を望んでいるのかニュアンスを把握するのが自分が理解できているのか常に不安だが、現場の熱い雰囲気がSkypeで伝わってきて新鮮で楽しい。

1月9日

最初にいくつかのパンジーと薔薇のスケッチを描き、その写真を撮り、メールで送る。先方のチームと、さらにクライアントさんと、クライアントさんがプレゼンするさらに会社の上司の人がいて(私にはその構造はよくわからないが)そういう会議の結果のフィードバックが送られてきて、そこで選ばれたスケッチに色をつける。

パンジー スケッチ (ボツ)

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1月8日

試しに塗って送った薔薇の会議の結果が夜10:30くらいにSkypeで来る。時差が1時間あるとしても、あちらは4~5時間か、もっと会議していたのかと思うと・・・申し訳ないような・・・

パンジー  試し描き

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ちゃびに薔薇の花と小さな紫のヴィオラを食われた。寝るときは、花はすべて冷蔵庫に保管している。

1月6日

お仕事が来た!海外からだったので最初いたずらかと思ったケド・・・どうやら本当みたい。

大好きなパンジー(三色菫)と薔薇が描ける。嬉しい。

薔薇 バラその1 試し描き

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私は紫や暗い紅色の枯れかかった薔薇が好きだが、仕事の肩慣らしのためにピンクのバラを描いてみる。花のかたちがうまくいかなかった。本物を買って来ないで資料だけを見て描いたからやっぱり良い絵にならない。

花屋でかたちの良いパンジーを選んで、花束と鉢植えの両方を買ってきたら、ちゃびが隙あらばパンジーを食べようとして興奮している。

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2012年1月 5日 (木)

アネモネ アネモネ・モナーク / 介護

1月5日

年末、葉書にちゃっちゃっと描いたアネモネの絵を数人に出そうと思い、以前描いたスケッチブックの素描を見たりして描いた。

アネモネ その1 八重のアネモネ・モナーク。右の花は動勢がうまくいったように思う。

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アネモネ その2 アネモネ・モナーク。今度は右の花失敗。

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アネモネ その3 アネモネ・セントブリジット(?)以前スケッチブックに描いたデッサン 見ながら描いたのはやはりリアルである。ちょいちょい描いたのとは全く違う。

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アネモネ その4 アネモネ・セントブリジットかデカン

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アネモネ その5 アネモネ・モナーク

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アネモネ その6 アネモネ・モナークとラナンキュラス

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昨年は恩師が亡くなったので出さなかったが、今年はほんの少しだけ賀状を出したのにへたな絵になってしまい自己嫌悪。

年末年始は介護関係の施設が休みだったので、毎日介護に追われる日々であった。

去年と比べたら母の病気がすごく悪化したようだ。喉を通るものがすごく限られてしまったし、身体の硬化も記憶も・・・。

自分は年末年始は普段の日常よりずっと疲労し、ひどい筋肉痛。

1月5日、東新宿の施設Mに母を送った。一週間だが、面倒を見てもらえるのがすごくありがたい。

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