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2012年6月14日 (木)

日隅一雄さん逝去

6月14日

きのう、日隅一雄さんが6月12日午後8時28分、がん性腹膜炎で亡くなったことを知る。ものすごいショック。

12日の朝、痛みで救急で運ばれて、その日の夜亡くなったらしい。10日にも講演をされていたというし、ツイッターもブログもずっと変わらず明晰であったので、なんで今?と、まだ信じられない感じである。

6月17日深夜TBS「報道の魂」で日隅一雄さんのドキュメンタリー放送「バッジとペンと~日隅一雄の闘い~」

http://www.tbs.co.jp/houtama/

ニコ生 NPJの日隅一雄連続対談企画 

http://live.nicovideo.jp/watch/lv96637398?ref=grel

ニコ生 今日10時から日隅一雄追悼番組

日隅さんは昨年5月に胆嚢がんステージ4で余命半年の宣告を受けたが、実際講演や対談などで間近で見る日隅さんは非常に生き生きとして、痩せてはいたが顔色もきれいだったので、余命半年宣告の日から1年が過ぎ、まさか今逝ってしまわれるとは予想できなかった。ご本人もそうは思わなかったと思う。腫瘍マーカーのうちのひとつの値が3月末から比較して、4月末には下がっていたことが心強い、とブログに書かれていた。「治る見込みがあって痛みに耐えるのと、治る見込みがほとんどない中で痛みに耐えるのとでは大きな違いがある」と。まだまだがんばれると思っておられたはずだ。

本当に信頼できる人、尊敬できる人が、またがんで死んでしまった。しかし凄絶な闘病のなかであらゆる治療やペインコントロールを試しながらも、最後まで入院せずにこんなにも精力的に行動し続けることができた人はあまり聞いたことがない。それだけ意思と気力の強い人だったということ、限界を超えて行動した人ということなのだろうか。

私が日隅さんを知ったのは最初はtwitterだった。@yamebunというtwitter nameのその人の言葉が端的で的を射ており、その人が地元新宿にいることからフォローを始めた。その後、東電会見での雄姿を見て、この人がyamebunこと「情報流通促進計画」の人か、と思った。問題点を明確にして、相手がこたえをうやむやにして逃げられないように言葉を厳密に選んで質問する態度、抗議すべきときは迫力をもって引き下がらないこと、理不尽なことをなし崩しにされないために情報を精査していくやりかた。日隅さんは本物のジャーナリスト、というより本物のアクティヴィストだと思った。

新聞記者から弁護士になった日隅さんのブログの文章は法的に精確な説明をしているために読みづらい部分もあった。しかし文学的に巧みな文を書きながら言語的達成のみで、身体的にはまったく他人事な人たちを何人も見てきた私にとっては、本当に身体の生きた、意思と行動の人だった。

実際講演や対談などに行ってみると、話している合間に見せるシャイな笑顔が最高にチャーミングな人であった。話のところどころに人を笑わせて、皆が笑うと本当に嬉しそうにしていた。柔和な笑顔と、理不尽なことを追及するときの鋭さや激しさのギャップが魅力で、人をすごく惹きつける人であった。

NPJの連続対談(岩波アネックス)に行った日の、サプライズの49歳のバースデイケーキを前にした日隅さんの顔、海渡雄一さんとの合同出版記念パーティーのときの皆に囲まれた日隅さんの顔、新宿のジュンク堂での木野さんとの対談のときの日隅さんの顔、忘れられない。本当にすごい人、魅力的な人だった。

初めてNPの連続対談に行ったとき、至近距離から日隅さんを見て身体が震えた。弁護士会の人に、「写真撮影はしてもいいでしょうか。」と聞いて、その人が日隅さんに尋ねてくれたとき、「まったくかまいません。まったくOKです。」と言ってくださった仕草が今も眼の中をぐるぐると廻っている。

4月25日に短いけれどメールの返事をいただいた。個人的にはそれが最後になった。

NPJ連続対談のときの日隅一雄さん

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新宿ジュンク堂での木野龍逸さんとの対談のときの日隅一雄さん

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49歳のお誕生日の日隅一雄さん

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13日にショックで動揺しながら寝て14日の明け方夢を見た。海辺で、日隅さんと彼の親しい弁護士仲間さんたちと一緒に砂浜を歩いていた。波がキラキラ光って、眩しいけれど灼熱の陽光ではなく、気持ちのよい天気だった。日隅さんのニュースを見てとても心配したのだけれど、やっぱりだいじょうぶだったんですね、と思いながら無言で後について歩いていた。日隅さんは元気そうに「だいじょうぶです。」とにこっとしていつもの柔和な調子で言った。誰かの弾くピアノの音が聞こえ、その音に合わせて波間に虹色の光がひとつずつ力強く光っていた。目が醒めてからもやはり亡くなったことが信じがたかった。

6時30分からNPJの連続対談を予定通りのテーマでやったのを見た。

10時からのニコ生の追悼番組で、きょう火葬になったことを知った。肉親が弟さんだけらしいこと、親族の希望で広島県福山市で親族のみでお葬式をすること。福島瑞穂さんのお話で社民党から立候補する気があったようなことも知った。まだまだやるべきことがたくさんあり、痛みはきつくても意欲満々で、本人も病気が今急変するとは思っていなかったこと・・・。

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