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2012年8月

2012年8月24日 (金)

新しい本

8月23日

夜通し最終校正をやっていて朝8時に就寝。

朝、待っていた帯文が突然、思っていたより早く届いた。寝不足で朦朧とする頭で文章の味わいが判断できなかった。もう一度寝る。

若林奮先生に関する文章の中のご本人の言葉からの引用の元をメモしておかなかったので、たくさんの断片の引用元を記憶で探して照合して、一字一句チェックしていた。原文は漢字のところをひらがなにしていたりする不注意変換ミスがけっこうあって、冷や汗ものだった。

この若林先生の引用の元を探す校正だけで、もう3日もかかっている。それだけいろんなところから胸に残る断片を順不同に切バリして論じている。どこから引用してきたのかどうしても思い出せない重要な若林先生の言葉があり、『対論・彫刻空間――物質と思考』と『I.W――若林奮ノート』を一字一句見落とさないように4回読み直しても出て来なくて苦しんだ。探しものは苦手なのだ。『現代の眼』だったかな~と思い数枚のコピーを読み直すも、半分ちゃびにかじられていて解読不能。困難なことが去らずに、またさらに新しい困難が積み重なっていくような気がする。

この3日は最終校正と本のいろんな部分を詰めて決定していかねばならない緊張と、その他雑務のストレスと、猛暑による自律神経失調があいまって、首が回らなくてひどく頭痛がするほど緊張しているので、星状神経ブロック注射を打って校正をやっている。

机に向かって無言で集中しているので、いつになく強烈にちゃびが邪魔をしてくる。空中飛びキック、今読んでいる本の上にどん、と乗っかる、など。

深夜12時近く、親友が帰省から帰宅して電話が来る。帯文は「いい文章だよ、すごくちゃんと読んでくれてる。リップサービスでなく、面と向き合わないと書けなかった文なんだ。この書物をオビに凝縮するのは、至難の業です、って書いてある通りでしょ。」と言われ、そうなのか、とあらためて感謝。カタカナと漢字の表記の違いの深い意味など聞いて、さすが見識が違うな、と感心。表記の違いにたくさんの意味がこめられているということ。つまりは、過去の文学におけるさまざまな表記の例を背負って、場合によってそれを連想させるように準じたり、または拒絶したりしているということ。

副題と装丁についての意見を聞く。4日前に私が提案した副題に、そのときは、有り得ない、全然良くない、と言っていたのだが、帰省列車の中でずっとその言葉を紙に書いたりして考えていたら、悪くないな、と思えてきたと言う。一般にはなんの本なのかわかりにくいけれど本の内容にはまさに合っている、と言った。窮地に助けてくれる友人だけが本当の友人とあらためて思う。

深夜3時過ぎ、やっと探していた言葉の元が発見された。2002年の豊田市美術館の図録の中の作家インタビューだった。少しほっとして、そのあとアジの南蛮揚げをツマミに麦酒もどきを飲み、また校正を続けて、今、もう朝5時。そろそろ生ゴミを出して眠ろうと思う。

5時きっかりにゴミを出しに行くとツクツクボウシとミンミンゼミが一生懸命鳴いていた。街道のほうに出ると、東の灰水色の空にに薔薇桃色のもこもこした素晴らしい入道雲が出ていた。すごくシュールな、はっとする美しさだった。それを見て嬉しくなってユーロホップというベルギーの105円の麦酒もどきを買って帰った。

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2012年8月17日 (金)

毛利武彦

8月17日

毛利武彦先生の奥様から絵葉書が来ていた。毛利先生の,だいぶ散った後の、ほとんど赤い萼しか枝に残っていない桜の絵。白く見える花弁は数枚のみ。暗い枝振りと暗い若葉。空間は黒く沈潜している。いわゆる「日本人」一般の持っている桜のイメージとはかけ離れた、厳しく、派手さや軽やかさや明るさがなく、けれど美しい、確かに存在するある「時」を生きている桜。

「この作品は福山さんの世界に通じる思いです」と書いてあった。

終戦の日、15日に、先日知り合ったばかりの二十歳の学生さんからメールが来ていた。一年前の今日、終戦の日に(探していた)毛利武彦画集を神保町の古本屋で見つけて買ってくれたとのこと。

そしてその画集のあとがき、「二十年も経って、この画集を古本屋の店頭に見かけた若い画学生の誰かは、果してこれを買うだろうか、と思ってもみなかったことを、ふと考えたりしているところであります。」という毛利武彦の言葉を読み、あまりにもその瞬間につながっていたことにすさまじいものを感じざるを得なかった、と。

彼は画学生ではないが、毛利先生がその画集を出された1991年からちょうど20年後の2011年に、自分がその画集を買ったことが偶然とは思えない、と。(つまり毛利先生が退官されて、あの画集を出した1991年の翌年に彼は生まれたのだな。)

この便りは本当に私にとって衝撃的だった。なぜなら、敬愛する師、毛利武彦の絵は、あまりに通俗から遠く、決して一般に好まれると思えなかったから。私が毛利先生の作品と人格を痛いほど敬愛していても、そのすごみや厳しさは一般の人にも関心を引くとは思えず、むしろわかりにくい絵だろうと思うからだ。

その1991年の退官のときに、毛利先生は「腐れ胡粉」の話をされた。二十歳そこそこで戦争で亡くなったご親友が、出征する前に胡粉(白い貝の粉の絵の具)を膠で溶いて練ったものを壺に入れて床下に埋めていったもので、こうしてねかせると化学変化を起こして塗ったあと剥落しにくくなるそうで、それを先生は四十年以上、ご親友の形見として手つかずでとっておいたが、『花――鎮魂』という桜の絵にそれを使った。そしてご親友に擬して散っていく花びらを三片描きそえた。そして先生はその形見の胡粉を使い残して死ぬことはできない、と言われた。

二十歳で戦争で亡くなった画学生時代のご親友の無念を毛利先生が一生をかけて背負い、毛利先生が亡くなったあとの大きな喪失の痛みに私が耐え、私は巨大な師のなにものも背負えるような器量も才もないけれども、師のすごさ、厳しさについてほんの少しでも言葉に書き残せたら、と思い、今、新しい本を作っている。そして今、二十歳の学生さんが毛利先生に関心を持ってくれたことは本当に不思議な縁である。

『デッサンの基本』に載せさせていただいた師の素描と言葉がきっかけになって、それまで毛利先生を知らなかった若い人が、師の絵を見てくれるようになるとしたら、師の絵から何かすごいものを感じることがあるとしたら、奇跡としか言いようがないありがたい気持ちです。

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4時に母をKに迎えに行く。きょうは比較的元気なほうだった。帰りのタクシーの中で、「ずっと変わらないのはお母さんよ。」と言われ、「誰?うちの(亡くなった)おばあちゃんのこと?」と聞いたら、「柏崎のお母さん。今でもいつもはっきり顔が見えるの。」と言った。母の母は私が6歳くらいのときに田舎で亡くなっている。

ポテトサラダをスプーンの背でなめらかになるまですり潰して一口ずつ食べさせた。それと冷えた林檎ジュースに漢方薬をとかして少しずつ。とてもおいしいと言った。

この頃、私のことをよく母の実の妹の名で呼ぶ。若いときにとてもよく似ていたそうで区別がつかないそうだ。

8月16日

Tさんの家に校正紙を届けにうだるような熱気の中を歩いた。6時すぎ。西の空は明るいトルコ石の色なのに、雲は灰色がかった暗い群青色。雷雨の上がった後のこういう特殊な雲をなんとかと言う・・・と、さっきお天気解説の森田さんが言っていたのにTVから離れて着替えていたのでよく聞こえなくて残念だった。

歩いているうちに空はどんどん藍色に沈んでいった。窓の明かりが黄色く浮かびあがっててくる。2階まで届く大きな仙人掌のある家の玄関口の横に大輪のマツヨイグサが開いていて、レモン色に浮き上がって見えた。いつも気になっていた白い貝殻をびっしりくっ付けた大きな茶色の甕が玄関の前にある小さな木造の家の窓が開いていて、眩しい黄色の明かりが見えた。誰かが夕食の支度をしていることがほっとする。

校正紙を届けてから、夕闇の中を団地のほうへ歩いて行った。私の好きな半分切られた古い桜の木は青葉が茂っていて、ツクツクボウシが大きく鳴いていた。

李の木はどうなったか見たかったのだが、暗くて見えなかった。

団地の給水塔。

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汗で頭や背中や、手の甲までびっしょり。書源でしばらく本を眺めてから8時すぎに帰宅。

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2012年8月12日 (日)

新しい本 / 体操   内村航平

8月14日

遅い朝、11時ちょっと前、電話の音で起きる。見慣れない番号。夢にまで見た待ち人来たれり。まさに夢のよう。

しかしまだ自分の能力の可能性が及ぶかわからないことがたくさんあるので、不安で有頂天にはなれない。

昨夜遅く、TVで見た内村航平の言葉が胸に痛くて、内村の夢を見ていた。「限界まで頑張りたい。正直体操の年齢としてはピークな年齢だと思うんですけど、ここから衰えてくると思うんですけど、それをみんなに見せたくないんで、出来ればこれを維持したまま、どこまでできるかやってみたい。」

加藤凌平に対して「一番堂々としていたので、個人総合で戦うとしたら間違いなく最大のライバルになると思うんで、ちょっと恐ろしい。たぶん僕と同じ道を歩んでいくと思うんで、ここからいろいろと苦しいことも経験すると思う。それを乗り越えてこれからも一緒にやっていきたい。」

疲れていて大人の顔だった。内村は今回のオリンピックが体操選手としてピークの年齢だと思いつめていて、どうしてロンドンでも団体の金をとりたかったのだなあ、と思うと涙が出た。自分が努力し尽したとしても、ひとりではどうにもならないことで苦しんだのだということに胸が痛んだ。体操は体脂肪を極限まで落として飛んだり回ったりし、かつ美しさにこだわる異常に厳しい競技だ。あらためて、彼は正直で、はっきりしていて、有言実行のすごい才能の選手だと思う。

そして私はスポーツをやる人間ではなく、もっと不分明な世界に懸けて生きている。私が眼にしたもの、身体がおかしくなるほど何かに触れていたとしても、それを絵なり、言葉なりに変換してなにができるのか、結局はそれを受容し、何かが伝わる誰かがいてくれなければ私が死んだときにそれらはすべて消える。細くて曲がりくねった針の孔ほどの道を通って誰かと死ぬまでに通信できるのかはわからない。まったくわからない世界。

私は夢をあきらめないでずっと努力し続けていれば叶うなんて思ったことはない。どんなに才能があって努力してもその時のいろいろな条件や運で叶わないことはたくさんある。理不尽なことはいっぱいある。ただ諦めないことや研ぎ澄まされてあることがそのまま身体そのものになっている稀有な人間だけが有無を言わせず何かに続けさせられるのだと思う。だから内村航平にも浅田真央にも、どうか競技人生で嬉し涙を流す瞬間を見せてほしいと祈っている。

8月12日

花輪和一がまたドイツから来た手紙のコピーを送ってきた(訳してほしいとのこと)ので電話。ものすごく読みにくい文字だがドイツ語じゃなくて英語なので私にも訳せた。久しぶりに長話。

Yと電話。カヴァーデザインについて、よくある白を基調にしたフラットな装丁にする必要なく、私の感覚を強く出した装丁にすべき、と言われた。今は新しい本を良い本にすることだけに集中して、ほかの仕事は、あるいは諦めるなりして、私の神経が疲れることが一番心配だからストレスになることは避けてほしい、と言われた。とりあえずここまで我慢してがんばってきたこと(新しい本と関係ない仕事)は、だめもとでチャレンジしてみる、と答えた。

8月11日

母をタクシーでKに送る。白い百日紅が咲いていた。真昼間のかんかん照りの中を駅前のコンビニまで戻り、母の夜用のおやつを買ってまた施設に行き、それだけで熱中症になりそうなくらい疲れた。

宅急便で図版を入れたゲラが送られてきた。これから8月末までが集中して感覚を研ぎ澄ます勝負。

夜、7時からバレーボール女子の試合を見た。正直、こんなにすんなり勝てないんじゃないかと思っていたのですごく嬉しかった。涙が出た。

8月10日

夜、Gから電話で、本棚の蝶番が錆びていて扉が落ちてきて頭を打って顔が血だらけになった、と言われてびくっりする。そのあと歩いて近くの病院に行き、救急で診てもらったそうだ。

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2012年8月 9日 (木)

体操 ロンドンオリンピック

8月10日

夜、帰国したての体操男子チームのインタビューをやっていた。

内村航平の言葉、「今回のオリンピックに、少し懸けすぎていた部分があったので、――いつもそんなことはないんですけど、いつも本当にどの試合もいつもどおりを心掛けてやっているんですけど、あらためていつもどおりと思うことの大切さを学んだので、そこを生かしてこの先ひとつひとつ試合を淡々とこなしていきたいと思う。」

すごい・・・・言葉が重みを持っている。そういえば北京五輪の時、まだあどけない顔の内村は跳馬を飛ぶ直前に「いつもどおり。いつもどおり。」とぶつぶつ唇を動かしていたことを思い出した。

中国は金メダル獲得への執念と団体決勝に合わせてくる調整力が違った、とも。

「気持ちを強くもっていれば練習も変わるし、練習が変われば試合でも自ずといい演技ができる、それができれば結果はついてくる。」

内村は十分強い気持ちで、やりすぎるほど過酷な練習をしてきたと思うが、普段の練習の中で、さらに状況が一変したときの緊張やあらゆるアクシデントに臨機応変に立ち向かう訓練をしておくということなのか。

加藤凌平がお父さんが叶わなかったオリンピックに行けたことについて問われ、「本当に、体操を始めた頃からお父さんを超えたいという気持ちがあったので、まあ、ちょっとお父さんに申し訳ないっていうか、強く言えないんですけど、実績としてはお父さんを超えられたのかなと、そう思います。」と恥ずかしそうに答える姿はやはり18才にしてははしゃがないというのか、落着きがすごいと思う。

8月9日

なんだかんだと忙しく余裕のない毎日ながら、オリンピックの体操やバレーボールはLiveで見ている。入江陵介も気になってしかたなかったし、卓球もすごかった。

内村航平が絶好調といいながら現地入りしてから落下が続いたり。落下したときのすごくびっくりしたような頬の上気した顔が印象的だった。

「ミラクルボディ」を見ていたり、今までの大会をTVで見ていたので、本当に天才肌というのか、別次元の選手なのだな、と思っていたが、今回のオリンピックの予選のガタガタと、すっかりやつれてげっそりこけた顔を見て、急激に興味が深まった。

冨田洋之の世界選手権金メダル後の、特に北京オリンピック前後の、あの深まりかた、常人には計り知れない体験、努力、忍耐、工夫、苦心をして、深淵を垣間見ている人間の口にする言葉の恐ろしさに痺れたものだった。もともと朴訥で、完璧主義だけれど目立ちたがりではない冨田の言葉は、実に個的体験の真実から出てきていて、その個的体験の稀有さ、稀少さ、深さに見合うように、言葉がどんどん端的に、重みを持ち、稠密になっていったのにものすごく惹かれた。

が、内村航平の言葉は・・・・彼自身の感じている個体的真実と彼の言葉はあっているんだろうと思うが、どうも身体のストレス反応による変化や疲労を言語として認識できないほどエンドルフィンが出ている状態なのかな?と思った。

それが緊張なのか昂揚しすぎなのか、器具が使いづらいのかはわからないが、とにかく内村が本能のように自在に操っていた身体の制御に不具合、不自由が出てきたということで、今までよりずっと祈るように応援したい気持ちになったことは確かだった。

アテネからずっと冨田洋之の大ファンだったので、4年前に内村航平が出てきたときは、なにか精神的に幼く見えてしまって、あまり好きでなかったのだが、あれから4年で、常人には想像できないような気の狂うほどの練習量と濃縮された時間を過ごして、すごく大人になってきたように見えた。

団体予選の時の最後の平行棒演技のときの形相は、アテネのときの冨田のような鬼気迫る顔になっていた。あの顔であれば個人総合はやってくれるという気がした。

凄みと同時に、身体そのものの美しさ、体線、動きやリズムの美しさが恐ろしく洗練されてきて、それを同時代に見るのは奇跡的な喜びだ。とにかく彼らは晒されている。その身体演技そのものに、欺瞞や虚飾の余地はない。

(ある種のアート、表現を見ても、それをやっている人の個的真実の稀少さや凄さ、過敏さや思考の深さに惹かれない場合は、まったく興味を持てないのだ。それを持てない場合は、アートよりある種のスポーツの身体表現のほうが、ずっとずっと眼からはいってくる真実を持って胸を打つ。それがそのときのあるルールとか採点法とか、いろいろなものに規制された型を持つものであるにせよ、リアルに研ぎ澄まされたはらはらさせられる生身の身体表現だからだ。

選手の言葉には身体をコントロールすることがいかに難しいかということが経験から訥々と語られていて、言葉を高度な技巧によって操る人たちのように自己韜晦がないから好きだ。)

どうなるかはらはらしたが個人総合の金メダルを獲れて、素直に「夢かと思いました」と言っているところは、素直で晴れやかでかっこよかった。

ゆかの銀メダルのときの、最後にやっと満足の演技ができて嬉しい、というのも爽やか。しかしそのあとの、皆さんに勇気を与えられる演技ができたと思うんでよかった、という発言はマズイなぁ(笑)。それは見た側が言うかもしれないことで、演技した側がいうことじゃないから。4年前よりすごく大人になってきたけれどまだまだ言葉が稠密になっているわけじゃない、ということはまだまだこれから伸びるということなのだろう。

そしてクールな美少年、加藤凌平。あの落着きは素晴らしい。NHK杯で見たときは本当にびっくりした。

団体の銀メダルのとき、加藤凌平が花束の匂いをかいでいる仕草がとても初々しかった。黄色とオレンジとピンクの薔薇に麦の穂とラベンダーの花束はイングランドの田園を思わせる素敵な花束だった(個人的には、昔行ったコッツウォルズやウインダミアの田園風景を思い出した)。

加藤凌平の魅力満載の、この「スッキリ」という番組には冨田洋之も出ていたんですね。

http://www.56.com/u95/v_NzA1ODAyMjA.html

なお、負傷した山村がなぜか嬉しそうなにやにや笑い(照れ笑いなのか?)を満面に浮かべながら冨田洋之におんぶされて退場して行った時は、本当に、ちょ・・・!? 勘弁してよ、山室~という気持ちでいっぱいでした。

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2012年8月 7日 (火)

ヤブカラシ(籔枯らし) 夏草 ちゃび

8月8日

6日、7日に集中して描いたヤブカラシの巻きひげの素描をスケッチブックから切り離し、Sさんに送る。スケッチブック3枚、30点近く描いたろうか。

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ヤブカラシ 巻きひげ

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ヤブカラシは子ども時代の夏の記憶に直結している。縞のあるイトトンボがとまっていたホソアオゲイトウや、ちぎると強い匂いのしたヨモギや、膝小僧の傷口に白い粉をふく葉の裏側をペタンと貼った(血止めだと信じていた)シロザや、フェンスに巻き付いていた薄紅の昼顔も。「夏草」という言葉は幼い頃に繋がる。

コンビニで発送して帰って来たら、今描いていたばかりの白いスケッチブックの表紙の上にちゃびがうんこをしていた。午前中、トイレでしたのに2回目。紙の表紙なので汚れが落ちるかな~と一瞬ひるんだが、ファブリーズふわりおひさまの香りをシュッシュッとかけてティッシュで強くこすったらきれいにとれた。

Hちゃんが仕事の手助けで来てくれる。本当に助かった。彼女は普通の人とはかなり違う。熱狂の対象も、仕事のやり方も、テンポも、嫌いなものへの拒絶の強さも。

深夜、仕事していたら、またもやちゃびが興奮してイライラし、声もドスがきいてきて不良っぽく欲求不満のだだをこね始める(うんこしたいの合図)。明け方4時ごろトイレに閉じ込めたら3回目のうんこ。

うんこしたあとはふにゃ~と弛緩して、高くて甘い声を出して、すっかり女の子っぽくなってまるで夢見るお姫様のような顔になって甘えている。

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8月6日

午前中、原爆の日のニュースを見ている。

午後、新宿区役所へ。かんかん照りではないが蒸し暑い日。母の難病指定の更新のために父の非課税証明を取りに行ったが、委任状が無いとかいろいろ苛められる。汗がどっと流れた。

昨日の朝、酷い出血と身体の痛みで目が覚め、(子宮内膜症の体験者の女性ならわかると思うが、羽付きナプキンの白い部分が無くなり、下着もジャージもシーツもアウトの大量出血)きょうもまだ滑舌もおぼつかないほどふらふらしていた。

Gと待ち合わせてルミネの中の書店で思想書や芸術書などの装丁を見る。ジュンク堂が潰れてしまったので、たくさんの本を一気に見ることができず、とても残念。

甲州街道の躑躅の植え込みにヤブカラシがいっぱい絡んでいた。朝の雨の露にまだ濡れていて美しかった。このところ毎日ヤブカラシを探していて、やっといいのが見つかったので食事後、摘んで帰ることにした。

NSビルで食事。窓の外には、台風一過のせいかすごく劇的な雲。

大きな政治的なこと。倫理的なことを書いて(発言して)いて、小さな虫一匹のことを苦しむ人間を馬鹿にするような人間はおかしい。そういう人間は観念的に正しいことを言っていれば済むと思っていて実際は身体性に欠けている(欺瞞的)。また、小さな命について苦しんでいるふりをしてそれをネタにする物書きもおかしい(欺瞞は作品の中で、また発言の中でばれる)というような話。

昔、吉本隆明が糸井重里と対談していた雑誌の記事で、これからは物書きは小さな世界を書くしかなくなる(記憶なので言葉そのものは不正確です)という発言をしていて、なんか職業的にそこをネタにすれば延命できるみたいな発言で頭にくるんだよね、と言ったら、Gが、いや、そうとも言えない、と言ったので、なんで?と言ったら、一般的な感覚で共感を得ようとする物書き、たとえば○○、××、△△に対する批判としてはあっているんだ、と名前をあげて言ったので、そうか、さすがGだわと思った。

やまやで買った薄荷のお茶のはいっていたポリ袋にヤブカラシの蔓を折って入れた。巻きひげの形のいいところをよく選んで採った。ヤブカラシは旺盛に繁茂する雑草だが、蔓を折るとすぐにしゅんとしてしまう。帰宅してから小さなガラス瓶に挿して冷蔵庫に入れ、しょっちゅう出して巻きひげのスケッチをしている。

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2012年8月 5日 (日)

清水壽明さん35周年祝賀会 / 種村季弘先生の奥様

8月4日

スパンアートギャラリーで雑誌『太陽』『コロナ・ブックス」』を35年やってこられた清水壽明さんの祝賀会。

珍しいコレクションの前の清水壽明さん。

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たくさんの人。
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ジゼル・フロイント 蚤の市のアンドレ・ブルトン 年代不詳 写真

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巌谷國士 五感の階段の泉 ポン・ジュズス・ド・モンテ聖堂 プラガ 

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清水壽明さんと四谷シモンさんと菅原さんと・・・あとは私の知らない人。
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澁澤龍子さんと話す種村品麻さん。

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種村先生の息子さんの品麻さんはあとから現れた。お目にかかるのは久しぶりだった。お母様はお元気ですか、と聞いて、2年前に癌で亡くなられていたと知り、ショックで眼の前が暗くなった。

種村先生の湯河原のご自宅によんでいただいたときの、先生の奥様の様子が忘れられない。本当に、素のままで可愛く、優しく、頭の回転がよく、上品で気配りのある魅力的なかただった。種村季弘先生と感じが似ているというのか、あそこまで素敵な人だなあ、と感じさせる女性もなかなかいない。なんというか、素地が清らかで、しかも機転のきく、会話も楽しい人だ。さすがは種村先生の奥様、なんというお似合いのご夫婦と感動したものだった。著名な男性の奥さんだと、たまに険のある女性だったり、腹の中と振る舞いが違うな、と直感的に感じてしまう人がいるのだが、種村先生の奥様は本当に違っていた。

以前、高橋睦郎さんとお話ししていたときに、高橋さんは種村季弘ご夫妻について、「本当にあんなにいい人たちはいないでしょ。」と言われて、そのときも涙が出たけれど。

なんであんな素敵な人が癌で亡くなるの?と涙が出る。種村先生への尽きせぬ思いを書いた本を読んでいただきたかったのに。苦しい。涙が止まらない。

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