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2012年9月

2012年9月22日 (土)

新しい本 『反絵、触れる、けだもののフラボン』

9月21日

耳をつんざくような激しい夕立がいきなり来たあと、晴れた。

編集さんと新しい本の『反絵、触れる、けだもののフラボン』最終打ち合わせ。第三稿をもらう。

絵(素描)を最初入れる予定でレイアウトした(大きなスケッチブックを夜中にコンビニに持って行って縮小率を決め、コピーして合わせるのがすごくたいへんだった)が、文章のみのほうがいい、ということになって結局全部なくしたり、ページネーションで苦しんだり、推敲も校正もほんとうに毎回限りなく苦しんだけど、やっと最終段階に来た。

カヴァー絵の4色分解で色が黒っぽくなったり、デザインでも、ものすごく感覚的に伝わりにく難しい注文つけてデザイナーさんに負担かけてる(申し訳ない)のだけれど、きっとそれだけ印象的なものになると思う。

きょうは画期的進展があった。え!? と驚くようなお話をいただいたり、もやもや不安で苦しかったことがはっきりしてきたりした。

この本が見知らぬ人に読んでもらえるのかはまったく未知だ。

だが仕事にのめりこめること、なにものにもかえがたい信頼できる友人がいることは、おそろしいほど幸せなことだと思う。

9月20日

父のヘルパーさんのプランのための会議に区役所の人と介護サービス事務所の人たちと集まる。

父は若い頃肺結核で長く闘病し20第前半で背中から片肺を切除しているのでふらふらしている。

区役所の女性職員Yさんが父に、「お久しぶりじゃないでしょ。この前お会いしたでしょ。明治座で。」と言ったのでびっくり。6月くらいだったが、介護をしている人だけが申し込める慰安のための観劇会のお知らせを区役所からもらい、抽選だから絶対当たるわけないな、と思いながらも父の名前で応募しておいたのである。

よしんば当たっても、歌舞伎町の新宿区役所前に8月真夏の暑い盛り11時くらいに父が行くわけないな、封筒をちゃんと開けて中身を読むことさえまともにできないかもしれない、と思っていたのに、しっかりバスツアーに参加していたのである。

演目は大地真央の「大江戸緋鳥808」。区役所の職員さんの話だと男の人は4人くらいで、あと皆女性なので、男の人たちは恥ずかしそうにしていたそうだ。そりゃ恥ずかしいだろうな~。父は一部を観てお弁当を食べてからふらっと浜町河岸に散歩に行ったそうだ。遊ぶことなら、まだまだ元気、と一同苦笑。

「名簿を見て福山さんの名前があったから、えっ、まさかって思っちゃった。」と職員さんに言われる。まわりの女の人に飴もらったり、お茶入れてもらったり、話しかけられたりしたので父はびびったそうだ。本当に人見知りというのか人しゃべらない人間で、いつも何考えてるかわからない人間なのだ。今回明治座に行っていたことも、きょう区役所の人から聞かなければ父から話をきくことはありえず、私はずっと、あれはやっぱりはずれたのだなと思っていた。

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2012年9月19日 (水)

古い絵本

9月18日

母を送りに実家に行くと枕に血がついていたがけっこう元気で、会話もはっきりしていた。台風の影響で蒸し暑い。日が翳ると風もあり、少し涼しいが、日差しが戻るとまた暑い。

夜、待ちに待っていたファクシミリが来る。これで仕事の見通しがついた。

9月17日

母が後頭部を怪我していると電話があった。きのう転倒したらしい。受け答えははっきりしているので冷やして様子を見るということ。

9月16日

中野で古本やアンティークを見る。蕗谷虹児の装丁した本がさすがにすごかった。

昔の雑誌、「コドモノクニ」が何冊かガラスケースに飾ってあって、3万とか4万とか値段がついているのもあった。1920年代の画家の濃さはたまらない引力がある。魂を奪われる感じがする。

子どもの頃読んだ武井武雄や初山滋や蕗谷虹児の絵本は感覚の原点として強烈に心に残っている。

武井武雄で一番好きだったのは「舌切り雀」だ。うろ覚えだが、おじいさんがすずめのおやどを探していると、道にうしあらいが座っていて「うしのあらいじる、おおきいおわんにjじゅうさんばい、ちいさいおわんにじゅうさんばい、のんだらおしえてやる。」と言い、おじいさんがそれを飲んで道をきいてしばらく行くと、うまあらいが座っていて「うまのあらいじる、おおきなおわんにじゅうさんばい、ちいさいおわんにじゅうさんばい、のんだらおしえてやる。」と言う場面があり、台詞も、うしあらい、うまあらいの姿もものすごく奇妙で妖しくて、たまらない魔力があった。

昔は古い画家のものすごい挿絵の絵本があって、そういうのを見て自分の体験だか本で読んだものの想像なのか完全にわからなくなるくらい自分の身に肉化してしまう読書の体験があった。

9才のころ、旅先の旅館にあった本。文字ばかりの本だったが、本の数枚、挿絵があった。「ロビンフッド」だったと思うが、ロビンとマリアンが最初に出会う場面で、白い大きな花がびっしり咲いている花のかげから、というのが挿絵で見たのか、文章を読んで絵を頭の中で想像したのかわからない。揺れる白い花の絵が動きながらずっと記憶に残っている。

あれはおばあちゃんに連れられて行った裏磐梯の旅館だった。玄関に大きなクリーム色の吊り下がるスカートのような花が咲いていて、「なんていう花ですか。」と旅館のおじさんに尋ねたら「ダヅラ。」とおじさんは答えた(ダチュラ)。(この花が「曼陀羅華」であるとのちに知る。)トイレの扉に子どもの顔くらいの大きさの茶色い蛾がぺたっと貼りついていた。夕方、空を埋め尽くす赤とんぼの群れを見た。

絵本ではなくて小さな文字が二段組みでびっしりの「アンクルトムの小屋」と「竹取物語/落窪物語」という本は、小二のとき、足を怪我をしたお見舞いにもらった。硬くて分厚い本。隣のおばさんはなんであんな本を買ってくれたんだろう。難しい漢字混じりの細かい文字面を見ると頭が痛くなって無理、と思うのだが、集中して本の中にはいっていくと、頭のなかにものすごい絵が展開してくるのだ。

竹取の「翁」という漢字が読めなかった。「火ねずみのかわごろも」とか「つばめの子安貝」という細部の設定がすごくおもしろくて、想像なのだが、やはり、そのものの緻密な絵を見たような気がする。

アンクルトムを読んだときは「わたつみ」というのをやってみたくて、綿花を見たくてたまらなかった。娘のエヴァが死んでしまって、農場のご主人の嘆きがとまることはなく、美しいものを見たらエヴァに見せてやりたい、おいしいものがあったらエヴァに食べさせてやりたい、と思ってなおさら悲しみがこみあげてくる、というような言葉を読んだとき、苦しい感情が押し寄せてきて、七才くらいの子どもの時の自分が初めて知る「喪失の悲しみ」の感情の原型になっている気がする。

楳図かずおの「おろち」と「漂流教室」をデザインしたTシャツを売っている店があった。原画は大大大好きだけどデザインは悪いと思う。otooto22のデザイン。6090円。で、買わなかった。楳図先生は大好きだけど余計なデザインの自己表現がはいってくると厭になってしまう。過剰デザインをしなければいいのに、と思う。

水木しげるの66年の「悪魔くん」の原稿と69年の「河童の三平」の原稿を、青鉛筆、赤鉛筆の指定、ホワイトの修正、原画の紙の退色もそのまま印刷しているポストカードを売っている店があった。これは抜群にセンスがよかったので3枚購入。すごく素敵なカードなのに出す相手がいなくて悲しい。種村季弘先生が生きていたら出したのに、と思う。以前、中野で購入してすごく気に入っていたレトロな月光仮面のポストカードでお便りした。この「河童の三平」原稿の緻密な植物描写(咲いている花は金盞花に見える)を出して価値がわかってくれるのは、花輪和一だろうか。

帰りの電車の窓から見る空。カーブを曲がるとき新宿の高層ビル群が光っている。きょうの空は光る入道雲ともや~とした黒い雨雲と青空が同居している。

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2012年9月17日 (月)

個展打ち合わせ

9月15日

11月にやる個展の打ち合わせ。京王線の線路沿いに白と紅の斑の白粉花が咲いていた。

11月7日~11月12日

KID AILACK ART HALL 5階ギャラリーで個展をやります。

http://blog.livedoor.jp/kidailack/

時間はたぶん13:00~20:00

7日初日は16:00~

12日最終日は18:00終了

場所は京王線と京王井の頭線が交わる明大前駅から徒歩2分。(新宿から急行に乗って5分くらだったと思う。)

http://www.kidailack.co.jp/?page_id=8

タイトルは10月に出る本と同じ、

「反絵、触れる、けだもののフラボン」です。

10月に出る本の最後の詰めをまだやっている状況で、個展のほうの仕事がなかなかできない。でも新作は毎日作って、その中でいいのを選んで額装を考える状態。

9月14日

がんセンター。

9月半ばなのに暑い。行き交う人の影を見ながら黒い日傘で日差しをよけながら真昼の東銀座を行く。

郵便局の大きなビルの陰の中に入ったとき、人の影が逆側に映るのを見た。大きな影の中で、光が道の逆側のビルに反射しているのだろうか。

血液検査の結果のプリントをもらった。

会計待ちのとき、長いソファで隣に座っていた年配のご婦人に、どこのがんなの?と尋ねられた。

9月13日

このところずっと仕事の緊張がとれなくて、クリニックで星状神経ブロック注射をしてから治療院に揉んでもらいに行って、さらにタイレノールとレキソタンを飲んでもまだ首ががちがちという日々が続いていた。

息抜きに、ものすごく久しぶりに映画のDVDを観る。選んだのは「フェノミナ」。

ジェニファー・コネリーの鷹揚で無垢な美少女ぶりがなんとも魅惑的。ショックなシーンはてんこ盛りなのだが動物虐待シーンなどがないので全然厭な怖さがない、さわやかなホラー。チンパンジーのインガが素晴らしい。虫を愛するという設定もほっとするのだ。私自身も虫が好きだからだ。音楽がプログレというよりへヴィメタルっぽく明るすぎるのが気になった。もっと怖くしてもよかった。

そういえば「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は、「アマポーラ」の音楽とジェニファーコネリーが着替えながらお尻を見せるシーンしか印象に残っていない。そこしかよくなかった気がする。あのシーンを見てダリオ・アルジェントは「フェノミナ」のヒロインは彼女しかいない!と思ったのだろうか。

9月11日

友と待ち合わせてPで食事。帰りにふらりと高円寺の雑貨屋さんに寄った。ここで奇妙なことがあった。

GREAT WHITE WONDERという店。去年の秋くらいに中野ブロードウェイにあるこの店の姉妹店にふらっとはいったら、かわいいレトロな猫のイラスト(60年代風の猫がロケットにのってはしゃいでいる絵)のポストカードがあり、わあ、これかわいい、と言いながらも189円は高すぎると思って買わなかったのである。そうしたら次に行ったときはもう無く、店の人に聞いたらもう入荷しないとのことで、無くなったと思ったらやっぱり買っておけばよかった、なんということはないものだが感覚的にどんぴしゃの好みだったのに、と後悔することしきり。

ドイツのBIZARRというメーカーのもので、ネットで調べたらサイトにもその猫のカードの画像はなかった。ミュンヘンの会社か、今度ドイツに行ったらなんとしても手に入れたい、と思いつめるほど、手にはいらないと思うと不思議に欲しくなるのだ。

高円寺の姉妹店のポストカードコーナーを、そこを通りかかるたびに毎回未練がましくチェックしていたが再入荷することはなかった。それが、たまたま9月11日に、どうせないけど、のつもりでチェックしたら、・・・・・・あったのである!!!

え?あった!ロケットに乗って笑顔の猫のカードが。しかし、不思議なことに微妙に記憶と違う。ロケットは下向きではなく、上向きではなかったか?猫の顔は、もっとはしゃいでた気がする。全体に青っぽいのだが、前見たやつはピンク色だったような気がする・・・しかし、同じBIZARRでまったく同じような絵柄で色違いの別物があるだろうか?

一緒にいた友も確かに色はピンクでロケットは上向きだった気がする、と言う。こんな不思議が記憶のずれがあるだろうか。とにかく、今度はそれを買って、大切なお気に入りポストカード保管用の引き出しにしまった。

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2012年9月11日 (火)

古いアパート 西新宿 百日草

9月10日

新しい本の制作ともう一つの仕事に追われ、ここ3,4日、ずっと朝4時くらいまで根を詰めていた。首と肩と腰と背中ががちがち。頭痛もひどく鎮痛剤を飲んでいた。

きょう、そのもう一つの仕事のために西新宿へ。行くときは暑いし緊張するしで吐きそうだったが、やっと終わったあと、汗だくになりながら西新宿のなつかしい路地をただ無心に歩いた。

再開発に次ぐ再開発でめちゃくちゃにされた故郷だが、西新宿8丁目のあたりには、昭和のアパートがまだ奇跡的に残っていた。

2004年頃、西新宿の古いアパートがどんどんつぶされていく中、木枯らしの吹く寒い日に毎日カメラを持って歩いたあたり。

ああ、涙がでちゃう「ときわ荘」。まだ壊されてなかったんだ。

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こういう片隅に生えている草が大好き。

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合歓の木の花咲く青雲荘。

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これは瑞雲荘。

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これは紫雲荘。

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これは別のアパート。

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網で支えてあげて、さりげなく植えられている百日草。なんのデザインもしていないのに、一本一本がそれぞれの位置を獲得している。こういうさりげなさに、ものすごく詩情を感じる。
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夏の終わりの少し固くなった百日草。

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右の、「すごいよマサルさん!」に出ていたメソ?

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昔から憧れだった力王足袋のある店。

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なんか、この店のたたずまいが好きなのである。成子天神のすぐ近くの店。

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汗だくで歩き廻っていたら帰宅してから脹脛が強烈なテタニー(カルシウム不足による痙攣)になった。豆乳と牛乳を飲む。このところ、神経を張りつめる作業が続いていたが、今夜は久しぶりに少しのんびりできる。

深夜、JからSkypeでのチャット。自分が一生懸命築き上げてきたもの――地位とかではなく、ものの見方とか大切な友人とか大切な静かな時間のありかたとか、そういうものを他人に滅茶苦茶にされないことが一番大事。Jは瞬間で嗅ぎ分けるそうだ。自分の要求だけを押し付けてくる人間に同情したり助けなければいけないんじゃないかと感じる必要は一切ない、とJは言った。そういう時代ではないし、そんな余裕はこの国のこの時代にはない、と。

私には苦痛だと感じる人間と付き合うことがものすごく苦痛なのだ。話が全然通じないとか、感覚、価値観がまったく合わないとか。話題は違っても理解力や瞬間の判断力や知性に富む人にはすごく惹かれる。Jは私と全く違う、私よりずっとたくさんの人と軽い付き合いを楽しめる人間。自分が好かれること自体を楽しむ人間。状況によっては自分の名前さえ明かさず自分「を」好きな女の子と遊べる人間。アイドル的に振る舞える人間なのだ。性差は大きいと思うが、私は自分「を」好きな人より、自分「が」好きな人とつきあいたいと思う。私はずっと長年、少数の親友とのみ深い付き合いをしてきて、その外の人を嫌いなわけではないが、いつも緊張して引いてしまう人間。初対面の人と話すのがすごく恐怖、そして神経が鈍いと感じる人とはまったく付き合えない人間。すごく引力のある人には一目ぼれしてしまうが、好きになれる人以外は怖いと感じる人間・・・。

9月4日

母を迎えに、下落合の駅に降りる。去年も心惹かれていたホームの端っこから見える植え込みの夏の終わりの花々に胸を打たれる。

去年は色とりどりの百日草が咲いていた。朱、オレンジ、桃色、紅色、赤紫色、黄色、クリーム色、白、一重のと、八重のと。

今年はそれに加えて、その上に目を見張るほど大きな向日葵が俯いていた。向日葵の背丈は3メートルはありそうで、首を項垂れた頭は厚みがあってものすごく大きかった。中に重そうな種子がびっしり詰まっていた。

夏の間の誰かの記憶を、向日葵はずっとその電池で、淡く温め続けている気がした。

母は熱ざましの薬が効いたようで思ったより元気だった。暑いせいか、アイスクリームが食べたいと言った。帰宅してからバニラアイスと水羊羹を食べさせ、牛乳に漢方薬を解かして薬をきれいに飲ませた。

9月1日

母が38度4分の熱を出したと介護施設から電話。病気のために体温調節ができない熱中症なのか、結局担当の医師に問い合わせても「不明熱」ということだと言う。風邪ではなさそうなのだが、人にうつす危険性のある不明熱の場合は施設からは疎まれる。

仕事の修羅場の真っ最中だったので、今すぐ引き取って、タクシーで病院に連れて行ってくれ、と言われたらどうしよう、と胸がどきどきした。結局インテバン(熱さまし)を飲ませて事なきを得たということだったが。

苦しさの中で綱渡りで生きているような毎日。何かわからない不明熱で、きょう母が死んだとしても全く不思議ではない状況だ。緊急事態であるなら、全てを擲って行かなければならない。こういう毎日の中で、私が負うべきではないくだらない他人の愚痴に付き合う余裕はないと心底思う。

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