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2012年12月

2012年12月31日 (月)

年の暮れ

12月29日

鵜飼哲さんと文化村のDeux Magots前で待ち合わせ。渋谷の裏通りでお茶を飲んでから、青山一丁目へ。

乃木坂のChez Pierreを7時に予約してくれていた。青山一丁目から歩こうとして迷う。交番に聞いて乃木坂に着いたら、店は駅の反対側だと、通りがかりの人が案内してくれて、駅構内の細長い通路を抜けた。

Chez Pierreに着いて、鵜飼さんはフランス語で Pierreさんと話していた。1973年に、日本で初めてフランス人が開いたフランス料理の店なのだそう。

きょうは、私の本「反絵、触れる、けだもののフラボン」が出版されたお祝いをしてくださると言ってくださったので、すごく嬉しかった。白ワインと大好きなブイヤベースのコースをいただいた。

最初のサラダにトランペット茸という真っ黒いきのこのバター炒めがのっていた。それがすごくおいしかった。

そしてブイヤベース。そう言えばマルセイユで食べたことはあるが、日本でフランス料理店で食べるのは初めて。(いつもなぜかイタリヤ料理の店で食べている。)

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私の文章(言葉)について。何を見て何を感じたかを厳密に言葉にしようとしている本はあまりないのではないか、と鵜飼さんは言った。共通言語を厳密にするのではなく、見たものを厳密に表現するために、言語の一般的な使い方を崩していくという意味。

介護は、今、(私は)最もたいへんな時期になっていると言われた(Uさんのお母様は今年の6月に亡くなられたとのこと)。反原発運動の現場のこと。

12月28日

歌人でアルトーの研究家でもある森島章人さんから私の本への感想の絵葉書をいただく。

作品を通じて繋がり合えることが嬉しくありがたい。

反原発の意思に共鳴して、城南信用金庫に預金を少しまとめて移した。スーパードリームというくじ付きの定期預金。

12月27日

茨城県立美術館館長の市川政憲さんから私の本へのお礼の手紙をいただく。若林奮さんのことについて。

この酷い時代に若林奮さんが生きていたなら、今頃どうしていただろうか、と思わない日はない。

反原発の意思表示のひとつとして、城南信用金庫に口座をつくりに行った。とてもスタッフの感じはよい。

母の転院先のリハビリ病院をさがすため、高円寺のK病院に面談に行く。料金の説明で、月ごとの限度額の医療費に加え、食事代は仕方ないとしても、そのほかにトイレ自立していない人には一日2100円(月に63000円!!)かかると言われてびっくり。その時点で絶対この病院は無理と思った。また、4人部屋でも差額が一日4200円だとのこと。

金額的に無理なので結構です、と言って帰りたかったが、ほかの病院と面談してもし同じような料金体系だったら近い病院のほうがいいのか、と思い、そのあと家族構成やら家の間取りやら聞き取りされるのにいらいらしながら耐えていた。

12月25日

帝国ホテル地下の伊勢長という店で、Hさんと会う。伊勢長は290年前からあるお店だそうだが、生まれて初めて京懐石なるものを食べた。非常に繊細で上品だが、一品一品がブローチみたいにかわいらしくて小さい。

Hさんは起業家だ。人生に対して私とはまったく異なる感覚を持っている。しかし、私にとっては、嫌悪感を抱かせるような言動をとりながら芸術家ぶる人たちよりも、はるかに虚偽的ではないように感じる。

彼女には私の考える自由人の意味がわからないだろう。彼女にとってはばりばりお金を稼ぐことが自由であり、家庭人でいることが抑圧。

私が望むのは、極力ストレスを感じる人と会わない、詩のある生活。ごく少数の感覚の合う人たちとつきあうほかは、動植物とのつきあいや片隅の風景の中で静かに何かを見つけているような毎日。

ただ彼女はお金持ちなのに贅沢を好まないことや、現実的な感覚を持ち、彼女自身の実力で生きていることに好感を覚える。平凡な人ではないと思う。

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2012年12月23日 (日)

2012全日本フィギュア

12月23日

浅田真央の「白鳥の湖」。

いくつかミスはあったが、本人がそろそろ3Aをやりたいとコーチに言っているというニュースもあり、何よりも本人のやる気が満ちていることが嬉しい。もうすぐ待ち望む「ノーミス」が見られそう。

浅田真央のスケートの魅力は、身体演技の即物的抒情、と言ったらいいのだろうか。動いているどの瞬間を切り取っても美しく、絵になるように、演技が指先まで繊細に精密に統御されてる。感情や勢いはあったとしても決して過多に表に出ることはなく、すごく難しいことを淡々とこなしていく。

それは氷、雪、ガラス、結晶、銀、プラチナなどの透明な色や感触を見せる。

だからこのプログラムが成功したときは,生身の人間とは思えないキラキラした美しい白鳥になると思う。

12月22日

高橋大輔の「道化師」(ルッジェーロ・レオンカヴァッロ)。

最初にこのプログラムを見たときは、なんて難しい曲を選ぶのだろうか、と思った。口ずさめるようなフレーズではない重厚な曲。演じきれずにもしも失敗したら、なんだかよくわからないもやもやした曲に感じてしまうような壮大な曲。

ヴェリズモ・オペラ。上流の人たちの話ではなく、市井の人々の、ありふれた、猥雑な、愛情、嫉妬、憎悪、暴力、錯乱、そして悲哀の日々の暮らし。しかし実際のフィギュアスケートを見ている私たちは、もちろん、そんなオペラのストーリーや時代背景を知らないで見ていいのだ。

すごいと思うのは、この演じるには困難と思える曲を、高橋大輔が「大好きな曲」だと言っていることだ。どろどろした人間の醜怪さをも含んだ愛憎の深さ、人生の悲哀を激情的に演じることが期待される(され得る)重い曲を、高橋本人が意欲を持って演じたいと言う、それぐらいのプログラムを、今の彼の表現欲求(彼の身体)は、必要としているということだ。

曲が重々しく始まり、バン!バン!という打楽器の音に合わせて腕を上げ、振り下ろし、腕を空に掲げて回転。そのあと、威厳に満ちたように胸をぐっと張ってそらすポーズは、これから壮大なスペクタクルを見せるという強い意志を矜持があった。

最初の二つの4回転を決め、3Aを決めてから不穏な調べにのせてスピン。それから軽快なしかし厚みのある曲調で激しいステップ。ステップが昂揚し激しくなっていった頂点で、ジャン!と突き落すように両手を振り下げ、また両手で救いあげるような、いのるような仕草。その次に、急にもの悲しくなった曲調とともに、花のように美しいレイバックスピンが、後半の怒涛の展開の前にめりはりと余韻を残した。

そこからゆっくりと誘うように演技の後半へ。悲哀に満ちた曲調から、全身を大きくのびやかに使いながら音に合わせて特に両腕で激しくアクセントをつけ、ジャンプを次々と決め、最後はもっと、もっと、もっと激しくと、観客を煽りながら、自らの激情も高めて怒涛の盛り上がりの中、エンディング。

もともと微妙な奥行きのある音ひとつひとつを感じて舞う身体を持ち、身体が音楽を奏でることのできる高橋大輔だからこそ、感情を激しく出せば(そのためには最後までやりきる体力や柔軟性が必需だが)、あとは身体が自然に一回性のすごい表現をやってくれるのだろう。

それにしてもこの緊張感の中で、最後まで気迫とぎれず、鬼気迫る演技をくれたのは素晴らしかった。4分半の中に、凝縮された奥行きのあるドラマ(決まったストーリーではなく、私たちが私たちそれぞれの中にある感情をかき乱され、引き込まれる劇)を見せてくれ、泣かせてくれるようなフィギュアスケーターは、高橋大輔以外にはいないだろう。

12月21日

全日本フィギュアスケートが始まる。

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沢渡朔さんから菜の花の切手を貼った封筒に入ったカードが届く。個展の案内ではなく、私の新しい本の感想をわざわざ書いて送ってくださったことに感激した。沢渡朔の「ナディア」と「少女アリス」。どんなに時が流れても大好きな写真集だ。

母の食事の介助のため、毎日夕食に合わせて病院に通う。完全看護なので付き添いの必要はありません、とパンフに書いてはあるが、実際は夜勤の看護師さんは少なく、すごく忙しそうで、母は手がうまく使えないが、あまり食べられなくても食事を下げられそうだからだ。刻んであるおかずをフォークでつぶして一匙ずつ口に運んで咀嚼して嚥下するのを待つとそれだけで一時間かかる。

パーキンソンで嚥下が悪いと言っているのに、錠剤3粒一緒に口に入れられるのに困っている。

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2012年12月19日 (水)

鈴木創士さん短評 /  母手術

12月18日

図書新聞(2012年12月12日号)に鈴木創士さんが書いてくださった短評のコピーが水声社より届く。

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  福山知佐子『反絵、触れる、けだもののフラボン――見ることと絵画をめぐる断片』(水声社)

 著者は画家であるが、「見ること」の繊細さと強度が、これほど豊かな、極限の、なんというか、めくるめく植物的想像力の揺れをもって文章の独特のリズムをつくり出していることにある種の感動を覚える。ジャコメッティや鏑木清方のように画家であって素晴らしい文筆家は確かにいるが、われわれのようなただの文筆家たちがいかに恥辱にまみれているかがわかって恥ずかしくなる。沢渡朔、大野一雄、中川幸夫、若林奮、毛利武彦、等について書かれた、率直で犀利なエッセーも必読。胸を打つ。

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という文章です。たいへんありがたく存じます。

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その水声社から来た手紙を持って電車に飛び乗り、電車の中で鈴木創士さんのコピーを読んだのだった。12時50分に病院につき、母と面会し、母は一時から全身麻酔による手術。

父も来たが、2時ごろ食事に出て行った。

2時30分ごろ、手術が終わったとの呼び出しがあり、院長先生から手術の説明。その後、母は病室に戻されたが、状態が安定しないようで面会できず、ずっと待合室で待たされた。3回ぐらい病室の前まで行って様子を伺おうとしたら、看護師3人と若い医師がついていて、母が苦しそうにしていた。その間、ケースワーカーから今後の転院に関する私への質問と説明。

3時過ぎに父が戻ってきたが、父も腰が痛いと言うので、4時ごろ帰宅してもらった。結局父は医師の説明も、ケースワーカーの説明も聞かず、私一人で全部対応する。

やっと病室に呼ばれたのは4時30分ごろ。酸素濃度が落ちていたので、今処置しました、と言われた。母は酸素マスクをつけていて返事がなかった。麻酔が醒めるのが遅く、吐き気と呼吸が苦しい状態が長く続いたようだった。何かあったら電話するので、と言われた。

5時前に妹が来て、何年振りかわからないほど久しぶりに少し話した。

帰宅して、夜、ひとり、父や妹にはまったく介護の意思や能力がないこと、それ以上に私を暗澹とさせる言動が多すぎること、母が全身麻酔の影響による気管閉塞で死ぬかもしれないことなどを考えて朝6時まで眠れなかった。

12月15日

久しぶりにYと会う。批評眼は冴えていたし、人柄も変わっていなかった。しかし、やはり肉親の被災や病気のことで、ものすごく疲弊していた。

自分の病気との闘いだけでなく、有無を言わさずいろんなたいへんな重荷を負わされてしまう苦しさ。

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2012年12月13日 (木)

毛利武彦 第二回追悼・回顧展 「天地幻生」

12月11日

毛利武彦の世界 第二回追悼回顧展「天地幻生」成川美術館の初日を明日に控え、箱根へ。

LIBIDO “all my hope is gone”(曲は成田未宇の最高傑作。成田未宇は肺がんで若くして亡くなったそうです。)の風景を体験しに大涌谷でロープウェイを降り、遊歩道へ。

http://www.youtube.com/watch?v=y1QkXtdcQ70 (2分過ぎたくらいからここの風景です)

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大涌谷は1000mより高く、冷たい空気に耳が痛い。硫黄の煙で目と喉がひりひりする。

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12月12日

朝9時半ごろ強羅を発つ。10時過ぎに芦ノ湖畔の成川美術館へ。(美術館窓からの風景)

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毛利先生の奥様とお会いできる。(お目にかかりたいために朝早く行ったのだが。)

「たんぽぽ」(銅版画)・・・ たんぽぽの枯れた小花(しょうか)がまだ頭についたまま、丸く開ききる寸前の綿毛(冠毛)。冠毛が飛翔するまえに、ほかの冠毛に引っかかって、まだ離れずにいる瞬間。画面下には葉を、正面の硬い形象ではなく、ぎざぎざのひとつひとつに動きのある曲線の表情を見、ななめ横から見たしなる柔らかいフリルのように細い線の輪郭のみで描いた。この、ありふれた蒲公英の花の、誰もが見過ごしてしまうもっとも微妙で「詩」のある仕草を選んで描き、たった二輪の花(冠毛)とあっさりとした曲線で葉をそえて「絵」にする鋭い感覚こそが、師 毛利武彦そのものである。

「孔雀」(銅版画)・・・わたしががんで闘病したときに送ってくださった作品と同じものの試し刷り(プロベドルック)。

「幽谷」・・・幽谷とは人跡未踏の奥深い谷のことであるが、この谷は幻滝でありながら凄絶なリアリティを持って存在し、儚と確たる造形、未知なるもの、わからないものでありながら、個人の記憶に深く訴える。

幻想画であるといったときに問われるものは、内的なものの境地であり、その幻想の造形の質である。単に個人の見る幻が強烈な幻想として他者をも引き込むことは稀である。重要なのはどれほど「人間」的な決まり事を離れた「なにか」であるかということ。

甲斐駒ケ岳の裏の精進の滝にモチーフに得たと書いてあるが、石灰質のような水と白い垂直の滝、黒い岩、さらにジグザグに流れる水の躍動、それらは具象としての解釈以前に直線と曲線、落下するものとそれに拮抗するもの、破砕するもの、流動するものなどの組み合わさった抑揚を持つ硬質な造形であり、風景ではなくあらゆるものに変容する。

具象としての滝が変容するのが龍である必然はない。

師 毛利武彦は滝を好んで描いたが、ホルスト・ヤンセンの滝の絵と、滝の絵のタイトルではないが彼の「スヴァンスハル逆めぐり」という版画連作のタイトルを思い浮かべていた。具象から心象へ、ある解釈(意味)から違う視角(意味)へ。また幻想から実在へと逆めぐりするリアリティ。そこにあるのは「行き来する」あるいは「同時に見る」「眼」である。

「桜春秋屏風」・・・桜を描く人は多いが、秋の紅葉の桜を描く人は少ない。何よりも桜の枝の隙間にのぞく黒い水とも黒い空気とも言えない妖しい空間が、毛利武彦の桜だと思う。枝振りも、よくある類型的な花鳥画の桜とはまったく異なる。ある力学を持ち、しなり、うねり、空間を突き破る。春と秋の桜屏風は黒く腐蝕した銀の穴(水)で異空間を繋がる。

「春暁」・・・黙思的な鳩。ぬくもりを持つ肌色の空間に白い花の樹。花序が毬のようになっていること、莟に赤味がないことから、この花は梨だと思われる。

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母が転倒して大腿部骨折したとの連絡を受け、旅行から自宅に戻らずそのまま新宿のH病院へ。5時半過ぎに着く。

夜勤担当の看護師の対応が非常に事務的で冷たかったので、不安になる。きょうは怪我についての説明を聞けないとのこと。

帰宅してから身体が弱った者の全身麻酔のリスク(気管閉塞による死亡)について調べ、非常に不安にかられる。

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2012年12月10日 (月)

2012グランプリファイナル 浅田真央 高橋大輔

12月9日

緊張と興奮のグランプリファイナルが終わった。

浅田真央のSP。あまりの名曲「サマータイム」の作者であるガーシュインの「アイ・ガット・リズム」。明るく楽しい曲という以上に、複雑に重層する音が、得も言われぬ色彩の深みや透明感、苦しさや不安や記憶の痛みまでも重複して感じさせるような不思議な曲。

そして浅田真央の演技も、楽しくかわいく元気いっぱいというよりも、過酷なまでに高速で精巧なステップを刻む姿が、空間が銀色の細い剣で切り刻まれていくように、眼がひんやりするほど端正に見えた。

逆に言えば明るく楽しくかわいいプログラムは、非常に難しいことを精確で高いレヴェルの技術できびきびとこなしていく力が無ければ、かわいく見せる仕草が空回りしてしまう、とても難しいプログラムだと思う。少しもだらしない余分な動きのブレがなく、少しも余分な贅肉のない清潔な容姿の今の浅田真央だからこそ出来るプログラムだと思う。

うちのブラウン管のテレビで見るとハレーションを起こしてぼわっと尾を引いて見える衣装の色は、PCの画像で見ると可憐な花菱草の色。

腰の痛みで6分間練習の時には身体が動かなかったというFP。NHK杯の時からずっと休みなしに練習を続けて、最後の大一番の直前に棄権を考えるほどの痛みを感じたというが、演技そのものからはその苦しみは微塵も感じられない。まさに水面下で必死に足をばたつかせながら優雅に水上を滑る白鳥。

緊張感の中、無表情で始まった「白鳥の湖」は、無表情だからこそ身体が語る叙情があった。最悪のコンディションの中で、どれだけ集中でき、どれだけ緊張と不安に負けて強張ることなく普段の練習通りの演技をできるのか、気弱になっても駄目で気負い過ぎても駄目。

強い気持ちをのせていけるドラマティックなプログラムであり、まさに「克己」そのものの演技だった。バレエの黒鳥の連続ターンをほうふつとさせる氷上のターンは、(フィギュアスケートと同じように)全てを美(革新的な美、常に新たな身体の脅威の美)に賭けて身体能力と表現力を鍛え抜き、その瞬間を勝ち取ったプリマの舞だが、氷上でバレエ的な連続ターンをできるのも浅田真央の能力ならでこそなのだろう。

映画の「ブラックスワン」の主人公は、自分の表現力について精神を病むほど悩み追い詰められ、最後は支配的な母親やセクハラ、パワハラの男性コーチや嫌がらせをしてくるライバル女に暴力をぶちかまして悪をも飲み込み黒鳥として羽ばたくのかと思いきや、自傷で(かよわく美しく哀れに)終わるというフラストレーションのたまる展開だったが、浅田真央は日本中の注目が集まる中、現実の中で真に自分に勝った。

大きく羽を広げた最後のポーズとふっと安堵の表情は白く輝くようだった。あまりに劇的な展開だった。

そしてグランプリファイナル7年目にしてついに金メダルの高橋大輔。

フェルナンデスが4回転を3回決めた時はとても胸がざわざわした。ずっとチャップリンを演じたかったのだ、と聞けば、そうですか、と言うしかないが、マイムという休憩が多すぎる振付に見えたからだ。これでは4回転に集中して点を重ねるための、つなぎ部分はスケートとして見どころのないオーサーの戦略プログラムではないか。

しかし羽生がそれを破る活躍(体力不足が心配されるのを跳ね除けて実力爆発)。

そして高橋大輔は4-3を怪我後初めて決めて見せるという息をのむ展開。

Pチャンは、もともと体幹ががっしりなのにさらに肉体改造に成功と、隆起した太腿を見せていたが、やはり芸術性、表現力は乏しいと思う。肩、腰、体幹が硬く、進行方向と腕、首、肩の連動が常に正面性に固着して見えるのだ。風に揺すられる樹のように、転倒せずにいながらも重心を崩して見せる意外性のある流動やしなやかさがない。両手を広げてジャンプする仕草など、いつも同じに見える。確かにスケーティングは力強くて安定しているのだろうが、筋肉が硬いのだろうか、シットスピンも浅くて硬く感じる。

高橋大輔はもともと踊りとしての身体芸術の感覚を才能として持っている人なのだとつくづく思う。それを氷上でやれて、独特の雰囲気を見せられるのは高橋だけなのだと感じる。

高橋は追われる側として非常に冷静に自分を見ていて、いくら自分が努力を続けても、世界の選手がどこまでレヴェルを上げてくるのか、採点はどうなるののかわからないことを知っていて、謙虚で正直に会話に答えている。演技の芸術性に関しても身体表現をどう調整したらどう他者の目に映るのか、微細なところまでとてもよくわかっている才能のある人だと思う。

終わってからもまだ、観ているだけなのに緊張が抜けきらないくらい、ダブル優勝という快挙が本当に嬉しく思えた。

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2012年12月 5日 (水)

unnderstand(下に立つ)という言葉

12月3日

佐藤亨先生に絵を渡しに青山学院大学へ。青梅街道より早く、青学の公孫樹並木は黄色い葉が3割くらい散っていた。授業と授業の合間に3時間ほどお茶を飲んで話した。

佐藤先生は非常に知的で温和で、人の気持ちを理解できる人であり、芸術感覚もある人だ。

understandという単語は、下に立つ、という意味なのだけれど、下に立っていないで他者のことを理解したつもりになる人間が多すぎる、という言葉。

相手を理解する(下に立つ)のではなく、ただ相手を自分の理解者だと勝手に見なして、自分をわかってくれ、認めてくれ、肯定してくれ、とずけずけと強制してくる人が怖くてたまらない。そういう人たちは相手を尊重する最低限のルールを持たない。最初から、相手(私のこと)が自分を助けるのが当然と思っていて、初対面から指図してくる。タイミングも場所も無視して、一方的に自分のことばかり話したり、こちらが真面目に正直にアドバイスしても、全く聞く耳持たなかったり(自分に都合の良いことしか聞こうとしない)。つまりは自己肥大、自己中心、自己愛過剰。心の病気と言えばそれまでだが、いい年をして異常な甘えかたをしてくる人にぞっとする。

狭い世界で許されていて「さらされて」いないから、その外の世界の「他者」から自分がどう見られているのかがわからない。本人の自覚次第、努力次第の低レヴェルな話で、同情の余地がないのに、他人にしつこく語ろうとする。

本人の責任ではなく負わされてしまった大変な重みの話なら聞く価値があるのだが、そういう人は敢えて語らないものだし、たとえば下村康臣さんのように、すごい才能として作品に結実したりする。

どうしても共感できないこと、同意できないことに一方的に巻き込まれ、まったく意に反することに同意していると見なされることが私にとって最悪のストレスになる。

ものをつくるためには、また常にフラットにあり、冷静に考え、よく感じるためには、神経が汚れないこと、好きでないことに巻き込まれないことが一番重要だ。

たとえば自分の身体の不調や病気は、苦しいけれど誰もせいでもないし、耐えるべきこととして受け入れている。母の介護は私が望んでやっているのでイライラするようなことではない。母は私に介護されていることなど5分もたてば忘れてしまうが、私が母に対して胸が痛むということが愛情ということなのだろう。

「福山さんの今現在の、介護にあたる苦労や生活そのものが、強い花を咲かせる事を、切に願っています。」とか年下の病気の苦しみもなく、介護経験のない人間に言われると、一体何様のつもりで(上に立って)そんな口をきいてくるのか、と開いた口がふさがらない。私は自分が花咲くために介護をしているのではなく、愛情があるからしているだけだし、自分が花咲くために苦労をしているのではない。無償の行為ということがわからない人間、神経の鈍い人間には芸術を語る資格(素養)がないと思う。自分が花開きたい、ということだけしか考えていないからそんな言葉が出てくるのだと思うが。

ずかずかと入り込んでくる他人のエゴは、まったく私の耐えるべき領分ではなく、そんなことに自分の神経を損傷されるのは最悪のこととしか言いようがない。

表参道駅までを裏道を通って、佐藤先生が送ってくださった。12月の宵の青山通りの裏道は小物の店などがきらきらしていて、ヨーロッパの小道のようだった。

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2012年12月 1日 (土)

ハヤサスラヒメ 速佐須良姫 笠井叡 麿赤兒

11月30日

笠井久子さんのお誘いを受け、笠井叡×麿赤兒 天使館、大駱駝艦公演の「ハヤサスラヒメ」を観に、世田谷パブリックシアターへ。なかなかない公演だから、ぜひ観て、という久子様の言葉通り、すごいものであった。

「アメノウズメのダンスは闇を光に変え」、「ハヤサスラヒメは光輝く闇をもって、人のすべてを受胎以前の闇の中に引き戻す。」

闇の中に浮かび上がる上半身裸に銀ラメの黒いロングパンツの笠井叡。それに向かって客席後方からにじり寄るプラチナ色のラメのボンバーヘッドに、やはり裾がラメの白いロングドレスの麿赤兒。

そして笠井叡率いる天使館の四人は、皆ガリガリの手足の長い美少年であり、金髪振り乱しし、白い薄布のスカートを翻し、のけぞりながらふわっと飛翔と回転を繰り返す天上的な踊り。

それに対する麿赤兒率いる大駱駝艦の四人は、皆筋骨隆々のずんぐりした男臭い体型と大きな坊主頭を持ち、全身白塗りで、大地をだんだん!と踏みしめ、痙攣するような踊り。

四人ずつのグループが、それぞれグループごとに体型(骨格や筋肉のつきかた)だけでなく、顔つきまで似ていることに驚いた。(表情のつくりかたで顔ができていくということなのだろうか。)

ベートーベンの第九、全楽章にのせて、ふたつの練り上げあれ研ぎ澄まされた個性がぶつかりあい、錯綜する。

笠井叡は攻撃的ながら少し茶目っ気もある踊り。麿赤兒は動きを抑えて表情を見せる踊り。

中盤、衣装を替えた二人は笠井叡はピンクの短めのチュチュとレオタード、麿赤兒は黒の長めのチュチュでかわいくコケティッシュに絡み合った。

終盤はオイリュトミーの女性群も登場で「喜びの歌」で大いに盛り上がる。

今回の公演はそれぞれの50年間やってきたことがお二方の今の身体そのものに顕われ、その才能の成果がお弟子さんたちにもつぶさに顕われいた、その対比や緩急、意外性など楽しめる舞台だったと思う。

また、特に驚愕したのは、久しぶりに見る笠井禮示さんの身体が、以前よりずっと削ぎ落とされ骨格標本のように細くなりながら、動きの切れがすごくなっていたことだった。あの細身でよく激しく動ける、と思う限界ぎりぎりを見せられたような気がした。

また、私の隣の隣の席に、昔から好きな俳優さん、若松武史(昔の名前は若松武)がいた。彼は黒いタートルのイメージだが、そのまんま黒いタートルセーターを着ていて、微笑しながら拍手している仕草にすごくどきどきした。(正確に言うと、私が子供のころは色気がありすぎる俳優で少し苦手だったのだが、お互いに歳を取るにつれて、個性的ですごくかっこいいと思うようになった。)

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家に帰るとちゃびが淋しがっていた。ひとりぼっちにしてごめん。

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余談だが、なかなか使う機会のないアンティークのEUGENE(ユージーン)のブローチをして行った。ユージーンはミリアム・ハスケルの工房にいて後に独立した人で、1950年代、わずか10年足らずで工房を閉めたため、作品は数が少ないという。これは一目惚れして買ったブローチ。黒いガラスに絡みついた薊の花の形象がすごく気に入っている。

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