« ハヤサスラヒメ 速佐須良姫 笠井叡 麿赤兒 | トップページ | 2012グランプリファイナル 浅田真央 高橋大輔 »

2012年12月 5日 (水)

unnderstand(下に立つ)という言葉

12月3日

佐藤亨先生に絵を渡しに青山学院大学へ。青梅街道より早く、青学の公孫樹並木は黄色い葉が3割くらい散っていた。授業と授業の合間に3時間ほどお茶を飲んで話した。

佐藤先生は非常に知的で温和で、人の気持ちを理解できる人であり、芸術感覚もある人だ。

understandという単語は、下に立つ、という意味なのだけれど、下に立っていないで他者のことを理解したつもりになる人間が多すぎる、という言葉。

相手を理解する(下に立つ)のではなく、ただ相手を自分の理解者だと勝手に見なして、自分をわかってくれ、認めてくれ、肯定してくれ、とずけずけと強制してくる人が怖くてたまらない。

そういう人たちは相手を尊重する最低限のルールを持たない。最初から、相手(私のこと)が自分を助けるのが当然と思っていて、初対面から指図してくる。タイミングも場所も無視して、一方的に自分のことばかり話したり、こちらが真面目に正直にアドバイスしても、全く聞く耳持たなかったり(自分に都合の良いことしか聞こうとしない)。

つまりは自己肥大、自己中心、自己愛過剰。心の病気と言えばそれまでだが、いい年をして異常な甘えかたをしてくる人にぞっとする。

狭い世界で許されていて「さらされて」いないから、その外の世界の「他者」から自分がどう見られているのかがわからない。本人の自覚次第、努力次第の低レヴェルな話で、同情の余地がないのに、他人にしつこく語ろうとする。

本人の責任ではなく負わされてしまった大変な重みの話なら聞く価値があるのだが、そういう人は敢えて語らないものだし、たとえば下村康臣さんのように、すごい才能として作品に結実したりする。

どうしても共感できないこと、同意できないことに一方的に巻き込まれ、まったく意に反することに同意していると見なされることが私にとって最悪のストレスになる。

ものをつくるためには、また常にフラットにあり、冷静に考え、よく感じるためには、神経が汚れないこと、好きでないことに巻き込まれないことが一番重要だ。

たとえば自分の身体の不調や病気は、苦しいけれど誰もせいでもないし、耐えるべきこととして受け入れている。

母の介護は私が望んでやっているのでイライラするようなことではない。母は私に介護されていることなど5分もたてば忘れてしまうが、私が母に対して、心を尽くさなければ胸が痛む、ということが愛情ということなのだろう。

「福山さんの今現在の、介護にあたる苦労や生活そのものが、強い花を咲かせる事を、切に願っています。」とか、病気の苦しみもなく、介護経験のない年下の人間に言われたが、一体何様のつもりで(上に立って)そんな口をきいてくるのか、と開いた口がふさがらない。

私は自分が花咲くために介護をしているのではなく、愛情があるからしているだけだし、自分が花咲くために苦労をしているのではない。

無償の行為ということがわからない人間、神経の鈍い人間には芸術を語る資格(素養)がないと思う。自分が花開きたい、ということだけしか考えていないからそんな言葉が出てくるのだと思うが。

ずかずかと入り込んでくる他人のエゴは、まったく私の耐えるべき領分ではなく、そんなことに自分の神経を損傷されるのは最悪のこととしか言いようがない。

表参道駅までを裏道を通って、佐藤先生が送ってくださった。12月の宵の青山通りの裏道は小物の店などがきらきらしていて、ヨーロッパの小道のようだった。

|

« ハヤサスラヒメ 速佐須良姫 笠井叡 麿赤兒 | トップページ | 2012グランプリファイナル 浅田真央 高橋大輔 »

心の病」カテゴリの記事