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2013年2月

2013年2月20日 (水)

知覚の不可能性の領域 / チューリップ素描 / N女医の母への人権侵害

2月24日

北川透さんからいただいた「別に詩人なんかでなくても、書くものすべてが詩になってしまう人がいます」という言葉がずっとひっかかっている。

書くものすべてが詩になってしまうなら「詩人」ではないのか?

その実態や内実ではなくて、本の表に「詩集」と書いたら詩人なのだろうか?詩集を何冊も出していても全然詩人でない人もいる、というのが私の経験からくる感覚だ。

画家と称していても描いているものが「絵」になっていない人もいるし、現代アートという呼称だけが先走っていて、べつに何も・・・と言う現象もある。才能のある人はすべての言動が違う、すべてにおいて鋭いというのが才能のある人を見て来た私の経験からくる感覚。

中野で見たアール・ブリュットの幾人かの作品はずっと心に残っている。日記を線の重なりとして残していた戸来貴規。誰にも見せず、その人の記録、記憶として。不思議な猫の絵を描いていた蒲生卓也。いつか本物を見られる機会があるだろう。

アール・ブリュットの作家たちのすごさは自己顕示欲や虚栄心がないこと、自分を大きく見せようとする醜悪なそぶりや押し付けがましさ、うるささ、余計なおしゃべりがないことだ。ただそこに集中したということ。それが「生(せい)」とも「なま」とも感じられる直接的なものだ。

詩にしても絵にしても、その成り立ちの条件として、「《知覚の不可能性の領域》に、身体の全感覚が触れてしまう」のはすべての基本ではないかと思う。

ここ10日ほど描き続けていたチューリップの鉛筆と水彩素描のまとめ(クリックすると大きくなります)。

八重咲きピンクのチューリップ(フラッシュポイント)と2月10日に京王で買った薄黄色のパロットチューリップ鉛筆素描(2月12日)。

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上のフラッシュポイントの開いたところ後ろ向きと上の黄色のパロットの開いたところ(2月13日)。

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2月10日に描いたエキゾチックパロットの画面左の花の花弁が落ちてしまったところを右下に逆方向から描いた(2月15日)。

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13日にゼフィールで買ったチューリップ(アプリコットパロット)の水彩(2月14日)。左と中上の花は同じものを違う方向から描いたもので、右下は同じ花の17日の状態。

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ゼフィールで2月13日に買ったアプリコットパロットが開いた。2月17日に新しく買ったアプリコットパロットとの比較(2月17日)。
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2月22日に買ったチューリップ(モンテオレンジ)。鮮やかな緑のすじを描きたかった。

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2月6日につぼみだったチューリップ(フラッシュポイント)の2月23日の状態。枯れてきた線が美しいと思う。

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美しい線の流れをさがして角度を変えて何度も描く。

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2月22日

中野のN病院。G・Kとデルソルで食事。プライベートでは話が通じて、相手の話の感覚の鋭さにわくわくするような相手としか話したくない。

2月19日

雪。積もらない。

2月18日

北川透さんからはがきをいただく。『反絵、触れる、けだもののフラボン』について、

「エッセイというより、全篇が散文詩だったことに驚きました。別に詩人なんかでなくても、書くものすべてが詩になってしまう人がいます。あなたもその種類の人のようです。みずから書いていらっしゃるように〈概念〉に頼って思考されないからでしょう。《知覚の不可能性の領域》に、身体の全感覚が触れてしまう。そんな印象でした。」と書いてくださった。

4時過ぎにN病院に行き、相談員に会いたいと受付で言う。二階の担当の人が不在で、三階の医療ソーシャルワーカーのKさんが話を聞いてくれた。

薬のこと、主治医のこと、勇気を出して話した。話してこれからどうなるのか、よい方向に向かうのか、もっと心労がかかるような事態になるのかわからない。けれど理不尽だと思うことを端的に訴えたのだ。

6時の夕食時、母は常食に近い食事になっていた。きょうの昼食時、ST(嚥下障害などを訓練、指導、助言するリハビリスタッフ)が評価したとのこと。2時間近く見守り、完食。

狸小路の赤ちゃん猫、4匹。もつ焼きやさんの前にケージを持って保護準備している人がいた。本当によかった。寒さで死んでしまったらどうしよう、と気が気ではなかった。

2月17日

14日に買ったチューリップ(アプリコット・パロット)をまた2本買った。N病院のことで胸がつぶれそうに苦しかったが素描に集中した。

2月16日 土

詩人の吉田文憲さんと新宿のRで食事。

私の書いている本や文章について、

「「内面を書いている、内的なことを書いている」というのはまったく間違いだ。」と吉田さんは言った。

「あなたの書いていることは、本当にものをつくる人間同士がつきあうとき、「お互いを生きる」ような関係性であって、そこにはむしろ「外部しかない」と言ったほうがいい。」「

「「内面」を書いている、と言うと「内部」だけでうごめいていて「外」がない人が、自分をわかってくれ、認めてくれと言って寄ってきてしまう。本当は中川幸夫さんがどんなことをしてきたかを見たら、凄い、という畏れを感じて自分は謙虚になるはずなんだけれど・・・。」

「中川幸夫さんが何をしてきたかを見ても、中川さんの厳しさや美しさ、頭の良さはまったく継承されない軽挙妄動の最悪のエピゴーネンもあるんだから、何を見ても何も感じない、何も学べない人間はどうしようもない。」

2月15日 金

N病院で母の主治医N・M医師(女性)との初面談。

あまりにも医師として不適切、人間としてどうかと思う態度にショックを受けた。

母が2階の一般病棟から3階のリハビリ病棟に移った日、顔が真っ赤になって胸が苦しいと言って、心電図や脳CTや血液検査をし、酸素吸入や点滴を受けていたことについて、「データには異常ないんだから、狼少年だ。」とN医師は言った。

パーキンソンは刺激によって状態が変動しやすい病気だが、手を煩わせられていらいらしたというような言い方をされた。「2階にいるときに(具合悪く)なってくれればいいのに。(3階に来られてから具合悪いとか言われて迷惑だ)」と。

「狼少年」というのは人の関心をひくために嘘を言うという意味だが、病気で苦しんでいる人間にどんな神経でそのたとえを使っているのだろうか。母は嘘をつく人間ではない。むしろ、そうとう我慢強いほうだ。

日によって体調のレヴェルが変わり、リハビリが効率よくできないことが気に入らないらしく、リハビリができないなら帰宅してほしい、といようなことを言われた。具合が悪い患者に対して慈悲どころか、面倒くさくて憎悪があるみたいだ。

そればかりか、今まで処方されたことのない副作用の危険な(死亡率があがる)薬を出したと言われ、愕然とした。

しかし昼食後、現場の若いリハビリスタッフにリハビリの現状を尋ねると、その場で「立ちましょうか。」と言って、後ろから補助して歩かせるところを見せてくれた。とても優しい。実際には予想以上にリハビリはうまくいっていることに驚いた。

「歩くことが好きなんですよね。ほかに好きだったことはありますか。」とそのかわいい療法士さんに聞かれ、「散歩が好きで、樹や草花が大好きでした。」と答えた。男性の療法士さんも、「お、きょうは調子いいねえ。」と声をかけてくれ、現場のスタッフはとっても親切。

狸小路の猫、もつ焼き屋さんの窓の外の棚の上にのっかて寄り添っている。毎日少し食べ物をもらっているようだが寒そうですごく心配。帰りに見たら一匹、薄茶の子がもつ焼き屋さんの二階へと登って行っていた。落ちませんように。

中野ブロードウェイで、日本のアール・ブリュットの展示を見た。初期のヤンセンの過密な線の版画のような、鉛筆で縦横に線を巡らせた作品に眼を奪われた。解説を読むと、これは個人の日記で、誰にも見せず、隠されて置いてあっただそうだ。よく見ると線の中に何月何日と書いてある。その上にゆっくり線を重ねていったのだ。

若林奮さんがやったのと偶然にも同じように、日を追ってきちんと紙を重ねて閉じてあったそうだ。すごいと思った。

帰宅後、夕方ケアマネさんに電話できょうのことを報告、相談した。彼女はN医師に対してすごく憤慨していた。N病院は進歩的な病院のはずだし、相談員に話してみたらどうか、と。

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2013年2月12日 (火)

高橋大輔『月光』  浅田真央

2月10日

チューリップ(エキゾチック・パロット)の水彩素描(2月10日)。八重咲きではないが葉のような萼のような花弁のようなものがついている。(画像はクリックすると大きくなります)

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フィギュアスケート四大陸選手権2013。祝!浅田真央トリプルアクセル成功。

高橋大輔は浅田真央とは明暗を分ける結果となったが、、非常に高いリスクを背負って、自身のぎりぎりまでレヴェルを上げて新たな次元に挑戦したことは同じだろう。

高橋大輔の『月光』。瑞々しく澄明な冴えた音。エフゲニー・キーシンの演奏だと知り、キーシンの12歳の時のリサイタルの動画を見てみたが、素晴らしい音を奏でる神童、しかも美少年(現在は41歳)。

藍色の闇のように厳かに始まるおなじみの旋律。身体の線を長く見せて、最高に優雅に、雰囲気たっぷりに流れながらジャンプ。そして後半の星が一気に砕け散るような高速のピアノの音の洪水。速く力強く劇的な難しいステップ。

高橋大輔の魅力は、ただ激しく速い動きをやれるという以上に、「パッション」を生きる、というのか、激情と同時に「受苦」の宿命を踊って見せることができるフィギュアスケーターは彼しかいない、と感じさせるところだと思う。

演技しているというより内側から湧いて出てくる動きの織りなす色や情感が深く濃やかであり、この有名なクラシックも彼独特のシリアスで熱のこもった強烈なものにしてしまうだろう。

失敗はあったにせよ、まだ変更してから時間が浅いということで、これからの練習ですごいものになるという期待がふくらむプログラム。何よりも競技人生初めてシーズンの途中でプログラムを変更したというものすごいリスキーな挑戦、そのあくなき向上心にほれぼれする。

フリーはめずらしくジャンプの失敗があったが、ファンというものは決してがっかりしたりしないのである。次の世界選手権が最高の舞台となるように、今回の試合はそのためのステップだったと思う。

浅田真央、あんなにも望んでいた3Aの成功、おめでとう。じぶんだけの武器を一度失って、苦しんで苦しんで、長い時を耐えて努力して、ついにまた取り戻した気持ちはどんなに晴れやかだろう。

ショートの直前の6分間練習の時、背中が美しい、と思って見ていた。細くそがれた身体についたしなやかな筋肉が美しい。調子は上向き。

始まる前の微笑んで上を向いたポーズ。ガーシュインの曲が始まって驚いたような振り、笑顔で肩をすくめるポーズ、しかしスピードをつけて滑り出しだ顔は全然笑っていない。3Aが決まってからあとの笑顔は心からほっとして思わず出てしまう本当の笑顔。

最後のステップの時は余裕すら感じさせる解放された笑顔。アナウンサーは「楽しかったですね~!」と言ったが、私は「身体表現」、「生成する造形」として見てしまうので「楽しい」とは感じず、「キレがいい」「速くて端正」「かっこいい」「難しいことを涼しい顔でやっている」と感じる。

リンクから上がる時、佐藤久美子コーチに抱きついて「ああ~っ」と声を漏らしながら満面の笑み。

本当に心から充実した笑顔が出てよかった!!

フリーの『白鳥』。

第一パート、気高く、端然とはじまり、無表情のままトリプルループ、意思の強さを秘め、運命のトリプルアクセル。有名な旋律は繰り返し徐々に荘厳に力強さを増し、スピンで大きく盛り上がる。

第2パート、細く繊細で高いバイオリンの調べにのって抒情的に。このパートのなよやかな動き、特に腕と手首のゆらめくような動きに感心した。ここまでしなやかに動物的、植物的、妖精的な浅田真央のなまめかしい動きを見たのはこのプログラムが初めてのように思う。

第3パート、軽やかに飛び跳ねて舞う動き。優雅にリズミカルに。

第4部、ラストは黒鳥のグラン・フェッテ(フェッテ・ロン・ドゥ・ジャンプ・アン・トゥールナン?)荘重で華やかに力強く。実際はものすごく難しいことをやっているのだろうが見た目は思いっきり解放されたように、回転、回転の細かいステップ。

浅田真央の魅力は何と言っても最高に難しいことを端然とやるところ、振付以上に身体の内から湧き上がる美しい身のこなし、余計な肉のない体線と細長い手足の切り裂く空間、わざとらしさやこびがなく、身体の動きそのものが醸し出す透明感と硬質な抒情。

初雪のような新しい衣装も輝いていた。本人の自信とやる気が眩しい。200点越えにバンクーバー五輪の時の興奮が蘇ってきた。世界選手権ではさらに完璧な演技になるだろう。

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浅田真央『鐘』の芸術性について書いた「もっとも劇的な雲、異空間の生成――浅田真央『鐘』に」が収録されている『反絵、触れる、けだもののフラボン――見ることと絵画をめぐる断片』もよろしくお願いします。

ものを見るということはなにか、眼からはいってきて胸を震わすものについて、私が出会った(もう亡くなってしまった)真の芸術家について書いた本です。谷川俊太郎さんが帯文を書いてくださっています。

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チューリップ(フラッシュ・ポイントとフレミング・フラッグ)の素描。フラッシュ・ポイントは葉の縁にピンクのすじがはいっている(2月6日)。

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開花したフラッシュ・ポイント(2月8日~2月9日)。

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