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2013年3月

2013年3月29日 (金)

最後の阿佐ヶ谷住宅 桜

3月28日(木)

桜が散る前に阿佐ヶ谷住宅まで歩いてみる。壊されているのを見るのが怖かったのだが、植木を刈ったりしていたが本格的な破壊はしていなかった。

大好きな場所での最後の桜が見られた。やはり前川國男はすごい。建築家というのも素晴らしい才能の人間と汚らわしい奴とが設計したものにはっきり表れる職業だと思う。

緑地の中をS字にカーブする道、174戸のテラスハウスも知れぞれの庭も均一な形状ではなくいろんな個性があり、さまざまな場所が入り混じって個別でもあり融合してもいる、すべてが有機的にうごめいている生きもののような場所だった。

テラスハウスの前の錆びたブランコの柱と片側の枝を切られたアシンメトリーの桜の樹。

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この三角形の枝振りが好きだった。平屋のテラスハウスの前の庭にはシロツメクサとタンポポが咲いた。

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阿佐ヶ谷住宅案内図と桜。

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ひろびろとした原っぱを前に気持ちが落ち着くこの構図を幾度の春、見たことだろう。

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草木が茂った小道がいくつもあった。(きょうはだいぶ草木を刈られてしまってはいたが。)それそれが違う雰囲気を持ち、この小道をくぐり抜けたらどこに行くのだろうと思わせた。

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南天、椿、棕櫚、雑然として生き生きした草木の中を抜けるとぽっかりした空間があるようにつくられている。

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このあたり、「蛇のひげ」の茂みから出てきた大きな蛇と出会った場所。

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いつも静かだった一角。

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団地とテラスハウスの中を通るバスも通る道。

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団地の庭。梨の花が香気を放っていた。錆びた手すりも共鳴していた。

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山桜はもう散っていたが梨の花は今が盛り。

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李(すもも)の樹は花が散って新緑になっていた。日差しが強烈になる頃、たわわに実る李を見せてくれた大好きな樹。この李の樹にくっついた家には子供がいた。

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李の樹の横にも優しくうねる細い小道があった。蕗の薹の花がいっぱい。

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阿佐ヶ谷住宅の後ろはすぐ善福寺川。今年もまた、「あいおい橋」からのの桜を見ることができた。

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小学生の男の子から「すみません。この近くにロケットみたいな公園ありますか?」と尋ねられ、私はわからなかったのだが、通りすがりのご婦人が「ここからだと随分歩くわよ。大宮八幡のちょっと手前。」と言った。ロケットのかたちの遊具があるの善福寺緑地公園のことらしい。

善福寺川から一歩はいるとすぐ団地。お母さんを車椅子に乗せて桜を見せている男の人がいた。

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阿佐ヶ谷住宅の魅力は、植物に覆われた空間。たくさんの「裏」と「陰」と「隙間」。均質でなくそれぞれが個性的な個々の場所の融合。

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この薄い陰になる小道も美しかった。くぐり抜ければ真ん中の広場に出る、その裏にあるだけで静かな陰影の小道。

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広場を子どもが駆けていた。いつも桜が満開の時期でもあまり人がいなくて、ひろびろしているのも好きだった。

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この家も周りの植木などが一段とおしゃれで好きだった場所。

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その近くに、いつも阿佐ヶ谷住宅で会う猫ちゃん。友達を見つけてしのびよる。

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いつも同じ場所で仲良しの、いつもの2匹だ。

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6月には眩しいほど鮮やかな立葵が咲いていた45番の棟の前。今はハナニラ。

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45番の棟を桜並木側から見た風景。裏が表でもあり、さまざまな光の質があった。

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小さなわんこが家に帰りたくないとむずかって強力に抵抗していた。

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大好きな古木の桜並木。

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桜に限らないが、大好きな草木を大好きな人とふたりで見られた記憶ほど素敵なものはない。

桜の花吹雪、川面の花筏(はないかだ)。春女苑、ジシバリ(地縛り)、モジズリ(ネジバナ)、シロツメクサ(白詰草)、菫、藤、ミモザ、スモモ(李)、花桃、柘榴、獅子柚子・・・・

一緒に見た人、写真を撮ってくれた人、写真を撮らせてくれた人、静かで美しい時間をありがとう。

3月27日(水)

N病院。Y院長から「ごめ~ん。お母さん、きょう転んじゃったあ。」と言われる。レントゲンを撮ったが怪我はなしとのこと。

3月26日(火)

12時~3時の約束なのに11時30分に配送業者から「外で待ってます」との電話が来て焦る。ついに新しい冷蔵庫が来た!!!

木曜から死にそうになるくらいの荷物(主に絵のパネル)の大移動と掃除を続けて、やっと終わった。昼からビールもどきを買ってきて新しい冷蔵庫に入れてみる。そして飲んじゃっている。

3月25日(月)

母の骨折入院以前の訪問診療の主治医に処方を出してもらえないので、N病院退院直後にN診療所で診察を受けて処方を出してもらえないかをN病院の3Fのメディカルソーシャルワーカーに尋ねるようにケアマネさんに言われたので、そのとおり電話で尋ねる。初めて電話で話したが、3FのMSWのSは2FのMSWのKさんと違って感じが悪く冷たかった。(電話中なので電話が終わったら電話させます、と言われてから一時間以上、。痺れをきらして電話してみたらすぐ出るとか。)

その後、ケアマネのMさんに電話で相談。

再びN病院に電話。この前の面談に同席してくれた看護師のUさんをお願いしたがきょうは休みで、かわりにYさんが聞いてくれる。Yさんはお顔がわからないが優しい人。

入院以前にショートでずっとお世話になっている施設K苑のKさん、SホームのHさんに、電話で介護度が急に上がったので特養のほう、よろしくお願いしますと言う。

その後、手持ちの余っている薬を確認したら8週間分ほどあったので、老健FのOさんに電話。N病院の出してくれる薬2週間分と合わせて、なんとかその期間だけでも入所させてもらえるようにお願いする。とりあえず即、申し込み書類を書いてくれと言われる。会議で審査するとのこと。

もし老健Fに3か月入れたとしても、その後はどこに行けるのだろう。

夕方、母の夕食の介助にN病院に行く。冷蔵庫買い替えのために三日N病院に行けなかったら、もう、すごい量の洗濯物がたまっている。

Y院長あての手紙に、母の薬のあまりがあった件と前の訪問診療の主治医の薬に関する意見のファクシミリのコピーを添えて、療法士のKさんに伝え、看護師のMさんに手紙を託す。

3月24日(日)

Hちゃんが来てくれて新しい冷蔵庫を部屋に入れるための荷物の大移動。ほとんど場所を占めているのは絵のための紙を張った木製パネル。

冷蔵庫の後ろ側を拭いたり、急な大掃除で筋肉痛。

夕方7時頃、新宿に出る。ヨドバシでシャープの人にいろいろ尋ねる。結局シャープの157cmのものを買う。

疲れ果て、gewaと登り亭でうなぎを食べる。懐かしい店。小さい頃、よくおばあちゃんが連れて来てくれた。昔はこげ茶色の木の素材のイメージの店だった気がするのだがインテリアは変わっていた。うなぎなんて高騰してもう二度と食べられないと思っていたのだが、登り亭は急な値上げ後、また値下げしたらしい。

3月23日(土)

溶けたエビを炒めたが、大好物のエビが、エビだけだと気持ち悪くて食べられない。

3月22日(金)

母の骨折入院前の主治医(訪問)にファクシミリでたずねたら、今定期的に訪問診療していないので、制度上、老健のための薬は処方できないとのこと。これで老健の3か月の薬の処方をお願いするために無理に一時帰宅させる意味は無くなった。

新宿のヨドバシカメラに冷蔵庫を見に行く。左ドアがないこと、大きすぎるか小さすぎるかで140cmくらいの高さの品がないことにショック。LABI、ビックカメラと廻るが無い。すごく疲労。

小さい冷蔵庫では私に絶対必要である花を花瓶ごと入れるスペースがない。大きすぎる冷蔵庫は電子レンジを載せられない。

3月21日(木)

母の主治医が院長のY先生にかわってから初めての面談。

母のリハビリは3点について成果があがっているとのこと。認知状態、食事(手作業、咀嚼、嚥下)、歩行(車椅子から立ち上がって移動の訓練)。

N病院はリハビリ専門なので3か月で出なければならない。転院後どうするのか決めてほしいと言われる。

Y先生は前の主治医のように病院の都合で、絶対帰宅しなければならないとは言わなかった。今の状態では自宅で家族が介護するのは無理だと思うと言った。

老健に3か月入るとしても、N病院では2週間しか薬の処方ができないとのこと。骨折する前の主治医に薬について意見を聞いてほしいとのこと。

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菫の鉢の土に氷をのせてあげようと思って冷凍庫を開けたら、氷が解けていた。冷凍食品全部が解けていた。え?!という感じだが、いきなり冷蔵庫の冷やす力が切れている。冷蔵部分の灯りだけが点いている状態。とりあえず百均で保冷バッグを買ってきて、クイーンズで保冷剤をいっぱいもらって来て溶けたエビを冷やした。

Hちゃんに電話したが留守。深夜来てくれて冷蔵庫を動かして電源の確認するのを手伝ってくれる。牛乳を2本預かってもらう。

冷凍庫の中のナウマン化したさまざまな商品を捨てる。それでも、どうしても捨てられないものは・・・・・・

銀座O画廊の個展に来てくださった鈴木清順監督がくださったマキシムのチョコレートとか――いただいたの、もう8年くらい前だっけ・・・・・??清順先生が80歳を超えた頃だと思う。鈴木清順さん、お歳を召しても全然変わらず、すごくセクシーで、かわいくて、頭がキレて、天才肌で、気取らなくて、大好きな人だ。清順先生と言葉を交わした瞬間の時間、本当に、思い出すだけで好きすぎてかーっとなる。

愛するホルスト・ヤンセンの愛娘ランメ(カトリン)さんがくれたチョコレートも箱ごととってある。ホルスト・ヤンセンの教師アルフレート・マーラウが箱のデザインをしたチョコだと言って私にくれたのだ。

「1947年にわたしの教師アルフレート・マーラウは、わたしが偉大な素描家になるだろうといった。」というホルスト・ヤンセンの言葉が残っている。才能のある教え子に出会えることは、教師にとっては千載一遇の幸せ。生徒にとっても一生に初めての素晴らしい瞬間。マーラウはヤンセンほど有名にならなかったが、マーラウもすごい見る眼のあった人だと思う。

笠井久子さんに私の個展の時にいただいたデメルの猫の舌というチョコレートも、なんかもったいなくて食べられなくてずっと箱ごととっておいた。意外とブルームも出ずにチョコは劣化していないみたい(まだイケル)。

3月20日(木)

N病院。すごくかわいい療法士のK・Hさんに声をかけられる。きょう、母を屋上の花壇に連れて行ってくれたそう。誠実なだけでなくチャーミングなK・HさんにP.Tを担当していただいていることは本当に幸せだ。

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2013年3月20日 (水)

フィギュア世界選手権2013  浅田真央 高橋大輔/ チューリップ(エステラ・ラインヴェルト、パロット・キング)素描

3月20日

十数年ぶりに会えた大好きな花、エステラ・ラインヴェルトがついに散ってしまった。

最近描いていたチューリップの素描のまとめ(画像はすべてクリックすると大きくなります)。

チューリップ(エステラ・ラインヴェルト)パロット咲き 買ってきた日(3月11日)

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エステラ・ラインヴェルト(3月12日~3月13日)
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エステラ・ラインヴェルト(3月16日)

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エステラ・ラインヴェルト(3月17日、3月19日)

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エステラ・ラインヴェルト(3月17日)
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ぱらりと散り出したエステラ・ラインヴェルト(3月17日) 肉厚の花弁

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茎についているものは少しひからびてきたエステラ・ラインヴェルト(3月20日)

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3月19日

17日のことになるが、すごく楽しみにしていた2013世界フィギュアが終わり、見ていてちょっと体力を消耗したのか胃腸が痛くなった。やはりPCSの根拠とか、GOEの基準とか、素人にはわかりにくい。誰がその説明責任者で、誰がきちんと解説してくれているのか・・・よくわからない。

だとしても、浅田真央は日々新しく生まれ変わり、「自分自身思っていたより良い演技で、良い結果を残すことができた。来季につながる良いシーズンだった。」と、誰よりも迷いなく、自分がやろうとしていることをどれだけできているのか、次に何をすればいいのか、ちゃんと自分でわかっているようだ。

実際『白鳥』(黒鳥)は素晴らしかった。最初にひとつ、ふたつジャンプのミスはあったにせよ、そのあとは集中力が高まり、身体がどんどん動き出して、音楽も高まっていった。

氷の上を滑る優雅でひんやりとした空気を放つフロストフラワーのような白鳥。陽の光とたわむれるなまめく白鳥。そして精緻に統御されながらも、誰よりも強く激しくはばたく高速のステップの黒鳥。溢れる生命力がほとばしる。身体がもっともっとと駆り立てる。息が切れるのも見せずに最後まで笑顔で大きく、美しく羽を光らせた。

ジャン!と両手をあげたときの勢いと輝くやりきった顔。フリーの点数が出たときも素直に嬉しそうだった。

ジャンプもつなぎの演技も、今の自分の限界を超えるような高難度のプログラムに挑戦し、それを完璧にやりきること。

彼女は自分の限界を極めたいと思っている。そのために、自分のすべてを一度破壊してゼロからやり直す必要があった。ゼロの場所に立つことの不安は並大抵ではない。ものすごく辛いこともいろいろあっただろうが、彼女には着実に自分自身が良い方向に変わってきている確信がある。

本当の意味であらゆることに「さらされている」人間は、ものごとの価値がわかっているし、ものごとを安易に考えない。自分の毎日一歩一歩進む道がどんなに困難かわかっていて、そこに自らをおいて、「練習の過程は最高のものだった。」と言う浅田真央は本当にすごいと思う。

友人の吉田文憲(詩人、宮沢賢治研究家)と、時々フィギュアスケートについて話すのだが、本当にひとりだけ突出して才能を持つ人間がいた場合、それがスポーツだとしても、もはや他人との勝ち負けとか関心がなくなってしまうだろう、それは当然だ、と言った。

フィギュアスケートはスポーツだけれども、芸術と非常に似ているのは、最高難度のことに挑戦する人間がいて、その人間が極めて突出していた場合、それを正当に評価できる人間がいない、あるいはそれを正当に評価したくない人間がいる、というところだと思う。最後は「誰がこれを正当に評価できるのか」という問題になる。

ここに「信憑」ということが出てくるのだが、結局誰がその価値をきちんと言葉にして救えるのか、ということだ。

「芸術性」ということがPCS(特につなぎ、身のこなし、振付、音楽の解釈)だとしたら、私の確信する芸術性とフィギュアスケートの採点が高く出るプログラムはまったく違うものだ。

高橋大輔も最高に芸術性の高いフィギュアスケーターだと思うが、あとはジャンプさえうまくいけば・・・。しかし「スポーツだから」とさえ言う必要はない。彼にとって、ジャンプが「うまくいく」とは、ゲーム(競技)の既存のルールの範囲で勝つこととは次元を異にするからだ。既存の言語では語りえない、あの身体表現の凄み、深み・・・こんなにすごい選手もいないと思うけれど。

見るものの「信憑」を成立させている構造には、深く身体が関わっている。目だけでなく、手さぐりの、身体の、いわば「盲目性」が――。

「宿命」――は見ることはできない。語ることもできない。見ることのうちの盲目性によって見られ、語ることのうちの沈黙によって語られ、「宿命」は革新となる。

浅田真央と高橋大輔にはあらゆる困難に耐えてものすごい境地に達する「宿命」、本物だからこそ背負わされた宿命のようなものを感じる。

スポーツだから採点がすべてなのだけれども、明らかにその次元を超えてしまっている存在。それは二人のどんな苦しいときにも甘えやナルシスティックなところがなく、淡々と努力する態度にも、言葉の正直さにもあらわれている。深さがあって虚飾がない。

他人にはわからない次元、採点されるかどうかわからない次元に挑戦している、とも言える。

ショートを新しいプログラム『月光』にかえたとき、「何が正解かはわからないんで、とりあえずその時、自分がいいと思ったことをやって、間違っていてもそれはそれで、自分のためにもなるし。」と高橋大輔が語っていたが、リスキーなことに挑戦して、良い結果にならなくても、その経験が身体の細胞をつくるように自身の深みになる人間はそんなにいない。それが深みになる人間を、本当に才能のある人間というのだと思う。

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最近描いたチューリップの素描のまとめ。

チューリップ(パロット・キング) 黄色が輝く花。(3月6日)

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パロット・キングとモンセラ。右上2本のモンセラは小型の八重咲き。黄に赤いスジのチューリップだがなぜかすぐ枯れてしまった。

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パロット・キング(3月9日~3月10日)

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大きく開花したパロット・キング。しなりの線のカーヴを見ている。(3月12日)

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かさかさして散ってきたパロットキング(3月13日)

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チューリップ(ライオンキング) フリンジ咲き。(3月2日)

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チューリップ(ゴリラ) フリンジ咲きで色はブラックパロットと同じ黒紫。(2月21日)

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ゴリラ(3月5日)

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チューリップ(フラッシュ・ポイント) 八重咲きの濃いピンクの花。葉の縁にも薄いピンクのすじがある。葉脈の白い線を描きたかった。(3月6日)

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2013年3月16日 (土)

高橋大輔 『月光』 / チューリップ(エステラ・ラインヴェルト)

3月16日

今日の夜は高橋大輔の最後の世界フィギュアのフリーと思うと淋しい。

2日前のショートの『月光』。勝つためにこの曲にかえた、そうでなければかえないと本人が言っていたが、本当に素晴らしかった。

ロックンロールメドレーもいいが、この『月光』はそれよりもずっと高橋大輔の凄み、深み、身体芸術ともいうべき確たるものが際立って見えた。今の高橋の深さにはこれくらいのシリアスで壮麗な曲が必要ということなのか。

新しい黒のシンプルな衣装は月の光とたわむれる夜の空気の精のよう。高橋の細い腰、体線をきれいに見せ、しなやかな身体の動きを見せるのにぴったりだ。

見ているほうはすごく緊張したが、曲が始まってからの高橋はすうっと吸い込まれるように自分と曲の世界にはいっていて、緊張や固さは感じられず、最初から光を放っていた。

四大陸のあとは凄まじいというほどの練習ぶりだったというが、どれだけの練習をこなしたらこうなるのか、と感心するほど落ち着いていて、人間の身体がすうっと作品に変わっていった。

この曲を自分のものにしているというよりも、曲に奏でられ、身体の中から音が溢れ出していて、そこには時間でない時間が流れた。

音を受容しながらも音を操り、奏で、もはやどういう技をやっているとか何かを演じているとは感じさせない状態。

キアスム。まさに終わりのない反転運動としての「主客未分の」状態(時間)。

ゆっくり重々しく始まり、静かに、しなやかに空間をたっぷりと見せながら、後半は怒涛のステップ。世界一のステップという言葉を超えてしまって身体が透明で激しく強靭な音を共鳴させた。

藍色のさざ波。大きな空間のうねり、どよめき。こんなに速く、激しく、美しいステップがあったろうか。

終わった瞬間の高橋大輔のなんとも嬉しそうな顔。すっとリンクの中央に滑って両手を掲げたときの、口を軽く結んだ微笑の、なんとも誇らしく晴れやかな美貌。

やった、やった!というよりも、ふっと力が抜けたような、真にやるべきことをやれてほっとした、という微笑が美しかった。

現行のフィギュアスケートの採点法では、今回の高橋の演技は、ジャンプの回転不足をとられたことが大きくひびいた。けれどそれは、ある時代のあるスポーツ文化の、ある決まりごととしての採点法での点数である。

あれだけのステップ、あれだけの全身を大きく激しく使ってのスケートがどれだけのドラマを見せてくれ、見るものの記憶を掻き見出し、詩情を感じさせるかは、あくまで一要素としてしか採点されないのだが、私はそちらのほうに評価を重く置く(もちろんこれだけのすごいことをやって見せてくれているのだから勝って笑顔を見せてほしいけれども)。

将来5回転をバンバン飛ぶような選手が出てきたとしても、高橋大輔のようにフィギュアスケートを身体芸術として見せてくれるような選手はもう二度と現れないと思う。

絶対的なものはどこにもないが、その儚さを瞬間、刹那の中に見せること。それがわかっているから、それをやれている苦しくも最高の瞬きの時間を体感しているから、高橋は終わった直後、あんな甘やかな微笑を見せた。

この日の空にはシロツメクサのような、細い爪のような鋭く繊細な月が輝いていた。

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3月15日

国立がんセンター。生理二日目なのに血液を4本抜かれて気分的に弱っているところに、主治医の浅井昌大先生の口からこの3月で国立がんセンターを退職されることを聞いて大ショック。執刀していただいてから長年ずっとお世話になっているとても信頼している先生だ。

鎌ヶ谷の病院に移られるとのこと。鎌ヶ谷ってどこだっけ?と思ったが、都営浅草線で直通の千葉の成田方面、と言われた。

10年くらい前に浅井先生が3年くらい千葉の姉ヶ崎の山の上にある病院に移られた時も、たいへん遠かったけれどそっちに通った(切り崩された山の方には人家もなく、海の方はすごい工業地帯で怖いみたいなところだった。しかし林の奥の道を抜けると100年も変わっていないような昔からの里山があったりした)。その時にくらべたらまだ近い。

浅井先生は静かな声でしゃべる人で、すっきりした頭のいい雰囲気のまま歳をとらない。昔から少しも変わっていない。(確か萬屋錦之助や勝新太郎も浅井先生が執刀したのだ。有名な先生ですごく人気があった。)とにかく命の恩人だし、大好きな先生なのでついて行こうと思う。

3月13日

N病院の帰り花屋に寄ったら、エステラ・ラインヴェルトが3本残っていた。おととい私が7本買ってから誰も買っていなかったのだと思う。その3本を買って帰った。

3月11日

チューリップ(エステラ・ラインヴェルト)パロット咲き Parrot Tulip Estella Rijnveld 3月11日

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誰がつけたのだろう。エステラ・ラインヴェルトという凛とした名前を。

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エステラとは星のこと。花の真ん中に薄青紫の星のかたちが見える。

N病院の帰り、オランダ屋に行っていつものようにっチューリップの入荷をチェックしたら、もう14年くらい毎年さがし続けていたパロット咲きのチューリップ、エステラ・ラインヴェルトがはいっていたので眼を疑った。

本当に毎年見られる限りの花屋を、この花をさがして歩いて、花卉市場にまで行ったこともあったがめぐり会えなかった。一本210円。かたちが変わっているものを選んで7本買った。

この花の特徴はパロット咲きチューリップの中でも花弁の裂が深くて、花弁の捩じれや折れ曲がりや外側のこぶもはっきりしていて、予想を超えた奇妙な美しい線を見せてくれることである。肉厚の花弁に白地に濃いフーシャピンクの愛らしい縞。

帰宅してから夢中で水彩で描いていたら朝になってしまった。

3月9日

震災からもうすぐ2年、各地で反原発デモをやっている。私も明治公園の「さよなら原発」集会に行きたかったのだが、腰痛で断念。最近、背中と肩と腰がひどく痛い。

黄砂や砂ほこりのせいか外に出ると顔の皮膚も痛い。

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2013年3月10日 (日)

『デッサンの基本』 第15刷 / ドクハラ

3月6日 

『デッサンの基本』(ナツメ社)第15刷となりました。

買ってくださったかた、置いてくださった本屋さんにに心より感謝です。

「デッサン」とは何か――いろんな考え方、描き方がありますが、鉛筆で描く素描について、初めての人にも人にもなるべくわかりやすく説明した本です。

これから「デッサン」をやってみようかな、と思うかた、仕事上「デッサン」が必要なかた、本を見ていただけたら幸いです。

最近、私は季節がら、チューリップの花の素描をたくさん描いています。

チューリップの花が「サイタ、サイタ・・・」と童謡に歌われるような花ではなく、妖しくて奇妙な魅惑的な花だと思えるのは、最初にそのまったく甘くない不思議な匂いをかいでから。

それからその不思議な曲線を鉛筆の線でていねいに素描してみてからです。

ただ見ているとき、写真を撮るときにもわからないことが実際に描いてみるとわかる、今まで見えなかったものが見えてきて、どんどんいろんなことが見えてくる、といことが素描(デッサン)にはあります。

そうすると描く意味がわかってきて、漫然と見るのではなく、何を描くのか、何を見ているのかが初めてわかってきます。

自分の感情や頭の中で勝手につくりあげるのではなく、自分の外側にあるものをよく見て、そこから受容する、というのがデッサンの基本のように思います。

最近の鉛筆素描、チューリップ(エステラ・ラインヴェルト)。

眼で細部を追いながら鉛筆の線を引いていると、写真に撮るよりもずっと自分の身体の記憶、自分の肉体の中に花の経験が残ると感じる。

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チューリップ(パロット・キング)。開花して散る寸前。

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アプリコット・パロットよりも黄色が濃いチューリップだが、その鮮やかな色を水彩で塗ったものと、鉛筆の線だけのものと、両方描き残した。

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鉛筆の線描のときは、植物の生きている運動に目がいっている。描いているうちに植物が動いているのがよくわかる。

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これまで1か月近く、私がすごく苦しんでいた母の主治医のドクハラについて。勇気をもって医療ソーシャルワーカーに主治医を替えてもらいたいと訴えたら3階の看護師長に訴えを握りつぶされ、さらに勇気をもって病院事務局の事務長に直訴したら替えてもらえたいきさつ。

3月6日

N病院に母の夕食介助に行くと、院長のY先生に声をかけられ、母は難病指定を受けているのかと聞かれた。パーキンソン病の難病指定を受けていると答えると、「そうですか、難病の患者さんだってことが皆に共有されてなかったので。」と言われた。

そういえば面談の時に、前の主治医Nに「パーキンソン病じゃなくて症候群でしょ?」と妙なことを言われたのだ。前のH外科病院からの引き継ぎはどうなっているんだろう。

また、「前の主治医Nが母の薬メネシットを1日4錠出しているが、僕の考えではあの体重で4錠は多いと思う。減らす方向で考えたい。」と言われ、母は入院前はずっと1日2錠だったのに増やされていたこともそのとき初めて知り、今どういう処方をしているのか説明してくれるだけでも、主治医を替えてもらって本当に良かったと思った。

さらに、前の主治医Nに「データに異常ないのに苦しい苦しいって騒いで狼少年だ。2階にいる時(自分んの担当ではない時)に苦しくなってくれればいいのに。」という暴言を吐かれた件について、

「CTを診たら胸水が溜まってたんで。心臓が苦しかったんだと思う。」と言われた。

何それ?!という感じである。ちゃんとデータに出てるんじゃないか。N医師に対する怒りと嫌悪感が収まらないが、Y院長は、いわばN医師の誤診を認めてくれているわけで、正直に言ってくれることに非常に信頼感を覚えた。医者どうしは非を認めないでかばい合うと聞いていたので。

Y院長は「身体状態もだいぶ良くなってきたと思う。手引き歩行できるくらいまでがんばりましょう。」と言ってくれた。

今まですごく苦しかったが、思い切って主治医変更を訴えて本当によかった。このY院長を信じてがんばりたい。

これまでの経過まとめ。

2月7日

母が2階の一般病棟から3階のリハビリ病棟に移された際、胸が苦しいと言って苦しみだした。私が4時30分ごろ行くと酸素マスクをつけて寝ていた。担当の看護師さんから「顔が真っ赤になって胸が苦しいと言っていたから心筋梗塞かと思ったが、CT、心電図などに異常なく、血圧は188に上がっていた。」と説明を受ける。

2月15日

3階に移ってからの主治医、Nと初めての面談。看護師長も横にいるがずっと記録を書いている。

母が胸が苦しいと言ったことについて「苦しい苦しいってデータには出てないのに狼少年だ。」と言われ、パーキンソンに伴う認知症についてリハビリの効率が悪いと悪しざまにののしられる。N医師はすごくイライラしている様子で認知症があると面倒だからもう帰ってもらいたい、という言い方。

N医師はリハビリの専門医なので、自分の業績が効率よく上がらない患者はいやなのかと思う。それにしても怒りと同時に、変に逆らったら母がどういう扱いを受けるかわからないのでどうしたらいいかと胸が苦しくなる。

帰宅してからケアマネさんに電話で相談。人間性を信頼できないので主治医を交代を相談すべきと言われる。

2月18日

15日は金曜だったので、18日月曜にメディカルソーシャルワーカーさんに相談。主治医を替えられるかは3階の師長の権限による、と言われ、返事待ち。

2月25日

もう一度、ソーシャルワーカーさんに駄目押しで主治医変更をお願い。

2月26日

母の食事介助中、3階の看護師長Tに声をかけられ、「きのう相談室に行かれましたか。」と言われる。看護師長Tは何食わぬ顔で「次の面談希望日は」と言うので「主治医を替えてくれないかぎり、次の面談には応じられません。家族としては受け入れられません。」と言うと、「規則ですから。じゃあ3月8日でいいんですね。」と平然。母の目の前で冷笑するような無感覚な態度をされて背中にどっと汗が噴き出してきた。

さすが面談の時N医師がヒステリックに母の病状をののしっているときに、一度も顔を上げず平然と記録を書いていただけある。医師のやることは絶対で患者や家族の気持ちなど無視。事務的にことを進める人だ。

師長がこんな態度では、もう打つ手はないんじゃないか、と絶望的な気持ちになる。しかし患者に対してまるで思いやりのないN医師には母をまかせられないし、二度と話したくなかった。

この嫌な感じ、病院組織という権力に立ち向かえるのか、という不安でいっぱい。

病院を出るとき、玄関に病院の責任者の名前が張り出してあったので、苦情はこちらまで、と書かれていた事務局長のケイタイをメモして帰る。

夜、病院長Y先生と事務局長Aさんに渡すための直訴状をワープロで書く。

2月27日

5時、N病院事務局長Aさんと話す。

病院の向かいの薬局の建物が建友会の建物で、その2階の会議室に呼ばれた。管理師長のHさん(優しそうな女性)も立ち会ってくれた(立ち会いの人が来てくれるのは安心)。

ことによっては事務局長も病院の非は一切認めず、患者家族は泣き寝入り、ということになって、今よりもっと悪い状況になるかもしれないと思い、非常に緊張していた。

Aさんは話が通じる人で、「それは人権侵害に当たりますね。」とはっきり言われた。

「患者家族と医師の信頼関係がないと無理ですね。主治医を替えられない決まりというのは綱領に書いてあるわけではなく、皆がそういうことを言い出したらきりがないからという意味で、理由がある場合は替えるべきです。」と言ってくれた。

「このたびはNが大変失礼なことを言って申し訳ありませんでした。」と謝ってくれた。

文書に残すためAさんに書いてきた手紙を渡し、院長にも直接話すのはどうか、と尋ねると「医者どうしはかばい合う傾向にあるから、それがいいのかわかりません。」と言われる。これも正直な発言。

N病院は全国的組織である民医連の持っている病院だそう。

その後母の夕食介助をしながら私が赤ん坊のときの母と私の写真を母に見せていたら、院長先生が来て「あれ、昔の写真、いいね~、僕の娘なんて僕にそっくりなんだから~。」と笑って話しかけてきたので、手紙を渡そうか、どうしようか、とどきどきしたがやはり渡せなかった。

2月28日

事務局長Aさんから電話。午前中に話して主治医を院長先生に替えてくれたとのこと。

とりあえず突破!

安心というより、しばらくは胸の嫌な緊張が収まらない感じ。しかしやるべきことはやったのだ。

 

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2013年3月 7日 (木)

阿佐ヶ谷住宅 

3月5日

何年も前から老朽のため解体されるという看板が立っていた阿佐ヶ谷住宅が、今度こそ本当に本当になくなってしまうみたい。

前川國男という建築家(この人はル・コルビジェに直接学んだすごい人らしいが、本当にセンスがいい)が作ったテラスハウスが配置された本当に美しい場所で、素晴らしい緑地とともにあり、私にとっては夢のように想像力や制作意欲を掻き立てられる場所だった。

ここの中のS字の道、欧米の田舎のようなテラスハウスたち、古いベンチ、ブランコ、桜の老木、ミモザの樹、モジズリの花、シロツメクサの花、みんなみんなものすごく大好きだったけれど、あと数日で本当に消えてしまうみたいだ。

去年も桜を見に来たのに、桜のつぼみも膨らまないうちに、大好きな李の樹の花も咲かないうちに、この景色が無くなってしまうのはものすごく淋しい。

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蔦の絡まった李(すもも)の樹。

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すもも、桜、林檎、枇杷、メジロやオナガやインコが飛んできていた懐かしい樹たち。

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古壁に映える紫陽花の季節も美しかった。

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阿佐ヶ谷住宅全体の地図の看板。絶妙な建物の配置。広場の正面の桜、何度この桜の花を見たろう。

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棕櫚(しゅろ)や紫陽花や南天の入り混じった鬱蒼とした無造作な庭。

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桜の花の頃、蛇の髭の茂みから大きな蛇が出てきてびっくりたこともあった。

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阿佐ヶ谷住宅の猫ちゃん、ここに来るたび何度か会っている子。

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アシンメトリーの枝振りが大好きだった桜の樹と古いブランコの支柱。

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紫陽花が素晴らしかった一角。

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見事だった桜の老木の並木。年とったお母さんを自転車の後ろに乗せてここの桜の満開を見せていた人のシルエットを感傷的に思い出す。

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