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2013年3月10日 (日)

『デッサンの基本』 第15刷 / ドクハラ、N病院の事務局長に直訴した話

3月6日 

『デッサンの基本』(ナツメ社)第15刷となりました。

買ってくださったかた、置いてくださった本屋さんにに心より感謝です。

「デッサン」とは何か――いろんな考え方、描き方がありますが、鉛筆で描く素描について、初めての人にも人にもなるべくわかりやすく説明した本です。

これから「デッサン」をやってみようかな、と思うかた、仕事上「デッサン」が必要なかた、本を見ていただけたら幸いです。

最近、私は季節がら、チューリップの花の素描をたくさん描いています。

チューリップの花が「サイタ、サイタ・・・」と童謡に歌われるような花ではなく、妖しくて奇妙な魅惑的な花だと思えるのは、最初にそのまったく甘くない不思議な匂いをかいでから。

それからその不思議な曲線を鉛筆の線でていねいに素描してみてからです。

ただ見ているとき、写真を撮るときにもわからないことが実際に描いてみるとわかる、今まで見えなかったものが見えてきて、どんどんいろんなことが見えてくる、といことが素描(デッサン)にはあります。

そうすると描く意味がわかってきて、漫然と見るのではなく、何を描くのか、何を見ているのかが初めてわかってきます。

自分の感情や頭の中で勝手につくりあげるのではなく、自分の外側にあるものをよく見て、そこから受容する、というのがデッサンの基本のように思います。

最近の鉛筆素描、チューリップ(エステラ・ラインヴェルト)。

眼で細部を追いながら鉛筆の線を引いていると、写真に撮るよりもずっと自分の身体の記憶、自分の肉体の中に花の経験が残ると感じる。

Sdsc00999

チューリップ(パロット・キング)。開花して散る寸前。

Sdsc00982

アプリコット・パロットよりも黄色が濃いチューリップだが、その鮮やかな色を水彩で塗ったものと、鉛筆の線だけのものと、両方描き残した。

Sdsc01000_3

鉛筆の線描のときは、植物の生きている運動に目がいっている。描いているうちに植物が動いているのがよくわかる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

これまで1か月近く、私がすごく苦しんでいた母の主治医のドクハラについて。勇気をもって医療ソーシャルワーカーに主治医を替えてもらいたいと訴えたが3階の看護師長に訴えを握りつぶされ、さらに勇気をもって病院事務局の事務長に直訴したら替えてもらえたいきさつ。

3月6日

N病院に母の夕食介助に行くと、院長のY先生に声をかけられ、母は難病指定を受けているのかと聞かれた。

パーキンソン病の難病指定を受けていると答えると、「そうですか、難病の患者さんだってことが皆に共有されてなかったので。」と言われて、そんな重要なことが認識されていなかったのか、とびっくりした。

そういえば面談の時に、前の主治医Nに「パーキンソン病じゃなくて症候群でしょ?」と妙なことを言われたのだ。前のH外科病院からの引き継ぎはどうなっているんだろう。

また、「前の主治医Nが母の薬メネシットを1日4錠出しているが、僕の考えではあの体重で4錠は多いと思う。減らす方向で考えたい。」と院長先生に言われた。

母は入院前はずっと1日2錠だったのに、N医師に増やされていたこともそのとき初めて知って驚いた。今どういう処方をしているのか説明してくれるだけでも、主治医を替えてもらって本当に良かったと思った。

さらに、前の主治医Nに、母のことを「データに異常ないのに苦しい苦しいって騒いで狼少年だ。2階にいる時(自分んの担当ではない時)に苦しくなってくれればいいのに。」という暴言を吐かれた件について、

「CTを診たら胸水が溜まってたんで。心臓が苦しかったんだと思う。」と言われた。

いったい何?!という感じだ。ちゃんとデータに出てるんではないか。N医師に対する怒りと嫌悪感が収まらないが、Y院長は、いわばN医師の誤診を認めてくれているわけで、正直に言ってくれることに非常に信頼感を覚えた。医者どうしは非を認めないでかばい合うと聞いていたので。

Y院長は「身体状態もだいぶ良くなってきたと思う。手引き歩行できるくらいまでがんばりましょう。」と言ってくれた。

今まですごく苦しかったが、思い切って主治医変更を訴えて本当によかった。このY院長を信じてがんばりたい。

これまでの経過まとめ。

2月7日

母が2階の一般病棟から3階のリハビリ病棟に移された際、胸が苦しいと言って苦しみだした。私が4時30分ごろ行くと酸素マスクをつけて寝ていた。

担当の看護師さんから「顔が真っ赤になって胸が苦しいと言っていたから心筋梗塞かと思ったが、CT、心電図などに異常なく、血圧は188に上がっていた。」と説明を受ける。

2月15日

3階に移ってからの主治医、Nと初めての面談。看護師長も横にいるがずっと記録を書いている。

母が胸が苦しいと言ったことについて「苦しい苦しいってデータには出てないのに狼少年だ。」と言われたのでびっくりした。母は嘘をつかない。

「リハビリの効率が悪い。話が通じない。変なことばかり言うのよ!」と悪しざまにののしられた。母はパーキンソンで認知症で、少し譫妄があるが、それがののられるようなことなのだろうか。N医師はすごくイライラしている様子で認知症があると面倒だからもう家にさっさと帰ってもらいたい、という言い方。

N医師はリハビリの専門医なので、自分の業績が効率よく上がらない患者はいやなのかと思う。N医師への怒りと同時に、変に逆らったら母がどういう扱いを受けるかわからないのでどうしたらいいかと胸が苦しくなる。

帰宅してからケアマネさんに電話で相談。人間性を信頼できないので主治医を交代を相談すべきと言われる。

2月18日

15日は金曜だったので、18日月曜にメディカルソーシャルワーカーさんに相談。主治医を替えられるかは3階の師長の権限による、と言われ、返事待ち。

2月25日

もう一度、ソーシャルワーカーさんに駄目押しで主治医変更をお願い。

2月26日

母の食事介助中、3階の看護師長Tに声をかけられ、「きのう相談室に行かれましたか。」と言われる。

看護師長Tは何食わぬ顔で「次の面談希望日は」と言うので「主治医を替えてくれないかぎり、次の面談には応じられません。家族としては受け入れられません。」と言うと、「規則ですから。じゃあ3月8日でいいんですね。」と平然。

母の目の前で冷笑するような無感覚な態度をされて背中にどっと汗が噴き出してきた。

さすが面談の時N医師がヒステリックに母の病状をののしっているときに、一度も顔を上げず平然と記録を書いていただけある。医師のやることは絶対で患者や家族の気持ちなど無視。冷淡かつ事務的にことを進める人だ。

師長がこんな態度では、もう打つ手はないんじゃないか、と絶望的な気持ちになる。しかし患者に対してまるで思いやりのないN医師には母をまかせられないし、二度と話したくなかった。

この嫌な感じ、病院組織という権力に立ち向かえるのか、という不安でいっぱい。

病院を出るとき、玄関に病院の責任者の名前が張り出してあったので、苦情はこちらまで、と書かれていた事務局長のケイタイをメモして帰る。

夜、病院長Y先生と事務局長Aさんに渡すための直訴状をワープロで書く。

2月27日

5時、N病院事務局長Aさんと話す。

病院の向かいの薬局の建物が建友会の建物で、その2階の会議室に呼ばれた。管理師長のHさん(優しそうな女性)も立ち会ってくれた(立ち会いの人が来てくれるのは安心)。

ことによっては事務局長も病院の非は一切認めず、患者家族は泣き寝入り、ということになって、今よりもっと悪い状況になるかもしれないと思い、非常に緊張していた。

Aさんは話が通じる人で、「それは人権侵害に当たりますね。」とはっきり言われた。

「患者家族と医師の信頼関係がないと無理ですね。主治医を替えられない決まりというのは綱領に書いてあるわけではなく、皆がそういうことを言い出したらきりがないからという意味で、理由がある場合は替えるべきです。」と言ってくれた。

「このたびはNが大変失礼なことを言って申し訳ありませんでした。」と謝ってくれた。

文書に残すためAさんに書いてきた手紙を渡し、院長にも直接話すのはどうか、と尋ねると「医者どうしはかばい合う傾向にあるから、それがいいのかわかりません。」と言われる。これも正直な発言。

N病院は全国的組織である民医連の持っている病院だそう。

その後母の夕食介助をしながら私が赤ん坊のときの母と私の写真を母に見せていたら、院長先生が来て「あれ、昔の写真、いいね~、僕の娘なんて僕にそっくりなんだから~。」と笑って話しかけてきたので、手紙を渡そうか、どうしようか、とどきどきしたがやはり渡せなかった。

2月28日

事務局長Aさんから電話。午前中に話して主治医を院長先生に替えてくれたとのこと。

とりあえず突破!

安心というより、しばらくは胸の嫌な緊張が収まらない感じ。しかしやるべきことはやったのだ。

 

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