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2013年5月13日 (月)

母の退院、介護について

母の介護についてのメモ

5月15日

リース会社から送ってもらった請求書の支払いを済ませ、領収書を持って、再び区役所の高齢者福祉課に行く。

若い眼鏡の男の人が担当してくれた。領収書すべてのコピーをとるあいだ、しばし待たされ、出てきたその男の人が「お待たせしました。これで終わりました。」と言った。「金額を何回も修正しちゃったんではんこいりませんでしたか?」とたずね、「だいじょうぶです。」と言われてから信じられない一言が。

「あの、17日締め切りって書いてあるんですけど、間に合わない時は、実際はだいじょうぶなんで。」と言われて「えっ??締切が迫ってるんで焦って来たんですけど。」と言うと「申し訳ありませんでした。それは過ぎてもだいじょうぶなんで。」と言われて驚愕。

つまり17日締め切りというのは区役所職員の都合で勝手に決めた文書通達だったということで、公的な規則ではなかったということか。

だとしたら先日の、若い女性職員の「(17日いまでに)もし領収書があったら、来てください。」(見つからなかったら諦めてください。)というのは、区民が当然受けられる補助金をもらえにくくし、区民に損害を与える態度ではないのか。なんの権利があってそんな不正なことをするのか。

17日が正式な新宿区の締切ではないことを教えてくれたこの職員さんは正直で親切な人だと思う。

ちなみに1月の病院に払ったリース代は3万円超。補助金で帰ってくるのは一律最高月あたり8000円。病院がかわって2月から5月まで払ったリース代は月15000円。

5月13日

区役所に母のもろもろの申請に行く。

毎度のことなのだが親切な人と意地悪な人の差が激しい。

最初に2階身障者福祉課。前に手帳を申請した時と同じ若い女の人だった。とても親切。

次に高齢者福祉課。ここが最悪だった。

入院中のリース代金の助成申請の締め切りが17日に迫っているので申請に来たのだが、明細の中にリース代がないことに気づき、冷汗が出た。

しかたないので、「病院に電話して聞いてみます。」と私が言っているのに、「5月からは老健に入所したのならもう助成は出ません。」と言う若い女性職員。老健では無料で、リースではないのだから、私が助成申請するわけはないのに。

「今日は3月分までの締め切りが17日なので、その申請です。」と言ったら、「わかってます。もし領収書があったら、また来てください。5月分からはもう助成できないという確認の書類を送りますから確認してもらえますか?」と言われて頭に来た。

17日締め切りの領収書がなくて困っているのに、あくまで利用者の権利が利用できなくなってしまうことは知ったことではなく、自分の事務的な仕事のことだけ主張する態度。言われなくても5月からは申請するわけないので、80円の郵送料を使って念押しの書類を送られるのは不快なので「不要です。」とだけ答えた。

すぐに廊下の公衆電話でN病院に電話。業者の電話を教えてもらい、電話できくと実家に直に請求書を送ったそうで、私が実家に帰っていないので気づかなかったとわかる。至急私の仕事場のほうに送ってくださいとお願いする。

N病院が請求方法について説明してくれていたら行き違いがなかったのに、と残念に思う。リースの申し込み用紙にまるをつけただけで、なにも説明されていない。

4階の高齢者医療担当課で入院負担軽減支援金の申請。ここの人はすごく親切だった。「お宅様のはんこを・・・」という言葉づかいが印象に残った。

そして帰ろうとして4時55分。特養の申し込み先変更を忘れていたのに気づき、さっき感じ悪かった2階の高齢者福祉課に戻らねばならず、きょうはもう帰ろうかと思ったが、さっきと違う机の位置の、カウンターの右のほうの年配の男性の職員さんにお願いしたら親切だった。

時間ぎりぎりなのに感じよく対応してくれて、20分くらい相談にのってくれた。やはり人によるのだ。だからどんな人にあたるのか緊張するのだ。「ここにはいれるといいねえ。」と北新宿のK苑を指さして言われた。「ええ。ほんとうに。ここは倍率がすごくて、難しいんでしょうけどねえ・・・」と答えた。

5月12日(土)

母の日だからと言って本人はわからないのだから、特にこの日に行くべきという意識はないが、食事介助に行く。新宿から埼京線で行き、少し道に迷って6時に着いたら、もう食事が片づけられていたのでショック。早出ししてくれるといっても基本は6時から食事なのだから早すぎると思った。きょうはイベントがあったので母は疲れたようで、眠そう。

廊下のテーブルで母にプリンを食べさせる。隣に座っていた女性に、「いいわねえ。うちなんて沿線で近いのに娘なんて全然来てくれやしない。そういうふうに育てちゃったんだからしかたないけど。」と話しかけられる。

母の歯磨きを私がしたらヘルパーさんに「ありがとうございます。助かります。」と言われた。きょうの食事量を尋ねると夕食は主食3、副食7だったそうで、「すぐ空気がのどに詰まって、もう食べられないって言うんです。(時間をかければ食欲はあるんですが。)」とお願いしておいた。

5月10日(金)

竹橋の近代美術館にベーコン展を見に行く。

彼は問題意識の核がある。詩もある。漫然と人間のかたちを描いている人や思いつきの人とは違う。

学芸員の書いた解説の、最後のパネルがひどかった。教育的指導のつもりなのか・・・おこがましい。ウィリアム・フォーサイスのダンスの映像も、ベーコンに刺激を受けて踊っていると言われても、ダンスそのものは退屈だった。インスピレーションや影響を受けている、ということ自体に価値はない。そのものに魅力がなければ関係ない。

土方巽のベーコンの舞踏はさすがだった。

常設はいつもの村山槐多と靉光と関根正二と中村彝のほかはひどいのも多いと思う。アンリ・ミショーの水彩は良かった。徳岡神泉の芥子も。

Eに母の食事介助に行く。おかゆだけ残るので、ふりかけを少しかけたり、お茶に少し練乳をたらして残さず飲ませたりで、ゆっくりだが完食。持って行ったプリンも食べた。

池袋まで歩いて、やっと8時過ぎに今日初めての食事。歩き過ぎて脹脛が攣った。

5月9日(木)

明け方から大量出血。声も出ないくらいしんどい。失敗するので外にも出られない。顔のむくみと隈がひどい。洗濯ばかりしている。夜になって少し体調が落ち着いた。PMSの頭痛は引けていった。

5月8日(水)

母の退院とE入所の日。夜まで1日中PMSの二日酔いに似たズキズキした頭痛が続く。顔のむくみがひどい。

朝から書類を書いたり大荷物(衣類)をまとめたりでばたばた。11時過ぎに母の病室に飛び込んだらもう母は出ていて、知らない男の患者さんがお腹の傷を消毒されていたので焦った。

食事介助後、病院の荷物をまとめて、1時に介護タクシーの会社の人到着。

自分で電話して予約したところだが、「Nの会」という障害者向けリフト付き福祉タクシー会社、シルバーっぽい運転手さん、すごく親切だった。老健Eまで、5」kmくらいで2680円。しかも端数180円はいらない、とまで言ってくれた。もちろん申し訳ないので払ったが。

H外科が提携している介護タクシーでH外科からN病院まで、2kmくらいなのに6000円以上とられたのが信じられない。病院が勝手に決める介護タクシーはひどく高いということなのか。今度から必ず「自分で手配します」と言おうと思う。

老健Eに1時半くらいに着く。ヘルパーさんと荷物確認、主治医の先生、ケアマネさん、ST(言語聴覚士)さん、OT(作業療法士)さんと挨拶、面談。リハビリの内容の希望など詳しく訊かれる。体重が6kgくらい落ちて32kgしかないので、これ以上筋肉が落ちないように、と嚥下がうまくいくようにお願いする。

感心したのはSTさんが嚥下の検査をすごく丁寧にしてくれたことだ。数ccの水を飲ませてはむせないかを観察し、「あ~~って言ってみてください。」の繰り返しで評価。

今までN病院で母が飲みたくないと嫌がるほど濃いとろみ(とろみ4)をつけていたのを、とろみ1でやってみる、ということに調整してくれた。おやつの食べ方もSTさんとOTさんで観察。

そのあと私は10数枚の契約書類記入。長い説明を受ける。

その後、母の夕食の食べ方をSTさんと歯科医師さんが観察、歯科医師さんは即義歯の調整(プラ部分を柔らかくし変形)をしてくれたことにも驚いた。

酸素濃度測定器を指につけさせて数値を計りながら、飲み込んでいるとき息をとめているんじゃないか、舌で食べ物をつぶしてそのまま噛まずに飲み込んでいるので空気を一緒に飲み込んでいることなどをみてくれた。

こんなに精確に見てくれると思わなかったので感激。とにかく食べられるようになることを熱心にやるのが特徴の施設だとのこと。

職員の人たち、皆、話しかけてくれて親切な印象。老健はFしか知らなかったのだが、Fより重度の人も入所しているが、こちらのほうが活気があるのかもしれない。

なんだかんだで7時過ぎまでかかった。池袋で食事したら帰宅は9時半くらいになった。母が具合悪くなったりせずに無事すむかときのうから緊張していたので、ものすごく疲れた。

5月7日

退院前日。N病院へ。

かわいすぎるPT(理学療法士)、Hさんに母のリハビリ成果を詳しく訊く。毎朝起立訓練をバーにつかまって30回もやっているそうで、つかまり立ちは問題ないそう。歩く潜在能力は高い。椅子に座っているときの傾斜は、足や腰の位置を直してあげるといいとのこと。ずっと親切にしてくれたHさんに、本当に感謝。感謝の気持ちをこめて御礼のはがきを渡す。

明日母の移動の緊張のせいか、いつにも増してPMSがひどい1日。朝から少しの刺激にも嘔吐しそうになるくらい頭痛がひどい。特に脳天と後ろ頭。タイレノールを4,5時間おきに飲むがおさまらない。

血糖値を安定させるために何か食べたほうがよかったのだが朝から食べられず、N病院のあと、夜、中野で食事してビールを飲んだら、猛烈に頭痛が激しくなった。激しい二日酔い状態。

5月4日

昼、母の衣類と薬をとってくるため、久しぶりに実家に行く。家にあるだけの薬を近所のH薬局に頼んでドネペジル5mgを半分に割って30日分に分包しなおしてもらう。

きのうは母の上半身の右傾斜が激しく、本人も苦しいと言っていてこのまま死にそうな感じだったので心配できょうも夕食介助に行く。が、きょうは傾斜ほとんどなし。逆にやや左に傾斜あり。食欲あり。おかず完食。ごはん7割と差し入れのプリンを食べる。

帰り道、前から目にとめていた紫の斑のパンジーを一輪盗みに暗い住宅街へと小道をはいる。たくさんの植木で花園のようなその家は、改修工事中で青いシートが壁面に張ってあり、住民がいないようだった。

稀少なパンジーのプランターの土が白く乾いていて、花が枯れかかっていたので、工事の人が使っているバケツに溜まっていた水を全部パンジーの上にぶちまけておいた。帰宅してから深夜、パンジーの素描。

5月3日

母の右傾斜がひどく、車椅子から転げ落ちそうなほど。本人も苦しいと言い、「自分で食べられないから口に運んで。」と言うので、スプーンで全介助。

食事介助していると先に食べ終わって母のテーブルの横を通るときに、必ず「M江さん、食べた?いいわねえ、いつも食べさせてもらって。」と言う女性と「いいですねえ、いつも来てもらって。さぞかしお母さん嬉しいでしょうね。」と言ってくれる女性がいる。二人とも70歳以上だと思うが、母よりもずっとずっと元気だ。

いつも母に会うとき「私、誰?」と聞いているのだが、最近は「知佐子。」と言ってくれる。前はよく母の妹の名を間違えて呼んでいた。

はっきりしているときとそうでないときが毎日変動するので、私がしょっちゅう来ていることも、どれくらい覚えていてくれるのか疑問だ。「昨日も来たよ。」と言っても「覚えてない。」というときも多い。し私が帰るときになって、「おいて行かないで。連れて帰って。」と何度もいうときもある。

5月1日

母の診療情報提供書を確認すると、血液検査などのデータは2月7日のもので、ADL表などは4月4日のものだった。検査データは6か月以内もの、ADL表などは3か月以内のもの以外不可、と書いてある。

これでは今度入所するEを3か月で出なければいけなくなったときに、8月の最悪に暑い時期に母を外に出してどこかの病院で新しく検査しなければならなくなってしまうと思い、検査するなら連休前の明日しかないので、焦ってケアマネさんに朝、電話で相談。

ケアマネさんに、今いるN病院の付属診療所では新宿区の健診表が使えるので、そこで血液検査しておいたほうがよくないですか、と言われる。

N健診センターに問い合わせるとN診療所に電話を回され、区の健診表が使えるか尋ねると区の健診表を使うには健診を受診し、健診表で足りない検査は内科を受診すれば可能と言われる。が、今N病院に入院中だと規則で無理かもしれないからN病院の3階の事務の人に聞いてくれと言われる。

N病院事務のMさんは入院中は外の診療所は受信できないとのこたえ。もう一度ケアマネさんに電話。N診療所受診が不可能なら、N病院で血液検査してもらえないか、と言われ、再びN病院の事務Mさんに電話。主治医の判断がいるので、ただの健診では検査できないとのこたえ。

今度はいる施設Eに聞いてみてくれと言われる。Eに電話すると近くにO医院というのがあり、そこで検査できるが1万円くらいかかる。さらにEの担当医の診断書料金が5000円くらいかかると言われる。ケアマネさんに電話で報告。ばたばたとして、とても疲れた。

午後3時、M病院(療養型)から電話があり、審査を通ったと言われる。しかし療養型病院は寝たきりの人も多く、生活感がある感じではないので老健の方がいいのではないかと親切に言われた。

4月30日

老健Eから何度も電話があり、5月8日の2時にEに入所することが決まった。母のはいる4人部屋は一番端なので転倒が心配なのだが、センサーは数が足りないので無理と言われていたが、もしかしたらフットセンサーは用意できるかもしれない、と言われた。

途中で一人部屋(16万円)にされるとお金が続かないと言ったが、それはどうなるかわからないと言われた。

すぐに介護タクシーの会社に電話するが、新宿と提携のG社はもう予約満杯で、N社に電話したら予約できた。

N病院の3階リハビリ病棟の相談員、Sさんから電話が来る。あれほど転院先が決まらないから相談にのってほしいといっても面会さえしてもらえなかったのに、今さら「介護タクシーの予約がまだならこちらで予約しましょうか。」と言われ、「自分でやるのでけっこうです。」と答える。

老健Fに電話したが、老健はぐるぐる回るのでまた来てくださいとのこと。

4月28日(日)

日曜だが受け付けてくれたので老健Mに面談に行く。

相談員Mさんがいろいろ教えてくれる。途中で老健を変わった場合、最初の老健で3か月までしかリハビリを受けられないこと、変わった次の老健ではリハビリなしになるので3か月は老健をかえない方がいいことなどを初めて聞く。

薬が切れた時点で2泊3日で外泊し、どこかの医療機関で薬を処方してもらわないといけないこと、その時点で老健はいったん退所扱いになりリハビリは終わりになることなどもびっくり。

病院は2週間までしか処方を出さないから、3か月薬を出してもらいたいなら、もとの往診専門のHクリニックにかかるのが一番いい、と言われる。しかしHクリニックには問い合わせずみで、最低3か月連続してかからないと薬は出せないと言われている。

3か月も自宅でみるのは、今の母の状態では現実的に絶対無理(転倒の危険が高すぎる)。

埼玉などの遠いところの老健では、比較的薬を出してくれるところが多いという話も初めて聞く。

老健Mは全個室だが、非課税世帯の減額で月12万円。今受かっている老健Eの個室16万円よりだいぶ安い。ビルに窓をふさがれているほうの個室はちょっと日当たりが悪すぎて暗い印象だったが。

いろいろな問題があって、頭が整理しきれない。混沌として不安と悩みがいっぱい。

4月27日(土)

M病院(療養型)の相談員さんから電話。今入院中のN病院に電話で母のこと、いろいろきいていいかと訊かれる。女性の相談員さん、とても親切。

療養型病院は、今いるリハビリ病院とはだいぶイメージが違って、吸入器具などつけた人、重病で寝たきりの人なども多く、普通に生活感のあるところではないとのこと、説明してくれた。

転倒の危険性は療養型病院でも同じなので、生活感のある老健のほうがいいのではないかと正直に教えてくれた。

療養型ということについてよくわかっていなかった(老健Aは見学したが、M病院のほうは見学していないので)のだが、そういうところであれば、やはり老健に行くしかないのかと思う。

昼ごろ、老健Eの相談部長から電話。「7日は医師が不在なので入所はできない。」と言われる。2日に入所できないかと言われるが、3日4日5日6日の連休中に母が具合が悪くなったりしたら対応できる病院もなく怖いので、どうしてもぎりぎりまではN病院にいさせたいと思い2日は無理ですと答える。

きのうのEの相談員Oさんの話では、「2日か7日かどちらにするか決めてくれ」という話だったので、7日と答えると決めていたのに、医師が不在の日に入所できないのは規則なのだろうか。

2日に入所できないなら30日にN病院と話し合って決めるから、30日は絶対に連絡がつくように家にいてくれ、と言われる。

ケアマネさんに相談すると、リハビリ病院が3か月の日数で絶対に退院しなければならないと言っているのは、法的規則があるわけではなく、診療報酬が下がるからだけなので、1日くらい交渉すればなんとかなるかもしれない、と言われる。

4月26日(金)

老健Eから電話があり、センサーがあるか確認すると、離床センサーはなくフットセンサーのみ、と言われる。それも今度3名新しい人がはいるので、母に回せるかはわからないという。

「転倒が怖いなら始めからうちでは受け入れられません。」と言われ、ものすごく不安になる。また転倒骨折したら、悪夢のようなあの救急病院の寝たきり生活に戻るのかと思うと怖くてたまらない。

Eへの入所を2日にできないかと言われる。最初から7日希望だったので2日はたぶん無理と答える。明日、2日か7日かはっきり返事を欲しいと言われる。まだ面談前のところもあるので、ケアマネさんになんと答えたらいいか相談しようとしたが外出中だったので、夜7時に電話すると伝えてもらう。

区役所の身体障害者福祉課に問い合わせたら障害者手帳は一級が取れたそうだ。電話に出た男性職員の人、すごく親切。

武蔵境の老健Aに電話で問い合わせると、たまたま女性の部屋1名空き室があると言われ、急だがきょう4時に面談の約束をする。

母の乾いた洗濯物を持ったまま、武蔵境の老健Aに面談に行く。

若い職員が多く、悪くない雰囲気。しかし書類を見てもらった段階で、やはり車椅子の安全ベルトなどが審査に引っかかり、今募集しているのは自立した人の部屋なのでたぶん無理そうだと言われる。

Aは横に大きなM病院がくっついているので安心感がある。M病院の療養型のほうにも申し込んでますか、と言われてお願いする。が、M病院は月10万円のほか、衣類リースが6万円と言われる。一応Aの部屋を見学。わりと長細い廊下に並んでいる。

疲れて食事したかったが、そのままN病院の母の食事介助に行く。

7時過ぎに帰宅してケアマネさんに電話。23日にN病院に面談に来てくれた老健FのOさんから電話ありませんでしたか?と言われ、え?と一瞬なんのことだっけ、と思う。ケアマネさんが電話できいたところ、どうしてもどこにも決まらなかったらFで受け入れてもいい、と言ったそうだ。ただし1か月様子を見て、だいじょうぶそうだったら延長。そのあとは遠くの老健を紹介してくれる、とか。

Fでは以前に転倒しなかった実績があるから、Fに入りたいなら頼んでみたら、と言われる。そう言われても、どういうふうに考えたらいいのかわからなくて、ものすごく苦しんだ。

Fは基本的には他に行ってもらいたいような感じがする。Eは入れてくれると言っている。が、なんとなく人手もセンサーも足りなさそうで、食事介助もゼロのような感じのことを言われている。でも、今までFしか経験がないのだから、入れてくれると言ったEにお世話になってみるべきではないのか。

4月25日(木)

久しぶりに父から電話。冷蔵庫が壊れたと言う。

今、母の転院先を探すのでものすごく忙しい、と答える。父はどんなにたいへんかまったくわかっていない様子。

池袋の老健Aの相談員さんがきょう3時にN病院に母の様子を見に行くとのこと。

4月24日(水)

一番新宿から近い老健Mに電話。28日の日曜に面談の約束をした。

ケアマネさんがN病院の3階のSW、Sさんに退院後の行き先が決まらず、とても困っているので相談にのってやってほしい、と言ってくれたそうだ。

そうしたらSさんは「主治医からの指示がない限り、家族の相談にのることはできない」と言ったそうで、ケアマネさんも、これはSWの役割としておかしい、と言っていた。

また、「アリセプトを飲んでいる人はどこの老健でも不可なんですよ。」と言ったそうで、これは頭に来た。今までどこの老健でもアリセプトを飲んでるなら不可、と言われたことはないし、アリセプトを飲んでいるのか訊かれたこともないからだ。まるでアリセプト(ドネペジル)を飲んでいることが重度の認知症の証拠、手がかかる証拠だからどこの老健も入所許可したくない、と決めつけるような言い方は差別ではないのか。

(もともと母はアリセプトは処方されていなかったのだが、5年くらい前、母が東京医科大に通っていた時、私がネットでアリセプトという新薬が物忘れに効くという情報を得て、出してもらえないでしょうか、ときいたので処方されたのだ。

単に何か効くかもしれないことは試してみたいと思ったからだ。その薬がそんなにも高価で、どこの老健も自弁で用意して来てください、と言うような薬だとは最近まで知らなかった。

薬価が高いので自分で用意してくれれば入所可、と言われるのは差別ではないが、この薬を飲んでいる人はどこも入所不可だと、知りもしない人間に差別発言されるのは頭にくる。前の主治医Nも偉そうに同じことを言ったが、どういう根拠で言っているのか訊いてみたいものだ。)

また、N病院SWのSさんは、栃木や茨城とかの施設しか紹介はできないけど、とも言ったそうだ。そうですか。つまりサポートはできないということですね。

老健Eの相談員のOさんがN病院に母の実際の食べる様子を見に来てくれる。

夕方、老健Eの相談員おさんから審査に通ったとの電話がある。これでとりあえずひとつは受かった。

4月23日(火)

朝10時、N病院に母が入所審査を落ちた老健Fの相談員Oさんが母の面談に来てくれる。

Oさんがいろいろアドバイスしてくれた。面談に行って、一度断った人の判定が覆ったことは今までにないそうだ。

認知症の書類上の評価が引っかかったということだ。実際母に会ってみたら、それほど変わってなかったそうだが、各部署の責任者たちの会議で決まるので、Oさんひとりの意見ではどうにもならないそうだ。

Oさんから返してもらった診療情報提供書のコピーは、ちょっとため息が出るようなものだった。(あとでケアマネさんにきくと、ケアマネさんの見て来た人たちの中で、そこまでひどく書かれた人はいない、酷く書きすぎとのこと。)

Oさんと私は食堂のテーブルで話していたのだが、そのとき院長と前の主治医Nがずっとステーションの中で話していて、院長が立ち会ってくれない。私がステーションの院長に談判するため駆けよったらN医師がさーっと逃げた。

「認知症を書類に重く書きすぎているので無理だそうです。」と言っても助けてくれなくて、「とにかく病院は5月7日に出なければならないので他をなんとか探して。」の一点張り。つまり、皆、自分のミスリードで何かうまくいかなくなると、知らんふりをしたくなるのだろう。

認知症といっても普通の、自然なレヴェルだと思うが、そんなに肩身が狭く、家族が恐縮していなければならないようなことなのだろうか?家族としてはいたたまれないが、こんなにいたたまれなくなる仕打ちをされることに疑問も感じる。

自立していない人、手がかかる人が面倒なのはわかるが、それは病気や老いのせいで本人の責任ではない。そういう時、じっと眼を見開いて、瞬きもせずに、ただ黙って見返してやりたくなるのが私の性質なのだ。

最悪、次の病院をつなぎで紹介してもらいように、ソーシャルワーカーに困っていることを相談した方がいい、とOさんに言われ、即、ソーシャルワーカーに面談したいと看護師さんから電話してもらったが、本日はもう面談が決まっているから会えない、もう退院期限まで時間がないので次の病院の紹介は不可能、と私に直接ではなく看護師さんづてに言われた。3F(リハビリ病棟)のソーシャルワーカー、Sさん、ずっと不誠実な対応で、一度も話してくれないので、受付に行って、とにかくきょうは午前中に来ているので一度顔を見て挨拶したい、とお願いするが、顔を見せてもくれなかった。

その後、2時に池袋の老健A、4時に板橋の老健Eに面談に行くハードスケジュール。

Aは二人部屋の男性がひとり空いたと言われた。1日に2人部屋加算が500円、タオルセットが560円で、月に3万円くらいプラスされると言われる。しかし男性と2人部屋というのはやはりおかしいと思う。

Eでは、空いているのが一番端の部屋でステーションから遠いことが心配。センサーは使えるかわからない。食事介助をする人手が足りないので、自分で食べられるかを聞かれた。

夜中寝付けなかったりした場合、4人部屋が無理と判断されたら個室(月16万円)に移されると言われる。

また、3か月分の薬がなくなったら1日自費でお願いしてその日に病院に処方箋をとりに行く(介護保険を使わない)というわけにはいかず、2泊3日で老健を出なければならず、その2日目に私が病院に薬をとりにいかないといけない決まりだと言われた。

とにかくたいへんそうだ。考えただけで憂鬱で不安で押しつぶされそうだ。

4月20日(土)

N病院に母の夕食介助に行ったあと、病院を出たところで、向かいの建物から出てくる院長に出くわしたので、どうか老健Fに強く頼んでもらうようにお願いする。

院長は連休前の4月22日(月)、23日(火)、24日(水)の午前中でないと面談の人に会えないと言われた。なんとなく、院長はどこかの老健が受け入れると軽く考えているようで不安である。

4月17日(木)

老健FのOさんから電話があり、書類審査に落ちたと言われる。青天の霹靂。大、大ショック!

12月に骨折しなければFに入所する予定になっており、その前にも2回ほどお世話になっているので、まさか今、この重要なときに断られるとは思っていなかった。5月7日にこのN病院を追い出されると言うのに、今からどこか行き先が決まるのだろうか。

とにかくすぐにケアマネさんに相談してなるべく近くで入れる可能性のある老健をすべて教えてもらう。これから電話して受けられる限り面談に行かねばならない。

4月6日

H外科のときもそうだったjけれど、看護師さんも、もろに性格が出る。恐ろしいほど仮面がない。

母の食事介助をして(毎回母はたったひとり最後まで残って食事)、歯磨きをさせて、誰か看護師さんに「歯磨き終わりました。あとでトイレお願いします。」と引き継いで帰ろうとしても、目を合わせてくれない(声をかけられたくない)感じでどこかに消えてしまう人と、声をかけてくれる人と。

少しでも仕事を受けたくない、面倒だ、ともろに出している人と、優しい人の差が激しい。患者への話し方がきつい人と、そうでない人と。

誰もいなくて、帰るに帰れない時もある。

4月2日

区役所に身障者手帳の申請に行く。若い女性職員さん、とても親切。審査に通っても発行に1か月かかると言われたが、退院する時に介護タクシーに使えるように、なんとか手帳が間に合うようにお願いした。

4月1日

老健FのOさんから院長の書いた書類に不備があったと電話があり、N病院の3階の事務のMさんに電話して、直接FのOさん宛に不足部分のデータを送ってもらうようお願いした。

3月29日

PTのSさんが素晴らしい笑顔で母を支えながらホースでお花に水をやっている写真が2枚、母の病室に置いてあった。ものすごくありがたい。私にとってもこの病院での記念になりそう。

3月27日

N病院。母はわりと元気だったが、院長に呼び止められ、「ごめ~ん。今日、お母さん転んじゃった。」と言われて驚く。

どうやってできたのかはわからないが、ベッドの4点柵をひとりで乗り越えて、廊下まで出てきて転倒したとのこと。レントゲンも撮ったけど、骨は異常なし、どこもけがはしてなかったとのこと。

アリセプトははさみで割って、一日2.5mgにしたらいい、と院長に言われた。

あと、N診療所はいったん退院帰宅して次の日なら、家族が代わりに診療して薬を処方してもらうことはできるというようなことを言われた。が、きのう電話で聞いた3階のSWのSさんは、N診療所を受信してもで処方できるのは一か月分、という返事だった。

3月25日

母の骨折入院以前の訪問診療の主治医に処方を出してもらえないので、N病院退院直後にN診療所で診察を受けて処方を出してもらえないかをN病院の3FのMSWに尋ねるようにケアマネさんに言われたので、そのとおり電話で尋ねる。

初めて電話で話したが、3FのMSWのSは2FのMSWのKさんと違って感じが悪く冷たかった。(電話中なので電話が終わったら電話させます、と言われてから一時間以上、。痺れをきらして電話してみたらすぐ出た。)N診療所では一か月しか出せません、と非常に事務的なこたえ。

母の家に余っている薬を確認したら、ありがたいことに8週分ほどあった。12月に老健Fに入ることが決まっていて、hクリニックに3か月分の処方を出してもらっていた直後に骨折入院したので、薬を出してもらっていたことを忘れていたみたいだ。

老健FのOさんとケアマネさんに連絡。FのOさんはとりあえず即、書類を書いてほしいと言われる。書類審査で会議で入れるか決まる、と言われたが、これで審査に落ちたらもう本当に八方ふさがりだ。

K苑のKさんと、SホームのHさんに電話し、母が介護度5になり、家族が介護できる状態でなくなったことを10分くらい説明して特養希望のお願いをした。ふたりとも自分は特養入所の係りではないけれど、係りの人に伝えておきます、と言ってくれた。

N病院。母はきょうは傾眠で、食事が進まなかった。パーキンソンの特徴らしいが、日によって体調がすごく違うので、家族は一喜一憂の毎日。

かわいすぎる療法士Hさんに声をかけられる。なんと、きょうは屋上の花壇のお花見に連れて行ってくれたと言う。「うちは畑やってたから、お花が好き。」と言ってたそうで、「昼、すごく元気だったから疲れちゃったんですね。」と言われる。感謝で涙が出そう。

看護師さんにに区役所からもらってきた身障者手帳の診断書の用紙を預ける。

それから院長先生宛てにHクリニックのA先生からのファクシミリのコピーと、薬の余りを持っている件を手紙に書いて看護師さんに預ける。

3月22日

骨折前の主治医HクリニックのA先生にファクシミリを入れたところ、いったん長く入院してしまったらHクリニックではもう薬を出せないとの返事をもらった。だとすると、無理して一時帰宅の意味はない。

アリセプトは認知症への評価はあるが、パーキンソンの増加の副作用もある。徐々に減量し、その時点で認知症の進行が見られた場合は、アリセプトが有効だったと考えられ、継続が望ましい。認知症の進行が特に見られない場合は、アリセプトを継続する意義は低いと考えられ、中止することでパーキンソンの症状が軽減する可能性もある、とのこと。

もし老健に直接移させてもらえたとしても、その間の薬をどこで買えるのかという問題が出て来た。

3月21日

主治医が前のN医師から院長にかわってから、はじめての院長先生との面談。

食事、歩行などリハビリは、まあうまくいっているようだ。義歯は最近、やはり嫌がりだして使っていないのだが、ミキサー状の食事で、以前よりだいぶはやく食べられるようになったとのこと。

退院後のことをなるべくはやく決めてほしいと言われ、院長は家族介護は無理ではないか、と言われ、規則だから必ずいったんは帰宅するようにとは言わなかった。これが、規則だからさっさと家に帰ったら、と言ったN医師とは違うところだ。

ただ、アリセプト(ドネペジル)が高価であること、N病院では2週間しか処方できないこと、
アリセプトが効いているかわからないし、副作用もあるので、院長は今5mgなのを3mgに減らしたい、施設に入るためにアリセプトを中止する患者もいるが、これはいいか悪いかわからない 、とのこと。

HクリニックのA先生の見解を聞いてみたい、と・・・。

N病院の期限は5月7日、その日きっかりに、ほっぽり出すように出さなければならないから、もし熱を出したり急に具合が悪くなったときは入院延長できるように、退院日は少し余裕をみて数日前に予定した方がいいと若い看護師さんに言われる。

3月19日

ずっとほぼ一日おきにN病院に母の介助と洗濯物をとりに行っていたが、世界フィギュアのあいだだけ3日間休んだら、M看護師に「最近、来なかったですね。」と言われる。M看護師の場合、この発言は、食事や歯磨きの介助にもっと来い、という意味である。

3月6日

N病院にいつものように母の介助に行くと、初めて院長(新しい主治医)に声をかけられた。「難病指定は受けているのか」と聞かれ、受けていますと答えると、「そうですか、難病の患者さんということが皆に共有されてなかったんで。」と言われて、すごく驚く。

???前の主治医Nが「パーキンソン病じゃなくて、症候群でしょ?」と変なことを言っていたので、なんなんだろうと思っていた。

H外科のときの最初の聞き取りをしたあの(こちらの話を聞いてくれずに一方的にマニュアルの質問を繰り返す、すごく感じ悪い)看護師の書いたカルテのせいなのか、どうして、難病指定証明書まで見せているのに、こんな重要なことが何か月も伝わっていないのだろうか。

メネシットを毎日飲んでいる時点でわかりそうなものなのに。それにしてもパーキンソン病で身体の不自由も認知症もあるのに、リハビリの効率が悪いとか、「すごく変なこと言うのよ!」とか言って家族に怒りをぶつけてきたNに対しては、まだ感情的に許せない。

「N医師は一日2錠だったメネシットを一日4錠に変更してずっと飲ませているが、ぼくはあの体重では多すぎると思う。メネシットの副作用もきついし、副作用で譫妄も出るから、ぼくは減らしていきたい。」と言われて驚愕!

N医師が、母は譫妄があると言って怒っていたが、メネシットを2倍に増量されていたことも、今、初めて聞かされた。家族に何の説明もなく、骨折のリハビリの医師が脳に作用する薬をそんなに増量するのか。セロクエルをN医師に出されていることも不安だ。

また、例のN医師に狼少年呼ばわりされた胸がすごく苦しいと言っていたという日のデータについて、「CTを診たら胸水が少したまっていた、心臓が苦しかったんだと思う」と言われた。

「何もデータに出ていないのに苦しい苦しいと大騒ぎした」というN医師の発言はいったいなんだったんだろう。

院長は「私はレビー小体ではなく、真正のパーキンソンだと思っている。幻覚がないからね。パーキンソンにしてももっと進行がはやい場合もあるのによくもってる。」と言った。

「H外科から来たときはだいぶ弱っていたけれど、身体状態は良くなってきたと思う。両手を引いてゆっくり歩けるくらいまで目指したい。」と言われる。

3月4日

ケアマネさんが父のところに区からの書類を確認に行ってくれる。

3月1日

ケアマネさんが父に電話してくれ、2月5日に病室で受けた介護認定の結果が出、母の介護度が3から5にかわったことを知らされる。

H外科でカリウム不足と言われていたのが気になる。調べるとカリウム不足は神経伝達が悪くなる、むくむ、心臓が苦しくなる、など母の症状に当てはまることばかりで、甘いものばかり食べて野菜や海藻を食べないとなると書いてあったので、食事に昆布の顆粒(無塩)を溶かしながら食べさせている。

手の指のはらをおしぼりで10回づつマッサージし、固まった手を開いてほぐし、肩が固まらないように、両腕を上にゆっくり上げて10回ばんざいのように引っ張ると「気持ちいい」と言う。

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