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2013年8月

2013年8月23日 (金)

枯れたチューリップの素描 /  スイカズラの素描

8月21日

今年の3月に買ったチューリップのカサカサになった状態の素描(クリックすると拡大されます)。

萎れてしまっても、パロットキング、エステララインヴェルト、フラッシュポイントなどのかたちの良いものを何本かとっておいたもの(シバンムシがわくので注意)。

2Bの鉛筆(uni)一本で描いた素描。

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葉や花びらの捩じれのニュアンス、ちゃんと見なければ描けないものに注意を払って描いた。

HBの鉛筆(uni)一本で描いた素描。

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これもHBの鉛筆(uni)一本で描いた素描。何ひとつ自明なもの、すでに知っているものなどない、と描いてみてはじめてわかる。

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最近魅せられた素描は、アンニーバレ・カラッチ(Annibale Carracci1560-1609)の「樹と根に浸食された川岸」のペン画。

カラッチは、Agostino Carracci、Ludovico Carracci とともにカラッチ一族と呼ばれ、マニエリスムと写実とも一線を画したらしいが、この樹と根の素描は、彼らのどのタブローともまったく異質な、異様に惹きつけるものがある。

アンニーバレは、これを確かに見ながら描いた。この不思議に捩じれて絡まり合い怪物のようなひとつの塊となった自然を、どうしても描き残したかったのだ。

8月22日

前田英樹先生から岩波現代全書『ベルクソン哲学の遺言』が送られて来た。私なんかに送っていただいて申し訳ない。真摯に読ませていただきます。

もう10年以上も前になるのだろうか、立教大の前田先生のベルクソンと絡めてセザンヌ、ジャコメッティ、マチスを学ぶ授業を聴講させていただいていた。セザンヌのサント・ヴィクトワール山をプランで描くやりかたとベルクソンの「持続」についての考え方のくだりが難しかったのを覚えている。

・・・・・

母の夕食介助に施設Eに行く。

8月8日より持参した薬がなくなり、ドネペジルと抑肝散を止めて、メネシットのジェネリックと胃の薬だけになっているが、思ったより傾眠もなく、調子は悪くなさそう。

きのう37,7度の熱があったそうだが、冷やしたらきょうは平熱だそうだ(たぶんこもり熱)。

廊下のテーブルで母に食べさせていたら、TVで藤圭子が飛び降りたニュースをやっていた。私の生家から歩いて5分くらいのマンションなのでびっくりした。

デビュー曲「新宿の女」の時の事務所が西新宿にあったそうで、ここ数年はその当時の思い出の西新宿に住んでいたらしい。

楳図かずおの『おろち』の中の「血」で、おろちが薄幸の流しの少女になって歌い歩くシーンや、もりたじゅんの「しあわせという名の女」の主人公の幸という「怨歌」歌手は、あきらかにデビュー当時の藤圭子がモデルと思われる。とにかくすごく魅力的な歌手だったのに。

それから胸が悪くなる汚染水漏れのニュース。たいへんな過酷事故だ。

8月25日

夕方、阿波踊りの喧騒から離れるように阿佐ヶ谷の方へ歩いて行った。2,3日前までの息もすえないような熱帯夜が嘘のように、涼しくなってきていた。

「赤いトマト」でピザを食べた。この店はたぶん70年代からあるのだと思う。昔のテーブル、ノーマン・ロックウェルのポスター、煤けたオリーブオイルの缶、地味で落ち着いたジャズの調べ。飾り気がなくてレトロ(昭和)な空間が落ち着く(ちょっと前まではインベーダーゲームが置いてあった)。ピザも今主流のナポリ風ピザではなく、六本木ニコラス(70年代に初めて日本でピザを始めた店)風で、チーズが多いのがお気に入り。

狭い遊歩道を戻る。

毎年、5月の半ばに、大好きな忍冬(スイカズラ)の花が咲き乱れるを楽しみにしている破れた塀の一角。蔓は生い茂り、葉は青々としていた。

なんと、8月なのに2本の枝に花が咲いていた。おおよそ6月には花が散っているはずなのに。一本は白い(銀)花の枝。もう一本は黄色い(金)花の枝。

よく見るとほかにも小さな莟がついている枝があった。2本の枝を連れて帰って、さっそく素描した。素晴らしい香り。

金銀花(スイカズラ)の素描。左が白い花、右が黄色い花。HB(uni) 

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いつものマルマンのスケッチブックの紙がなくなってしまったので、有り合わせの紙に描いたら、やや粉浮きしてHBでも濃いめに色が出た。

花弁は筒状で、先の方は上下2枚の唇状に分かれ、上唇はさらに4裂。

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2013年8月22日 (木)

サラ・ムーン監督 「アンリ・カルティエ=ブレッソン 疑問符」 /  介護

8月16日

サラ・ムーンが監督した「アンリ・カルティエ=ブレッソン 疑問符」(Henri Cartier-Bresson : POINT D'INTERROGATION 1995年公開)を観る。

「表に出ちゃいけないんだ 時代の流れの光に逆らい 物事を撮る いつも疑問符ばかりだ」

かわいらしい女の赤ちゃんに見える。これがアンリの幼少期。ワンピースを着た美少女。詩的な眼をした美少年。そして軍服。

「写真自体に興味があったことは一度もない ルポルタージュにひかれる」

「ある物を見つける いつシャッターを押すか もうすぐ、もうすぐ・・・感動の極みでシャッターを押す オルガスムスと似てる」

「瞬間で弾けて失敗する場合もある 一回きりなんだから」

「絵画は黙想、写真は射撃」

「写真は“そこにいなければ”という不安感がいつもつきまとう でも穏やかな不安感だ」

「スケッチが絵画の理解に役立つとゲーテは言った」

アンリ・カルティエ=ブレッソンのデッサンは彼の写真にそっくりだ。何を見ているのかがはっきりしていて余計なものがない。構図が直観的に決まっている。見たものをそのまま描いていながら、強烈な謎になっている。

棚畑、樹木、テーブルの上のカリフラワーと林檎。

「結局 何を見るかが大事なんだ」「やはり自分で描かないと無理だよ」

そしてまた写真の話。

「私は造型的に比率のとれていないものを見るのが我慢ならない」

撮れなかった写真は。「捕虜生活」

テリアードとの出会い。

「思い出はあるけど私だけのものだ 話す気はないよ」

「奇妙なことに偶然性には数多く助けられた」

「物の見方は意識下という概念・・・」「マンディアルグとは意見があった」

「一瞬で決まる時間との闘い つまり時間との闘いが内在する唯一の表現方法だ 指揮者もそうだが個々の音は彼のじゃない 

写真家は自ら創りあげる 一瞬にして・・・この位置、この高さでいいのか、リスクが多い」

「苦手なのはポートレート 内気なんだ 一つの目でのぞいて――じっと見つめている
被写体の人は話しかけられると思っている カメラを持ちバカなことを話しながら相手の内側にある沈黙をとらえようとする男なんて――どう見えるのか 簡単じゃないよ」 

「相手の沈黙を撮りたいんだ」

キュリー夫妻の娘夫婦

「人々が必ず持っている沈黙による表現を・・・そこに惹かれる」

フランシス・ベーコン、ジョルジュ・ルオー

「私は彼の前に一時間ひざまずいたままだった 彼は手をこすり合わせていた お互いに目をしばたたかせる」

エズラ・パウンド

「何もしゃべらずに」

コレットとポーリーヌ

「ポートレートは法則がないから好きだ」

ピエール神父

「直接の関係性が作れる」

アルフレッド・スティーグリッツ

「獲物を捕まえるが危険な目に遭うこともある」

トルーマン・カポーティの大きな里芋の葉の前でこちらを見つめている(私の大好きな)写真、

マチス、フランソワ・モーリアック、マンディアルグ、ボナール、ジャン・ランヴァン、ロバート・フラハティ、

犬とフォークナー、猫とソーン・スタインバーク

「昔に戻るんだ」 

ジャコメッティを彷彿させる筆致のマンディアルグの顔のデッサン。

「だが答えが見つかる問いかけではない 絵筆を使えば別だが・・・」

「アルベルトより小心者だが 私たちは似た者同士だ 人生や仕事に対し 同じような考え方を持っている」

1958年 中国の強烈な写真

「デッサンと写真は似通っている 黙想と行動の違いはある」

枯れ木が重なる沼の写真、

丘のデッサン、岩山、鉄橋、木立のトンネル、(博物館で描いたと思われる)マンモスの骨

「「時を考えた作品は時代を超す」ロダンだ」

白と黒のいくつかの二等辺三角形。斜めの線を異なる方向からの線が受け止め、また違う曲線がそれを受け止め、あるいは裁断する。ブレッソンはそこにあるものから直観的に、ただ一点の自分の眼の位置、高さ、角度を見いだし、トリミングなしに完璧な絵を抽出する。

そしてそこに通りかかる誰か(白と黒のぶちの犬、切り取られた光の窓の上を走るひとりの子ども、水たまりを飛び越える誰か、奇妙な何かを抱えた人)の瞬間を待つ。

ブレッソンの写真はルポルタージュでありながら完璧な絵、ピエロ・デラ・フランチェスカ、パオロ・ウッチェロ、バルテュスを思い起こさせる静かな、時に演劇のワンシーンのように想像を喚起する硬質な絵である。

これほどまでのデッサンを描ける一流写真家がいただろうか。

何よりも「眼」だ。眼が何を追求すべきかを知っていて、余計なものがこそげ落ちた筆跡は必然を辿る。

静謐に整ったブレッソンの写真との対比で、ブレッソンのデッサンの筆跡の素晴らしさが際立つ。デッサンは修練によりある範囲の技量を獲得することが多いが、ブレッソンの場合は、彼の生来の資質によるところが大きいと思う。

控え目であること。もののどこを見ればいいか、最初からわかっていること。

サラ・ムーンはルポルタージュとはあまり関係がないファッション写真家だが、写真の絵画的アプローチを追及した人であり、人の心を震わせる黄昏のような感覚世界の中に見る人を誘惑する方法を心得ている人だ。

この映画も、ブレッソンの持つ特有の魅惑を押し付けがましくなく、うまく撮っていると思う。

ブレッソンの描いたデッサンの暗い木立の中に歩いていきたい(私の)気持ちを知っているかのように、デッサンの中の樹の陰のほうにそっといざなうように撮っていたのに感心した。

8月17日(土)

夕方、信じられない電話。

7月27日に電話したとき、あれほど取りつく島もなかった新宿区の施設Kから、母が「待機」(あと数人待ちくらいの状態)になれるという連絡をいただいた。

7月に電話を受けたTさんという女性相談員は施設の待機順番はわからない人で、きょう電話をくれた相談員のHさんがすべてやっているという。(Tさんはそういう言い方ではなく、けんもほろろだったのだが・・・)。

とにかく、きょう連絡をくれた相談員のHさんはすごく親切で親身になってくれる感じがしたので、夢のようだった。年内に移れるとかの具体的なことが約束されたわけではないが、これで、あと何年になるかわからない不安の中で老健を転々としなくてもいい、という希望が持てた。

郊外の施設Tを見学に行ったのが7月25日。その時はこの先どうなるか何も見えず、不安で身体が痛いほどだったが、なんとなく感覚的にしっくり来ず、施設Tにお願いする決心がつかなかった。悩み苦しんで断ったが、本当に郊外の施設Tを断ってよかったと今は思う。

8月19日

きょうから数十年ぶりにまた書道を習いにいくことにした。

ずっと絵筆の持ち方になってしまっていて、書道の筆の持ち方を忘れていたので、先生に直接修正していただきたかった。

最初、大恥かきそうで緊張したが、筆を持ったら不思議と昔の感覚が戻ってきた。ああ、この感じだったなあ。なんて気持ちいい。

「得魚忘筌」。よい言葉である。

筆さばき、力の入れ方など、具体的に修正すべき点がはっきりわかれば、繰り返し鍛錬するのが楽しくてたまらない。夢中であっというまに1時間半。けっこう二重丸もらっちゃいました。

小二の時、書道を始めて、毎年1月2日に全国大会で武道館に書き初めに行かされたのは緊張した楽しい思い出。たしか当時はけっこうトロフィーとかもらっていたのです。

8月20日

近所の金柑の樹が、今年4回目の花を咲かせている。

最初は5月の17日くらいから一週間。それから毎月20日前後に5日間くらい咲いて8月で4回目。

最初の花が受粉して小さな実がなってもまた新しいつぼみがつく不思議な樹。

毎回小さな白い花に鼻をくっつけて甘い匂いをかいでいる。

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2013年8月11日 (日)

残暑見舞い 朝顔

8月11日

猛暑。きのう、37度。きょう38度。

外にいる犬や野良猫の熱中症が心配でたまらない。

大切な人に残暑見舞いのはがきを制作中。水彩で変化朝顔(乱獅子)と斑入りの朝顔を、相手の好みを考えながら描いている。

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変化朝顔 獅子牡丹咲 

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斑入りの朝顔

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変化朝顔についてのメモ

正木(まさき)・・・・・・比較的単純な変化。種子ができる。

出物(でもの)・・・・・・複雑な変化。種子ができない。

「度咲」とは、雄蕊、雌蕊が花弁・萼に変化し、花の中につぼみが何重にも重なった構造。二度咲を略して「度咲」、または「二度」と呼ばれる。

「獅子牡丹」について 昔は「衿獅子」「乱獅子」などの系統があったが、現在では「風鈴」と呼ばれる管状の花弁の先端が折り返したものがほとんどである。

8月12日

昼36度。

夕方6時すぎ、治療院にいた時に雷と集中豪雨が来た。6時20分ごろだったろうか、激しい音がして、本当に近くに落雷。

食べ物を確保しようと、スーパーQに行ったら停電で急遽閉店で入れなかった。青梅街道沿いの店はみな停電で真っ暗になっていた。

通りを隔てたJR側は無事だったが、あとで聞くと、梅里だか堀之内だかに落ちて、杉並は5000軒近くが一挙に停電になったらしい。

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2013年8月 7日 (水)

花輪和一 『風童』 『みずほ草子』 / 江戸の園芸

8月7日

おととい、花輪和一から新刊『風童』(かぜわらし)、『みずほ草紙』と寺山修司の写真絵葉書が届いた。

連載は2008年からだったが、ずっと本が出なくて、どうなってるのかな、と思っていたが、急に2冊とも・・・祝!!単行本化。しかも、てかてかしたちょっと豪華な装丁(祖父江慎)。

子ども時代の、どうしようもないさみしさと、不安で恐ろしくてたまらない感じ。

愛情をもって保護してくれる親はいない。

近くにいるのは、風や雨を喜ぶ樹や草や、泥鰌や亀や蛙やタガメと、ときどきふっと現れる風の子や、人の顔をした梟。

花輪和一の描いてきたのは、いつも不安で心細い子供、8才くらいの女の子だ。

いろんな大人を見ても、自分がどう生きて行ったらいいのかわからない。

最近の話は、昔よりも勧善懲悪、因果応報の傾向がさらに薄れ、わからないのが人生、考えても考えてもわからない、だから苦しい、そしてこの世は奇妙で不思議という話。

決して、子供がのびのびと元気いっぱい暴れて周囲を巻き込んで大騒動になる、という話ではない。子供は常に受動する側であり、怯えながらも、あらゆるものをちゃんと見ている。そこが花輪和一のすごいところだ、と思う。

それに今回の2冊の本は、特に、人が年老いた時、いかに死を迎えるか、というテーマが加わっている。

最近は手や眼が疲れて、ルーペがないと描けないと言うが、これだけの描写をたったひとりでやっているんだから、長年の疲労がたまるのも当たり前だと思う。

花輪和一は23才の頃、山川惣治のアシスタントをしていたそうだ。「あなたは天分があるから、うちにいらっしゃい。」と言われたということだ(さすが)。

生きた線、動植物や雲の描写、少年少女のなまめかしいところなどが継承されながらも、さらにすごい独特な作家になっている。

ちなみに、花輪和一が子どものころ好きだったのは、小松崎茂、高荷義之、樺島勝一、岡友彦、伊藤彦造・・・・。

漫画家ではなく、絵物語の挿絵画家になりたかったそうだ。

昔、いくつかの原稿を手伝ったことがある。植物の部分の描写と、トーン貼りと、トーンをカッターで削ったり、消しゴムかけたり。細かい線のペン画というのは、ものすごく難しいと思った。

(余談だが、花輪和一が大嫌いなのは、竹久夢二、太宰治、石川啄木、相田みつを・・・などなどだそうだ。)

8月6日

「花咲く 江戸の園芸」展を観に、江戸東京博物館へ。

お目当ては江戸時代の植物画、(特に変化朝顔)だったが、展示内容は浮世絵が多かった。

江戸時代の人々が熱狂した植物の中でも、「奇品」文化は特に興味深く、屋に行っても奇形のばかり選んでしまう自分にとって、まさに感性の合う世界である。

江戸の植物画、特に「奇品」を描いた画に惹かれるのは、苦心して類まれなる植物を育てたという情熱、その珍しさ、面白さを記録しておきたいという欲求が、そのまま「画(絵)」になっていて、そこに「絵」の本来の「絵」たる魅力を感じるからなのだと思う。

写真のない時代、作者は面白い植物を見た感嘆を記録したかったので、主役はあくまで植物であり、作者は体験を受容し残そうとする側で、見たまま、ありのままを描こうとする中にも、作者の視点(見どころ)、感性がにじみ出る。

現代アートにひしめく人々のように、自己顕示欲がインフレーションを起こし、ただ虚妄の自分を他人に承認させたいがために、作品行為の存在理由をこじつけ、生きている動植物から収奪し、侵害しまくるのとはまったく逆の行為である。

空想でも虚妄でもない実際に生きた植物を育て、そこから生れ出た珍しいものに驚き、喜ぶ、その体験が、さらに「絵」という手仕事で残されているからなのだと思う。

武士の愛した「奇品」植物を描いた画で、面白かったのは「椿図屏風」。年代作者不詳である。二十数種類の様々な品種の椿を横一列に並べて描いているが、花の美しさ、面白さの比較と同時に、当時流行っていたらしい椿の接ぎ木の技術を記録しているのが素晴らしかった。

だが、学芸員の説明書きがわかりにくかった。椿の品種の読み方を提示したほうがいいと思う。「ひときわ目をひく○○は・・・」と書いてあったが、どれを指しているのかわからなかった。

「松葉蘭譜」。マツバランとはシダの仲間の着生植物(古生代からの生き残りと言われる)で、葉も花もなく、奇妙な枝振りや模様を楽しむもので、当時、熱狂的な園芸ブームがあったそうだ。

枝振りのうねりの面白さを丁寧にとらえた画に惹かれた。

変化朝顔に関しては、『あさがほ叢』(四時庵形影、1817)、『三都一朝』(成田屋留次郎著、田崎草雲画、1854)、『朝顔三十六花撰』(万花園主人撰、服部雪斎画、1854)などの一部を見ることができた。

『朝顔三十六撰』の中の「鞠水州浜葉照千花笠フクリン数切獅子牡丹度咲」の画が素晴らしかった。

しゅうすい(葉の色、葉の模様)、すはまば(葉のかたち)、てるてるちはながさ(花の色)、覆輪(花の模様)、すうきり(花の模様)、ししぼたんどさき(花の咲き方、形)。

展覧会の図録は買わなかったが、江戸の花に関する資料を買った。

私は珍奇植物の写真には情報としてしか惹かれないが、花の珍しさを描いた画にはすごく惹かれる。

「大和絵」「浮世絵」の様式から、西洋画のものの見方が入ってきて、写実的、科学的なボタニカルアートに至る、そのはざまの江戸の植物画に、現在「日本画」と呼ばれる死んだ様式の中にはない新鮮な魅力を感じる。

逆に、植物学的、博物学的に正確に描かれた西洋のボタニカルアートの歴史を見ると、1700年代、1800年代のボタニカルアートに、ある様式美や、写実だけではない作者の並外れた感覚を感じ、やはり現代のボタニカルアートにはない強い魅力を感じる。

たとえばヨハン・ヴァインマン(1683-1741)の『薬用植物図譜』は江戸末期に日本に伝わり、岩崎灌園が模写し、『本草図譜』に加えられたという。

思いつきで描いた模様ではなく、生きている植物に接したという生の感覚と、そのものを正確に伝えようとする「眼」と、そこにひそむ謎のようなものを描きたいという執念が「手仕事」の力で、ある緊張感を持って、線や色として現れる。

ただの写実的な絵にはまったく惹かれないのだが、個体の持つ鋭い感覚によって、ものとの関係性のなかに写実以上の何かが生まれる過程のなかに「絵」があるように思う。

8月2日(金)

母のいる老健Eからきのう電話があり、薬の件で家族の了承を得るためというので、きょう面談に行く。

行ったら、まず相談員さんに面談室に呼ばれ、新しい薬に切り替える話ではなく、老健の医師がメネシットを含め全部の薬をなしにしたいと言っている、と聞き、唖然。

相談員Oさんも、「メネシットを切るなんてとんでもない、どうしてもここの医師には任せられないと思ったら、よそに移ってくれていいですから。」と言うが、このクソ暑い時に、弱っている母を遠くの施設に移動させたくはない。

面談中、やはりここの医師はおかしい。耄碌と、最初から専門外についてすごく無知なのに断言したがるのと両方だ(パーキンソンの薬を抗鬱剤だと思っていて、副作用があるからやめさせたいと言う)。

なんとかなだめすかして、メネシットだけは切らないよう、お願いする。

まともじゃない他人のせいで、どうしてこうも余計なストレスがかかることが多いんだろう、と思う。

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