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2013年9月10日 (火)

枯れたチューリップの素描 / アンリ・ベルグソン(Henri Bergson)

9月8日

枯れたチューリップの素描(2回目)

捩じれのディテイルをよく見ておきたかったので、再び枯れたチューリップの素描。

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構図は意識せずに、今見ておかなければ二度と見ることができない(時間とともに絶え間なく変化している)ところ、今の時点でのクライマックスを眼で追う。

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前後に並べた二つのガラスのコップに挿してあるチューリップを一気に見、眼がたどるべきと選択したところを線でなるべく誠実にたどる。

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前田英樹先生が送ってくださった『ベルグソン哲学の遺言』をずっと読んでいる。

難しい言葉づかいが多く、なかなか進まず、やっと半分まで読んだところ。

ベルグソンは難解で、簡単に要約できるような内容ではないが、私の理解としては、まさに「絵画」の問題、まさに「素描(デッサン)」の問題、そのものを言っている、ということだ。

アンリ・ベルグソン(Henri Bergson)は1859年にパリで生まれ、4冊の主著と2冊の論文集、そのほか2著を刊行し、1941年にパリで亡くなった。

ベルグソンが言う「持続」とは、まず時間には繰り返しがないことを強調したい、ということである。

「しかし、この持続というもの、科学が振るい落とし、思い描くことも表現することも困難なこの持続というもの、人はそれを感じ、それを生きているのだ。それが何かを探究すれば、どうなるか。それは意識にどう現れてくるか。」

「私が視る視覚像は、直前の視覚像とは異なっているほかない。なぜなら、その視覚像は一瞬で古びるからだ。私の記憶がそこにあり、この現在のうちにあの過去のうちの何ものかを押し込む。私の心の状態は、時間の経路を進みながら、みずからに積み重ねる持続で絶え間なく膨らんでいく。」
(アンリ・ベルグソン「序論(第一部)、『思想と動くもの』所収)

「〈観る〉努力を省いて〈理解する〉人は、「持続において思考」しない。」

(前田英樹『ベルグソン哲学の遺言』 第Ⅵ章〈器官についての考え方〉 1哲学はいかに〈努力する〉のか p142)

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