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2013年10月

2013年10月30日 (水)

コスモス  

10月27日

ウェブ上では青みがかってしまうが、実際は、背景は黒緑と紫を混ぜた(灰色に近い)色。

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台風が去り、澄んだ光の日。微熱が続き体調に不安があったが、一面のコスモスを見たくて昭和記念公園へ。すごく久しぶりにコスモスの丘に行く。

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台風でだいぶ痛めつけられていたが健気に咲いていた。青虫に食べられている花がいっぱいあった。

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薄い影の中で撮ったほうが花びらが半透明できれい。

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斜め下から仰ぐと丘の地平の上に細くたなびく雲があった。

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まさに今産卵しようとしていたカマキリ。

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陽が傾いてきたので、コスモスの丘を降り、西の花畑に急ぐ。すっかり花びらが散って枯れた茎だけになっている部分も多くあった。まだ比較的花が残っているのは花びらのふちが濃い赤紫の「あかつき」の畑だった。

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地に這うようになり、また立ち上がって咲いている花と茎のうねりが美しい。
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風雨にさらされて複雑に絡まり合った細い茎の空間にすごく魅力を感じる。

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小さい頃、幼なじみのYちゃんが西新宿から引っ越して行った板橋区の原っぱで、両手いっぱいに摘んだコスモスの苦い香りを思い出す。コスモスに埋まってしまうほど背の小っちゃい頃の素晴らしい思い出。その時がコスモスを大好きになった最初。家に持ち帰ったコスモスにはたくさん青虫がついていたっけ。

19才の頃、SちゃんとSちゃんのご両親に連れて行ってもらった水上高原の一面のコスモス畑。コスモスは大好きな友達との夢のような記憶の中にある。

5時の閉園を知らせる放送があり、それからゆっくり門に向っているうちにあたりが真っ暗になり、方向を間違えてしまった。空気が冷えてぞくぞくし、風邪の熱がぶり返してきて頭が熱かったが、たくさん歩き、たくさん花の写真を撮ったので空腹感はあった。

立川駅が、以前来た時から恐ろしく変わっているので驚いた。南口側はほとんど何もなかったのに。

北口に、エミリー・フローゲというクリムトの愛人の名前の瀟洒なユーゲント・シュテール風の洋菓子店があったはず、と見回すが、見あたらなくてショック。帰宅してからネットで調べたら2000年に移転していて、まだあったのは良かったが、内装は味気なくなったようだ。

10月26日

お世話になった施設Aの親身になってくれた相談員Tさんにも、無事母がKに入所できたことを報告。喜んでくれた。

10月25日

きのうの疲れか、また発熱。胃が苦しくなり嘔吐。

10月24日

母の施設Kへの入所(施設Eからの引っ越し)。雨模様で不安だったが、なんとか滞りなく介護タクシーで移動。Kの何人かのヘルパーさんもケアマネさんも、母のショートステイの時のことを覚えていてくれた。とてもありがたい。

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2013年10月23日 (水)

浅田真央 ショパン「ノクターン」 ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」

10月21日

いよいよ浅田真央のラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」。エイト・トリプルとか、まさに世界で浅田真央にしかできない高難度のプログラムと聞いてほれぼれする。

トリプルアクセルで転倒した時はどきっとしたが、「鐘」を思い出す重厚な力強いプログラム。

浅田真央の引き締まった意思的な顔。特にステップのときの激しい表情。

最後に近づくに連れて音も激しくなり、劇的に盛り上がり、それだけに身体への負担も、ものすごそうな構成だ。

何かを振り切るような激しい動きや、圧力に耐えるような首の表情や、重い波を掻き分けるような手の動きが印象的だった。

祝初戦優勝。

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深夜、「報道の魂」で、「無言館」に展示されている戦没画学生の絵が劣化してきて、修復が必要になってきたというドキュメンタリーを見た。無言館の入場者も減り、修復募金を立ち上げたそうだが、たいへんそうだ。

この戦没画学生たちの絵の中に、私の師、毛利武彦先生のご学友の絵がある。

無言館館主の窪島誠一郎さんには何度かお目にかかったことがある。若々しい人だが、もう71才になられていた。この重要な作品たちを、どのように保存し、次の世代に継承していくのか、多くの人たちがサポートしなければ無理な仕事だ。

10月20日

浅田真央のショパン「ノクターン」を少し緊張しながら見た。

衣装はデルフィニウム(大飛燕草)の花びらにそっくりの青紫のグラデーション。一番内側のスカートがピンクがかった薄紫なのが甘やかで綺麗。

冒頭、まるでさりげなく飛んだかのように優雅なトリプルアクセルの成功!

とても落ち着いていて、流れの中にたくさんの見せ場があった。

特にステップは凝縮された時間の中、音と響きあいながら躍動し、見ている者の鼓動が激しく高まっていくようだった。

本人がインタヴューの時、うっかり「愛の夢」と言って「ノクターン」と言いなおしていたが(あのときも薄紫の花弁のような衣装だったが)、「愛の夢」の時よりずっとこなれているというのか、堂々として強くて、ショートとは思えないほど見応えのある演技だった。

本人の笑顔、特に点数が出た後にインタヴューに向かうときの、本当に自然に嬉しさがこぼれ出るような笑顔が良かった。

10月19日

いよいよフィギュアフランプリの開幕、アメリカ大会。

町田樹のジャンプがすごくて、「わあっ」と声が出てしまうほどだった。思い切りのいい演技でたいへん盛り上がった。

そして高橋大輔。

ショートプログラムの最初の10秒を見ただけで、高橋の身体の動きの美しさに慄然とする。

高橋の場合は「演技をしている」「やっている」という感じではなく、どう動いても美しい彼の身体の稀有な資質、才能が溢れ出す、その見せ方をどうするかを毎回工夫するだけ。

高橋大輔と浅田真央の試合がもうすぐ見られなく時が来ると思うと、すごい喪失感で淋しい。

10月18日

東中野から中野まで桜並木の線路沿いを歩いた。まだ桜の紅葉には少し早いが、左斜め上から桜の葉漏れ日を浴び、クマリンの匂いがした。

アゲハの幼虫に食われて葉がだいぶ無くなっている柑橘の樹を見た。

木の物干し場のある古い家。ネコジャラシやメヒシバの生えた空き地。中野の裏道は、まだ昔ながらの古い家が残っていてほっとする。

中野の古本屋で本を買い、お気に入りの天ぷら屋さんのおじいさんが久しぶりにいた(しばらく姿が見えない時期があり、元気なのかな、と心配していたので嬉しかった)ので、定食を食べた。

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2013年10月17日 (木)

ガーベラ 鶏頭 素描 / コスモス / 体操、フィギュアスケート

10月16日

前回のアンリ・ベルグソンについての補足。

グイエが、「デカルトは何を望んでいたか。形而上学が自然学と同じくらいに科学的に打ち立てられているようなひとつの哲学を、である。ベルグソンが「実証的形而上学」の名で呼んでいたものは、これではなかったか。」と書いたことについて、ベルグソンの哲学とデカルトの哲学との違いは、

ベルグソンは、「実験と観察で最終的に立証された結果だけを本に書いたのではない。」

「彼が哲学で重んじたのは、時間をかけて次第に高められていく「蓋然性」だった。」

「数学に頼れない生命の科学にとっては、〈次第に増す蓋然性〉こそが、対象とのほんとうの接触を保証するものだろう。」(『ベルグソン哲学の遺言』前田英樹 p15)

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大型台風の夜が明けた。明け方まで、激しい暴風の音で熟睡できなかった。痛ましい被害のニュース。

10月6日にもらったガーベラの花がまだ咲いている。野性的ではない見かけより強い花で、茎を短く切ってガラス瓶に挿して冷蔵庫に入れておけばずっと元気だ。

9月29日にひいた風邪に2週間以上苦しみ、うがいをしても薬を飲んでも喉の痛みがとれず、毎日37度くらいの微熱があり、倦怠感と頭痛と動悸があった。まだ喉がイガイガする。

長い発熱で、なかなか集中できない時に描いたガーベラ。右下の白い花は今日描き加えた。(画像はクリックすると大きくなります)

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最近のガーベラは色が微妙なのがある。これは花びらの裏が黄緑がかった薄黄色で、花びらの表は黄色がかった薄ピンク。中心の筒状花(管状花)のきらきらした華やかさを描きたかったが難しい。

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ガーベラと一緒にもらった鶏頭。左の花は、半分がオレンジ色で半分が鮮やかな赤紫の脳味噌のようなかたち。

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最近、とても惹かれたのは、エドワード・リア(Edward Lear 1812-1888)の鳥の素描だ。彼はナンセンス詩や滑稽な挿絵も描いていた人で、ルイス・キャロルなどに影響を与えたというが、鸚鵡の素描を見た時、そんなに昔の人とは思わなかった。

こんなすごいタッチを描けるのはいったいどんな人だろうと釘付けになった。そのグラファイトの線は端的でなめらかでか、みずみずしく、少しもたどたどしくない。線が軽やかで純真と言うのか、力が抜けていて、余計なものがなく、リアルなのがすごい。そのまわりに、着色に使うすべての色が、何の気負いもなく試し塗りされていて、羽についての観察など、たくさんのメモが書いてあるのが素晴らしい。

リアの鸚鵡のリトグラフの本が出たのは、驚くべきことに彼が二十歳の頃らしい。だから彼の素描は、その年かそれより以前のものだが、私が強烈に惹かれるのは、彼のリトグラフよりも、断然素描の方だ。

(ハーヴァード大学のホートン図書館に、リアのこれらの素描が保存されているらしい。)

http://strangebehaviors.wordpress.com/2011/09/27/edward-lear-and-his-birds/

ピサネロ(Pisanello,Antonio di Puccio Pisano 1395年頃 - 1455年頃)の素描にも魂を奪われた。特に猫。猫の素描を何百と見たが、これは極めて類型的でなく、奇妙でリアルだ。ピサネロの素描も、レオナルド・ダ・ヴィンチよりも古い人とはとても思えない生々しさと新鮮さがある。

それからレオン・スピリアールト(Léon Spilliaert 1881-1946)の孤独で 内向的な自画像、雪の上の黒い犬、水墨画のようなモノトーンの雪の風景・・・。

最近、過去の人たちのすごい素描を見ることに夢中になっている。昔の人の素描のすごさは、今よりも「ものに寄り添う力」が遥かに強いことによると思う。

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新宿区の施設Kより電話。母が入所できることになった。

10月14日

ここ数年コスモス畑に行っていなかったので無性にコスモスが見たくなり、友人と小金井公園へ。いろんな種類のコスモスが一緒に植えてあるが、昔ながらのなじみのある薄ピンクの花や、中心に濃い赤紫のぼかしのあるピンクの花は、センセーションやベルサイユというのだろうか。

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花びらが筒状のシーシェル。
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細い線のような濃いピンクで囲まれたピコティ。

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ピコティよりもしっかりと濃い赤紫の囲みのあるあかつき。

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花びらのつきかたが立体的なコラレット。

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レッドベルサイユ。畑には小さな蜂がたくさんいた。

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コスモスを絵に描くときに非常に気にするのは茎の曲がり方のニュアンスだ。すっと真っ直ぐな茎の花を描く気になれない。

雨に打たれ倒されてから起き上がり、他の個体と絡まりあい、複雑で奇妙な空間をつくる細いコスモスの茎と葉と震える葉がたまらない。

ここのコスモスは、まだそんなに大きくなっておらず、茎も雨風にひしゃげてくねっていなかったので、私の記憶の中のたくさんのコスモスほどは絵にならなかった。

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公演の中でも、街路でも、涼しく甘い匂いに振り返り、満開の大きな金木犀の樹を何本も見た。この日は、金木犀の香りのピークだった。

東小金井の駅まで歩いて帰ったが、昔ながらの緑地も古い家もなく、なんの店もなく、驚いた。最近になって開発されているということなのだろうか。

10月11日

10月なのに30℃超え。

近所の交差点で「知佐子ちゃん。」と声をかけられ、振り返ると、昔、西新宿に住んでいた古い知り合いのEさんだった。Eさんは、もう84才だと聞いてびっくり。すごく元気で頭の回転もよく、昔、西新宿に住んでいて遠くに引っ越していった友達の消息をいろいろ教えてくれた。

すごく頭が良かった友人のKちゃんは国会図書館に勤めているとか。彼女と一緒に新宿駅に本を買いに行ったっけ。また会えるといいな。

10月6日

世界体操が終わってしまって淋しい。メダル7つという素晴らしい結果。

内村航平も加藤凌平も、どんどん大人びてきてすごい。極めて濃縮された練習をこなし、とても常人には困難なことを美しくやって見せるだけ。それが一発勝負の演技の短い瞬間に有無を言わせぬ結果となる、そういうごまかしのきかない厳しい世界に生きる人間、その中でも魅力的な人間を同時代に見せてもらえるのがありがたい。

それはフィギュアスケートもまったく同じ。

10月5日

フィギュアスケート・ジャパンオープン。浅田真央や高橋大輔の今年のプログラムを初めて見る。

浅田真央は本人が手ごたえのある感じの出来で、笑顔が見られ、曲も劇的に盛り上がってよかった。彼女が演じるラフマニノフはいい。

しかし、本当にもうすぐソチ五輪で、それで最後なのだろうか。まだ信じられない。

深夜は世界体操。

風邪は大した熱ではなく37.4度程度だが、1日の中で急に具合が悪くなる時がある。

10月3日

深夜2時45分から朝の5時45分まで、世界体操の生中継を興奮して観ていた。結果は金、銀で本当に良かった。

風邪で喉と頭と背中が痛くて昼間は寝ている。外に出られないほど具合が悪い。

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2013年10月 2日 (水)

アンリ・ベルグソン /  時間、記憶、絵画

10月2日

『ベルグソン哲学の遺言』(前田英樹、岩波現代全書)をやっと読了。

若林奮先生と前田英樹先生の『対論・彫刻空間―物質と思考』刊行記念の対談を聴きに行ったのが初めての出会いで、前田先生のベルグソン哲学でセザンヌ、ジャコメッティ、マティスなどを考える授業を立教大に聴講させていただきに行ったのは、もう10年以上前のことだ。

授業の中で、ほんの一握りの芸術的天才が、哲学よりも早く、その時代の問題を察知して作品をつくる、というような言葉が、ものすごく印象に残り、また、はじめて触れるベルグソン哲学も、本当に新鮮だった。

今回、私などにまで『ベルグソン哲学の遺言』を送ってくださったのは、ベルグソン哲学が、まさに「持続」においてものをとらえる実践としての「絵画」と関わりが深いからであると思われ、実際に絵を描いている人間の体験からくる言葉に興味がある、と言われていた前田先生に少しでも応えられるよう、自分にとっての時間、記憶、絵、素描の体験をたどりながら、一生懸命本を読んだ。

アンリ・ベルグソン(1859-1941)の主要著書は、『意識の直接与件に関する試論』(1889)、『物質と記憶』(1896)、『創造的進化』(1907)、『道徳と宗教の二源泉』(1932)の4冊である。

1922年に書き終えられ、1934年刊行の『思想と動くもの』の「序論」は、もうひとつの遺書と言える。この「序論」は、「哲学に最も欠けているもの、それは正確さである。」という言葉で始まっている。

ベルグソンの言う「持続」とは、時間のことであり、

 「絶え間なく自分自身を作っている、ということ」。「持続はただの連続ではない。」
 「時間には繰り返しがない」。
 「持続」は、「予測不可能な新しい事態の到来とともにしか成り立たない」。
 「持続」の中に、持続の連続変化が作りだすさまざまな特異点」と言える「開始や飛躍や創造や死の「瞬間」」がある。  

 「人間の目から「持続」という障碍物を覆い隠してしまうのに、一番大きな役割を果たしているのは「言語(langage)」である。」

 「持続」は、「心理的な、もしくは現象学的な時間ではない。それ自体で在るものだ。」
 

 「持続」は、「在るものの在り方一切」である。

 「「持続」とは、新しいものがどの瞬間も、絶えることなく創造される運動を言う。」

 「私たちひとりひとりの生の持続は、この身体の外にある世界と、言わば宇宙の持続を何らかの仕方で深く共有する」。「この共有には、〈生命的傾向〉と〈物質的傾向〉との間の膨大な「調整」を実は必要とする。が、私たちの知性は、この事実に容易に気づかない。」

物質について、

「純然たる物質それ自体というものは、実在しない。そういうものは、抽象に過ぎない。」
「物質には、惰性的に自分を繰り返す傾向がある。その傾向によって、物質は記憶を用いることも、形成することもしない。」
「科学は物質的傾向を対象にする。」

生命について、

「記憶は生命の傾向をあらわす特性にほかならず、これあるがゆえに、生き物は危険を避け、有益さを選び、成長や行動に結びつくことができる。」
「生命の傾向」は、「みずからの性質を変えることなしには、決して分岐することはない。」

「生き物の身体は、一面は生命から、もう一面は物質からなる。」

「ベルグソンにとっては、経験と認識とは、同じものである。実在は、経験のなかにしか与えられていない。だから、「物自体」の認識は、「物自体」についての浅くも深くもなる経験のなかにだけ与えられることになる。」

「たとえば、極度に浅い経験は、身体のほとんど反射的な行動のなかで成り立っている。深い経験は、「物自体」のなかに深く入り込んでいかなくては成し遂げられない行動のなかで成り立っている。」

「「物自体」が直接に与えられる経験は、「物自体」の性質に従うことによって、それが変化する方向に寄り添うことによってしか成り立たない。」「この経験は、」「惰性的にも、創造的にもなる。」

ベルグソンの言う「直観」について、

「直観」は、「多くの哲学者においては、絶対への瞬間的な飛躍を意味している。」「この飛躍は、時間を超えて、その外でなされる。」 

 「ベルグソンが方法として述べる「直観」は、哲学用語の歴史のなかにその前例を持っていない。」「それは時間の内に復帰する」。

 「持続を対象とする「直観」は、哲学の方法であると同時に、それ自体が緊張、弛緩する持続、あるいは生の運動にほかならない。」

 「持続」自身をとらえる「持続」の働き、内的努力のことを、べルグソンは仕方なく「直観」と呼んでいる」。

記憶について、 

 「記憶には、それを必要としている行動の性質に応じて、無数の「水準」があり、それらは絶え間なく形成されている。」

 「記憶は、それを包み込む生き物の行動に従って、絶え間なく膨張と収縮戸を繰り返している。」

 「「記憶内容」は、「記憶」の膨張、収縮に応じて、根本からその内容を変え続ける。」 

 「私の行動がもっと複雑になり、その対象への注意が細やかになっていくほど、その対象とそれを取り巻く世界は、多数の分岐に入り込んでいく。私の行動次第で、それに用いられる「記憶内容」は、ニュアンスを持ち、色合いを持ち、やがて判別し難い相互浸透を起こすようにもなる」。

 「私を取り巻くあらゆるものが、そのように膨張、収縮する私の記憶との関係で現れる。言い換えれば、私は自分が働きかけるその同じ対象を、記憶の無数の水準を通して捉えることになる。私が、何かを見たり、知ったり、わかったりするのには、その都度、記憶の異なる諸水準が用いられる。というのは、どんなものであれ、対象についての私の〈認識〉は、そのものに対する私の限りない行動の仕方、働きかけの可能性と決して切り離せないからである。」

『思想と動くもの』に収められた講演「変化の知覚」(1911)でベルグソンが持ち出している「芸術家」の例 

 「芸術家は、芸術特有の記号を使って勝手な想像やファンタジーを織るのではない。彼のする仕事は、まず何よりも、自然への知覚を、実在と身体との直接の接触を、生活への注意から解放することにある」。

・・・

絵画について考えるとき、

「物体を同じままにしておき、私がそれを同じ側から、同じ角度で、同じ光のもとに視るとする。それでも、私が得る視覚像は、直前の視覚像とは異なっているほかはない。なぜなら、その視覚像は一瞬で古びるからだ。私の記憶がそこにあり、この現在のうちにあの過去のうちの何ものかを押し込む。」(『創造的進化』1907)

というベルグソンの言葉を意識しながら描くのは、何も考えずに描いていた状態とは、ものの見えかたが明らかに異なる。視る対象が「持続」していて、視ている私も「持続」していること、直前の線を修正せざるを得ないことは、ただ対象を見ているときには体験できず、注意深く対象を視て描いているときに初めて「実在性」として体験できる。

また、たとえば、ある植物を視ているとき、今、私が得ている視覚像に含まれているのは、直前の視覚像だけではなく、過去に描いた植物の限りない記憶、さらには過去に見た様々の線のニュアンスや無名の色などの記憶が混じっていることを、確かに体験できるのも、実際に描いているときである。

この、「物自体」の経験と認識の深さが、絵画の持つ深さと密接に関わると思われる。しかし、その絵を描くのに費やされた時間(たとえば下塗り、マチエールづくりなど)は、絵画の持つ深さとは直接は関係がない。

私にとって、対象を「限りなく多様」に、「細部に溢れたもの」として記憶する習慣が、絵を「開かれた」ものにし、実際に描くこと、あるいは言語化不可能なものを言葉で素描しようと試みることが、複雑なものをそのまま記憶しようとする知覚の深化への努力につながると思う。

ベルグソンの最後の主著『道徳と宗教の二源泉』における「神秘主義」という(はなはだしく誤解されてきたという)言葉が、「考えることをやめた人間」の「迷信」、「妄想」などの意味ではなく、「一切の物語が消去されたところに働く強い直観の力」と考えるとき、それは、共同体ごとの「仮構機能」どうしの争いを乗り越えるための「さらに強い生の飛躍」と考えられる。

それが「物質を対象とする知性の能力」の限界から、「生命の傾向に向けて、もう一度折り返そうとする」力だとすると、やはり、「絵画」と深く関わっていると思う。

ここで言う「絵画」とは、あくまで「開かれた」ものであり、いわゆる現代アートによくあるような、逆に「生命の傾向」を激しく抑圧してくるものとはまったく違うものである。

10月1日

父の担当者会議のため実家に行くが、まだ熱があり苦しい。

9月30日

朝、目が覚めたら38度近い発熱。猛烈に喉が痛い。

書道の日なので、なんとか出かけたが、ふらふらで、立っているのが苦しい。

それでも字はしっかり書けた。「和敬静寂」。楷書なのだが、実際書いているのは、フォントでは表せないすごく不思議な書体なのだ。なんという書体なのか、今度先生に聞いてみようと思う。

9月29日

母の施設のお祭り。1時過ぎに家を出、2時半ごろ着。

要太鼓保存会の子どもたちによる太鼓を見た。とっても健気でよかった。

4時過ぎに屋上で母にダリアや薔薇を見せたが傾眠。その後、夕食は完食。

帰り道、強烈に喉が痛くなる。疲れたのか食欲が消滅。やばい。風邪だ・・・

 

 

 

 

 

 

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