« 2013年11月 | トップページ | 2014年1月 »

2013年12月

2013年12月26日 (木)

フィギュア全日本2013が終わって / その他

12月24日

フィギュア全日本が終わった。いろいろ気持ちが動揺するようなことが多く、話題にことかかない大会だった。

鈴木明子の点数には「え???」と驚いた。

浅田真央は、今回は疲労が出たのかジャンプの調子がよくなかったが、本人の気力は充実しているようだ。

勝てることをやるのか、やりたいことをやるのかの選択で、浅田真央はやりたいことを貫き通したいのだろう。そして、今の段階では、ソチまでの残りの時間で、やりたいことをやって勝つ自信があるのだろう。彼女がソチで満足できるように、ただ祈るばかりだ。

微笑みながら涙する安藤美姫に、もらい泣きしてしまった自分に驚いた。2007年のメンデルスゾーンとか、好きだった。彼女は鼻筋が通っている横顔がツンと大人びてきれいで、笑うと歯が小さくて急に子供っぽい顔になる。華やかさと、激情と表裏一体の危うさに魅力があった。

激しく求めるものと逃走の繰り返しだったが、最後は自分の意志で全日本に出るまでがんばって、自分らしい姿を見せたかったのだろう。本当にお疲れ様でした。

高橋大輔は、実績からすれば選ばれると思っていたが、小塚崇彦も好きな選手なので、この悔しさを機に、今度こそ本当に彼の「見せ方」を成熟させた演技を見たいと思う。

織田信成がエキシで引退宣言したことにも、二児の父になっても泣き虫がかわっていなかったことにも、そして、粗忽者だけど憎めない織田が引退してしまうことにすごく淋しさを感じる自分にも驚いた。ああいう性格のスポーツ選手もフィギュアスケートならではなのだろうな、と思い・・・。

フジテレビの編集が相変わらず余計な演出が多くて見せるべきところをカットアウトすることにもびっくり。

・・・・・・

12月25日

クリスマス模様の新宿を友人とうろつく。遅い午後に今日初めての食事。無農薬野菜と有機納豆。

Sdsc02408

Sdsc02411_2

新宿の端っこの、人のあまりいないところに小さなイルミネーションの世界を発見。

Sdsc02439

小さな庭で、しばし遊んでいた。

Sdsc02436

Sdsc02422

サザンテラスのイルミネーション。NTTの時計塔が見える。

Sdsc02446

華やかなミロードのモザイク坂。

Sdsc02447

西口のほうにまわると、社会鍋やもろもろの募金をする人、イルミネーションの写真を撮る遠くの県から遠征試合に来た高校生の団体やらで大変賑やかだ。

寒くなったらファッションビルの上階に上がって、窓ガラス越しにキラキラした街を眺めたり、小さな刺繍やビーズの小物を眺めたりするだけで、お金を使わないでこの季節の風景を楽しめる。

生まれた場所だから慣れているだけかもしれないが、新宿の雑踏は落ち着く。くたびれた服を着てふらふら歩いていてもしっくりくる、自由気ままな感覚がある。

|

2013年12月23日 (月)

フィギュア全日本2013 高橋大輔「ビートルズメドレー」

12月22日

フィギュア全日本2日目。

高橋大輔の「ビートルズメドレー」。昨日、足が痛そうだったので、本当にどうなるのか緊張して見ていた。

正直、今まで私は、なんでビートルズを選んだのか、なぜメドレーなのか、ピンとこなかった。浅田真央のように、フリーは重厚で激しい曲のほうがいいのではないかと思っていた。

が、きょうの高橋の演技には、衝撃を受けた。はじめて凄いプログラムだと思えた。

遠くを見つめるような穏やかな顔から、丁寧に抑えた滑り出し。

妖しく強烈なタンゴの身体の動きに完全に引き込まれていたら、血だらけの右手をパッと前に掲げられて、完全に心臓をつかまれた。 血の花を咲かせた高橋の表情は静かだった。

 

濃い宿命が咲き誇っているようだ。

  

それから、また少し感傷的な旋律にのって、最後の曲の直前のスピンで激しく回転し、長く曲がりくねった道の最後は、思い切り大きく強く。

   

全体の曲構成のねらいは、自分を支えてくれた人たちへの感謝であるとか、紆余曲折、艱難辛苦を乗り越えて、自分の道を行く、という一般的にも感情移入しやすいものなのかもしれないが、そういうストーリーをはるかに超えて、名状しがたい不思議なものがあった。

 

私がそこに見た驚異は、他のスケーターとは完全に異質なものだ。私が見たものが、フィギュアスケートの今のルールでは低い点数しか出ないものであれば、それはフィギュアスケートという名前のものではない、違う名で呼ばれるべき稀有なものだ。 

 

この衝撃は、高橋が満身創痍で、体力的にも苦しい中、怪我の不自由を押して、最高の演技をしようと必死にあがいているから心を打たれたという、それだけではない。

   

それよりも、彼が次々と襲ってくる不運とその過酷さに耐えながら、予想もできず、なすすべもない、不可能性の極まった場所で、それをまったく異質な表現へと変えることを可能にした、その底知れぬ身体の「強度」に震撼したのだ。 

また、彼自身が、自分の表現の恐ろしさに気づいていなくて、ただミスが多く点数が出なかったことに泣いていたことも、天才の証しそのものだった。

 ・・・・・・・

『デッサンの基本』第17刷りの記念に描いた百合の素描。12月の頭にに水彩で描いたカサブランカ・リリーが枯れてきたところ。

 Sdsc02396

「枯れた百合の花ほど汚らしいものはない」という一行詩を書いたのはジュール・ルナールだったろうか。それほどに盛りの時の百合の花は白く眩しく美しい、という落差を言いたかったのだろう。

 

ルナールは好きな作家だが、私は枯れた百合を美しいと思う。

 

これは、身のまわりにあるものを偏見なくありのままに見て、そこに面白いものを見つける素描の楽しみであり、人間中心的な価値観とは違う価値を見つける生きがいでもある。

 

私が枯れた花、萎れた花ばかり描いているのを見て「自分を描いているんですか?」と聞かれたことがあるが、そういう人間的な陳腐な比喩が一番嫌いだ。

 

紋切型のたとえを使う人は「もの」の本当の姿を視ることがない。

Sdsc02395

|

2013年12月22日 (日)

フィギュアスケート全日本2013 高橋大輔「バイオリンのためのソナチネ」

12月21日

フィギュアスケート全日本選手権。

高橋大輔の「バイオリンのためのソナチネ」。足の怪我はそうとう苦しいようだ。しかし直前の6分間練習でも成功しなかった4回転を果敢に跳び、着氷した。

ジャンプやスピンのミスもいくつかあり、点数も伸びなかったが、私にはこの前のNHK杯の時のショートの演技よりも、さらに心を動かされるものがあった。

最初の出だしの素晴らしく引き込む動作のところもそうだが、ステップの時の腕や首の表現、自分が動かしているというより何か大きな力に翻弄されているように揺さぶられる上半身の動きが、素晴らしく劇的に見えた。

こういう動作をやっています、という感じではなく、何かの必然で動かされているように、身体表現がこの次元までいける人はなかなかないと思う。

もちろんスポーツであり、アスリートであるから、勝ってほしいし、ソチでの演技を見たいのは希求するところだが、今日の演技も、やはり高橋の唯一無二の身体表現は出ていたと思う。

足の怪我でほとんど練習できずに、本番でうまくいく可能性は低い、とわかっている不安と緊張でいっぱいの中、すべてが賭けであり、「すごい自分を見て」と誇示する余裕など寸分もない状態で、ただ高橋の本来持っている稀有な才能が裸の状態で出ていた。

ぎりぎりに追い詰められた土壇場で、怪我の不自由による悔しさはあっても、パッション(受難)そのものの、切りつめられた「表現/反表現」だった。

終わった時の茫然とした無表情もそれを語っていた。

私個人は、どうしても身体全体の美しい動き、体線、その鋭さや機微が、どれだけ謎めいてイメージを刺激してくれるかに関心が集中してしまう。

「アート」の世界では、ナルシシズムのない表現そのものを見せてもらえることはほとんどない。

今、フィギュアスケートを芸術にまで高めているのは、別次元として高橋大輔と浅田真央だと思う。

|

2013年12月20日 (金)

『デッサンの基本』(ナツメ社) 第17刷 /  古い本

12月17日

『デッサンの基本』増刷のお知らせ。第17刷りとなります。

買ってくださった皆様に心から感謝します。歳の暮れも押し迫ってから、私にとっては、本当に嬉しい驚きでした。

先日、デッサンについての質問をいただいた。鉛筆の色が濃く出ない、とのこと。「支持体が柔らかければそれだけ筆圧がかかりにくいので、硬い下敷きを使うなど工夫してみてください。」とお答えしたところ、やはり、今までは柔らかいクロッキー帳を使っていたとのことで、スケッチブックに描いてみたら楽に描けたそうだ。

「描き方はデッサンの目的によりますが、目的はなんですか?」と質問を返すと、「画力の向上」とのことだったが、それでは十分な答えになっていない。その人の求める「画力」とはどんなものかが問題になってくるからだ。

『デッサンの基本』では、とりあえず基礎のかたちのとりかたから、美大受験用のデッサンの描き方も紹介したが、美大受験用の、ある程度の時間を必要とし、多種類の濃さの鉛筆を使い分け、立体感や遠近法や光の陰影や質感にこだわったデッサンが、「画」としてよいデッサンかどうかはわからない。美大受験用のデッサンは、あくまで受験用のひとつの形式に過ぎない。ただ、ものをよく観察して描くためのひとつの契機となり、修練の方法になるかもしれないが。

世界中には、はるか旧石器時代の洞窟壁画から、いろいろなすごいデッサンがあり、非常に少ない線で生命をとらえているものや、見る人に強烈に問いかけてくるような非凡なものがたくさんある。

過去の巨匠たちのデッサンから、自分が魅惑されるものを見つける楽しみもある。基本的には、鉛筆一本で、気軽に始められるデッサン(素描、スケッチ、写生)の喜びを、多くの人が知ってくれたら嬉しい。

12月16日

新宿のこぎれいなビルの裏玄関横に猫のための家(箱)を置いていてくれているところがある。茶トラの子が食べものをもらっていた。

その手前の植え込みに、山茶花が散りかけていた。紅の花と、ぼかしの花があり、ひどくしどけない。

引き続き過去に描いた作品の修復。Mで遅い午後の食事。

12月15日

ほんの一部分だが部屋の大掃除。窓際に積んであった本から捨てるものを選ぶのに何時間もかかった。百冊や二百冊捨てても、まったく減ったようには見えない。いつまで経っても絵を制作する場所もないくらい、部屋の中は本で溢れかえっている。だが、なかなか捨てられない。

昔の画集やアンティークの写真集。こんな手間のかかったすごい本はもう作れないだろうと思えるものばかりだ。編集した人が集めた図版の選び方、見せ方のセンスがすごい。文章を書いているのは、すでに亡くなってしまった昔の文学者たち。

結局、一目ぼれして買い集めた画集や写真集は、ぼろぼろになっても私のもとに残る。

たとえば、古書店で見つけた時にはすでにへろへろになっていたけど、どうしても欲しくて買い求めたクイックフォックス社の『花の絵集』。著者はシーモア・クワストとエミリー・ブレア・チューニング。見開きごとに一種類ずつの花が、あらゆる時代の花の絵数点と文章で紹介されている。

「百日草」の見開きページには、右ページいっぱいにロマーノ・ガゼーラの「蝶と百日草」という私の好きな絵(リトグラフ)がある。明るい海辺に巨大な朱色の百日草が咲いていて、その花にとまろうとしている蝶。遠景に小さな虫のような白い馬と黒い馬に乗った人がいる。

左ページにモールズシードブラックの百日草が咲いている庭の版画、その下に、同じくモールズシードブラックの花瓶に生けた百日草の華麗なエングレーヴィング。

そして百日草にまつわる興味深い話が添えられている。「百日草の英名ジニア(Zinnia)は、18世紀にドイツのゲッティンゲン大学で物理学と植物学の教授であった(Zinn)の名誉を称えて名づけられた。」

4年前に、このゲッティンゲン大学の植物園に行ったことを思い出す。3日くらい通っただろうか。イケマなど、ドイツの植生にはないと思っていた植物があったのに驚いた。それと、樹を食う虫を観察できる場所があったことなど、いろいろと印象に残っている。

たった一冊の画集に関してもめくるめく思い出と飛躍するイメージがある。そして、これこそがとっておきの一冊、と選ぶことができないたくさんの本。

12月12日

宅配の食料品を受け取り、冷蔵庫にしまっていたらボンレスハムが入っていたので、慌ててジャージのまま寒い外に飛び出し、配達の人を大声で呼び止めた。

「肉類を食べないので、これ、誰かに食べてもらってください。私が間違えて注文したのかもしれないので、お金は払いますから。」と言うと、「配達の袋の名前が間違っていたら自分の責任だから、確認させてください。」と言われ、部屋までついて来られた。あわてて「いや、ほかの注文品は全部合ってるから、袋の名前は合ってます。」と言って止めようとしたが、乱雑にものの散らかった室内をのぞかれてしまった。

「袋より伝票でしょう。」そう言って伝票を見たら、やはり私は注文していなかった。朝から薄着で外に全力疾走したり、ばたばたしてすごく疲れた。

・・・・

フィギュアスケートについて「分かりやすい採点方法を目指してほしい」(デイリースポーツ・今野良彦)という記事がヤフートップに出ていた。

採点が不透明なのは本当におかしい。私はまったく事情通ではないが、フィギュアスケートの採点、審判の世界は伏魔殿のようだ。

釈然としないまま、もうすぐ全日本、そしてソチオリンピックがあっという間に終わってしまうのが怖い。

冷静で公正な記事を書いてくれるスポーツジャーナリストがもっと出てきてほしい。

12月11日

きのうに引き続き、過去の作品の修復作業。

ベジタリアンレストランMで定食。以前に比べ、おかずの量が半端でなく増えた気がする。野菜のおかず5~6品と玄米でお腹いっぱい。

新宿西口広場を通ると、福祉施設共同バザールと障害者作品展をやっていた。書と絵画に心惹かれるものがあった。クレーのアゲシラウスサンタンデルのような素描や、「うわ、これはすごい」と眼を奪われる繊細な線描があった。

その線描の作者は全国の展覧会などにも出品しているらしい。自分の予測を裏切るような線、意識を超えた線を描こうとして、たとえ目を閉じたまま描いても、たいていの人間は凡庸な線しか描けない。

しかしこの作品は非凡だった。線が流れていない、奇妙にひっかかりながら、無数のほどけた花びらのような、非常に細く神経の鋭い痕跡を残す。この作者は横臥しながら、たぶん相当な時間をかけてこれを描いた。

12月10日

久しぶりに南口のオッティモでランチ。

昔の自分の絵の補修をする。膠が濃すぎて亀裂がはいってしまった銀箔の作品の表面の膠を慎重に湯で溶かし取り、剥落を補修。

きのうの雨があがり、夕焼け雲がすごかった。紫の雲の下側がオレンジ色にぎらぎら光り、そのオレンジが紅色に燃え上がり、やがて空が黄緑に変わって黒紫の雲が低く地平にまっすぐに伸びるのを、非常階段の強い風に煽られながら見ていた。

|

2013年12月 8日 (日)

フィギュア グランプリファイナル2013 / 秘密保護法案 / ユリ水彩素描

12月7日

グランプリファイナル女子。

浅田真央の3Aがどうなるのか、そして今日の得点は、とどきどきしながら見ていた。

3Aは残念だったが、最後のステップは気迫のこもった素晴らしいものだったし、本人も悔しさはあっても悲壮な感じがなく、彼女の道を着々と前進している感じだ。

表彰式の花束は、NHK杯の時と同じデザインの色違いだったが、とても素敵な紫系の花束の扇アレンジ。(NHK杯の時は、女子はピンク系の、男子は黄色系の花の、やはり素敵な扇形アレンジだった。)

最初の審判員紹介の時に、叫び声やブーイングなどあったらしいが、良いことだと思う。抗議の意思をそのくらいの行動で示してもまったくマナー違反には当たらないと思う。(デモが民主主義の権利であるように。)

私はフィギュア界にも、スポーツにも詳しくないが、そもそも公共の利益に関わるのであれば、審判全員の国と名前と同時に、それぞれが各エレメンツに出した評価点を、毎回すべて明示すればいいのではないか、と思う。

折りしも、秘密保護法案が可決されたのと同時に、このフィギュアの試合があり(前々からずっと問題になっていたように、今回もまた)、採点基準や根拠が問題になっているわけだが、少なくとも匿名をやめて誰がどう採点したか「情報公開」することではっきりすることもあるだろう。

さて秘密保護法案だが、この法案は国民を守るためのものではなく、国家権力(政府)が国民(一般市民)の「知る権利」を奪い、国民主権を破壊する法だ。ちょうど私たちフィギュアファンが、どんなに採点の疑問を訴えても、何が原因でどういう事情でこうなっているのか、まるで知ることができないように。

秘密保護法が成立すると、たとえば原発事故の原因や、国民の被曝や土地や海や食物の汚染の実情も、政府が国民に秘密にしたい事実関係や情報は「秘密」に指定される危険が極めて高くなる。その「秘密」を暴いたジャーナリストや、取材したマスコミ、漏らした一般市民も、犯罪者として処罰されるようになる。何が「秘密」に指定されるのかわからないまま権力と金のある人間の都合のいいように管理され、コントロールされ、一般市民が見せしめに罰せられるようになる。

国民が政治家や官僚を監視し、不正があれば失脚させる権利があるのが本来の国民主権のありかたであり、秘密保護法では逆になってしまう。フィギュアの採点も問題は同じだ。選手やファンが信頼できない審判がずっと失脚しないのはシステムに欠陥があると思う。

また、私は浅田真央の演技が大好きで、キムヨナの演技はあまり好きではないが、私は決してナショナリストではない。どこの国の選手であっても好きな選手は好きだし、韓国にも、日本にも、好きで共感できる人も、嫌いで共感できない人もいる。浅田真央の演技が凄いと思うから見たいし、適正に評価されてほしいのであって、嫌韓や右翼寄りの考えに同調できるものではない。

さて、浅田真央以外の今回の出場者では、ロシアの少女たちがそれぞれ魅力的だった。個人的には、2年前のトゥクタミシェワとソトニコワの演技の強烈な印象が忘れられなくて、この二人がソチに行くとずっと思っていたので、今の状況変化を思うと、ちょっと複雑な気持ちだ。

今回、ソトニコワはジャンプを失敗して体力を奪われたのか、後半は完全に失速。だが、彼女の持っている表現力は凄いと思う。私が特に感心するのは、タンゴやフラメンコに通じるような、肩から腕、手首を大きく動かす大胆かつ優雅な踊りだ。決めポーズから決めポーズへ、強くあでやかに見せていく大きな動き。彼女特有の、上体を斜め上にねじりながらのスピンも謎めいていてすごく好きだ。

フリーでは透け感のあるセクシー衣装なのに、何か少年ぽく、ひとつひとつの動作が即物的なので、お色気を振りまいている感じがまったくない。むしろほほえましく思えてしまう。

トゥクタミシェワについては、2010-2011のアストゥリアスの演技に痺れてしまって、速い動きと柔らかな腕の表現と、なんて貴婦人然とした美少女だろう、と思ったのだが、最近は調子が悪いみたいなので心配。

2011年4月にお父さんが若くして死去、とウィキに書いてあるが、いろいろたいへんな辛い思いをしたのだろう。それでも2011-2012はシニアデビュー戦のグランプリシリーズで優勝したのを覚えている。2012年末のロシアナショナルでも優勝していたらしい。まだ16歳なのに大人っぽい表現のできる選手。そしてあの素晴らしい華のような眼。

もちろんリプニツカヤも個性的な表現力を持っている。なかなか冷静で頭の良さそうな子だ。

12月6日

千葉県の鎌ヶ谷の病院に行く日だったので昼から出かけ、1日仕事になった。船橋から東武線に乗り換えるのだが、新しい家ばかりで、ほとんどどこにも樹木や植物がないことに愕然とする。新興住宅地だからなのだろうが、都心のほうがずっと緑が多いなんて、なんだかなあ…と思う。小さくても原っぱや雑木林がないと、本当に息が詰まりそうだ。

夜、グランプリファイナルの男子を見る。こっちで世界最高得点??なんで浅田真央は点数があんなに抑えられるのだろう。

・・・・・

もらったカサブランカリリーの水彩素描。葯(しべ)の色が重要。

Sdsc02386

12月5日

浅田真央の「ノクターン」。胸のところに二輪のスカピオサ(マツムシソウ)の花が付いているような個性的な衣装。前の衣装がすっきりときれいすぎたので、新しい衣装の方が脳裡に濃い像を残しそう。

鮮やかなトリプルアクセル。透明で優しいイメージだった「ノクターン」が、こんなにも力強く、激しく盛り上がる曲だったのか、と新鮮に聞こえるほど素晴らしい出来だった。

ここでこそ、女子ショートの世界最高得点が来る!!と思って、どきどきしてしまった。少なくとも77~78は行くと思った。だが点数が低かったのでショック。3Aが認定されていないと聞いて、本当にわからないものだと思う。

本人も「今シーズンに入ってトリプルアクセルをこんなになめらかにできたのは初めてだった」と言っているのだから完璧だったのでしょう。気が遠くなるくらい練習してきた本人と佐藤信夫コーチが、出来を一番わかっているだろうから。

そのあとで「特定秘密保護法」で大荒れのニュースを見て、ますますイライラした。独裁政権のための、たいへんな悪法だ。国民の利益になるようなことはない。

・・・・

ソルボンヌという種類だろうか。ふちが白くてピンクの帯と斑点があるユリの水彩素描。

Sdsc02381

|

2013年12月 5日 (木)

特定秘密保護法案 /  武蔵野散歩 / 辻井喬 

12月4日

特定秘密保護法、絶対反対。日本映画監督協会の崔洋一さんや、高畑勲さんの反対の声をニュースで見た。芸術関係者なら当然、ちょっとでもまともな頭がある人なら当然反対だろう。本当に戦前に戻るような、本当に嫌な、危ない世の中だ。

・・・・・

いよいよ明日はグランプリファイナル。きのうの松岡修造の浅田真央インタビューで、フリーで3アクセルを2回やる練習しかしていない、2回目が失敗したら3F-3Loをやる、と生き生きした表情で語ってくれたのが嬉しい

今夜の報ステでは、松岡修造はそうとう興奮していて、いろいろ言い間違えていた。パゴラリヤとか、片脚とか両脚とか、よくわからない・・・。

12月1日

最近、精神的に疲れてしまったので、友人とカメラを持って武蔵野の林や裏通りを散歩に行く。

ただ歩いて、片隅に惹かれるものを見つけ、その時、自分がそこにいたという写真を撮る、あるいは記憶だけに留める。一から説明しなくても感覚を共有できる友人と、絶え間なく話しながら、そのときの苦しさの理由(大抵は世間一般と感覚が違う軋轢だが)を探り、考えを深めていく、私にとってはものすごく大切な時間。

イヌシデ(犬四手、犬紙垂)の樹皮の、縦長の縞模様を眺めながら林の落ち葉の中を歩いたり、シジュウカラやイカルの声を聴いたり、光る池の中から生えた葦が金色に光るのを見たりした。

樹の葉の影がきれいに揺れる高架下の壁。

Sdsc02329

ここは好きな場所なので記念に撮影。
Sdsc02326

廃屋の庭。

Sdsc02354

Sdsc02352

青磁色に光る硝子が美しかった。

Sdsc02361

人通りの多い煌びやかな商店街の中にポツンと残っている「和洋紙」の看板の廃屋。

Sdsc02371

毛利先生の字にも似たとてもいいかたちの字だ。ペンキの剥げ具合。亀裂。蔦。

Sdsc02370

この床屋さんは健在。びっしり並べられた植木鉢。

Sdsc02374

この古い家も、華やかなストリートの入り口付近にまだあった。風船蔓が植えてあるのが素敵だった。

Sdsc02376

11月28日

辻井喬(堤清二)さんが亡くなったというニュースを見てショックを受けた。

本人に直接お目にかかったのは、吉田さんの『六月の光、九月の椅子』(私が装丁)の2007年山本健吉文学賞受賞式の席だけだ。だから、個人的におつきあいがあったわけではないのだが・・・。

山本健吉文学賞選者であった辻井喬さんの「ひたすら感覚の解放を歌ったりしていた戦後詩に引導を渡す書」「空なる共同幻想」という言葉と、お会いしたときの辻井さんの温和な物腰と・・・。

複雑な生い立ちの中で分裂を生き抜いた稀有な人、美術や文学を抹殺する経済界にこんな人もいてくれたことがありがたい、というイメージがあった。

西武劇場で土方巽公演をやったくらいだから、それはたくさんの才気溢れる表現者を手助けしてきた人だろう。

バブル崩壊ごろの91年に辻井さんがセゾングループ代表を辞任。降りしもちょうどそのころから、私にとって耐えがたいタイプの――動物をもののように殺して素材にしたり、他者への慈愛も、哲学のかけらもないただ自己愛の塊の、なんでもありの騒がしい「アート」が目立ってきて、そこらへん全体を覆ってしまったような気がする。

あの授賞式の日、辻井さんの携帯電話が鳴って、そのあと辻井さんは急いでどこかに行かなければならないと挨拶して会場を出て行った。帰宅してから、農水大臣が自殺したというニュースを見て、このせいで行かなければならなかったのだろう、と思った。そんなことを、まだ、なまなましく覚えている。

・・・・

夕方、東中野の施設に行く。今日の母は調子よく、自分でスプーンで食事できていた。きょうはまったく傾眠がなかった。

・・・・

帰宅後、高橋大輔が骨挫傷のニュースを知る。

|

« 2013年11月 | トップページ | 2014年1月 »