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2013年12月23日 (月)

フィギュア全日本2013 高橋大輔「ビートルズメドレー」

12月22日

フィギュア全日本2日目。

高橋大輔の「ビートルズメドレー」。昨日、足が痛そうだったので、本当にどうなるのか緊張して見ていた。

正直、今まで私は、なんでビートルズを選んだのか、なぜメドレーなのか、ピンとこなかった。浅田真央のように、フリーは重厚で激しい曲のほうがいいのではないかと思っていた。

が、きょうの高橋の演技には、衝撃を受けた。はじめて凄いプログラムだと思えた。

遠くを見つめるような穏やかな顔から、丁寧に抑えた滑り出し。

妖しく強烈なタンゴの身体の動きに完全に引き込まれていたら、血だらけの右手をパッと前に掲げられて、完全に心臓をつかまれた。 血の花を咲かせた高橋の表情は静かだった。

 

濃い宿命が咲き誇っているようだ。

  

それから、また少し感傷的な旋律にのって、最後の曲の直前のスピンで激しく回転し、長く曲がりくねった道の最後は、思い切り大きく強く。

   

全体の曲構成のねらいは、自分を支えてくれた人たちへの感謝であるとか、紆余曲折、艱難辛苦を乗り越えて、自分の道を行く、という一般的にも感情移入しやすいものなのかもしれないが、そういうストーリーをはるかに超えて、名状しがたい不思議なものがあった。

 

私がそこに見た驚異は、他のスケーターとは完全に異質なものだ。私が見たものが、フィギュアスケートの今のルールでは低い点数しか出ないものであれば、それはフィギュアスケートという名前のものではない、違う名で呼ばれるべき稀有なものだ。 

 

この衝撃は、高橋が満身創痍で、体力的にも苦しい中、怪我の不自由を押して、最高の演技をしようと必死にあがいているから心を打たれたという、それだけではない。

   

それよりも、彼が次々と襲ってくる不運とその過酷さに耐えながら、予想もできず、なすすべもない、不可能性の極まった場所で、それをまったく異質な表現へと変えることを可能にした、その底知れぬ身体の「強度」に震撼したのだ。 

また、彼自身が、自分の表現の恐ろしさに気づいていなくて、ただミスが多く点数が出なかったことに泣いていたことも、天才の証しそのものだった。

 ・・・・・・・

『デッサンの基本』第17刷りの記念に描いた百合の素描。12月の頭にに水彩で描いたカサブランカ・リリーが枯れてきたところ。

 Sdsc02396

「枯れた百合の花ほど汚らしいものはない」という一行詩を書いたのはジュール・ルナールだったろうか。それほどに盛りの時の百合の花は白く眩しく美しい、という落差を言いたかったのだろう。

 

ルナールは好きな作家だが、私は枯れた百合を美しいと思う。

 

これは、身のまわりにあるものを偏見なくありのままに見て、そこに面白いものを見つける素描の楽しみであり、人間中心的な価値観とは違う価値を見つける生きがいでもある。

 

私が枯れた花、萎れた花ばかり描いているのを見て「自分を描いているんですか?」と聞かれたことがあるが、そういう人間的な陳腐な比喩が一番嫌いだ。

 

紋切型のたとえを使う人は「もの」の本当の姿を視ることがない。

Sdsc02395

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