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2014年1月

2014年1月29日 (水)

ガーベラ、薔薇素描  / フィギュア 4大陸

1月28日

きょう、浅田真央さんから年始のご挨拶のはがきをいただいた。

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12月末に拙著『反絵、けだもののフラボン――見ることと絵画をめぐる断片』を事務所気付で送った。

バンクーバーオリンピックの時の浅田選手の『鐘』についてのオマージュが入った本だ。読んでもらえるとは思えないと諦観していたので送るのが遅れてしまった。

IMGのスタッフのかたが宛名を書いて送ってくださったのかもしれないが、丁寧な対応にたいへん感激した。

春から縁起がいい気分になりました!!

・・・・・・・

最近の素描。

この薔薇(一輪)は1月8日に買って、コップに挿して冷蔵庫に入れておいた。少し張りが緩んできた18日頃に描いたのが紙の上側の二つの素描。それからさらに11日経って描いたのが下側の三つの素描。

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左は風邪をひく前に素描していた深紅のガーベラ。右は10日後の姿。

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ガーベラも菊の仲間なので、切り花もやがて中心の筒状花の冠毛がタンポポの穂綿のように丸く盛り上がって散り始める(右下の素描)。
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1月25日

フィギュアスケート4大陸選手権。

宮原知子の演技が心に残った。

15歳にして、あの寡黙な性格。全然はしゃいだような、甘えたようなところがない。インタビュ―の時の、恥ずかしそうに言葉を選んでしゃべっている様子にすごく好感を持ってしまう。非常に頭が良くて、でしゃばらない子なんだな、と思う。

ただスケートが好きで、どんなに苦しい状況でも泣き言を言わず、少しでも演技をよくするために、やれることはすべてやろうとしている一途な情熱がそのまま演技に結実している。

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2014年1月23日 (木)

マーク・ロスコ 『ロスコ 芸術家のリアリティ』

1月22日

マーク・ロスコの美術論集『ロスコ 芸術家のリアリティ』(中村和雄訳 みすず書房)を読んでいる。

2003年に佐倉のDIC川村記念美術館で若林奮先生の展覧会があったとき、期せずしてロスコ作品の実物と対峙する機会があった。大きく静かな色面には非常に微妙なニュアンスがあり、色と色がさざ波のように蠢いている感じもあった。いったい何を考えていた画家なのだろうとずっと気になっていた。

ロスコは1903年に生まれ1970年に自殺した。

1970年にロスコとその妻が亡くなった時、この本の編者であるロスコの息子クリストファー・ロスコは6才だった。それからこの原稿が編集され本になるまでに35年がかかった。

すぐれた画家の書いた文章は、例外なく非常に興味深い際立った文章だと言えると思う。そこにすぐれた実作者個人の特異な思索と苦悩があり、一般化して共通理解できるような言葉ではない。浅薄な言葉しか書けないが絵だけはすごいという画家を見たことがない。気どりだけで「何も言っていない言葉」を書く作者、神経が鈍いと感じさせる作者の作品はやはり何も見るべきものがない。

「単なる形の定まらない抽象と見えかねない」絵で有名になったロスコが何を思索していたのか。この本はロスコの絵が完全な抽象になる10年も前に書かれたものであり、また、彼自身の絵の秘密に関しては直接書かれておらず、「芸術家は何をしているのか」が書かれている。しかし「見かけ上空虚にも思える彼の絵画が多くの意味内容に満ちていることをわからせようと奮闘する」論考でもある。

多分に観念的であり、言葉づかいも独特でわかりにくいところも多いが、確かに絶えず絵画について考え続け、実作し続けた人の文章だ。

1940年初頭には、ロスコは理解されていなかった。評価されず、誤解されていることへの痛切な思いと、生活の不幸と鬱のなかで「真の芸術的な動機」について彼の哲学を彼の言葉で書こうとし、この本が書かれた。

クリストファー・ロスコの序によると、ロスコの代表的抽象絵画についてロスコ自身の考えは、「それ以前の芸術からの革命的離反」などではなく、「彼が言うところの「造形過程」、すなわち芸術の発展は、内在的な展開の過程なのである。」

「ロスコが抽象という時、」「視覚を通して知覚される対象にではなく、芸術家自身にとってのリアリティに従おうとする営みのことを意味していたと考えられる。」

ロスコは「絵画を成り立たせるため」の「まったく異なった2つの方法」を、「便宜上」、「触知的な造形性」と「視覚的あるいはイリュージョン的な造形性」と呼んだ。

昨年末に行った「〈外〉の千夜一夜」の講演で、宇野邦一さんがドゥルーズのリトルネロについて話していた。その時、視覚の中に触覚がいかに介入してくるかという例で、エジプト壁画についてロスコが書いた美術論に言及されていたことが、この本を読むきっかけとなった。「造形性」や「空間」の章を読むと、ロスコの身体感覚の強度がわかる。

「概括的に言えば、エジプトの壁画は混じり気のない造形的[触知的]空間の例であり、ペルジーノの絵画は完璧なイリュージョン空間の創出を目指していたということができる。」

「エジプトの例においては、」「すべての人物は一本の水平線上にいる。」

「エジプトの壁画には、空間の後退を示そうとする努力がまったく払われていない。」

「にもかかわらず、これらの絵を見る時、私たちは、人物が空間の中に存在している、と感じるのである。

単色で描かれたこれらの神秘的な人物たちの周囲の色彩には、空気の――あるいはむしろ色のついた空気の――質感がある。人物たちはその空気の中に浸っているのである。それはまさしく、人物たちを埋め込んだ一種の粘液、あるいはゼリー状の物質と言い得るものである。

つまりここでは空間は、人物像の背後にある何かの性質としてではなく、触知できる容積を持ち、人物像とともに壁の面に向かって前進してくる実態として描かれているのだ。」

クリストファーの言葉を引用すれば、「『芸術家のリアリティ』の真価は、その論拠の完璧さにも、それが論戦にどれほど耐え抜き得るのかといった点にもない。むしろここで貴重なのは、一人の芸術家の、めったにはうかがい知れない世界観が、極めて詳細にわたって論じられているという点である。」

そして画家は自分の絵画が「誤解され、」「何も考えない大衆にによって踏みにじられてしまう」ことをいつも恐れている。

「極めて個人的な性質のもの」であり、「彼の生命に直結した内的なもの」である絵画を、公衆の面前に送り出すことは常に彼の傷つきやすさと怒りと直結する。

ロスコは美術教育の社会的責任に高い関心を持ち、左翼的政治立場でありながら、自らを徹底した個人主義者だと言明しているところも共感するところだ。

1月21日

気温10度を超えた日、なんとか風邪も治ってきて、久しぶりの外出。

北新宿にまだ残る「染物洗張」と書いた暖簾の店の前を通る。

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私が小さい頃、祖母が和裁の仕事をして、よく一緒に連れられて麻布の近くの染物洗張のお店に行った。着物の染め色の見本帳を見るのが面白くてたまらなかった。「あらいはり」という不思議な言葉を聞いただけでわくわくした。

あの頃、西新宿にも何軒かあった染物洗張の店も、最近はどこにもないので、たまに出会うと嬉しくなってしまう。

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北新宿の住宅街に一軒ポツンとあるかつてのお味噌屋さん。「マルマス味噌」の看板。

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枯れ蔦の絡まるものを見つけるといつも立ち止まってしまう。何の作為もなく人の手も入らず、植物に浸食されている状態に惹かれるのだ。それも熱帯の繁殖力旺盛な植物ではなく、都会でもよく見られる蔦。

西新宿の古いアパートも、窓が開かなくなるほど蔦に覆われているものをかつてよく見た。12月には紅葉して美しかった。2005年くらいに再開発で全部潰されてしまったが懐かしい記憶の風景だ。

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駅のフェンスのキカラスウリ(黄烏瓜)。擦過する中央線。
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新宿に出、久しぶりに充実した食事。

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この店のメニューは完全にNoMeatなので私には安心。真ん中のお皿の「里芋と崩し豆腐の揚げ団子」が抜群においしかった。

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1月20日

佐藤亨さんより新刊『北アイルランドのインターフェイス』(水声社)が届く。ありがたく拝読。

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2014年1月16日 (木)

ハル・フォスター編 『視覚論』

1月16日

ここ数日、風邪で重い頭でハル・フォスター編の視覚論を読んでいた。

絵画について、視覚について、私がずっと気になってきたことについての考え方のヒントがこの本にあるかもしれないと思って読み始めた。

「近現代における視覚表象文化を考えるときに必ずぶつかる議論を良質な論文に凝縮させた」とあとがきにあるが、私が感じている絵画の閉塞状況を救うような言葉があったかというと微妙だ。

序文を読んだときに、事実としての「視覚の差異」、視覚の個体差についてもっと書かれている本かと思ってしまった。

しかし視覚能力の個人差(個体差)は無みされたまま、一般的な視覚が論じられ、あるいは、当たり前だが視覚はそれが論じられるときには一般化されてしまう。1枚の特異な絵によって議論が中断されるということもない。

すべてが議論の展開のために奉仕させられている。

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「視覚論」に関するメモ――

視覚(肉体的メカニズムから形成される)と視覚性(社会的事実から形成される)を自然対文化として対立させるべきではない。

「なぜなら視覚は社会的・歴史的でもあるし、視覚性は身体や精神に分かちがたく結びついているからだ。とはいえ、視覚と視覚性はまったく同じものでもない。」

視覚的なもの内には「差異」がある。

・・・「肉体的な視覚のメカニズムと歴史的に形成される技法との差異」

  「視覚データと言語化との差異」

  「どのようにものが見えるのか、どのように見ることが可能になり、許され、強いられるのか、そのなかでどうしたら見る行為そのものや不可視なものをとらえられるのか、そこにも差異、たくさんの差異があるのだ。」

「ところが、それぞれの視の制度は、それ固有の修辞や表象によって、そのような差異を排除しようとする。」

「「デカルト的遠近法主義」は主体と客体とを分離したうえで、主体を超越か、客体を受動化し、それによって形而上学的思考、経験科学、資本主義的論理をいっきょに規定してきた」。

「また、芸術表現のカテゴリー分割」により「「視覚芸術では純粋に視覚的なものが特権化され、絵画もこの形式的原理にくりかえし従属させられてきた。このような分割は、それが近代合理主義に対する批判として提示された場合でも、実のところは表裏一体だったのである。」

マーティン・ジェイ

 「経験的に正しく普遍的に妥当とみなされる遠近法と、「象徴形式」としての遠近法の裂け目。」

 「遠近法の伝統に批判対抗的な異形の視覚モード」・・・17世紀オランダ絵画の「描写術」、バロック芸術の「見ることの狂気」。

デカルト的遠近法主義の制度がいつも抑圧的な政治と手を組んでいるとは限らない。それがどう使われるかによる。

ジョナサン・クレーリー

 「19世紀初頭において、幾何学的光学から視覚の生理学への理論の配置転換が生じた。」

 「主体と客体との分割によって対象を正しく認識させるカメラ・オブスクーラのパラダイムから、外的な対象に無関係の視覚をも生じさせる身体モデルへの変換」。

ロザリンド・クラウス 

 デュシャン、エルンスト、ジャコメッティらのリズム、ビート、パルスは、視覚の自律性という概念の上に視覚芸術を基礎づけようとするモダニズムの野心に正面から意義を申し立てた。 

ノーマン・ブライソン

 「ポロックの絵では、形態に対する支配を無作為性をともなうイメージによって放棄しているにもかかわらず、その支配は結局復活させられています。中心的な主体の位置が修復されているのです。たとえば、無作為性それ自体が彼のスタイルになるというように。自己制御が放棄されるまさにそのときに、自己制御が彼個人のスタイルとして復活してしまいます。まさに脱中心化の瞬間=[要因]において、再中心化がなされるのです。」

ジャクリン・ローズ

 「ポストモダニズムとそれが否定する「全体性」をめぐる議論の多くは、心的な比喩を土台にしていることが明らかになってきている」

  「ポストモダンにおける主観性の「喪失」を政治的空間の終焉とみなす理論や、主体の崩壊ないし自己破壊として視覚的空間の政治学を展開する理論はともに、言語記号の透明性ないし参照物が根本的に喪失していることを、肯定的にであれ否定的にであれ認識している。」

 「自我であれ無意識であれ、それをあたかも一方が他方なしでも実在しうるかのように物象化することは、とうてい不可能」である。

 「無意識の理想化がありえないのは、無意識には負の側面があるという理由のみならず、無意識に対立する自我のカテゴリーがなければ、われわれは無意識を思考することができないからである。」

「心的にと言うのみならず、理論的にも、代替的な視覚的形式を探し求める際に、弁証法の一方の項のみを取り上げることはできないのである。」

ハル・フォスター

 「視覚はまさに、主体とイメージの配置/置換を媒介する構造として論じられている」。

 「フェミニズム的視点(心的なものに性的なものと視覚的なものとが重なり合っていることに着目する)は、記号学的視点(差異化され、欲望によって引き裂かれている記号の場として視覚的なものをとらえる)とともに重要である。

 「このようなアプローチによって、「知覚主義的な」美術史、特に「フオーマリズム」と呼ばれる美術理論が脱構築されていくのである。」

1月14日

蕪と大根とはんぺんのおでんにキムチを加えたものをつくる。湯気で少しでも部屋を温めている。真冬の蕪が甘くてとにかくおいしい。それと内麦のスコーン。これから数日はこのメニューで行こうと思う。

風邪で具合が悪くて非活動的な毎日。せめて読書を進めたいのだが寒気がして気力が続かない。薬が切れる時間になると咽喉の痛みと咳がぶりかえしてくる感じ。

1月13日

咽喉の痛みと鼻水に加えて乾いた咳。だるくて熱っぽいが頭がズキズキするほどの熱ではない。

買い物も食事メニューを考えるのもしんどいので、もう4日ほどほとんど同じものを食べている。卵とキムチと麦ご飯の焼き飯。それに昆布100パーセントのだしを加え、ときどき菜花のみじん切りを加えたり。

あいかわらず1日に食べる食材の種類が少ない生活。そのほかに飲食しているものはミルクティーと発泡酒くらい。

1月11日

咽喉の痛みと鼻水。ちゃびと寝ている。とにかく寒い。暖房はオイルヒーターのみ。身体が冷えたらお風呂。1日3回以上お風呂に入っている。

去年、熱が1か月半も下がらなかったとき、近所のクリニックで最後に出されたリンゲリース(非ステロイド系抗炎症剤)とアレジオキサ(胃の薬)が7日分そのまま残っていたので飲み始めた。

1月10日

すごい寒気到来とともに咽喉が猛烈に痛くなる。予想通り、免れることなく具合が悪くなった。8日に母のところに行っておいてよかった。

1月8日

母に会いに行く。

雨模様で、PMSのピークの日で、のどの痛みも少しあったので、どうしようかと迷った。私が母に風邪をうつしたりする元凶になり、それで母の命に関わるのが怖かった。しかしあさってから寒波が来るし、明日は生理痛の予定なので、きょう行くしかないと思い、5時過ぎに出かけた。

昼間、傾眠があったそうで、私が行ったときには母はわりとはっきりしていて、夕食とプリンを完食。プリンの容器に極(きわみ)と書いてある文字を見て「極ってなに?」と聞かれたりした。

昔の写真を見て笑顔も見られた。手や腕のリハビリをしたり、鏡餅のところに飾ってあった駒をまわそうと試みたりして遊んだ。

職員の人たちが皆親切で、本当にありがたいと思った。2時間ほどいて七時半くらいに外に出ると、けっこう雨が降っていて、長いスカートがじっとり濡れたが寒いと感じなかった。

花屋に寄って、日本水仙10本の束とピンクの薔薇を一輪買った。水仙は部屋中に漂う早春の香りを味わうため。

1月4日

西新宿の家の近くの中央公園の端っこにある奇妙なデザインの交番。後ろに都庁が見える。

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この交差点から新宿駅に向かって坂を上ったところ、新宿警察の横、アイランドタワーのイルミネーションが色を変えていた。

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LOVEのオブジェの前で外国人が写真を撮っていた。

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この交差点は、円形のレールみたいに見える輪っかに信号機がついている。昔から不思議だと思っていた。西新宿の高層ビル街の中で、ちょっとだけしゃれているのだがたいして人も多くないこの一角が昔から好きだ。

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2014年1月 2日 (木)

新年 書初め

1月2日

新年のご挨拶を申し上げます。

書き初め「睎驥之馬(ききのうま)」。睎驥之馬 亦驥之乗也。
驥馬は一日千里を走ると云われ人の才能が優れているのにたとえる。

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2014年は「睎驥之馬」になることを望むということで・・・。

下は生まれて初めて書いた細筆の年賀挨拶。昨年の秋に書道を始めたので、今年は筆文字がうまくなりたいです。
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「ます」を「萬寿」と書くのが楽しい。

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2014年正月のちゃび(絵の具の引き出しの上)。今年も元気で。どうぞよろしくお願いします。
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私の布団の上のちゃび。

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頭の上にあるのは大好きなヘアゴム。

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新しい年の、雲ひとつない青い空。

穏やかな陽射しの下をひとりで歩いた。古い大きな樹に会いたくて、お寺が密集している図書館方面への裏道を行き、裸の欅(ケヤキ)からぶら下がった黄烏瓜(キカラスウリ)や、苔むした石仏を見た。

街はどんどん変わり、古い家もすごいスピードで無くなっていくけれど、私は細い暗渠の道や、ごみごみした裏通りや、昔から生きている巨樹を見るのが好きだ。

1月1日

母に会いに行く。

夕食のあとにプリン、それとマロングラッセをスプーンでつぶして少量のお茶で練ったものを食べさせた。

昨年、なんだかあまり作品が出来なくて、あっというまに終わってしまったなあ・・・とよく考えてみたら、一年前、2012年の12月に母が骨折入院し、2013年の10月まで介護がなにかとたいへんで、慌ただしい一年だったのでした。

ずいぶん長い年月を悩んだ気がしていて、たった一年前からの介護とは思えなかった。思えば昨年は、ちょうどきょう、1月2日に母が40度の高熱を出して生死をさまよったりしていた。手術後の傷が炎症を起こしたということだった。

何年も前のように感じるが、介護制度の矛盾により、主治医がいなくなって、どこも処方や診療情報提供書を書いてくれなくなったり、入れてくれる介護施設をさがして奔走したり、本当にいろいろたいへんだった。

今年はどうか穏やかな、心静かな一年でありますように。

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