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2014年2月

2014年2月24日 (月)

浅田真央 ソチオリンピック

2月22日

「ピアノ協奏曲第二番」。仕事と私生活の挫折から、神経衰弱になったラフマニノフが精神の治療を受けながらも1900年頃に完成させた名曲。

青と黒(にマゼンタのアクセント)の放射状の光る羽のような衣装を纏い、氷の上に立った浅田真央は、その日の朝とは豹変していた。

正面を向き俯くポーズから、ロシア正教の鐘を模したピアノの重い響きと同時に、大きく広げ、振り上げる両手と両脚の動きの連動で曲が始まる。

タラソワがバンクーバーの「鐘」の振り付けの時に、何度も、「違う、もっと空間を支配して。」と叱咤していた冒頭の振り付けが重なって見える。

息をのむ緊張の中で最初のトリプルアクセルを決めると同時にピアノの音は砕け、厳かに訴えかける弦の旋律が始まる。ひとつ、またひとつと三回転ジャンプを決めていくたびに、曲は徐々にうねりの強さを増し、大きく烈しい波となる。

「鐘」の振り付けの時に、タラソワは「怖い顔をして。本当に怖い顔を。どうしたらできるの?」と浅田真央に強く問うた。ソチの浅田真央は顔の表情をつくるでもなく、闘う顔、凛と強い気迫に満ちた眼をしていた。恐怖も不安も緊張も忘れ、ただ自身の演技の中に没頭していた。

重く烈しく押し寄せてくる流れに翻弄されながら、それに抗い、掻き分け、叩きつけ、あるいは差し出し、宿命のように全身を「光り輝く忍耐で武装*」した浅田真央は、まさにこのプログラムそのものを生き抜いていた。深くニュアンスのある色彩とともに「生々流転」という言葉が眼の奥に浮かんだ。(*アルチュール・ランボー)

浅田真央の表現は誰よりも成熟していた。つなぎとして振りをやっているのではなく、ひとつひとつの音の感情を迸るように全身で描いていた。嵐に耐える若木のように、雷鳴と稲妻を喜ぶ生き物のように、跳梁する魔物のように。強靭で、豪奢で、陰影の濃い、香気のある演技だった。

ロシアの大舞台で、4年前には完璧にできなかったラフマニノフを演じ切ること。テーマは「困難に打ち克つこと」。

崖っぷちに立たされて、タラソワの振り付けた暗く重厚なラフマニノフが、この絶体絶命の危機を乗り越えさせた。息もつかせぬほど密度のある、とびきり困難で挑戦し甲斐のあるプログラムこそが浅田真央の命を輝かせた。

誰よりも力強く。最後の三回転ジャンプを決めた瞬間、バン!と爆発する炎が見えた。鋼のように硬質なピアノの響きにのって、雄々しくも絢爛に、この氷上の空間にすべてを焼き付けるように刻んだクライマックスのステップ。最後は見たこともないような速さで、怒涛の中を疾駆した。

以前と同じことではない、新しい高みに挑戦すること。最もリスキーな高難度の構成を組み、かつフィギュア史上最高の芸術性も達成すること、多くの人の心に強烈に残るプログラムを滑りきること。自分にしかできないことをすべてやりきって見せること。

浅田真央は自らの望む最高の滑りをやりきって、世界中の人の息を止めた。

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フリー当日の朝、練習の時の浅田真央は憔悴しきってまだ茫然としていて、ショックの大きさから立ち直るには時間が足りなすぎるだろうと思わせた。

しかし直前の6分間練習の時の浅田真央は本来の姿を取り戻していた。

短い時間の中で、いったいどのような「秘儀」が行われたのか。

コーチからの言葉、家族からの言葉をまっすぐに受け止める素直な心は、そのまま身体という巨大な闇をかかえ、それとつねに対峙している。彼女のみずからの身体との対話は、その核心に孤独な深い「無言」を孕んでいる。どんな言葉も尽きはてた奈落の底から、彼女は「奇蹟」のように甦った。

浅田真央の持つ意志の強さ、忍耐強さと同時に、表現者としての感受性の鋭さは脆さにも繋がるだろう。最大振り幅を生き抜くこと。それがあるから私は浅田真央の演技に惹かれるのだと思う。

浅田真央の一途さを見ていると(もちろん浅田真央は若くして世界中に認められ、多くの人に愛され、これからも幸福な人生を歩むだろうが)、自分の運命と向き合う勇気やしんぼう強さという共通点において、非凡ゆえに生きている間には評価されず、素晴らしい作品を残して不遇な生涯を閉じた過去の芸術家たちに思いを馳せてしまう。さらに、その芸術家たちの傍らに影のように寄り添う、なにひとつ作品など残さなかった、もの言わぬ人々をこそ思うのだ。

追い詰められ、崖っぷちで浅田真央の演じるタラソワの挑戦的、芸術的なプログラムは、いつも私には過去の不遇な魂の救済のように感じられた。

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また、前回のオリンピックでも強く感じたことだが、「全体主義」はよくない。私たち一人ひとりに問われているのは、自分の存在証明、アイデンティティをどこに求めるかだ。

どこの国の選手であれ、素晴らしいと感じたものを素直に素晴らしいと言える状態でありたい。

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アネモネ・モナーク(小ぶりの八重のアネモネ)。

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アネモネと言えば一重咲きのモナリザやデカンが一般的だ。ルドゥテの描いた八重のアネモネの絵を初めて見た時、工芸品のように精緻な花だと思った。花屋で実際に手に入れることができた時には感激した。

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色を記憶しながら線だけで描いた。

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2014年2月17日 (月)

高橋大輔 ソチオリンピック

2月15日

高橋大輔のソチオリンピックが終わった。見終わってから、しばらく言葉が出てこなかった。凡庸な言葉でよごしてはいけないと思った。

自分の脳裡に浮かんでくる映像を豊かに刺激する演技、あらゆる感覚に訴えてくる演技だった。

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「ヴァイオリンのためのソナチネ」。

曲調の少しいびつな部分、透明感と汚濁のコントラストも含めて、この曲は高橋の演技によく合っていたと思う。作曲者云々の事件と関係なく、高橋の身体が気品高く音を奏でて見せたので、曲がよく聞こえたのかもしれない。

両耳の下を両手で押さえて両肘をすぼめ、眼を閉じて前奏を待つ。

音の始まりとともに両手を振りあげ、眼を見開き、勢いをつけて世界に滑り出す。この短い時間にすべてを捧げる決意を表すように天を仰ぐ仕草。

最初の高まりの中で4回転。そのあとは抒情的に流れるピアノにのせて3アクセル。

夜のとばりの中を滴が砕け散るように。端正なスピン。

そこから高橋の全身が奏でるすすり泣くような甘やかなヴァイオリン。3回転3回転。

最後の盛り上がりに向けて、暗く、くぐもるヴァイオリンとともに低いスピン。

そして嵐に翻弄される樹のように、すべての苦しみを燃焼させるように、これでもかと言うように狂おしく激しいステップ。

最後は混濁した強い色彩と、夜の闇が燃え上がるような華やかなスピンだった。

足の調子が悪そうだというニュースを聞いていたので、正直、見ている側が痛々しさを感じる演技になるのでは、と心配していた。こんなにも充分にやりきるとは思わなかったので感嘆した。

凄みのある演技だった。

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「ビートルズ・メドレー」。

新しい衣装は満天の星空のように煌びやかで、前の衣装よりもさらに身体の線が締まって見えた。

リンクに初めて立ったのが二十年前の同じ日(2月14日)と聞く。高橋大輔本人の二十年間の奮励、専心、試行錯誤、歓喜も、災禍も、邂逅も、不屈の努力も、すべて、この演技に込めて。

その演技は、見ている側のそれぞれの、過去(イエスタデイ)の高橋の演技の残像に、また、高橋の演技に夢中になった時の、それぞれ個人の人生の記憶の残像に反響する。

逃れられない現実としての困難と痛みにさいなまれても、何もかもが表現の深みへと収斂されていく。

その澄明さに胸が痛んだ。

高橋の真骨頂であるタンゴの部分が、あまりに洗練されていて、胸に切り刻まれすぎて怖いほどだった。

静かな微笑みとともに高橋の中から溢れ出すものが奔流となった。

怪我のせいで本当に苦しんだと思う、肉体的な制約の中で、無駄なものがこそげ落ちて、身体表現としてどんどん極まっていく、その道程をそのまま見せられているようで涙が止まらなかった。

個人的にはこのプログラムは繰り返し見られない。もっと泥臭くギラギラした踊りで終わってくれたほうが、自分としては気持ちが楽だった。

あらゆる表現の分野に言えることだと思うが、艱難辛苦を芸術表現にまで高められる才能を持つ人間は極々僅かだ。困難に耐えた経験がなければ深い表現にはならないだろう。だが、経験の中からつかみ取るものが、より濃やかで鋭いものになるかどうかは、個人の資質、天賦の受容能力によると思う。

本人は万全の状態でなかったことは悔しいだろうと思う。しかし多くの選手が崩れる中、転倒で演技が途切れることもなく、最後までピ―ンと糸が張りつめながらも優雅で滑らかな、表現として最高のものを見せてくれたことはさすがだと思った。

芸術性というものを具体的にどう評価するのか、誰が評価できるのかが常に問題になるが、もしそれを正当に評価できるしたら、間違いなくひとり突出していた。高橋大輔は不世出の、別次元のスケーターだと思う。

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アネモネ。ギリシャ語のアネモス(風の花)。
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2月3日に買ったチューリップ(ブラックヒーロー、紫の八重咲き)の素描の続き。
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植物の中には実際に観察しなければわからない曲線がたくさん潜んでいる。
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2014年2月13日 (木)

ソチ フィギュア団体

2月10日

フィギュア団体戦が終わった。

浅田真央が緊張してしまった姿を見てはらはらした。個人戦では、どうか自分の世界にはいりこんで、思いっきり彼女らしくやってほしいと思う。ただただ浅田真央本人が満足する演技を望むのみだ。

町田樹が、最終滑走でプルシェンコの後なのに、予想よりずっと萎縮せずしっかりしていたので感心した。オリンピックの大舞台で、全体の踊りに関しては全日本の時よりずっと良かった。全日本の時はジャンプが決まっていて、今回はいくつか失敗したようだが、演じきるという意味では今回のほうがスピードもあり気迫を感じた。

芸術的かどうかというと、ちょっとよくわからないのだが、彼の目指している表現をやりきっているすがすがしさがあった。個人戦では、滑稽味も含めて、思い切り派手に、すべて彼らしく燃焼しきってほしい。

2月3日に京王フローリストで買ったチューリップ、ブラックヒーロー(黒紫の八重咲き)。

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2月8日

東京は大雪。

2月7日

5日から3日間、生理痛で苦しむ。特に苦しいのは首、肩の緊張と頭痛。それに伴って眼の奥がすごく痛い。

甘いものは苦手だが、いただきもののマスクメロンのケーキがおいしかった。

2月6日

なんとも嫌な気持ちにさせられる佐村河内守の事件。

表現の世界では、他人の不幸や苦しみを自分の表現に利用しようとする人間が確かに存在する。

ハンディキャップのある人を自分の自己顕示のために利用したり、なんら胸を痛めることもなく他人の不幸をネタにしようとしたり・・・自分が実際に出会ったそういう気持ち悪い人たちの記憶がよみがえってきて、しばし非常に胸糞悪い気分になった。

ともあれ、高橋大輔の演技とは関係ないことだ。

2月3日

新宿の自然食レストランで食事。蓮根と豆腐のすり身の揚げ団子が最高においしい。

その後、新宿区役所に期日前投票に行く。

ついに2月。オランダから届いたチューリップの盛りの季節がやって来た。京王デパートの花屋で今年最初のブラックヒーロー(紫の八重)を見つけて買った。

チューリップは八重咲きとパロット咲き(花びらの捩じれたもの)ばかりに興味があり、特に黒紫の花に惹かれる。

夜、今夜終了のドイツで刊行されたヴォルスの銅版画カタログレゾネ【WOLS DAS DRUCKGRAPHISCHE WERK 】のオークションにどのくらいまで入札するか迷う。ヴォルス唯一の版画カタログレゾネとあり、これは持っておくべきかな・・・と迷っているうちにどんどん価格はせりあがっていった。

先週、同じものを同じ人が出品していて、スタート価格が6000円くらいだった時は誰も入札しなかったのに、きょうスタート価格が980円に下げられてからの価格上昇と言ったら、皆がヒートアップして最終的には9800円で誰かが競り落としていた。オークションはスタート価格が安いほうが最終的には価格が上がるのは統計的に確かかもしれない。

1月31日

Kの後に中野へ。

ブロードウェイに今年もアール・ブリュット展の旗がひらめいていた。昨年、母が中野に入院していた時、毎日このアーケイドを病院へと通った。あの時もアール・ブリュット展をやっていた。あれから一年なんだなあ、と思う。

西岡弘治さんの絵が特に印象に残った。線の妙がすごい。

天婦羅屋さんで定食とゴチ天をいただく。

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