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2014年2月17日 (月)

高橋大輔 ソチオリンピック

2月15日

高橋大輔のソチオリンピックが終わった。見終わってから、しばらく言葉が出てこなかった。凡庸な言葉でよごしてはいけないと思った。

自分の脳裡に浮かんでくる映像を豊かに刺激する演技、あらゆる感覚に訴えてくる演技だった。

・・・

「ヴァイオリンのためのソナチネ」。

曲調の少しいびつな部分、透明感と汚濁のコントラストも含めて、この曲は高橋の演技によく合っていたと思う。作曲者云々の事件と関係なく、高橋の身体が気品高く音を奏でて見せたので、曲がよく聞こえたのかもしれない。

両耳の下を両手で押さえて両肘をすぼめ、眼を閉じて前奏を待つ。

音の始まりとともに両手を振りあげ、眼を見開き、勢いをつけて世界に滑り出す。この短い時間にすべてを捧げる決意を表すように天を仰ぐ仕草。

最初の高まりの中で4回転。そのあとは抒情的に流れるピアノにのせて3アクセル。

夜のとばりの中を滴が砕け散るように。端正なスピン。

そこから高橋の全身が奏でるすすり泣くような甘やかなヴァイオリン。3回転3回転。

最後の盛り上がりに向けて、暗く、くぐもるヴァイオリンとともに低いスピン。

そして嵐に翻弄される樹のように、すべての苦しみを燃焼させるように、これでもかと言うように狂おしく激しいステップ。

最後は混濁した強い色彩と、夜の闇が燃え上がるような華やかなスピンだった。

足の調子が悪そうだというニュースを聞いていたので、正直、見ている側が痛々しさを感じる演技になるのでは、と心配していた。こんなにも充分にやりきるとは思わなかったので感嘆した。

凄みのある演技だった。

・・・

「ビートルズ・メドレー」。

新しい衣装は満天の星空のように煌びやかで、前の衣装よりもさらに身体の線が締まって見えた。

リンクに初めて立ったのが二十年前の同じ日(2月14日)と聞く。高橋大輔本人の二十年間の奮励、専心、試行錯誤、歓喜も、災禍も、邂逅も、不屈の努力も、すべて、この演技に込めて。

その演技は、見ている側のそれぞれの、過去(イエスタデイ)の高橋の演技の残像に、また、高橋の演技に夢中になった時の、それぞれ個人の人生の記憶の残像に反響する。

逃れられない現実としての困難と痛みにさいなまれても、何もかもが表現の深みへと収斂されていく。

その澄明さに胸が痛んだ。

高橋の真骨頂であるタンゴの部分が、あまりに洗練されていて、胸に切り刻まれすぎて怖いほどだった。

静かな微笑みとともに高橋の中から溢れ出すものが奔流となった。

怪我のせいで本当に苦しんだと思う、肉体的な制約の中で、無駄なものがこそげ落ちて、身体表現としてどんどん極まっていく、その道程をそのまま見せられているようで涙が止まらなかった。

個人的にはこのプログラムは繰り返し見られない。もっと泥臭くギラギラした踊りで終わってくれたほうが、自分としては気持ちが楽だった。

あらゆる表現の分野に言えることだと思うが、艱難辛苦を芸術表現にまで高められる才能を持つ人間は極々僅かだ。困難に耐えた経験がなければ深い表現にはならないだろう。だが、経験の中からつかみ取るものが、より濃やかで鋭いものになるかどうかは、個人の資質、天賦の受容能力によると思う。

本人は万全の状態でなかったことは悔しいだろうと思う。しかし多くの選手が崩れる中、転倒で演技が途切れることもなく、最後までピ―ンと糸が張りつめながらも優雅で滑らかな、表現として最高のものを見せてくれたことはさすがだと思った。

芸術性というものを具体的にどう評価するのか、誰が評価できるのかが常に問題になるが、もしそれを正当に評価できるしたら、間違いなくひとり突出していた。高橋大輔は不世出の、別次元のスケーターだと思う。

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アネモネ。ギリシャ語のアネモス(風の花)。
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2月3日に買ったチューリップ(ブラックヒーロー、紫の八重咲き)の素描の続き。
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植物の中には実際に観察しなければわからない曲線がたくさん潜んでいる。
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