« 高円寺 / 父 /  表現者の心の病  | トップページ | 『デッサンの基本』(ナツメ社)第19刷り »

2014年5月19日 (月)

戸山から早稲田、高田馬場へ

5月18日

戸山を散策。大好きな秘密の花園は健在だった。濃い青紫のホタルブクロ、澄んだ青と薄ピンクのラクスパー、黄色のハナビシソウ、蜜柑色のキバナコスモス、白いカスミソウ。ピンクのムシトリナデシコ。

Sdsc03204

Sdsc03215

ヒルガオやヤブカラシに巻き付かれているアイリス。

Sdsc03207

透明な青の二ゲラ。

Sdsc03225

花園から緑地の丘へ。

Sdsc03226

緑陰幽草。ひんやりとした空気の漂う小さな教会の壁。

Sdsc03228

丘を登り切ったところの叢にいた野性的な猫ちゃん。ハルノノゲシが美しい。

Sdsc03239

ヤブカラシの蔓(猫ちゃんの左上)には蜥蜴もいたようだ。

Sdsc03239_2

大好きな欅(ケヤキ)の大木。 この樹に会えるとほっとする。

Sdsc03248

国立感染症研究所昆虫科学部の横の道を行きかけてから、早稲田のほうへ坂を下った。2年前に黒く爛れかけたヒナゲシを撮った住宅街の公園はどこだっただろう、と思いながら 。早稲田住宅をのぞくと正面に見える不思議な塀のようなものが気になった。

Sdsc03253

更地の隅に残っていた古い看板。「ワセダグランド商店街 学生の町です。古本屋、喫茶店。食堂、etc......ぜひ、なじみの店をみつけて下さい。」と書いてある。

Sdsc03255

白い病院のような建物に惹かれて、その脇の狭い道を通って行ったら、それは早稲田大学の材料技術研究所だった。

Sdsc03258

子育て地蔵尊のすぐ近くの雰囲気のある古本屋さん。早稲田の古本屋さんはめっきり少なくなってしまったが、まだいくつかは健在。

Sdsc03260

インド大使館の横の坂の上にもいくつかの素敵な建物がある。かつて下宿屋だったような民家。

Sdsc03262

ついに名曲喫茶・らんぶるが無くなっていたのを見て大大ショック!!!ここでは何度も写真を撮った。このらんぶる横の崩れた階段も大好きだった。

Sdsc03264

諏訪公園の近くの昔から変わらない石段を上ると、細い一直線の道がある。

Sdsc03267

その細い道を進むと雑草の花が乱れ咲く薄紫ピンクの塀。タンポポ、ハルジョオン、ハコベ、オニタビラコ、ドクダミ・・・・・・。

Sdsc03270

塀の僅かな亀裂の隙間から 黄色のカタバミやハッカがのびていた。

Sdsc03271

人がすれ違えないほど狭く細長い魅力的な通路。

Sdsc03276

右側には鬱蒼とした学生下宿屋さんのような建物。

Sdsc03277

木枠のガラス窓も、玄関の灯りも素敵だ。

Sdsc03291

建物の脇には置き去りにされた自転車が。

Sdsc03288

山ほど花の鉢を並べているマンションの奥の錆びたドア。

Sdsc03281

有刺鉄線と寂びたドアの向こうの建物の、空中にせり出している三角の部屋が気になる。

Sdsc03284

鉄の扉の隙間から覗き込めば、素晴らしい空き地のある一角。

Sdsc03285

かつてアンティーク屋さんがあった裏道からビックボックス横の坂に抜ける。

・・・・・・・

右手の親指にカッターで切ってしまったらしい傷ができていたのでキズパワーパッドを貼る。

5月17日

次の本の打ち合わせ。

「相手に通じる通路が深く狭い――斥力」

「梶井基次郎の『交尾』、ものを見るということはすでに何ごとかであると言った。

ものに対する暴力的な触れ方、直接的で散文にならない。

梶井基次郎、安岡章太郎、吉行淳之介の流れがあり、それは古びていない。」

「マルドロールの歌は、当時は読める人がいなかった。詩とはこういうもの、という概念があって、それとはまったく違っていた。」

5月16日

金曜日。星状神経ブロック注射を打ちに行く。

爽やかな風香る季節なのに、最近(この4月、5月)、ものすごく体調が悪い。急に温度が上がる日に、自律神経失調が酷く、勝手に首と肩ががちがちに緊張してきて、頭痛に襲われる。身体が勝手に緊張状態になると、心拍数もあがり、精神的にも勝手に緊張して苦しい。

神経ブロック注射を打ってから15分から1時間ほど、ふわ~、と弛緩する。どこにも痛みがない状態とはこんなに楽なものなのかと感動する。

5月11日

駅の向こう側の花屋に行ってみたら、予想以上に母の日の花を買う人で賑わっていたのに驚いた。私の母は、カーネーションなんて全然いらないから、買わないで、と小学生の私に言う人だったので。私もそうだが、形式的なこと、皆と同じことが嫌いだ。

5月10日

母に会いに行く。食堂に集まったたくさんいる入所者達の中で、母だけが傾眠だったのでショック。

車椅子を廊下の丸テーブルに移動して、夕食をとらせるために、あらゆる努力をした。かなり大きな声で幾度も話しかけたり、指の腹をおしぼりでこすって刺激してみたり、自動販売機で冷たい缶コーヒーを買ってきて額や脳天や頬にあててみたり・・・・・・。とにかく夕飯のおかず(タンパク質)をとらせるため必死で努力した。

一昨年手術してから、外科からリハビリ病院に移って、32kgまで痩せてしまったのを、昨年5月に老健に移ってからは、施設スタッフさんと私の食事介助の努力により、36kgまで回復した。しかし昨年の10月末に特養に移ってから、今年の正月にはまた32kgに減ってしまった。

食べられなくなったら死ぬしかないので、とりあえずできることは努力している。がくっと頭を垂れて熟睡のところを、必死で起こして、うつらうつらしながらもおかずを完食させ、そのあと薬を飲ませ、プリン(極み)を食べさせた。しかし、本当にたいへんだった。

プリンがまだ口にはいっているので、このまま眠って誤嚥、窒息しませんように、と職員さんにお願いして帰る。明日は母の日なので、何人かの家族が来て廊下のテーブルは使えなくなると思ったので、あえて今日訪問した。

このまま死んでしまうのじゃないか、と不安に思い、一生懸命食事介助して、心身ともに疲れた。

そのあと中野で降りて、久しぶりに古本を見、天婦羅を食べた。私はご飯なし、ビールなしで天婦羅盛り合わせと「めごち」の天婦羅(これは最高においしい)を頼んだ。

|

« 高円寺 / 父 /  表現者の心の病  | トップページ | 『デッサンの基本』(ナツメ社)第19刷り »

植物」カテゴリの記事

写真」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

介護」カテゴリの記事