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2014年6月19日 (木)

父の救急搬送、入院(3) / 大切な友人との会話

6月18日(水)

大切な友人から、私の送った文章に関しての手紙が届く。

昨晩の電話で、私の一番よいところは、「今まで言葉にできないほどの酷い目にあってきているのに、決してかわらない純一な生命体としての向上心」と言われた。

「より自由になろうとすると、世の中の約束事がバラバラとほどけていく、そのアナーキーな沸騰する熱に絶えず自分をさらし続けることで、問いを発し続けている」

「もっとも微細な瞬間に向き合った時、有機的に運命づけられている命のうごめき、そこにどのように瞬間、瞬間、自分の感覚がさらされているか」

父が死にかかって救急車で運ばれてからのこの二週間、いろんなことを考え、本当に疲れてしまった。

以前は当たり前だった友との会話が非現実的に感じられるほど、過去の嫌なトラウマに打ちひしがれていたが、ここから少しずつ自分を取り戻せたらいいと思う。

6月17日(火)

父の入院する病院で担当医師とMSWとの面談。

I・S医局長から、肺炎による呼吸困難と心不全は治療できた、予想をはるかに超える驚異的な回復だと言われた。

K・K医師の説明。酸素の鼻腔カニューレもとれ、抗生剤もこの週末はやっていない、食事はゼリー食から訓練食になり、きょうは完食。歩行器を使って病院内を歩くリハビリをやっているとのこと。

在宅まで調整はあと約一週間と言われ、このあとリハビリ病院に行くと思っていたので、正直当惑した。自宅に帰れば前と同じ、誰の言うことも聞かず、内服薬も飲まず、まったく目茶苦茶な生活に戻ると思うからだ。

医師ふたりの説明のあと、MSWで看護師のMさんと面談。今までの父の生活ぶりから、どうしたらいいか話す。ここ一週間くらい、すごく体調が悪い中、ずっと考えていたことは、正直、私のものすごいストレスの原因である父にもう振り回されたくないということだ。

病院の近くの細い素敵な道に、背の高い杏の樹の実がたくさん落ちていた。

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夜、大切な友人から久しぶりに電話をもらう。

私の次の仕事についての話。きょう父の病院の面談だったことを話すと、私の小さい頃から今までの経緯を考えると、信じられないほど酷いことをされてきているのに、どうして父をかわいそうと思うの? と言われた。

歪んでしまった人間は、なかなかもとには戻らない、とも。

6月16日(月)

また不正出血。最近ずっと血が止まらない。ストレスで何回も目が覚める。

近所の杏の樹の実が全部収穫されて葉っぱだけになっていた。都会の片隅の本当に小さな樹だが、それでも毎年杏が実って日増しに濃く色づいていくのを見るのが楽しい。

夕方、母に会いに行く。夕食と「極みプリン」完食。

昔の写真をまとめたアルバムを見せる。「これ、誰?わかる?」と聞いて、すごく反応がある時と、ない時とがあるが、少し食べてからまた最初のページから見せるのを5回くらい繰り返していると、反応が冴えてきたりする。

母の若い頃の写真を見て「これ、いい女に見える。鼻筋が通ってるみたい。」と言った。(母は自分は鼻筋が通ってなくて全然美人じゃない、とよく言っていた。)私が生まれる前の父の写真を見せると、やはり「いい男。」と言う。

7時前に施設の裏口を出ると、すごくキナ臭くて、消防車が4台も来ていたのでびっくりした。すぐ前のお寺の脇の細道を入ったところが火事のようだった。施設の表玄関の前にある水道から消防車が水を引いているようだった。

6月14日(土)

ストレスで首が痛くて横を向けないほど。いろいろネットで調べたところ、自分の手で頭を持ってぐいっと倒すような強い首のストレッチは逆効果で首の筋肉を傷めるそうで、熱い蒸しタオルが良い、と書いてあったので、レンジで熱くした蒸しタオルを首にあてるのを4回繰り返してやってみた。

治療院でも、首、肩をマッサージするとき、外に耳ではっきり聞こえるように「ばつっ」と音がすると言われた。

夕方、Gと高田馬場でかきあげを食べた。今後の介護についての相談。

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